yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

清貧の思想 中野孝次

2020-12-30 06:01:51 | 文学
 バブル経済の破綻から2年後の1992年に、故・中野孝次氏の『清貧の思想』が草思社から刊行されました。本阿弥光悦、鴨長明、吉田兼好、良寛ら富貴と名利の俗を離れた古人の生き方を紹介し、日本には「ひたすら心の世界を重んじる文化の伝統がある」と説いています。当時は、猫も杓子を財テクをやって、財テクが流行っていました。この本では、多くの日本人が「何かおかしい」と感じていた時に、当時の時代の流れとは逆のメッセ-ジが打ち出されたので、読者に衝撃を与えました。子供の頃から、質素、倹約に慣れていた不肖もこの本に共感を覚えました。
しかし一般の反応とは別に反発もありました。経済評論家の内橋克人氏は、この本の解説の中で、バブル崩壊後の不況からの脱出を説く著名なエコノミストが、「清貧」ではダメだとテレビで語ったと紹介していました。文藝評論家の斎藤美奈子氏は、『清貧の思想』を「バブル崩壊期の典雅な寝言」と決めつけ、「拝金主義に眉をひそめていられるのは、やはり『豊かな時代』だからなのだ」と言いました。しかし、不肖にとって『清貧の思想』は、今でも感銘を与えてくれる書です。





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メサイア

2020-12-28 08:28:51 | 文化
メサイア(MESIA)はヘンデルが作曲したオラトリオで最初の公演は、1742年にダブリンで開催されました。年末になると、メサイアやベ-ト-ベンの第九交響曲は世界中で演奏されます。不肖も茶の間でCDのメサイアを楽しみました。日本で年末にメサイアを聞く習慣が広まったのは、1951年(昭和26年)の芸大メサイアの公演が端緒です。メサイアの第2部の最後に「、ハレルヤコ-ラス」がありますが、これを「起立して聴く」という習慣もあります。「ハレルヤ」はヘブライ語で「神をたたえよ」という意味です。欧州には、カトリックのミサは別として演奏会で聴衆が起立する習慣はありません。ではなぜ、日本に「ハレルヤ立ち」が根付いたのでしょう。英国王 ジョ-ジ2世がハレルヤで感極まって立ち上がり、他の聴衆も慌てて起立したという説が日本に伝わり王室および名作への敬意の儀式として定着したようです。「ハレルヤ立ち」がイギリスと日本にあるのは、伝統を重んじる国民性、集団行動を厭わない国民性など、国民性に共通点があることが理由なのかも知れません。
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山小舎の灯  米山正夫

2020-12-27 06:38:55 | 文学
有名な歌曲です。米山正夫作曲、唄:近江俊郎です。
1.
黄昏(たそがれ)の灯(ともしび)は
ほのかに点(とも)りて
懐かしき山小舎は ふもとの小径よ
思い出の窓に寄り 君をしのべば
風は過ぎし日の 歌をばささやくよ
 
 2. 暮れ行くは白馬か 穂高は茜(あかね)よ
   樺(かば)の木のほの白き 影も薄れ行く
   寂しさに君呼べど わが声むなしく
   はるか谷間より こだまはかえり来る

3.山小舎の灯は 今宵も点りて
  独り聞くせせらぎも 静かに更けゆく
  憧れは若き日の 夢をのせて
夕べ星のごと み空に群れとぶよ

昭和22年(1947)にNHKのラジオ歌謡として発表された米山正夫の代表作で、国民的歌謡曲として人気があります。白馬岳(2933m)や3190mの穂高岳が詠みこまれています。穂高連峰は、前穂高岳、西穂高岳、奥穂高岳、涸沢岳などから構成されています。白馬岳から穂高岳までを見渡すことができる山小舎を、すぐには思いつきませんが、栂池小屋(長野県小谷村,、写真 下)だという説があります。


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過桶狭間  大田錦城

2020-12-24 06:09:29 | 文学
江戸時代中期の儒者、大田錦城(1765~1825 おおた きんじょう)の七言絶句を紹介します。大田錦城は加賀の人、加賀藩の儒官、博学、多識で著書も多数の才人です。

  過桶狭間

 荒原弔古古墳前
 戦克將驕何得全
 怪風吹雨晝如晦
  驚破奇兵降自天




 桶狭間ヲ過(す)グ

 荒原(こうげん)古(いにしえ)ヲ弔ウ古墳ノ前
 戦イ克(か)ッテ將驕(おご)ル何ゾ全キヲ得ン
 怪風雨ヲ吹イテ晝(ひる)晦(やみ)ノ如シ
  驚破(きょうは)ス奇兵ノ天ヨリ降(くだ)ルカト

        「訳」

   いまは荒れ果てた原野の古墳の前にたたずみ、当時を弔う。ここで、今川の軍  勢は勝利に酔い、武将たちは驕りたかぶっていたので、どうして戦を全うするこ とができようか。折りから怪しい風が吹き出して、一天にわかにかきくもり、日中であるのに暗くなった。それに乗じて、織田の奇兵が攻め、今川の軍はあたかも天から兵が降ってきたかと驚いて、ついに敗北してしまった。

