yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

秦氏

2016-08-31 05:14:09 | 歴史
秦氏は、3世紀に日本に渡来した一族で、秦の始皇帝の末裔といわれる弓月氏を中心にして、聖徳太子の頃から栄え、京都に住んで、得意の土木技術を駆使して平安京遷都に貢献しました。東映の撮影所がある京都太秦一帯には秦一族が住んでいたといわれています。嵐山の美しい景観は秦一族の土木技術に拠る所が大きいとのことです。秦氏の子孫には羽田氏、東儀氏、川勝氏などがいます。関東の秦野市にも入植しました。
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日新 作新

2016-08-28 05:48:42 | 文学
日新、作新は、中国の古典「大学」にある言葉です。「日に新たに、また日々に新たに、日々に新たなれ、また新たなる民を作(おこ)せ」とあります。「格致日新」は物事の本質を突き詰めて日々に知識を深くすること、日々に新たに向上していくことを意味します。
江戸時代、会津藩の藩祖、保科正之公は、会津藩の藩士の子弟の教育のために會津日新館を設立しました。作新は、「大学」の上記の言葉の後半「新たに民を作せ」すなわち「作新民」から「作新」を採ったもので、黒羽藩(くろばねはん)の藩校、「作新館」がありました。これを継承して船田兵吾が、作新学院を創立しました。栃木県の有名高校です。今年夏の、甲子園で54年振りに優勝を果しました。かつて野球で活躍した江川卓氏、リオデジャネイロ五輪で活躍した競泳の金メダリスト、萩野公介選手も作新学院の出身です。

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坂田昌一先生

2016-08-25 05:11:31 | 文化
理論物理学者で名古屋大学教授の故・坂田昌一先生は、ノーベル賞を受賞した益川俊英教授らを育てました。研究室は、「議論は自由に、研究室では平等だ」という理念のもとで、身分、立場を超えて活発に議論し活動する研究の場であったということです。

坂田教授は病気で他界する直前に、次の言葉を後輩に残しました。

  兼聴則明
  偏信則暗

 あわせて聴けばすなわち明るく
 かたより信ずればすなわち暗し

弟子の益川教授は、上記を聞いて、あわせて聴くと、第三の立場、より高い立場が見えて来ることもあると語りました。
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96年振り

2016-08-22 05:09:48 | 文化
2016年リオデジャネイロ五輪では、日本選手の活躍が目覚ましく数々の新記録が生まれました。中でも、テニスの錦織圭選手の銅メダル獲得は96年振りの快挙でした。2016年8月14日に錦織圭選手は、世界の強豪、ラファエル・ナダルを破って3位になり、銅メダルに輝き
ました。さて、1920年(明治9年)、ベルギーのアントワープ五輪で熊谷一弥(くまがいいちや)選手がテニスで準優勝しました。これが、日本人が五輪でメダルを取った第一号でした。今年はそれから数えて96年ということですので、錦織選手のメダルは大変な重みがあります。
 また、競泳自由形、男子800mリレーの銅メダルは萩野公介、江原騎士、小堀勇気、松田丈志選手等によりもたらされました。これは1964年の東京五輪以来52年振りであり、凄いことでした。
 また、陸上トラック種目、男子400mリレーでは、山県亮太、飯塚翔太、桐生祥秀、ケンブリッジ飛鳥選手が、37.60秒のアジア新記録で銀メダルを取りました。世界最速のボルト選手を擁するジャマイカには及びませんでしたが、アメリカ、カナダ、中国には勝りました。この銀メダルは1928年(明治17年)、アムステルダム五輪で人見絹枝選手の銀メダルを獲得(日本人女性初のメダル)以来、88年振りの快挙にあたります。
 今回のリレーの銀メダルは、五輪陸上競技・トラック種目における日本の歴史の中で最も輝かしい出来事と言えるかも知れません。
 さらに、競泳平泳ぎ、200m女子の金藤理絵選手(27歳)の金メダルは1992年、バルセロナ五輪の岩崎恭子(14歳)以来14年振りのことでした。この種目は日本にとっては長い歴史があり、1936年のベルリン五輪における前畑秀子選手の金メダル(「前畑がんばれの絶叫」実況放送で有名)、2012年のロンドン五輪における鈴木聡美選手の銅メダルなどがあります。
 また、卓球シングルスの水谷隼(じゅん)選手の銅メダルと、卓球男子団体、水谷隼・吉村真晴(まはる)・丹羽孝希(こうき)の銀メダルは日本人、五輪史上、初です。
 さらに、カヌー・スラロームの羽根田卓也選手の銅メダルも日本及びアジア初の快挙でしたし、レスリングの伊調馨選手のオリンピック4連覇は、五輪史上、女子個人種目初の快挙であり、感動しました。
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台湾

