yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

南部陽一郎先生 ご逝去

2015-07-29 04:43:38 | 文化
去る7月18日、大新聞の一面に、南部陽一郎さん死去、素粒子理論 ノーベル物理学賞
94歳という見出しの記事がありました。

私は、「死去」という言い方に違和感がありました。この言い方、南部さんに対して敬意が少しも感じられないからです。せめて「ご逝去」などとして欲しいと思いました。大新聞が「死去」と書くせいか、世間一般でも「死去」が多く使われるようです。「死去」や「死亡」は事実を正しく表現していますが、それでは、文に心が通わないと思います。
南部先生は世界と日本の物理学会の巨星といえる方です。南部先生は1921年生まれ、旧東京帝大を卒業し、理論物理学の研究に一生を捧げました。「なぜ質量が生まれたのか」という根元的な謎を解き明かす研究のカギとなった「自発的対称性の破れ」に関する理論を1960年代に提唱。このアイディアは「標準理論」という20世紀の素粒子物理学の最も重要な理論のひとつの基盤になりました。業績について「正しかったが、登場が早すぎた」と評されることもありましたが、2008年に小林誠、益川敏英教授らとノーベル物理学賞を受賞しました。

南部先生のアイディアの発表があまりに早い時期にあったので、直ぐには受け入れられなかったことと実験物理学の進歩が、はるかに遅れて、実証研究が間に合わなかったことを意味しているようです。益川教授や小林教授にとっても仰ぎみる存在、目標とする存在であったそうです。偉大な先生にもかかわらず、上から目線が全くない、穏やかなお人柄であったということです。「量子色力学」、「超弦理論」と「自発性対称性の破れ」の発見というノーベル賞三つ分の業績を残した「真の天才」と言えるでしょう。

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のらくら 考

2015-07-26 05:26:19 | 文化
「のらくら」に関する話です。「のらくら」を広辞苑で調べると次のように書いてあります。
(1) なまけ遊んで日を送る。また、その人。
(2) ぬらりくらりと、とらえどころのないさま。
 
ドイツ文学者でエッセイストのような方にも、退職後、のらくらを決めこんでおられる人が
おられるようです。ドイツ語には「神様のノラクラ者Herrgotts Tagedieb という言い方があるそうです。ドイツの若い人が、まだ自分が何をしたいのかわからず、職探しをしないでいるとき、しばらく大目に見るというときに使われる言葉だといいます。ドイツの大学生は
卒業するとたいてい長期の旅行をする、就職活動はその後のこと。神様公認のノラクラ制度が健全に生きているそうです。日本から見ると羨ましい、と言えるでしょう。
 さて、遊民の系譜をたどっていくと、江戸時代の旗本、御家人に行き着くようです。武士といってもせいぜい寄合席か小普請請役のお役目で、きわめつきの閑職です。ましてや、二男、三男というと厄介者、余り者とされノラクラを運命づけられていました。日本最古の釣りの指南書「何羨録(かせんろく)」はこのようなノラクラ暮らしから生まれたそうです。これは陸奥黒石藩の3代当主であった津軽采女が27歳のとき職務と屋敷を返上して巷に逼塞してもっぱら趣味に没頭していましたが、そのときに得た知識を元に1723年に著したと言われます。釣りの話は勿論、天候の予測の話など、巾広く詳しい内容が盛りこまれているということです。タイトルの意味は「何も羨ましいことはなどない」と意気軒昂です。優れた高等遊民といえるでしょう。

私など、無芸小食の平凡な者も、日々、のらくらと過ごしています。

  池内紀(おさむ) 「ノラクラ者の系譜」學士會会報 No.913 2015―Ⅳ
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便利過ぎる物

2015-07-23 04:54:37 | 文化
世の中には、便利すぎるものがあります。何を尋ねても答が立ち所に返ってくる博覧強記のすごい人に聞いてしまうとか、パソコン等の情報端末を駆使すると、疑問・難問の答が直ぐに得られることがあります。何にせよ、答が簡単に得られることは素晴しいのですが、この事に疑問を抱く人の話を知り、考えさせられました。

 便利すぎるものに頼ると、記憶力や思考力が低下する恐れがあるという事です。
例えば、難しい課題がある時に、様々な角度から種々の解決法を考えていると長時間もやもやした状態が続くことがあります。しかし、ずっと考え続けていると、ある時、いいアイディアが閃いて、一気に問題を解決できることもあります。この過程で考えぬいた時間と調査にかけた労力は決して無駄とはいえず、また、得られた結論は貴重な成果であることも多いでしょう。
卑近な将棋の例ですが、「次の一手」や詰将棋の手順を時間をかけて考えるのも悪くないと思います。結論を急がずに、時間をかけて自分だけの力でじっくり考えることは重要なことと言えるでしょう。
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猫を贈らる    陸游

