yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

穿ち

2019-05-31 06:15:29 | 文学
「穿ち」は動詞、「穿つ」の連用形です。
(1)普通には知られていない裏の事情をあばくこと
(2)人情の機微など、微妙な点を巧みに言い表すこと。

日本語の五七五の短詩型には俳句と川柳があります。俳句には、必ず、季節を表現する季語がある外に、「や」や「かな」などの切れ字があるのが特徴です。一方、川柳の特徴は「穿ち」であるとされています。たとえば、下記のような川柳があります。

 落としたは死ぬ程でない金の高
 議論には勝ったが後で馬鹿らしく
 黒枠で見て本名を初に知り
 伯父さんは紅葉露伴以後読まず
 介錯は辞世の意味が解り兼ぬ
 あてつけたやうに喪中へ来る賀状
 言ふて欲しそして聞きともない悔(くやみ)
 図星だとみえて返事もしなくなり


復本一郎 「川柳」日東書院
 




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作家が見た 忠犬ハチ公

2019-05-28 06:22:48 | 歴史
渋谷駅前にある忠犬ハチ公像(二代目)の周辺は、今や大変な人気スポットです。作家の半藤一利氏(現89歳)は昔、元祖ハチと対面していたとの話を知り、驚きました。
初代のハチの銅像は昭和9年(1934)4月にできあがりました。半藤少年(当時4歳)は下町の生家からはるばる渋谷に出かけたところ、驚いたことに、銅像のすぐ脇に本物のハチが前足をそろえて座っていたそうです。「なんだ、お前もいたのか」と、カステラのかけらを与えたら、パクンと。やたらにでっかい犬だと感じたそうです。ハチは翌年の昭和10年3月に3歳でこの世を去りました。すなわち、ハチは約1年間も銅像と並んで見物人たちを迎えていたのです。ハチが死んだ昭和10年3月13日付けの「東京日日新聞(現毎日新聞)」には「花環廿五、生花二百、手紙や電報八十通、短冊十五枚、色紙三枚、學童の綴り方廿、清酒四斗樽一本、4日間のお賽銭二百余円」とあるほどの豪勢さでした。まさか翌年には二・二六事件、さらにその翌年に日中戦争が起こるなど予測している人はいませんでした。この頃は「世はなべて事もなし」と、国民はまだ浮かれていたのでした。




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非コ-ドDNA

2019-05-25 06:13:40 | 文化
生物に書かれている情報を一冊の本に例えると、「DNA」はインク、「染色体」は本、「遺伝子」は書かれている内容の中でタンパク質に触れている部分で、「ゲノム」が書かれている内容全部、となります。
かつて人間の「ゲノムの解読は完了した」と発表がありました。
しかしこれは遺伝子情報を持つゲノムの2%の部分を解読しただけで、
残り98%の遺伝子情報を持たない「非コードDNA領域」には、
大した機能がないだろうと見込んでの発表だったという。
研究が進むにつれ、非コードDNA領域こそが生命を誕生させ、
進化の原動力として働いた重要な装置ということが分かりました。

バクテリアや酵母菌などの単純な生物からの進化の過程で、ゲノムで起きた最も顕著な変化はイントロンの登場と拡大です。イントロンは遺伝子の内部にありますが、タンパク質をコードしていないので、立派な非コードDNA領域です。ヒトのゲノムの30%近くがイントロンで占められています
ヒトの遺伝子を大きい順に並べていくと、面白いことに上位には脳・神経系の遺伝子が多く並びます。これらの遺伝子が大きいのは、コードしているタンパク質が大きいからではなく、イントロンが巨大なためです。
脳・神経系の遺伝子は、長いイントロンのおかげで、変化(進化)しやすい性質を持っているということになります。そのため、脳の急速な進化が可能になったのかもしれません。イントロンは無駄に長いわけではなかったということです。
つまりヒトの脳の進化・発達はイントロンのおかげということ。
ヒトが料理をはじめるきっかけのひとつとなった、その背景にはイントロンの
働きがありました。ヒトのゲノムの98%は非コードDNA領域に占められています。この98%が非コードDNA領域というのは、進化の過程で少しずつ増えてきた結果であり、今後も増え続けていくと予想されます。そんなに重要だったものが当初は放っておかれたことは驚くべきことであり、当たり前すぎて見過ごしていることの中に、物事の真理が潜んでいるのかも知れません。



