yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

早乙女貢さんを悼む

2008-12-30 09:54:06 | 文学

日頃、畏敬しております作家の早乙女貢さんがさる12月23日に82歳で他界されました。心よりお悔やみ申し上げます。<o:p></o:p>

早乙女貢さんは大正15年1月1日に旧満州ハルピンで生まれ、帰国の後、日本ペンクラブの理事を勤めつつ著作活動を続け、昭和43年には「倭人の檻」で直木賞を受賞しました。「北条早雲」「おけい」「沖田総司」「竜馬を斬った男」「明治の兄妹」など数多くの歴史小説を著作されました。また曾祖父が会津藩士として戊辰戦争を戦った事を背景に、帰苔泣血(きたいきゅうけつ)の文学として結実させたのが、ライフワークであった「會津士魂」幕末編13巻および明治編8巻でした。彼はここに官製の正史に対する疑念を強烈に提示し、戊辰戦争の敗者の視点に立って日本の近代化の歴史の再検証を試みました。その「會津士魂」を私は何度も読み、ブログに書き続けているテーマのいくつかは、この本から着想を得たものです。早乙女さんは寡黙でいつも和服を着用し、筋の通った生き方を貫いた古武士のような方でした。<o:p></o:p>

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囲碁の効用

2008-12-28 07:36:36 | パズル

NHK大河ドラマ「篤姫」の中で篤姫が囲碁を楽しむ場面いくつかありました。<o:p></o:p>

ある時は小松帯刀との遊びの対局。いつも篤姫が白石を持って師匠格のようでした。<o:p></o:p>

ある時は養父、島津斉彬公との対局。斉彬公の言うことに嘘がないかとの疑いをもって打ちますが、篤姫と話しながら囲碁を打つ斉彬公の様子に淀みがないことから、斉彬公の言が真であると判断していました。このように、打ち手の様子から相手の心理の動きまで判断できることもあるようです。<o:p></o:p>

また、斉彬公の弟の久光公との対話の折に、篤姫は囲碁について次のように述べていました。囲碁に用いられる石は白と黒と二つの色の違いはあるにしても、石の機能、価値はどれも同じです。これは民と同様です。囲碁では、将棋の飛車や角行、金将、銀将というように特別に力のあるものは用いません。縦横19路の碁盤の中では、相手の地域を攻めたり、自分の地域を守る要の石もあるし、また勝敗と直接に関係はないが、相手に飲みこまれて、捨石になってしまう不幸な石もあります。これは藩の民とよく似ています。碁盤上で打ち手は、等しい機能の石をうまく使って相手と戦う為政者になっているような感じがして囲碁はとても楽しめます。こう述べましたので、囲碁が好きな久光公は、これを聞いて感服し、「兄上が見込んで篤姫を養女にした理由が良くわかる気がします」と言ったとのことです。<o:p></o:p>

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薩摩おごじょ

2008-12-24 08:35:55 | 歴史

「薩摩おごじょ」とは薩摩の女性のこと、「じょ」は「嬢」のことで「おごじょ」、これに接頭語の「お」と「ご」が付いたものです。<o:p></o:p>

薩摩の男性は「薩摩隼人(はやと)」と言われ、精強であり、強気で頑固というイメージがありますが、薩摩の女性はおごじょと言われ、気だてがよくてやさしく、芯が強くてしっかり者との評判です。NHKの大河ドラマ「篤姫」には多くの薩摩おごじょが登場しました。何といっても篤姫の母、島津幸がその代表でしょう。誇り高い薩摩おごじょを樋口可南子が好演しました。また篤姫にお姫様教育をして、江戸城大奥ではお付き兼戦友のような役割を果たした幾島は松坂慶子が貫禄たっぷりに演技していました。幾島も薩摩藩士の娘であり薩摩おごじょでした。また「女の道は一本道」と篤姫に教えた乳母の菊本も薩摩おごじょでした。ともさかりえが演じた名門の小松千賀(ちか)も典型的な薩摩おごじょで、時には、後に夫となる尚五郎を叱咤激励する場面もありましたが、実はやさしい心根をもつ女性だったということです。大奥総取締まりの老女、滝山を演じた美女、稲森いずみが鹿児島市出身であることを最近知りましたが、薩摩おごじょに美人が多いという話は本当のようです。ちなみに樋口可南子は典型的な越後美人です。新潟市の古町通り(繁華街)を歩くと多くの越後美人に出会えますよ。<o:p></o:p>