2015-07-20 05:18:58 | 文学
南宋の詩人 陸游の猫の漢詩二つです。

贈猫

裹塩迎得小狸奴
尽護山房万巻書
慚愧家貧策勲薄
寒無氈坐食無魚

猫ヲ贈ラル

塩ヲ裹(つつ)ミテ迎エ得タリ小サキ狸奴(りど)
尽(ことごと)ク護ル山房万巻ノ書
慚愧ス家ハ貧シクシテ勲(いさお)ニ策(むく)ユルコト薄ク
寒キニモ氈(せん)ノ坐スル無ク 食ニ魚無シ

「訳」

塩をお礼につつんで、小さい猫を迎え入れたところ、書斎をうずめる万巻の書をすべてネズミから守ってくれた。恥ずかしいのは、貧しくて猫の手柄に十分報いられず、寒くても座る毛氈もなく、食事に魚もやれないことである。

「鑑賞」
漢詩に猫が登場するのは珍しい。1183年陸游59歳の作。猫への愛情と感謝を率直に賦しています。「狸奴」は猫の雅称。当時の陸游は貧しかったのですが、故郷の生家は紹興きっての名門でしたから膨大な蔵書があったのでしょう。詩のタイトルは「猫に贈る」ともいわれますが、私は「猫を贈らる」のほうが分かりやすいのではと思います。「食に魚無し」は、斉の孟嘗君の食客が待遇改善を求めて「長鋏よ帰らんか、食に魚無し」と歌った故事(史記)をふまえた句です。

 十一月四日風雨大作     陸游

風巻江湖雨暗村
四山声作海濤翻
渓柴火軟蛮氈暖
我与狸奴不出門

風ハ江湖ヲ巻キ雨村ヲ暗クシ
四山声ハ作(おこ)リ海濤翻ヘル
渓柴ノ火ハ軟カクシテ氈蛮ハ暖タカシ
我狸奴トトモニ門ヲ出ズズ

「訳」

風は江湖に吹き荒れ雨で村は暗い
四方の山は山鳴りし海も荒れ狂っている
室内は柴の火が軟らかく燃え敷物は暖かい
自分も猫も門から出ることなく家に閉じこもっている

 井波律子「中国名詩集」 岩波書店



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知行合一

2015-07-17 05:18:58 | 文化
「知行合一(ちこうごういつ)」は、中国、明の王陽明が起こした学問、陽明学の命題の一つです。「知(知ること)と行(行うこと)は分離不可能」とする考え方で、王陽明は実践重視の教えを主張しました。中江藤樹は著名な陽明学者でした。江戸時代、幕府は、南宋の朱熹が再構築した朱子学を世の正学としました。これは「先知後行」、学んでしかる後に行う。また、君臣、長幼の序の秩序を重んじており、太平の世にふさわしい学問でした。これに対して陽明学は過激な学問で、幕末の大塩平八郎や多くの人々に影響を与えました。佐久間象山、吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、佐藤一斎、山田方谷などです。現代でも俳優の伊勢谷友介氏が若者に「知行合一」を説いているそうです。
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言論の自由

2015-07-14 05:27:33 | 文化
「言論の自由」は当然のことと思っていましたが、「言論の自由」を誤解している政治家もいるようです。 内田樹(たつる)教授は下記のような意見を述べています。

「言論の自由」について、何を言ってもかまわないとか、人の発言を抑圧したり遮ったりする権利も含まれると思っている人が多いが、まったく違う。
言論の自由とは、言論が行き交う場に対する敬意、信認のこと。自由に議論する場が確保されていれば、長期的、集団的にはどの意見が適切だったかの判定が下るだろうという、人間の集合的英知に対する信頼が「言論の自由」です。
 場の判定力があると思ったら、いろんな意見があっても、最終的には正しい意見が生き残る
だろうという希望が持てる。言論を抑圧する人間は、大衆の判断力に希望を持っていない。
 沖縄の2紙がつぶれればいいと言った人は、日本人の知性に対して信頼していないということを表明している。おまえら判定力がないんだから、代わりに俺が考えやるよと。独裁というのは、大衆は愚かだというのが前提です。
 言論の自由の唯一の条件は、黙れと言ってはいけないということ。メディアに対してつぶれろとか黙れという人の発言を、言論の自由だからと認めたら、遠からず言論の自由はなくなってしまう。許してはいけない。

     同感です。

 憲法21条は「一切の表現の自由」を国民に保障し、検閲を禁じています。

「国民が権力者を批判でき、自由にものが言えるのが近代立憲主義」だと思います。
一方、憲法99条には、国会議員は憲法を尊重し擁護する義務を負うと定められています。
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引き分け

