「論語、雍也(ようや)篇 第六」23にあります。
子曰ク
知者ハ、水ヲ楽シム、
仁者ハ、山ヲ愛ス。
知者ハ動ク
仁者ハ静カナリ
知者ハ楽シミ
仁者ハ寿(いのちなが)シ
「訳」
先生はいわれた。智の人は流動的だから水を楽しみ、仁の人は安らかにゆったりしているから山を楽しむ。智の人は動き、仁の人は静かである。智の人は楽しみ、仁の人は長生きをする。
徳川慶喜公(幼名、七郎丸)が若干6歳の時に揮毫した「楽水」が下の写真であり、茨城県立歴史館に所蔵されています。「渉成園」とある揮毫(下 写真)は、慶喜が幕末に京都の宿舎とした東本願寺の庭園(枳穀)の名前です。
金谷治 訳注「論語」 岩波書店
子曰ク
知者ハ、水ヲ楽シム、
仁者ハ、山ヲ愛ス。
知者ハ動ク
仁者ハ静カナリ
知者ハ楽シミ
仁者ハ寿(いのちなが)シ
「訳」
先生はいわれた。智の人は流動的だから水を楽しみ、仁の人は安らかにゆったりしているから山を楽しむ。智の人は動き、仁の人は静かである。智の人は楽しみ、仁の人は長生きをする。
徳川慶喜公(幼名、七郎丸)が若干6歳の時に揮毫した「楽水」が下の写真であり、茨城県立歴史館に所蔵されています。「渉成園」とある揮毫(下 写真)は、慶喜が幕末に京都の宿舎とした東本願寺の庭園(枳穀)の名前です。
金谷治 訳注「論語」 岩波書店