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檀那

2019-05-22 06:42:54 | 文学
「檀那(旦那)」は、インド由来の言葉です。古代インド、サンスクリット語の「ダ-ナ」が語源です。仏家が、布施をする信者を指す言葉であり、広くいえば、金品を施す人を指します。 一方、西へも伝わりラテン語の「ド-ヌム(贈り物」になりました。さらに英語のドナ-やドネ-ションとなりました。檀那もドナ-もその人にとって最も大切なものを他人に施します。人によりそれは金銭だったり、自身の臓器の場合もあります。「与えること」は、民族を超えて普遍的な行為とされているのです。
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「AIが思考する」は錯覚

2019-05-19 06:17:13 | 文化
今まで、「AI(人工知能)は思考するという言い方がある」と漠然と考えていました。 最近それが錯覚であったことに気付きました。
AIが、囲碁や将棋の世界ではプロを負かす実力をつけてきました。将棋の場合ですと、任意の局面でAIは最善の手段を発見できるし、その結果、最終的に相手の王を詰めることができます。 これは人間が考える事とよく似ているので、AIも思考するものと錯覚していました。ところが、ある応用に特化した専門知または部分知の分野のAIでは、人が作ったアルゴリズム(プログラム)に従って論理演算をして問題を解決しているのであって、コンピュ-タ-が計算する事を「思考」とか「創造」とは言わないと、AIに強い友人に教わりました。
「広辞苑」で「思考」を見ますと、説明の中に「心、課題に対処する心的操作」とありました。すなわち、思考は「心」の働きなのです。コンピュ-タ-には心がありませんから、思考することはあり得ないことがわかります。おそらく、思考をするのは人だけなのでしょう。

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送別の詩 王維

2019-05-16 06:13:25 | 文学
阿部仲麻呂が35年ぶりに日本への帰国を許可された際に、王維は送別の五言詩を贈りました。王維と阿部仲麻呂の親交の深さの証とされています。(晁とは阿倍仲麻呂の中国名)。仲麻呂は李白や王維と親交のあった超一級の日本の文化人でありました。

送祕書晁監還日本國  秘書晁監の日本国に還るを送る

積水不可極         積水 極む可からず
安知滄海東         安んぞ 滄海の東を知らんや
九州何處遠         九州 何れの處か遠き
萬里若乘空         萬里 空に乘ずるが若し
向國惟看日         國に向かって惟(た)だ日を看(み)
歸帆但信風         帰帆は但(た)だ風に信(まか)すのみ
鰲身映天黑         鰲身(ごうしん)は天に映じて黒く
魚眼射波紅         魚眼は波を射て紅なり
鄕樹扶桑外         鄕樹は扶桑の外
主人孤島中         主人は孤島の中
別離方異域         別離 方(まさ)に域を異にす
音信若爲通         音信 若爲(いかん)ぞ 通ぜんや

「訳」
大海原の水はどこまで続くのか、見極めようが無い。
その東の果てがどうなっているのか、どうして知れるだろう。
わが国の外にあるという九つの世界のうち、
最も遠い世界、それが君の故郷、日本だ。
万里もの道のりは、さながら空を旅しているようなものだろう。
ただ太陽の運行と風向きに任せて進んでいくほかはないだろう。
伝説にある大海亀は黒々と天にその姿を映し、巨大魚の目の光は真っ赤で、波を貫いていくことだろう。
君の故郷日本は、太陽の昇る所に生えているという神木(扶桑)のはるか外にあり、その孤島こそが、君の故郷なのだ。
私たちは、まったく離れた世界に別たれてしまうのだ。
もう連絡の取りようも無いのだろうか。
















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油断大敵

2019-05-13 06:30:49 | 文学
油断大敵とは、「油断は物事の失敗の原因となる大きな敵である」という意味です。油断大敵の由来には、三説があります。

1. 原始仏教の経典「北本涅槃経」にあるインドの逸話
 王様が家臣に対し「油を入れた鉢を持って街の中歩くよう」命じ、油が一滴でも鉢からこぼれたときには処刑すると告げたというもの。鉢いっぱいに入れた油が一滴でもこぼれないように歩くのは極めて難しいことであり、このことが「注意を怠ると命取り」の意味の「油断大敵」の語源になりました。
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ム-アの法則

