yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

桃の種と邪馬台国 畿内説

2018-05-29 06:06:11 | 歴史
卑弥呼の邸宅があったとされる奈良・纏向遺跡から多数の桃の種が発見されました。過日、この種に対して科学的な年代測定(放射性炭素法)が、名古屋大学などの複数の団体で行われ、紀元135年から230年とわかりました。この年代は、種々の研究により卑弥呼の時代とされています。こうなると、卑弥呼畿内説は一層、有力になったのではないでしょうか。纏向遺跡の近くにある箸墓古墳は、卑弥呼の墓ともいわれていますので、ここの発掘が許可され、金属製の中国からの渡来品などが発見されれば、卑弥呼と中国の交流が証明され、邪馬台国畿内説は確定する可能性があるそうです。なお、中国から渡ってきた桃は魔よけの呪力があると考えられており、纏向遺跡に大量にあったということは、祭祀用に使ったとも考えられます。
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母と舟

2018-05-26 06:13:52 | 文学
詩人 吉野弘氏の詩に次のような作品があります。

母という字は舟に似ている

母は
舟の一族だろうか
こころもち傾いているのは
どんな荷物を
積みすぎているせいか

詩人の感性は、母と舟という字形から共通点を連想したと思われます。しかし、この二つの漢字の成り立ちを調べてみますと、詩人の感性とは異なっています。

「母」は女性が子供を抱く様子を示す象形文字が基になりました。
「舟」は丸木舟を表わした象形文字から変化した漢字です。
なお、「舟」には、他に、「船」という漢字もあります。中国の関東(函谷関の東)では、「舟」、関西では「船」を使うようです。なお、「舟」という字の中の上段は点ですが、下段は縦棒です。「母」は点が二つであり、舟と母は漢字の形は似ていますが、このように成り立ちは異なっています。
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遺懐

2018-05-23 06:06:26 | 文学
晩唐の詩人 杜牧の漢詩です。

懐(おもい)を遺(や)る

落魄江湖載酒行
楚腰繊細掌中軽
十年一覚揚州夢
贏得青楼薄倖名

江湖に落魄して酒を載せて行く
楚腰繊細掌中に軽し
十年一覚揚州の夢
贏(あま)し得たり 青楼薄倖の名

江南地方に遊び暮らし、酒樽を舟に載せて行ったものだ。
楚の地の細い腰の美女は、手の平で舞を舞うほど軽かった。
それから十年、はっと揚州の夢からさめて我に返ると、
残ったものは青楼(いろまち)での浮気男の評判ばかり。

第二句は、昔、楚の王が細い腰の美女を好んだ故事と、漢の美姫、趙飛燕(ちょうひえん)が成帝の掌の上で舞うほど軽かったという故事を用いています。

粋人、杜牧の甘酸っぱい悔恨の趣。 「懐を遣る」とは胸中の思いを外に出すこと。
杜牧ならではの詩境で、漢詩にはめずらしい色っぽい作品です。

石川忠久 「漢詩のこころ」 時事通信社

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継続 鉄人 衣笠祥雄

2018-05-20 06:10:00 | 文化
プロ野球選手であった鉄人・衣笠祥雄氏が去る4月23日に他界しました。ご冥福を祈ります。衣笠氏は種々の野球の記録を達成したのですが、中でも、1970年10月から1987年10月の間の17年間に2215試合に連続出場をした記録は特筆すべき事と思います。スポ-ツ選手は怪我をすることが多いにもかかわらず、17年もの長い間、連続で出場できたのは、本人の強い意志と周囲の献身と配慮、ファンの支援があったからこそと思われます。衣笠氏への敬意と継続できたことの偉大さに感銘をおぼえます。
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インフラサウンド

2018-05-16 06:07:22 | 科学
赤外線を英語でインフラレッドと言いますが、人の耳に聞こえない低周波音波はインフラサウンドと言います。周波数が、20Hz以下という低周波の音波です。大気中では長大スケ-ルの地球物理現象が様々に発生しており、日々の気象現象から年スケールの頻度で発生する大地震・津波といった大規模自然災害のもたらす現象まで、間接的あるいは直接的に我々の生活に直結する存在です。近年、インフラサウンドにより観測された地球物理現象には次のようなものがあります。低気圧・前線、火山噴火、波浪・津波、火球・隕石、雷・スプラウト、オ-ロラなどです。
インフラサウンドのセンシング(検知)には、マイクロホン、圧電素子、水晶振動子などを用いた差圧計が使われます。最近では、こうしたセンサ-をロケットに搭載して、雑音が少ない宇宙空間でインフラサウンドを観測する研究が行われています。
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歴史と戦争

2018-05-13 06:12:04 | 歴史
戊辰戦争や明治維新について、作家の半藤一利氏は、一般の教科書などとは異なる観方をしていますので、それを紹介します。
明治維新: 日本人がみんなして知恵を絞って考えるべきその大事なときに薩長がそんなことおかまいなしで討幕運動に血道をあげていた。けっきょく権力をにぎりたいだけでした。・・・
明治維新などとかっこいい名前をあとからつけたけれど、あれはやっぱり暴力革命でしかありません。その革命運動の名残が明治十年の西南戦争までつづいたというわけです。西郷隆盛ひきいる反乱軍を新政府が倒して西南戦争が終わる。ここまでが幕末である、というのがわたくしの説です。
   「歴史に何を学ぶのか」

