yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

将棋電王戦(4)

2015-04-28 04:47:06 | 将棋
将棋のプロ棋士とコンピューターの戦を将棋電王戦といいます。過去の経過は次の通りです。

第1回  2012年 米長永世棋聖対 コンピューター:       コンピューター 勝ち
第2回  2013年 プロ5人対 コンピューター: 3対1(1持将棋)コンピューター 勝ち
第3回  2014年 プロ5人対 コンピューター: 4対1     コンピューター 勝ち
最終   2015年 プロ5人対 コンピューター: 3対2     プロ 勝

最終戦の第5局が去る4月11日に行われました。勝負が始まってから僅か49分、21手で
コンピューター・ソフト「AWAKE」が投了し、阿久津主税八段が勝ちました。この日の正午のNHKのテレビの全国放送でこの結果が報じられました。見ていた私は、何が起きたのかわかりませんでした。この棋戦では、プロの戦績が5勝10敗1引き分けであり、コンピューターがプロ棋士を圧倒していました。米長邦雄永世棋聖、三浦弘行八段、森下卓九段、屋敷伸之九段も負けています。

阿久津八段にすれば、プロ棋士の面目にかけてなんとしても勝ちたかった、結果を出した
かったと思われます。今回の電王戦・finalの詳細が決まった時、ルールにより、棋士に
コンピューター・ソフトが貸し出されました。一方、「貸し出しの後、本番までソフトの修正
は認められない」というルールもありました。阿久津八段は、ある特定の局面(下図)に誘導するとソフトは悪手、「2八角打」と指す事を発見していました。この角は数手先に、取られる運命にあるので、人間は指さない手です。阿久津八段にすれば、「勝利を目指すための最善手だったと思うが、やや邪道な戦術をとったことについて葛藤があった」ことを明かにしました。もっともなことです。
相撲にたとえると、大関が苦手の相手と対戦する時に立ち合いで変化して、はたきこみで破るのを連想します。はたきこみで敗れる力士が未熟なのですが、観戦している者には物足りない感じが残ります。今回の将棋の勝負もこれと似たところがあるように思われます。

プロが勝ちに拘るのは当然のことです。研究を積んで、勝ち筋を見つけて実行する、何も
問題はありません。大横綱、白鵬にしても、対戦相手をよく研究した上で勝ち、勝ち星を

積み重ねてきました。




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参議院改革論

2015-04-25 05:47:58 | 文化
学者の養老孟司氏が著書の中で参議院改革論を書かれています。以下にその部分を引用します。
エネルギー問題などのような長期的テーマを国家レベルで議論するためには、参議院を変えてしまうのが一つの手ではないかと思います。よく言われるように、今の参議院は、衆議院と違いがありません。任期が長いといっても、結局は選挙で票を取ることに必死になるので、長期的な議論ができない。しかし、何十年も先のことを見越して議論をする機関は必要です。
短いスパンで行われる選挙での争点は、大きな問題ではありません。より大きな視点で長期的に考えるべきテーマは別にあるのです。こうした大きなテーマを考えるという役割を、参議院が担えばいいのではないでしょうか。政局と関係なく、長期的にエネルギー、海や山などの自然の問題などを考える。その場合、選挙で票を集めることはむずかしいから、昔の元老院のようにする。元総理のような人を揃えて、その下に優秀な実行部隊を置く。議員一人ひとりをシンクタンクのようにして、その集合体として参議院とする。参議院全体を国政のアドバイザーのような位置づけにする。議決せずに、意見を送付するだけでいい。一見地道でも、そういうことを継続して何十年もやっていれば、そのうち「参議院の意見は長い目で見れば正しい」と理解されるようになるでしょう。衆議院と同じようなことを議論し、同じような喧嘩をしているような現状は明かに無駄です。議院が二つあったほうがいいというのは議会制の知恵なのでしょうが、現状ではその無駄、弊害のほうが出ています。おそらく実際には国会議員の中でもそういう調査とか長期的議論に向いている人もいるはずです。こういうテーマについて、参議院がきちんとシミュレーションをして長期的な議論をすればいい、選挙に使う無駄なお金も減るし、いいことばかりではないでしょうか。

参議院は無駄という点に、まず同感です。極論ではありますが、現在の参議院は、時間と労力と費用、効果などすべてにおいて無駄が多いと私には思われます。ついでに、衆議院議員の定数も現在の半分程度にしてより、民意を繁栄しやすい選挙制度(例えば、完全比例代表制)を実施するといいと思います。
比例代表では、得票に比例した議員数が選出され、選挙区の概念がありませんから一票の格差も解消できます。世界では、イタリア、オーストリア、オランダ、ベルギー、スウェーデン、
スイス、スコットランドなどで、比例代表選挙が行われているそうです。

養老先生が言う新しい参議院。国家の長期的問題を取り扱うという趣旨には賛成ですが、その参議院の細部、たとえば、名称、議員の選出法、義務と権限、強制力、議員室の構成、衆議院との関係などには更に議論が必要だろうと思います。

