テレビドラマ「篤姫」を楽しく見ております。<o:p></o:p>
篤姫は薩摩島津氏の分家である今泉島津家、島津忠剛(ただたけ)幸(ゆき)の長女として生まれ、島津本家 斉彬(なりあきら)の養女となった後、十三代将軍家定に嫁ぎました。破格の出世をしましたが、時代のうねりに翻弄されて数奇な運命を辿りました。<o:p></o:p>
しかし、この縁組みこそ、維新の混乱の中で江戸と徳川家を救う陰の功労の基となったのでした。<o:p></o:p>
篤姫は、女性ながら、一生自分の信念をまげることなく、また自分らしさを失うことなく、強く生きた、聡明で天晴れな女性でした。それは、そのような娘に育てた両親の愛情と養育の賜物であったのではないかと思います。<o:p></o:p>
父、島津忠剛は(長塚京三が好演しました)典型的な薩摩の古武士で、藩と藩主に忠節を尽し剛直に生きた人物でした。樋口可南子が演じている母、幸は溢れるような愛情を娘にそそぎ、娘が生家を離れる際には次のように教えました。<o:p></o:p>
「あなたは人の上に立ち、判断に迷うような場面に度々遭遇することでしょう。そういう時には考えるのを止めて、感じなさい。そして、あなたがいいと感じる道を選びなさい。」いわば、自身の感性と感を信じなさいと諭したのでした。これは現代でも通用する教えではないかと思います。<o:p></o:p>
篤姫は御台様(みだいさま)として、味方が少ない中で江戸城大奥を束ね、徳川家の人となり、薩摩の人脈をも頼りながら徳川宗家を守り抜き、十六代家達(いえさと)の成長を見届けた後、他界しました。その篤姫の数少ない遺品、「桜島と薩摩の生家」を描いたと思われる一幅の画軸は、今も徳川記念財団に大切に保存されているとのことです。<o:p></o:p>