2015-07-11 04:54:29 | 文化
柔道の勝負の判定に、「引き分け」があります。すなわち、試合時間内で勝負が決せられず、かつ優劣の判定がつかない時は「引き分け」とするルールです。
江戸時代には喧嘩両成敗というルールがありました。柔道の「引き分け」も喧嘩両成敗も日本人の知恵かも知れません。
殊に外交問題では、一方のみが100%勝ち、という結果は望めないことです。ロシアのプーチン大統領は柔道家でもありますので、外交において「引き分け」という手法を時に活用します。例えば、ロシア・中国の国境紛争においては、紛争地の中に線引きをして半分ずつを領土にすることにより決着を見ました。北方四島の問題を解決するのにも、「引き分け」という手段があり得るのかも知れません。
また、最近では「明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録」を巡って、日韓の間で軋轢がありました。この件においては、日本側が「徴用工」の事実を説明文に加える配慮をし、
韓国側は、その配慮に対して妥協をすることで決着しました。外交交渉においては、配慮と妥協により、前向きな結論に至ることは大いに意味があるのではないかと思います。
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偶感 西郷南洲

2015-07-08 05:48:14 | 文学
西郷隆盛(南洲)の漢詩です。

偶感

幾歴辛酸志始堅
丈夫玉碎恥甎全
我家遺法人知否
不為児孫買美田

幾タビカ辛酸ヲ歴(へ)テ志始メテ堅シ
丈夫(じょうふ)玉碎スルモ甎全(せんぜん)ヲ恥ズ
我ガ家ノ遺法人知ルヤ否ヤ
児孫ノ為ニ美田ヲ買ハズ

「訳」

いくたびか辛苦艱難を経験して志が初めて堅くなり、不屈の精神が養われるのである。
男子としては、玉となって砕けるとも、瓦となって生命を全うすることを恥辱とするものである。わが家には先祖から伝わった、子孫の守るべきおきてがある。それはごぞんじかどうか解らないが、子孫のために田畑など財産を残し、安楽に世を送らせるようなことは絶対にしないとの主義である。そんなことをしたならば、かえって子孫のためにならないことで、意志の
強固な人物などできはしないのである。

「鑑賞」
 西郷隆盛は明治維新を成し遂げ、その論功行賞の際、正三位を与えられましたが、維新の大業の完成はこれからであり、安逸をむさぼり禄を私すべきでないと固持し、その所懐を述べたのがこの詩であると言われています。

男性的でさっぱりした西郷家の家風と、私を捨てて公に尽くす姿勢に敬意を抱きます。

「吟剣詩舞道漢詩集 絶句編」日本吟剣詩舞振興会
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祝 新大関 照ノ富士

2015-07-05 06:15:33 | 文化
大相撲5月場所で照ノ富士(23歳)が優勝しました。大関昇進を伝えた相撲協会の使者に対して次のように述べました。「謹んでお受けいたします。今後も心技体の充実に努め、更に上を目指して精進いたします。」自分の言葉で必要十分なことを言っており、好感を持ちました。若くして大関昇進を果したのは、才能を見出してくれた白鵬の父、強くしてくれた部屋の仲間、先輩、応援してくれた家族、友人、ファンの支援あってこそのことでしょう。平成生まれの初めての大関、今後の活躍が楽しみです。
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実学

2015-07-02 04:41:54 | 文化
実学は、人類の生活に役立つ学問です。この言葉からは、明治政府が欧米に追いつくために奨励した富国強兵政策を連想します。理系学問では、工学、理学。文系学問では法学。そして医学が実学の最たる学問でしょう。大学では、法学部、工学部、理学部、医学部が大きな役割を担っています。実学の反対語を知りませんが、直ちには生活の役に立つとは思えない人文学がそれに当たるでしょう。しかし、人類の知恵と叡智の多くは人文学が占めています。人文学を軽視したら、人類は叡智と文化を失ってしまうのではないでしょうか。

6月15日に文部科学省の有識者会議が国立大学交付金について次のような方針を決めたそうです。「運営交付金」約1.1兆円の配分を2016年度から見直す。重点的に取り組む教育や研究
の内容を三つに分け、大学に一つを選ばせる。取り組みへの評価が高いほど手厚く配分する仕組みです。3分類とは、「人材育成や課題解決で地域に貢献」「強みのある分野で全国的、世界的な教育研究」「世界で卓越した教育研究」。これを実施すると、実学には追い風となるでしょうが、人文学には逆風となるかも知れません。ある著名な学者は、人文知の研究は大学の根幹をなすことから文部科学省の上記の方針に異を唱えていました。私も同感です。
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