yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

無用の用

2020-01-31 06:13:23 | 文学
クイズ番組を見ていると、解答のできない人が、腹を立ててよく言う台詞があります。「その問題の解答ができたから、どうだっていうのだ。その解答が役にたつのか。」
この言葉に対して、ある識者が下記のように言って窘めました。
「すぐに役に立たない」ことにも意味があります。今すぐ役に立たないことを知ることは、将来、役に立つ可能性があるのです。「今すぐ役に立つ」ことを知っても将来、役に立たなくなる可能性もあります。
数学の難問や宇宙の成り立ちが分かったら、何の役に立つのか。これもよくいわれますが、人類の難問の解答を追求する学者は大勢いますし、それを良しとする文化や、そうした活動を支援する国家(例えば英国)もあります。
老子が説く「無用の用」にも通じているかも知れません。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

端倪(たんげい)

2020-01-28 06:21:59 | 文学
優れた人物を褒める時に「端倪すべからざる」というように使う、「端倪」という語があります。「端」は「はじまり、いとぐち」の意、「睨」は「はて」の意で、「端倪」は「物事の終始のこと」です。

「荘子、大宗師篇」にも、次の語があります。
彼(荘子)は方(ほう)の外に遊ぶ者なり。(中略)其の肝胆を忘れ、其の耳目を遺(わす)る。
反(よ)せては復(かえ)し、終わりては始まり、端(はじ)めをきわめ、倪(おわ)りをつまびらかにするを知らず。(後略)

荘子が超越者であり、自由人であることを述べています。

 福永光司 「荘子 内篇」 中国古典選 朝日新聞社









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終わり初物

2020-01-25 06:16:36 | 文学
「終わり初物」とは、野菜や果物が多く出回る時期を過ぎてから成熟したものを、初物と同様に珍重していう言葉です。穏座初物(おんざはつもの)ともいいます。穏座とは仏教の言葉で、儀式の後の宴席を指します。

中島みゆきさんが作詩、作曲して歌う歌のタイトルにも「終わり初物」があります。
終り初物

こんな言葉を今どき
わかる人がいるかしら
言葉は変わる 暮らしは変わる
今では 何んて言うかしら

あなたに届けたくて
今日のうち届けたくて
急いだ理由(わけ)を手紙に書いて
預けていくから 読んでね

終り初物 季節見送り
手に入ったから おすそわけ
終り初物 明日にはもう
どこにもないから おすそわけ

過ぎゆく季節 嘆くより
祝って送るために

一人娘のあの子は
遠い国へ行(ゆ)くらしい
いろんなわけが それぞれあって
かけ得(う)る言葉が足りない

見送りには行(ゆ)きません
仕事を続けています
預けておいた包みの中に
借りてた詩集も入れました

終り初物 季節見送り 
手に入ったから おすそわけ
終わり初物 明日にはもう
会えなくなるから おすそわけ
過ぎゆく季節 嘆くより
祝って 送るために
(間奏)
終わり初物季節見送り
会えなくなるからおすそわけ
過ぎゆく季節嘆くより
祝って送るために

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前秦

2020-01-22 06:31:00 | 歴史
中国・五胡十六国時代に前秦(351~394)という国がありました。氐族(ていぞく、チベット族)の符健が始祖であり、華北を統一して長安を都としましたが、「淝水(ひすい)の戦(383)」で東晋に大敗した後、滅亡しました。この氐族の子孫の一つ、ベマ族(白馬族)は戦乱を逃れて、長い間、原生林の中だけで暮らし、外界とはほとんど縁を断って生きてきましたので、「桃源郷に住む人々」ともいわれました。そして亡国の記憶を歌で子孫に伝承してきました。また、同族の中だけで婚姻をするという特徴もあります。ベマ族の女性の写真の一例を下に載せました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徒然草 第三十八段

2020-01-19 07:05:36 | 文学
多くの物に囲まれて、漫然と過ごしている者にとって、警鐘となる文があります。「徒然草」の第三十八段に、兼好法師は次のように述べています。

「名利に使はれて、閑かなる暇(いとま)なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。財(たから)多ければ身を守るにまどし。害をかひ、累(わずらひ)を招く媒(なかだち)なり。身の後には金(こがね)をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらはるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。(後略)」

財が多いとそれに囚われ、身を保つのが難しくなる。財産の多寡が人生の幸不幸と決すると思い込むと、財が目減りしだすだけでひどく不安になる。人の評判ばかり気にしていると、何がほんとうに大事なものかも見えなくなる。財に恵まれない人のほうがかえって隣人に気前がいいのは、日頃よく目にすること。