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和顔愛語

2008-12-21 13:01:32 | 人生

ある大会社の役員室に和顔愛語(わげんあいご)という額がかけてあるとのことです。書は臨済宗妙心寺派管長の故 山田無文老師(1900-1988)の筆になるもので、丸みを帯びて和らかく和顔愛語そのままのゆったりした文字です。これは大無量寿経にある言葉です。「和顔愛語」はにこにことした顔と優しい言葉で人に接することを意味しています。この会社では、経営者はかくあるべしと教えていると思われます。「社徳」という言葉が生きているこの会社にふさわしい額だと思います。<o:p></o:p>

現在の大不況の中で会社の経営は難しい舵取りを迫られています。経営者の真価が問われる状況です。しかし目前のことや自分の会社の利益だけに汲々とするのは、いかがなものでしょうか。派遣切りや契約社員のリストラに走る前に、全社員の生活を優先する配慮こそが必要ではないかと思われます。リストラを決断する経営者は、それと同時に、自身の賞与辞退、報酬を半減するくらいの覚悟をもって弱者の痛みを共に分かつことを期待したいと思います。

                       <o:p></o:p>

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長野県歌 「信濃国」

2008-12-18 08:40:21 | 文化

長野県には県民なら誰もが誇りをもって歌うという「信濃国」という県歌があります。こういう歌をもつ県は長野県だけではないかと言われています。<o:p></o:p>

この歌はもともと明治32年に小学校唱歌として発表されました。作詞は松本中学校(現・松本深志高校)の教諭であった浅井冽(れつ)氏、作曲は長野県師範学校に在籍したことのある作曲家、北村季晴(すえはる)氏です。歌詞は六連からなる長いもので、北村氏は詩のもつ雰囲気をあざやかに活かして現代にも通じる名曲に創り上げました。以下に最初の二連を記します。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

1.信濃の国は十州に境連ぬる国にして<o:p></o:p>

 聳ゆる山はいや高く流るる川はいや遠し<o:p></o:p>

 松本 伊那 佐久 善光寺 四つの平は肥沃の地<o:p></o:p>

 海こそなけれ物沢(さわ)に万ず足らはぬ事ぞなき<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

2.四方に聳ゆる山々は 御岳 乗鞍 駒ケ岳<o:p></o:p>

浅間は殊に活火山 いずれも国の鎮めなり<o:p></o:p>

流れ淀まずゆく水は北に犀川 千曲川<o:p></o:p>

南に木曽川 天竜川 これまた国の固めなり<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

この歌は、今でも酒席や結婚披露宴などでさえも広く歌われているそうです。<o:p></o:p>

昭和23年に長野県に分県運動の嵐が吹き荒れました。長野県は広大で、長野市を中心とする北信地区と諏訪・飯田を中心とする南信地区が地理的にも社会的にも固有の文化圏を形成しており、両者を分県化する運動は古来より絶えることなく続いていました。それが、敗戦、民主化という時代背景の中で一気に吹き出したのです。この案件は県議会にかけられ分県派が優勢のうちに最終段階を迎え、後は採決を待つのみとなり、松本市選出の分県派のリーダーが最後の演説を行っていました。その時、突如として議場の外から腹に響くような歌声が聞こえてきました。「信濃国」の大合唱でした。<o:p></o:p>

「信濃の国は十州に境連ぬる国にして聳ゆる山はいや高く、、、」<o:p></o:p>

歌声はたちまち議場の傍聴席に伝播し、係員の制止にもかかわらず全員が立ち上がり、合唱に加わりました。やがてそれは議員にも広がりました。興奮のあまり涙を流して歌っている人もいました。<o:p></o:p>

 「松本、伊那、佐久、善光寺 四つの平は肥沃の地  海こそなけれ物沢に万ず足らはぬ事ぞなき、、、」<o:p></o:p>

分県議案が成立すれば、この歌は生命を失ってしまいます。分県によって得る物と失う物と、そのいずれに価値があるのか、分県推進派の演説はトーンダウンしました。やがてなし崩しのように分県問題は消滅してしまいました。県歌「信濃の国」の役割がいかに大きいものであったかということは明らかでした。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