   「鑑賞」

  荒れた原野の古い塚の前にたたずむと、思いは当時の信長勢の奇襲の情景へと馳 せめぐる。後半、昼というのに、折りからの暴風雨のため、暗くなった中を、信長勢が義元目ざして掛け降りていくさまが、あたかも眼前に繰りひろげられたかのように迫力のある筆致で描かれる。荒涼、古墳、怪風、驚破と用語も吟味され、古戦場を弔う詩の傑作といえるでしょう。

吟剣詩舞道漢詩集「続 絶句編」  日本吟剣詩舞振興会






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汽車  唱歌

2020-12-21 06:59:13 | 文学
唱歌「汽車」は、1912年に刊行された「尋常小学唱歌」第三学年用の文部省唱歌です。

歌詞

今は山中今は浜
今は鉄橋渡るぞと
思う間も無くトンネルの
闇を通って広野原(ひろのはら)

遠くに見えるは村の屋根
近くに見えるは町の軒(のき)
森や畑や田や畑
後へ後へと飛んで行く

廻り灯籠の画(え)の様に
変わる景色のおもしろさ
見とれてそれと知らぬ間に
早くも過ぎる幾十里

作曲者は、新潟県にゆかりの深い音楽家・大和田愛羅(おおわだあいら、1886~1962)です。東京音楽学校(現在の東京芸術大学)を卒業した後、主に合唱を通じて音楽の普及に尽力しました。

作詞者については諸説があります。福島県双葉郡広野町のJR常磐線広野駅には、唱歌「汽車」の歌碑が昭和57年に建立されており、常磐線開通の際に、現在のいわき市久ノ浜から広野町の間の景観を大和田建樹が作詞したとしています。下に汽車の写真を掲載しました。 




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漫述  佐久間象山

2020-12-18 06:19:45 | 文学
江戸時代末期の儒者、佐久間象山(さくま ぞうざん、1811~1864)の漢詩「漫述」を紹介します。漫述とは「なんともなしに自分の心もちをいいあらわすこと」の意味です。象山は江戸末期の洋学者・儒者です。信州松代藩、真田幸貫(ゆきつら)の家臣。23歳の時、江戸にのぼって佐藤一斎に儒学をまなび、砲術を江川英竜(ひでたつ)に学びました。後に、江戸木挽町に私塾を開きました。象門の二虎といわれた、小林虎三郎(長岡藩士)、吉田寅二郎(松陰)をはじめ、勝海舟、坂本龍馬、宮部鼎蔵、橋本左内、横井小楠、河井継之助、三島億二郎を教育しました。後に、京都で尊皇攘夷党の刺客に襲われて客死しました。
 
         漫述

       謗者任汝謗
       嗤者任汝嗤
       天公本知我
       不覓他人知


       謗(そし)ル者ハ 汝ノ謗ルニ任セ
       嗤(わら)ウ者ハ 汝ノ嗤ウニ任セン
       天公本我ヲ知ル
       他人ノ知ルヲ覓(もと)メズ

「訳」

(世情騒然たる際においては、将来のことは見通しがたく、人はそれぞれ意見を同じくするものと党を組み、我が論のみを正しいものとし、他人の説を一概に非なりとして退ける。この間にあって、百万人たりといえどもわれ行かん、の気概をもってただ一人開国進取を主張する)この自分に対し、謗るものは気のすむまで謗るがよいし、嘲笑するものもまた、心ゆくまで嘲笑するがよい。天の神だけは、もちろん私の正しさを理解していてくださるに違いない。

「鑑賞」
象山は強い信念をもち、雄々しい態度は立派であり、横井小楠、藤田東湖とともに実践的思想家として「幕末の三傑」といわれた英傑です。ちなみに象山の妻は勝海舟の妹です。

吟剣詩舞道漢詩集「絶句編」  日本吟剣詩舞振興会
      
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静夜思 李白

2020-12-15 06:19:24 | 文学
盛唐の詩人李白の有名な五言絶句、「静夜思(せいやし)」です。

   静夜思

       牀前看月光
       疑是地上霜
       挙頭山月望
       低頭思故郷

       牀前(しょうぜん)月光ヲ看(み)ル
       疑(うたご)フラクハ是レ地上ノ霜カト
       頭(こうべ)ヲ挙(あ)ゲテハ 山月ヲ望ミ
       頭ヲ低(た)レテハ 故郷ヲ思ウ


「訳」

秋の静かな夜ふけ、寝台の前に月の光がさし込んでいる。あまりにも白いので地上に降った霜かと疑ったほどであった。光をたどって頭をあげてみると、山の端に明月がかかっている。その明月を眺めるうち、故郷のことがふと思いおこされ、知らず知らず首をうなだれて、しみじみ望郷の念にひたったことである。