戊辰戦争、「新政府は泥棒じゃて、無理やり戦をしかけおって、七万四千石を二万四千石に減らすして長岡藩を再興させた。恩典などというがの、五万石を強奪したとおなじだったんじゃて」これは新潟県長岡市在で、祖母が幼いわたくしの心に吹き込むようにくり返し、語った言葉です。祖父母は「官軍」などとは金輪際言わなかった。あくまでもそれは西軍でしかなく・・・
この西軍の末裔が太平洋戦争をはじめて、国を滅ぼす寸前にまでしてしまったが、東軍の末裔が辛うじてこれを救ったのである、と。
        「聯合艦隊司令長官 山本五十六」


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政府の大きさ

2018-05-10 06:07:22 | 文化
政府の大きさを計る指標として、人口100人に対する公務員の数という視点があることを知りました。日本及び諸外国を比べてみますと、日本、3.3人、アメリカ、8.1人、イギリス、7.3人、フランス9.6人、ドイツ、5.8人です。非常勤や外郭団体の職員なども勘定に入れると、上記の数値は異なることになるかもしれませんが、日本の公務員が大きい数値であるという事ではなさそうです。このことは意外に思われる方が多いかも知れません。江戸時代の役人を推計すると100人当たり2~3人だそうです。現代より少ないですが、江戸時代には福祉制度がなかったので、その分多くの役人が必要でなかったのです。
ところで日本で公務員比率が瞬間最大であったのは、昭和20年、敗戦直前の13.5人でした。多くの軍人がいたからです。これは、不幸な時代であったと言えるでしょう。

       磯田道史 「江戸の備忘録」 文春文庫

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薫風通ふ春五月

2018-05-07 06:27:37 | 文学
「薫風通ふ春五月」は旅順高等学校の最初の寮歌です。作詞は「北帰行」を作った故・宇田博氏です。今の季節にピッタリの題名です。「紅萌ゆる丘の花」や「春爛漫の花の色」などと共通する伝統の寮歌の気分が感じられます。

   薫風通ふ春五月

父祖奮戦の地に立てば
肉弾の跡 草萌えて
楊柳岸に陰淡く
渤海湾の波青し
旅順の海に船をやり
すずろに夢の櫓を漕げば
異郷の空に日が暮れて
陰茫々の海遠く
おお故郷の宵の星
異郷の日  (以下略)

戦時下らしい歌詞です。旅順高等学校を去った自由人、宇田氏は、この後、東京に帰り、東大文学部を卒業して東京放送に勤務し、1995年に73歳で永眠しました。葬儀には「北帰行」と「薫風通ふ春五月」が、くり返し演奏されたそうです。
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三四郎 あれこれ

2018-05-04 06:15:09 | 文学
三四郎という名前の人がいます。不肖の友人にも「三四郎君」がいました。ところで、夏目漱石の「三四郎」という作品は特に有名ですが、小説の中の小川三四郎のモデルは福岡県出身の小宮豊隆ということです。小宮豊隆は漱石を崇拝しており、著名な独文学者になりました。
一方、富田常雄が書いた小説「姿三四郎」(1942)とその映画も有名です。その中の柔道家の好青年「姿三四郎」のモデルは西郷四郎です。西郷四郎は戊辰戦争を戦った会津藩の家老、西郷頼母の子息で、福島県会津若松市の旧西郷邸には、西郷四郎の像があります。

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歴史と記録

2018-05-01 06:12:25 | 歴史
歴史は記録によって残されます。何と言っても記録大国は、「史記」や「正史」を書いて歴史を記録した漢字の国、中国ですが、日本人も多くの記録を残してきました。しかし、近頃、記録を軽視する悪質な行為があると警鐘が鳴らされています。歴史学者の磯田道史氏は、以下のように述べています。
歴史家として過去の様々な記録を読むと分かるのは、江戸から明治までの日本は、細かく正確に文書を残す記録大国だったということです。その国がいま、「改ざんする」「うそを書く」「残さない」という公文書3悪で歴史に残る問題を起こしてきました。(中略) 250年を超える江戸時代に染みついた記録をとる癖は、明治時代に力を発揮します。福沢諭吉や岩倉具視の海外使節団が残した西洋の詳細な記録は共有され、急激な近代化を支えました。しかし、日露戦争に勝ってから記録の軽視が始まり太平洋戦争の時代にはひどい状態になりました。(中略) 政治家と公務員は暴れ馬です。乗る国民がそれを操縦するための手綱が公文書です。しっかり制御しなければ、馬とともに崖から転げ落ちてしまう。歴史的検証に堪える行政をし、その正確な記録を、国民に提供するべきです。正確な記録があれば、我々は、国としてどこに向かうかを決めることができます。(後略)

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