      内田康夫著  『信濃の国殺人事件』講談社<o:p></o:p>

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篤姫の輿入れ道中

2008-12-13 07:09:51 | 歴史

12月11日夜のNHK総合テレビで、篤姫の輿入れについて新発見があったとの報道がありました。嘉永6年(1853年)島津斉彬公の養女、篤姫は将軍家定との婚儀のために鹿児島から江戸に行きました。途中、京都の近衛家に立寄ったのは確かですが、その間どのような経路で移動したのか、陸路であったか海路であったのかは現在まで謎でした。最近になって、岡山市西郊の矢掛町(やがけまち)の本陣、石井家に宿泊した際の古文書が発見され、解読された結果、山陽道を通過して京都に向かったことが明らかになりました。旧本陣石井家は国の重要文化財に指定されている名家で、一般公開もされています。石井家から発見された文書には薩州姫君が宿泊されたこと、西の御丸(家定将軍)に輿入れする道中であったこと、宿泊代として銀3枚、主人への心付け2両(合計して現在の約40万円)などと書かれています。当時としては稀少な甘いゆべし85本が供されたともありました。約300人のお供を従えて威風堂々、島津家の栄誉を誇示するかのようにして江戸に下ったとの事です。因みに江戸に着くまでには今で言えば約5億円かかったとか。これは鹿児島大の原口泉教授によれば「島津家の政治パフォーマンス」であったことは明白であるとのことです。NHKの大河ドラマでは婚儀反対派を刺激しないよう、秘かに婚儀が整えられたことになっていましたが、事実は公然たる輿入れであったようです。<o:p></o:p>

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山本五十六 述志

2008-12-08 08:45:34 | 歴史

12月2日の朝日新聞の夕刊に「述志」の原本 初公開という記事が載りました。太平洋戦争で連合艦隊司令長官を務めた山本五十六(1884-1943)の遺書として知られる「述志」の原本が、東京都内にある元海軍中将、堀悌吉の孫の家で見つかりました。「述志」の内容は五十六の親友、堀悌吉が戦後、著書で紹介するなどしていましたので広く知られていましたが、原本は所在不明になっていました。1939年に便箋に毛筆書かれたもので、海軍次官であった山本は三国同盟に反対しており、脅迫や暗殺予告を受けていました。<o:p></o:p>

「誰か至誠一貫俗論を排して斃れて後已むの難きを知らむ」(至誠を貫き、俗論を排した末に死ぬ困難を誰が知ろうか)と記しています。<o:p></o:p>

 山本元帥は、我が郷里、長岡中学の大先輩です。欧米との戦争に反対しながらも、皇国の武人として心ならずも真珠湾攻撃を指揮することになった連合艦隊司令長官であり、南方で戦死しました。まさに至誠一筋の人でした。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

補遺<o:p></o:p>

 真珠湾攻撃の直前に山本は、連合艦隊の各艦長を集めて訓辞しました。「今、戦争回避のために米国と交渉中である。もしその交渉がうまく行ったら、直ちに日本に向けて帰投せよ」と言ったところ、ある艦長が「一旦出撃したら戻れと言われても戻れるものではありません」と咄嗟に不服を申し立てました。山本は大いに怒り「百年、兵を養うは平和を守るためである。もし停戦命令に背いて本国に帰投することができないと考える艦長がいたら、即刻、辞表を出せ」と命じました。各艦長は山本のこの強い意志を胸に出撃して行ったとのことです。<o:p></o:p>

 

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三つ山崩し その2 勝ちパターン

2008-12-07 07:46:59 | インポート

「三つ山崩し」というゲームがあります。碁石などを使って、それを適当数取って三つの山を作ります。例えば、第一の山は11個、第二の山は12個、第三の山は13個とします。個数は適当な他の数でも構いません。先ず、先手がどこか一つの山から好きな数だけ取ります。続いて後手が、取ります。必ずどれかの山から1個以上取らなければなりません。これをくりかえすと三つの山の碁石の数は次第に少なくなって行きます。最後の一つを取った人が勝ちとなります。この遊びの勝ち方は数学的に求められます。<o:p></o:p>