      「鑑賞」
      後半は対句ですが、近体の格にははずれます。つまり、この詩は、古朴な味わ
いをねらいとしたものです。五言絶句は、もと南朝の民歌から発しました。そ
の民歌の持つ素朴なうたいぶりによって、望郷の念をしみじみ歌ったものです。
      冴え冴えとした晩秋の気、すきとおる月の光、その中にこみあげる郷愁がくっ
きりと浮かび上がる。谷崎潤一郎もいうように、恋しいとも悲しいともいわないが、作者の痛いほどの感傷は、読者に強く迫ってきます。この詩は、時空を超えて人々に感動を与えます。

吟剣詩舞道漢詩集 「絶句編」日本吟剣詩舞振興会
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熊本城   原 雨城

2020-12-12 07:16:36 | 文学
明治時代の詩人、原雨城の七言絶句「熊本城」を紹介します。熊本城は言うまでも無く、加藤清正公が築いた名城です。(写真 下)


         熊本城
     
        蘇嶽東望西火海
        白川南下水潺湲
        藤公偉業城偕熾
        秋雨春風弔勇魂


蘇嶽ヲ東ニ望ミ 西ハ火ノ海
        白川南ニ下ッテ 水潺湲(せんかん)
        藤公ノ偉業 城ト偕(とも)ニ熾(さか)ンニ
        秋雨春風 勇魂ヲ弔ウ

      「訳」
     雄大な阿蘇の五岳を東の空に望み、西は洋々として不知火の海が広がる。
     白川の水は悠然と熊本平野を南にさらさらと音をのこして流れる。熊本城(銀杏城)が厳としてその威容を長久に示すように、加藤清正の赫々たる武勲、治水工事 による安民救済の功績は後世に燦然として輝くことである。そして、菩提寺本妙寺の苔深い石磴に降る蕭々たる秋の雨や、春の楠の若葉に嫋々と吹き来る東風も、清正のたけき魂をなぐさめることである。 

      「語釈」

    景行天皇が西巡の際、海上に点滅する火をご覧になり、供の者に聞かれたが、誰もその火を解明することができなかったといいます。蘇岳は、熊本県と大分県にまたがる二重式活火山で、カルデラ内に高岳、中岳、根子岳鳥、帽子岳、杵島岳の五岳があります。
         



詩の作者、原雨城は書と南画も得意としました。阿蘇山には生涯、幾度も登りました。


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舟中子規を聞く 城野静軒

2020-12-09 06:11:14 | 文学
江戸時代 末期の詩人、城野静軒(きの せいけん)の七言絶句を紹介します。


         舟中聞子規(しゅうちゅうしきをきく)

       八幡山崎春欲暮
       杜鵑啼血落花流
       一聲在月一聲水
       聲裡離人半夜舟

        舟中子規ヲ聞ク

       八幡山崎春暮レント欲ス
       杜鵑(とけん)血ニ啼イテ落花流ル
       一声ハ月ニ在リ一聲ハ水
       声裡(せいり)ノ離人半夜ノ舟

「訳」

春も過ぎようとするころおい、京都から大阪に向かう、淀川を下る舟中から見わた すと、かなたの山は天王山か、するとこなたは男山。山すそに眠る八幡・山崎を通過中かと思う折しも、血を吐くようなほととぎすの声、川面には夜目にもしるく落花が静かに流れてゆく。「一声は月が啼いたか」と思われ、一声は水中から発したようでもある。ほととぎすの声は実に聞く者の腸も断たんばかりに悲しませるものであるが、まして故郷を離れているこの身にとって夜半の舟中での感慨はひとしお痛切なものがある。

「鑑賞」

城野静軒は熊本の人。舟で京都から大阪へ淀川を下る折、八幡山崎を通過中、月明に杜鵑の声を聞いての作。起句は韻を踏み落している。

吟剣詩舞道漢詩集 「絶句編」日本吟剣詩舞振興会

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高原列車は行く

2020-12-06 06:48:35 | 文学
「高原列車は行く」は、よく知られた歌です。昭和29年(1954)、丘灯至夫(おかとしお)作詞、古関裕而作曲の歌です。丘灯至夫も古関裕而も福島県出身です。
1. 汽車の窓から ハンケチ振れば
牧場の乙女が 花束投げる
明るい青空 白樺林
山越え谷越え はるばると
ララララ ララララララララ高原列車は
高原列車は ラララララ行くよ

2. みどりの谷間に 山百合ゆれて
歌声ひびくよ 観光バスよ
君らの泊りも 温泉(いでゆ)の宿か
山越え谷越えはるばると
ララララ ララララララララ高原列車は
高原列車は ラララララ行くよ


3. 峠を越えれば 夢見みるような 
五色のみずうみ 飛び交う小鳥
汽笛も二人の 幸せうたう
山越え谷越えはるばると
ララララララララララララ高原列車は
高原列車は ラララララ行くよ


「高原列車は行く」のモデルとなったのは福島県の「沼尻軽便鉄道」(写真 下)です。沼尻軽便利鉄道は硫黄鉱山から硫黄鉱石を運送するための鉄道であり、一説には、「高原列車は行く」のモデルは、日本で最も標高の高い処を走るJR小海線、野辺山高原ともされます。この明るい長閑な歌は古関がスイス・アルプスをイメ-ジしたとも言われます。これにも説得力があります。





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