養老孟司「「自分の壁」 新潮社

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平泉懐古 大槻磐渓

2015-04-22 05:31:26 | 文学
江戸時代の詩人、大槻磐渓の七言絶句「平泉懐古」を紹介します。


平泉懐古

三世豪華擬帝京
朱樓碧殿接雲長
只今唯有東山月
來照當年金色堂

三世ノ豪華帝京ニ擬ス
朱樓碧殿雲ニ接シテ長シ
只今唯東山ノ月ノミ有ツテ
來リ照ラス當年ノ金色堂


「訳」

藤原氏三代の繁栄は豪華をきわめた。当時、平泉を天皇の都京都になぞらえ、雲にとどくばかりの朱塗りの楼台、碧色の殿堂が長ながと立ち並んでいたものであったが、今はただ、そうした豪奢も空しい夢となり、昔と変わらぬものは東山に出る月だけで、毎夜来たって当時からの唯一の遺物たる金色堂を照らしているのである。

 「鑑賞」

奥州藤原氏は、清衡、・秀衡・基衡の三代の間、太いに繁栄したが、今でも金色堂のみは当時のおもかげをとどめている。

転句と結句は李白の「蘇台覧古」の中にある「只今唯西江ノ月ノミ有ツテ、曽ツテ照ラス呉王
宮裏の人」を借用している。

「吟剣詩舞道漢詩集 絶句編」 日本吟剣詩舞振興会

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詰将棋

2015-04-19 05:31:51 | 将棋
将棋棋士、伊藤果七段のフェースブック上にあった詰将棋です。初級者対象、サタデー詰将棋の98作目、「シンプルな配置ですので考えやすいでしょう。でも意外に手数はかかりますよ。11手詰です。」というコメントがありました。

私は、詰将棋を解くのが速くないので、考えさせられました。7手目が、詰将棋の一手らしい好手のようです。伊藤果七段は、高柳門、詰将棋の大家です。



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山笑う

2015-04-16 05:20:10 | 文学
日本人は、季節の変化を敏感に観察しています。山の変化を擬人化しています。
「山笑う」もそうした観察と一致しています。
俳句では闌春の季語で山が明るいことを指します。
   伐口の大円盤や山笑ふ  阿波野青畝

郭熙の画論『臥遊録』の「春山淡冶にして笑うが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡として眠るが如く」に拠るとされているそうです。

   「現代 俳句歳時記」 大泉書店

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内藤國雄九段

2015-04-13 05:59:50 | 将棋
将棋のプロ棋士、内藤國雄九段、75歳が、去る3月31日をもって現役を引退されました。将棋界では現役の最年長でした。神戸市出身で、阪田三吉、藤内金吾、内藤國雄と続く関西
将棋界のドンともいわれます。また、演歌歌手としても有名です。将棋の生涯成績は、1132勝、1000敗、勝率は、0.5309。良く勝ち、よく負けました。棋聖、王位などのタイトルを獲得した大棋士です。棋風は、空中戦法、自在流、華麗といわれ、才能に溢れた方です。詰将棋作家としても一流でした。プロの卵の時代、内藤さんが負けて帰ると母親はよくこう言いました。「相手の人が喜んではる。はよ寝なさい。」内藤氏は、「変な慰め方を」と怒ったこともあったが、あとになって、人生に必要な「気持ちのゆとり」を教えてくれていたのだと痛感したそうです。将棋と歌謡曲の二足の草鞋も成功させました。
内藤氏の温和な人柄の所以
の一つは、若い時にもらった母親の言葉ではないでしょうか。
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新幹線の電力は何ヘルツ?

2015-04-10 05:18:50 | 文化
日本の電力は日本列島の東側が50Hz(ヘルツ)、西側が60Hzということは周知の事だと思います。
それでは東海道新幹線の電力は何ヘルツでしょうか。なんと、正解は全線60ヘルツだそうです。私は、静岡県・富士川より東は50ヘルツだろうと思っていました。東側を走る新幹線の電力は、確かに東京電力から50ヘルツの電力を供給されているそうですが、JR東海は周波数変換所を設けて、その50ヘルツの電力を60ヘルツに変換していますので、ゆえに東海道新幹線は全線で60ヘルツになっているのです。
 それでは、今、話題の北陸新幹線はどうでしょうか。車両が東京を出発した時は、東京電力管内なので50ヘルツですが、長野県の軽井沢あたりから中部電力の管内になるので60ヘルツに変わります。ところが、糸魚川などがある新潟県に入ると、東北電力の管内ですので50ヘルツに変わり、富山県に入ると北陸電力の管内となり、60ヘルツに変わるそうです。電力が60ヘルツとか50ヘルツとかに変化して、厄介なことです。これでは車両とシステムを設計・製造する技術者も大変なことでしょう。この事に関連して可変電圧・可変周波数制御インバータ(VVVF)技術が活躍しいています。