例えば、3つの山の碁石の数が11個、12個、13個の場合について説明します。説明のために、この状態を(11,12,13)と表現します。<o:p></o:p>

このケースは先手が必勝です。13個ある山から6個の石を取り(11,12,7)<o:p></o:p>

とします。以後、(3,12,7)、(3,0,3)、(3,0,2)、(2,0,2)、(1,0,1)という風に進むと、後手は1個の山から1個を取らざるを得ませんから、先手は最後の1個を取って勝つことができます。<o:p></o:p>

代表的な勝ちパターンには、(0,1,1)や(0,0,2n)や(0,n,n)があります。2nは偶数のことです。  以上は前回12月4日に掲載した「三つ山崩し」に書いた<o:p></o:p>

文と同じです。<o:p></o:p>

何故(11,12,7)が勝ちパターンかを説明します。<o:p></o:p>

11と2と7を2進数で表現すると次のようになります。<o:p></o:p>

     11=8+2+1    001011<o:p></o:p>

      12=8+4      001100<o:p></o:p>

       7=4+2+1   000111<o:p></o:p>

      合計      002222<o:p></o:p>

このように、10進法的に各位の数を合計した答の数が偶数のみになっているのが勝ちパターンの条件です。<o:p></o:p>

後手はここで。どこかのの山から少なくとも1個の石を取らなくてはなりません。たとえば、7個の山から1個を取って6個とします。次に先手は11個の山から1個を取ります。     10=8+2  001010<o:p></o:p>

          128+4 001100<o:p></o:p>

           6=4+2 000110<o:p></o:p>

       合計      002220<o:p></o:p>

この合計パターンは偶数のみですから勝ちパターンです。<o:p></o:p>

後手がいかなる取り方をしても、先手は最終的に(0,1,1)のパターンにすることができて勝つことができます。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

関沢正躬著 『数の理論 入門』丸善<o:p></o:p>

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三つ山崩し

2008-12-04 07:26:07 | パズル

「三つ山崩し」というゲームがあります。碁石などを使って、それを適当数取って三つの山を作ります。例えば、第一の山は11個、第二の山は12個、第三の山は13個とします。個数は適当な他の数でも構いません。先ず、先手がどこか一つの山から好きな数だけ取ります。続いて後手が、取ります。必ずどれかの山から1個以上取らなければなりません。これをくりかえすと三つの山の碁石の数は次第に少なくなって行きます。最後の一つを取った人が勝ちとなります。(勝ち負けのルールを逆にして、最後の一個を取らされた方が負けという遊び方もあります。)<o:p></o:p>

この遊びの勝ち方は数学的には単純で、最初にそれぞれの山にある碁石の個数と、最初の手番がどちらかによって、始めから勝敗が決まってしまいます。途中で変化する余地は殆どありません。即ち、勝ちパターンを覚えてしまった方が連戦連勝することができるのです。<o:p></o:p>

例えば、最初に3つの山の碁石の数が11個、12個、13個の場合について説明します。説明のために、この状態を(11,12,13)と表現します。<o:p></o:p>

このケースは先手が必勝です。13個ある山から6個の石を取り(11,12,7)<o:p></o:p>

とします。以後、(3,12,7)、(3,0,3)、(3,0,2)、(2,0,2)、(1,0,1)という風に進むと、後手は1個の山から1個を取らざるを得ませんから、先手は最後の1個を取って勝つことができます。<o:p></o:p>

代表的な勝ちパターンには、(0,1,1)や(0,0,2n)や(0,n,n)があります。2nは偶数のことです。<o:p></o:p>

私は学生の時(昭和42年頃)学園祭で初めてこの遊びを知りました。理学部の学生が「三つ山崩し」のマシーンを作り、来客と対戦させていました。パソコンが普及していない時代のことですから、このマシーンの製作は、かなり難しい事であったと思います。パソコンのモニターは無いので、代わりに科学実験用のオシロスコープ(電気信号波形観測装置)が使われていました。私はゲームのルールをよく聞いてから一度下宿に戻り、勝ち方を研究した後、再び会場に行きマシーンに挑戦して勝つことができました。賞品はボールペンでした。試合に勝ったことよりも「勝つ法則」を発見したことのほうが嬉しい事でした。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

後日、最初の山の石の数a,b,c2進数で表現して勝ちパターンを決めるエレガントな方法を数学者の著作で知りました。<o:p></o:p>

関沢正躬著 『数の理論 入門』丸善<o:p></o:p>

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