「方丈記、徒然草」 日本古典文学大系 岩波書店



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉備真備の書

2020-01-16 06:26:24 | インポート
奈良時代に遣唐使として唐に渡った吉備真備(695~775)の書が中国で発見されたと、12月25日に発表されました。(写真 下)中国人の墓誌を日本人が書いたことが確認されたのは初めてのことであり、古代東アジア関係の実像を伝える貴重な資料として注目されます。墓誌は全文1126文字で、その一部に「日本国朝臣備」とあります。吉備真備の書は、楷書の手本とされる唐の緒遂良、欧陽詢の書と比べても遜色が無いように、不肖には思われます。
吉備真備は、日本史の教科書にもあるように、菅原道真と並ぶ学者・政治家です。阿倍仲麻呂らと共に717年に唐に渡り帰国後は政治家として活躍しましたが、再度、唐に渡り、帰国の後には右大臣にまでなりました。写真の書は吉備真備の唯一の直筆の書の一部です。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

面と背と胸と腹 佐藤一斎

2020-01-13 06:25:44 | 文学
江戸時代後期の儒学者、佐藤一斎の「言志録」にある言葉です。

面欲冷 背欲煖 胸欲虚 腹欲実

面(おもて)ハ冷ナランコトヲ欲シ、 背ハ煖(だん)ナランコトヲ欲シ、 胸ハ虚ナランコトヲ欲シ、 腹ハ実(じつ)ナランコトヲ欲ス



顔面(頭脳)が冷静ならば、正しい判断ができる。
背中が暖いならば、熱烈、人を動かすことができる。
虚心坦懐にして、我見がなければ、他人を容れることができる。
腹が充実していれば、胆力が据って物に動じない。

憶えておくべきことを一つ一つ身近な物や場所に関係づける記憶法と同じく、心得も体の部位に関係づけておけば咄嗟の自戒として活きてきます。

 川上正光 訳注 「言志四録一」講談社学術文庫 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

香薬師像

2020-01-10 06:19:46 | 文化
奈良・新薬師寺に香薬師像という仏像がありました(写真・下)。7,8世紀、白鳳時代を代表する銅造りの薬師如来立像(高さ約73センチ)で、重要文化財に指定されており、名品です。
明治時代に2度盗難に遭いましたが、その都度、寺に戻りました。昭和18年(1943年、3月)から行方不明になりましたが、平成27年(2015年)に鎌倉の寺院に右手のみが保管されていることがわかりました。
この立像の消滅事件を題材にした小説に、内田康夫作「平城山を越えた女」があります。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古代への情熱 シュリ-マン

2020-01-07 06:20:14 | 歴史
シュリ-マンはドイツの考古学者、実業家です。幼少期に聞かされたギリシャ神話に登場する伝説の都市、トロイアが実在したと考え、発掘調査により、トロイアの実在を証明しました。トロイアの発掘は1871年でしたが、その6年前の1865年6月に、シュリ-マンはアメリカ回りで、雪に覆われた富士山に感激しながら横浜港に上陸しました。その頃の日本は鳥羽伏見の戦いの3年前で、幕末の動乱の時代で、彼の日本滞在は、わずか1ヶ月でしたが、鋭い偏見のない観察眼で日本のことを学び、次のような事を述べています。
「日本人の律儀さと規律正しさ。日本人が世界でいちばん清潔な国民であることに異論の余地はない。どんな貧しい人でも、日に一度は町のいたるところにある公衆浴場に通っている。日本の自然と江戸の都市景観の美しさはすばらしい。何処でも樹木が一杯で公園の中に都市があるようだと、またどの民家にも小さな庭があり植栽が美しい。」と。
外国人が見た幕末の生の日本が、ありありと書かれています。
 
 シュリ-マン・関 楠生訳 「古代への情熱」 新潮文庫 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幻住庵記 芭蕉

2020-01-04 06:21:12 | 文学
松尾芭蕉の「幻住庵記(げんじゅうあんのき)」の中に、
「ある時は士官懸命の地をうらやみ、一たびは佛籬祖室の扉に入らむとせしも、たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を労して、暫く生涯のはかり事とさへなれば、終(つひ)に無能無才にして此(この)一筋につながる。楽天は五臓の神(しん)をやぶり、老杜は痩せたり。賢愚文質のひとしからざるも、いづれか幻の栖ならずやと、おもひ捨てふしぬ。」という文があります。
「奥の細道」を旅した後しばらくして、芭蕉は琵琶湖畔・大津の山中にある庵に移り住みました。自分は士官や出世を願ったこともあるが、若い頃から俳諧を好み、なおかつそれで世過ぎ出来たので、他には身を入れないまま今日に至ったと、その生涯を振り返りました。そして庵の名のとおり、人生も「幻の栖(すみか)」だと。器用より無骨に一筋でした。俳句の第一人者にして、なお、自分を無能無才と言っています。謙虚なことです。

 「芭蕉文集・幻住記録」 岩波書店




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする