yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

ベツレヘムの星

2009-02-25 15:51:26 | 文学

ベツレヘムのキリスト生誕の遺跡には小さい堂があります。ここでキリストが産声を上げたという洞窟の床には、東方の三博士を導いたと伝えられる星の形が銀ではめこんであり、馬槽(うまぶね)があったという場所が祭壇になっているそうです。<o:p></o:p>

このベツレヘムの星の正体が何であったか、これは昔からしばしば問題になってきました。キリスト教徒、とくに旧教徒の国では、この星を超自然的な奇蹟によるものとするのが普通でした。しかし、近世になるにつれ、これに科学的な解釈を与えようとする人々が、学者はもちろん、キリスト教徒にも続出してきました。この星の話は新約聖書の「マタイによる福音書・第2章」にだけ出ています。<o:p></o:p>

「イエスがヘロデ王の代(よ)に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った。ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。わたしたちは東でその星を見たので、その方を拝みにきました。ヘロデ王は秘かに博士たちを呼んで行って、その幼子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ<o:p></o:p>

博士たちが出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。そして家に入って、母マリアのそばにいる幼子に会い、ひれ伏して拝み、黄金、乳香、没薬(香料であり薬)などの贈り物をささげた。」<o:p></o:p>

 この話は、いわゆる救世主の「御公現」のことで(西暦1年1月6日)、クリスマスから数えて12日目にあたります。<o:p></o:p>

 さて、この星の正体は何だったのでしょうか。聖書の原文はとても簡素で具体的でないので手がかりが少ないのですが、古来より多くの人が説明を試み ています。まず、マッキンレー中佐が宵の明星、金星説を唱えました。金星は1年半毎にベツレヘムの星のような動きをくりかえすことが知られていましたが、1月のこの時期、救世主の生誕と符合する出現を想定するのは困難で あるとされました。<o:p></o:p>

また、大天文学者、ケプラーが新星説を発表しましたが、一般に新星は暗いことから、この星の態様とは異なるという弱点がありました。またハレー彗星などの大彗星ではないかという説もありましたが、周期的に出現する彗星が西暦1年頃に現れた可能性を見出すことができませんでした。その後ケプラーは1606年に、魚座に木星と土星が集まった天象ではないかとの説を提示し、ニューヨークのプラネタリウムなどでのシミュレーションの結果からも木星・土星の会合説が支持されており、有力な仮説になっています。<o:p></o:p>

2000年にも亘る、なんとも壮大でロマンに溢れる考証ではないでしょうか。<o:p></o:p>

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野尻抱影著 『星と東西民族』 恒星社<o:p></o:p>

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パワー半導体 IGBT

2009-02-20 09:43:50 | 科学

半導体と言うとコンピュータの核心になっているICやLSIを思い浮かべる方が多いかと思いますが、電車や電気自動車などの電源を制御するパワー半導体IGBTという素子が世界中で大活躍しています。IGBTは絶縁ゲートバイポラートランジスタInsulated Gate Bipolar Transistorの頭文字を採って命名されました。1968年に日本の技術者により最初の特許が出願されて成立していますので、日本で発明されたと言えます。しかし当初は特性に多くの問題があり、普及のためには多くの課題がありました。それに対してその後、デバイスの開発者がたゆみない努力を続けた結果、今日の隆盛を見るに至っています。<o:p></o:p>

IGBTは新幹線や電気自動車の電源の制御や交直電力変換、電力の潮流制御にも用いられ、インバータの基本素子としてエアコンや電気、洗濯機、冷蔵庫など家庭電気製品にも広く使われています。IT分野用の半導体は数V数10mAで動作しているのに対して、パワー半導体は、数千V、1000Aというような高電圧、大電流まで動作しており、電力のすべての分野で活躍しています。現在のデバイスはシリコンウェーハーでできていますが、さらに高速化、低ノイズ化を実現するために、シリコンカーバイト(SiC)窒化ガリウム(GaN)、ダイアモンド半導体などの「ワイドバンドギャップ半導体」を適用する研究が進められています。<o:p></o:p>