2019-05-10 06:21:25 | 文化
 ムーアの法則とは、大規模集積回路(LSIC)の製造・生産における長期的傾向について論じたひとつの指標であり、経験則に類する将来予測です。アメリカ、インテル社の創業者のひとりであるゴ-ドン・ム-アが1965年に自らの論文の中に、半導体の集積密度は18~24カ月で倍増、チップは処理速度が倍になってもさらに小型化が進む法則があると書きました。
しかし、それから約50年後の今日では、計画通りの開発速度を維持するのが難しくなりつつあり、ム-アの法則は限界と終焉を迎えつつあるといわれています。2018年に逝去されたホ-キング博士は、ム-アの法則に対する最近の認識と同じ認識をされていなかったようですが、彼のAIに関する洞察の趣旨は依然として妥当性があるように思われます。

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哭晁卿衡 李白

2019-05-07 07:12:46 | 文学
李白の七言絶句を紹介します。

哭晁卿衡

日本晁卿辞帝都
征帆一片遶蓬壺
明月不帰沈碧海
白雲愁色満蒼梧

晁卿衡(ちょうけいこう)ヲ哭ス

日本ノ晁卿(ちょうけい)帝都ヲ辞シ
征帆一片 蓬壺(ほうこ)ヲ遶(めぐ)ル
明月帰ラズ 碧海ニ沈ミ
白雲愁色 蒼梧(そうご)ニ満ツ

「訳」
わが友、日本の晁衡どのは、都長安に別れをつげ、一艘の帆かけ船に乗って遠く東方の海上にある蓬莱の島をめぐり去った。清らかな月のような晁衡どのは、深い海に沈んで帰らぬ人となった。白い雲が憂いをおびて、蒼梧の山に広がっている。

「鑑賞」
「晁衡」は阿部仲麻呂の中国名。遣唐使の随員として唐に渡り717年に長安に到着した仲麻呂は唐王朝に仕えて玄宗の厚遇も受けました。入唐後35年(753年)、ようやく帰国を許され、蘇州(江蘇省)から乗船しましたが、嵐にあって難破、安南(ベトナム)に漂着しました。仲麻呂は再び長安にもどり、ついに日本には帰りませんでした。李白は旧知の友の遭難を漂白の地で聞きおよび、その死(誤報)をいたんで作った詩がこれです。なお、「百人一首」に収められている「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」という仲麻呂の和歌の漢詩「望郷詩」が、西安の興慶(こうけい)公園に記念碑となって刻まれています。

    
    翹首望東天
    神馳奈良辺
    三笠山頂上
想又皎月


    首(こうべ)ヲ翹(あ)ゲテ東天ヲ望ミ
    神(こころ)ハ馳(は)ス奈良ノ辺(あたり)
想(おも)フに又皎月(こうげつ)円(まど)カナラン

漢詩は、和歌に勝る出来映えです。


石川忠久 「漢詩紀行」 日本放送出版協会

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有名人の官名 現代語訳

2019-05-04 06:26:09 | 歴史
歴史上の有名人の現代語訳をしてみました。大雑把で大胆なやり方でしたから、中には不適切な訳があるかもしれません。

吉良義央 上野介      群馬県 副知事
浅野内匠頭         宮内庁 工務課長
織田信長 上総介      千葉県 副知事
大岡忠相 越前守      福井県 知事
羽柴秀吉 筑前守      福岡県 知事
明智光秀 日向守      宮崎県 知事
柳生宗矩 但馬守      鳥取県 知事
柳生利厳(としよし)兵庫助 武器庫 次官
井伊掃部頭(かもんのかみ)  宮内庁 管理課 清掃係長
酒井雅楽頭(うたのかみ)   宮内庁 式部職 雅楽係長
水戸光圀 中納言(黄門)  適訳なし
徳川家康 内府       適訳なし
大谷義継 刑部少弐     司法省三等官
石田三成 治部少弐     外務省三等官
毛利敬親・大膳大夫     宮内庁 大膳課長
松平容保・京都守護職 中将   皇宮警察 副本部長
大石良雄 内蔵助(蔵寮二等官) 宮内庁 用度課 二等官
(貴人の宝飾品を管理する部署故、三越デパ-ト 宝飾部 係長を当てる人もいます。)
千坂高房  兵部      防衛省 

律令制の時代から1000年以上も経過した今日、官職の体系と名称は
大いに変化しましたので、上記の試みはユ-モアみたいなものです。



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