「サイエンス放談会」 「電気学会誌」2015 Vol.135 No.4 

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春日山懐古 大槻磐渓

2015-04-07 07:04:37 | 文学
江戸時代の詩人、大槻磐渓の七言絶句「春日山懐古」を紹介します。


春日山懐古

春日山頭鎖晩霞
驊騮嘶罷有鳴鴉
憐君獨賦能州月
不詠平安城外花

春日山頭晩霞ニ鎖サル
驊騮(かりゅう)嘶(いなな)キ罷(や)ンデ鳴鴉(めいあ)有リ
憐レム君ガ獨リ能州ノ月ヲ賦シテ
平安城外ノ花ヲ詠ゼザリシヲ

「訳」

ありし日の上杉謙信公の居城、春日山の跡に来てみれば、山一面夕映えに照り輝いて、名馬のいななきも聞こえず、ただものさびしく鴉(からす)が鳴いているだけである。それにつけても謙信公ほどの英雄が、「越山併せ得たり能州の景」などと、空しく僻地の月のみを愛でるにとどまり、京都に上って天下の統一を果たして、都付近の花を詠むこともなく、生を終えたことはまことに気の毒でならない。

 「鑑賞」

上杉謙信が織田信長軍を破り、能登で酒宴を開き、有名な「九月十三夜陣中作」を賦しました。北越全体を手中にしたのです。しかしこの後、信長と雌雄を決すべく準備をしていた最中に、謙信は49歳の若さで急逝しました。
天下に号令することが叶わなかった英雄への深い同情が「憐」の一字にこめられています。
「驊騮」は、華のように赤い謙信公の名馬を指します。

  「吟剣詩舞道漢詩集 絶句編」 日本吟剣詩舞振興会

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紅白歌合戦

2015-04-04 05:25:11 | 文化
大晦日恒例のNHK紅白歌合戦の歴史が古いことを知り驚きました。太平洋戦争の終戦は1945年8月15日でしたが、それから僅か約4ケ月後の12月31日にラジオ放送されたそうです。これを企画実施したのが、NHK、元ディレクター・プロデューサーの近藤積(1916~1989つもる)氏でした。近藤氏は広島県出身、当時、若干29歳でした。もともと、「戦後の新時代に相応しい音楽番組を作ろう」と考えたそうです。
当初は「紅白歌合戦」というタイトルを予定しましたが、合戦はバトル(battle)であり、平和な時代に合わないとGHQから拒否されました。スポーツで使うマッチ(match)ならよいだろうということから、「紅白音楽試合」という奇妙なタイトルに直してようやくGHQの許可が下りたということです。男性と女性が紅白に分かれて対等に戦うことも画期的であり意味がありました。人気のあった並木路子や川田正子も出場しました。これが、新しい歌番組として、大変な評判となり、約5年後の1951年1月3日から「紅白歌合戦」として再スタートして今日に至っています。今年の紅白は第66回となります。思えば驚くべき長寿番組であり、戦後生まれの私の人生と、時期の点で重なるところが多いイベントです。
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蘇東坡の人柄

2015-04-01 05:30:19 | 文学
詩人、蘇東坡の人柄について、宇野精一教授は次のように面白いエピソードと共に書いて
います。
赤壁の賦を残した大詩人ですから、才能は群を抜いているのですが、才気にあふれ、皮肉をいったり、人をからかったりして、無用の対立を起こしたり憎まれたりしています。有名な「前
赤壁賦」に示されるような超越的な思想の持ち主に相応しからぬ感じがする。宋代の文人として又宰相として有名な王安石が「字説」という書物を書いて、文字の構造にについてこじつけの説明をした時、東坡が「波」の意味を問い、安石が水の皮である、と答えると、それでは「滑」は水の骨ですか、といった。又、「鳩」が九と鳥とで出来ているのはどうしてだろう、と安石が尋ねると、東坡は「詩経」の「桑に止ったきじばとの、その子は七羽」とあるのを引き、両親と子供で九羽になるからだ、と答えた。安石は成程と感心したが、後になって冗談であると気がついたという。宋代一流の哲学者、程伊川は立派な学者ではあるが、あまりに厳格で窮屈な人であったので、東坡とは気が合わなかった。ある日宮中でお祝事があり、その祝賀式に参加した帰りに、丁度、司馬温公が亡くなった折であったので、一同打ち揃って悔やみに行こうということになった。伊川は「論語」にある「孔子は弔問に出かけられた日は歌われなかった」という話を引いて反対した。すると「しかし、歌を歌った日は弔問に出かけなかった、とは書いてないよ」というものがあり、東坡もさらに鄙俗な言葉で伊川をからかったので大笑いになったが、これが両者仲違いの始めとなったという。
口は禍いの元です。

     近藤光男 「漢詩大系 17 蘇東坡」 集英社
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