2016-08-19 05:39:38 | 文化
台湾は嘗て中華民国として繁栄しましたが、「一つの中国」という中国の外交政策が功を奏した結果、現在の台湾は国際的には存在感を低下させています。1970年代初頭、台湾の中華民国は国連から追放され、日本その他の主要国と相次いで断交を余儀なくされました。そして1979年についに対米断交。中国大陸の中華人民共和国とは国際的地位が逆転しました。1960年以降、大陸の中華人民共和国が台湾の国際的地位について、「一つの中国」以外のフォーマット(「二つの中国」、「一中一台」など)の存在余地を執拗に潰していく外交を展開して、それが奏功したからです。
その結果、台湾人がヨーロッパなどに入国する際には、台湾発行のパスポートが中国発行のパスポートの偽造品ではないかと疑われ、時々トラブルを起こす原因になっているそうです。その都度、台湾人旅行者は外国の空港で不便と屈辱を被ることになりました。台湾にとっては気の毒な事態と思われます。

 若林正丈 「名前の苦しみとナショナル・アイデンティティ」學士會会報 No.918 2016-Ⅲ
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忘己利他

2016-08-16 05:01:48 | 文学
「忘れ己利他」は「もうこりた」と読みます。「もう懲りた」ではありません。天台宗の伝教大師、最澄の言葉です。己(おのれ)を忘れ他人に利益(りやく)功徳を施すという仏の心を指しています。震災の時などに、ボランティアや寄付をする行為は見返りを求める心を抱いて
いません。無我の心で施しを行うことが大切でしょう。他人のために自分にできることは何なのか、これだけを考えて行動したならきっと自分自身のことなど忘れられるのではないでしょうか。
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五高時代の漱石

2016-08-13 04:58:07 | 文学
熊本大学学長の原田信志(しんじ)先生は、五高時代の漱石について雑誌に次のように書いています。

夏目漱石は、明治29年(1896)に第五高等学校(現・熊本大学)に英語教師として赴任しました。今年は、その後120年にあたります。明治31年には「ホトトギス」に「不言之言」を寄稿しました。その冒頭に、「天下恥づべき事多し。道を得ずして道を得たるが如くす。最も恥
づべし。道を得て熟せず。妄りに之を人に授く。次に恥ずべし。我既に恥ずべきものの一つを犯す。」と述べています。要するに、知ったかぶりをして、人に教える。これを恥づべきものとし、自分もそれを犯していると言っているのである。熊本時代の漱石はさらなる精進と工夫を自己に求めました。現在でも通じる、正に教育者・研究者の鏡とも言えます。漱石は教室では厳格な先生であったようです。予習をしてこなかったり、質問にいい加減にごまかそうとする学生を厳しく叱責したと言われます。しかし、漱石の講義は実に歯切れよく、よくわかっただけでなく、非常に印象の深いものであったと伝えられています。漱石の教室での態度は、厳格ではあっても温かみのあるもので、これが寺田寅彦を始め多くの秀才を惹き付けた理由でした。漱石は明治30年10月10日の第五高等学校の開校記念にあたり祝辞を述べています。「諸子今学生たりと雖も、其一言一動は即国家の全局に影響するなり」と言い、学生の責務と教育の理念を謳いあげました。明治人の気骨を感じます。

 原田信志 「漱石考」電気学会誌 2016 Vol.136 No.7
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最古の大学

2016-08-10 06:21:05 | 歴史
大学は、高等教育を行う施設ですが、欧米流の最古の大学といえば、イタリアのボローニャ大学が有名で、大学の原点といわれます。その設立は1088年です。かつて、ペトラルカ、ダンテ、ガリレオ、コペルニクスが在籍し、今もこの大学があります。
イギリスではオックスフォード大学が1167年、ケンブリッジ大学が1209年に設立されました。
フランスのパリ大学は1150年から1170年の間にその起源があるそうです。
ポルトガルのコインブラ大学は、1290年に創立されましたが、美しいキャンパスは世界遺産
に登録されており、黒いマントを着た約2万人の学生が、今も学んでいます。上記を見ると、ヨーロッパの名門大学が、そろって、11世紀から13世紀にかけて創立されています。

 一方、東アジアの大学をヨーロッパと同列に比較するのは無理がありますが、日本では、平安時代、829年に空海が、京都に綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)という私立学校を起し、庶民教育と各種学芸の総合教育を行いました。日本における大学の始まりとも言えます。
 中国では、前漢時代、BC124年に官吏養成のための大学が設立されたということです。紀元前のこの時代に文字と教材があり、教授と学生がいて、学ぶことを必要とする社会と文化が存在したことを意味します。まことに驚くべきことです。
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壺中の蛇

2016-08-07 05:06:12 | 文学
「今昔物語」の巻19、「本朝・仏法、第21話」に「壺中の蛇」という説話があります。欲の深い僧侶が、仏にお供えされた餅を自分勝手に取り集めて酒壺に入れて保存し、酒造りをもくろみました。しばらく経ってから酒壺の蓋を取ってみると、餅は蛇に変化していましたので、驚いて取り落とし棄ててしまいました。
 この寓話の教訓は、次のようなことだといわれています。
 同じ物を見ても、愚かな人間には、虚像しか見えないが、純粋な人間にのみ実像が見える。
 また、正しい行いをする人には、それに相応しい幸いがあるが、邪な人には天罰が下る
とも解釈されます。

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文系と理系

2016-08-04 04:58:00 | 文化
文系の代表は文学部、理系の代表は理学部とよくいわれますが、元東大教授で脳科学者の養老孟司先生は、下記のような事を書いています。
東大で教授同士の会議をやると、誰がどの学部かすぐにわかります。理学部と文学部は話が長くて、なかなか終わりません。工学部は実学なので、「どうするかを考えよう」と話が早い。
これに対して森博嗣教授は「理学部や文学部の」人は「まず理念から」などと言います。工学部の感覚では、「理念なんかあとから考えればいいじゃないか」ということになります。
養老先生は「脳科学の観点からそれは正しい。物事に対する理屈や説明は脳が最後付けで作り出すものなんです。数学はまた別ですけれど。」
 また、「前提の吟味をしない日本の文系」という説もあります。例えば、「解剖体慰霊祭は憲法違反です」という投書が僕宛に来たことがあります。差出人によれば、憲法は政府が直接宗教行事に関与することを禁止している。だから慰霊祭は憲法違反だというんですね。僕は弁護士に、「憲法違反と言うけれど、そもそも憲法の前提は何でしょう」と尋ねたんです。ところが弁護士は「憲法の前提なんて考えたこともない」と言う。憲法のない状態から憲法を作ったからには、何のために憲法を作るのかという前提があったはずなんです。だけど日本ではそれを吟味しようとしません。

    養老孟司 「文系の壁」PHP研究所

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