関康和など 編著  『世界を動かすパワー半導体』 電気学会<o:p></o:p>

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お礼

2009-02-18 06:59:30 | 近況

いつも、私のブログをご覧いただきありがとうございます。<o:p></o:p>

お蔭さまで、昨日、アクセス数が3万に到達いたしました。<o:p></o:p>

平成18年の3月に書き始めてから約3年になりました。<o:p></o:p>

この間に30,000アクセスは、望外のハイペースではないかと思っております。<o:p></o:p>

引き続き、ご愛読いただければ、有り難く存じます。なお、折々にコメントを頂戴できれば大変、励みになると存じます。<o:p></o:p>

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北落師門

2009-02-11 08:17:01 | 文化

星のシリーズの第3回目です。「北落師門」というロマンのある中国名をもつ星があります。この星は南の魚座の主星で、近くにはあまり明るい星が無いため「秋の一つ星」と呼ばれたりしている1.4等星です。日本からは見えにくいので、一般的には良く知られていないようです。私も今までこの星を確認するチャンスがありませんでしたし、星の随筆家、野尻抱影氏の著作の中からも簡単に見つけることができませんでした。余談ですが、野尻氏は有名な大仏次郎氏(本名 野尻清彦)の実兄です。大仏次郎氏の代表作である「鞍馬天狗」の中で「杉作、日本の夜明けは近いのだよ」とか、島崎藤村の「夜明け前」は江戸時代が夜明け前の暗い時代であったかのような印象を多くの人に与えて来ました。これらの表現には、ある意味で明治政府の意を汲んだものが感じられ、歴史認識において公平な見方かどうか疑問に思います。江戸時代は決して暗黒の時代ではなく、世界の歴史上でも稀に見る300年の長期の平和が保たれ、庶民は泰平の文化を享受した良い時代ではなかったかと思われます。<o:p></o:p>

 ところで「北落師門」には「フォーマルハウト」というアラビア語源 fam-al-hut(鯨の口の意)の名前があります。隣の水瓶座から流れ出る水を飲む魚の口のように見えるという意味です。また中国で「北落」は「北の垣」という意味で「師門」は「軍隊の門」のことです。因みに長安城の北門は北落門と呼ばれたそうです。また、この星座には天塁城、天綱(てんこう)、晋、燕などという名の星など13の星々があり賑やかです。<o:p></o:p>

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カノープス

2009-02-07 15:39:39 | 文化

 カノープスと言っても何のことか直ぐにはおわかりにくいと思いますが、アルゴ座にある

等星の名前です。全天で二番目に明るい赤い星(一番はシリウス)ですが日本からは見え

にくいのでポピュラーではありません。それだけに天文ファンには憧れの的です。中国では

南極老人星と呼ばれ李白の「諸公と陳郎将の衡陽に帰るを送る」という詩にも<o:p></o:p>

   衡山蒼々として紫冥に入る<o:p></o:p>

   下に見る南極老人星<o:p></o:p>

とあります。この星は東京からは南の空の地平線から2度の位置にあるため、まず見ることができませんが、房総半島南端の布良(めら)からは見ることができ、そのため布良星(めらぼし)と呼ばれたり、また和尚星(おしょうぼし)などと呼ばれています。<o:p></o:p>

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陶芸研究家、茶人として有名な浅川伯教(はくきょう)氏(1884-1964)に、義母が嘗て茶を教わり親しくしていただいたことがあったそうです。この浅川氏も老人星に興味を持ち、朝鮮で「瀛(えい)州老人星図」という貴重な名画を入手して日本に持ち帰り、友人である星の研究家、随筆家の野尻抱影氏(1885-1977)に贈ったという話があります。朝鮮の上流家庭では、長寿(寿老人)を意味する老人星図をかざる習慣があるということです。<o:p></o:p>

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私は2002年の4月初めに、パース(オーストラリア)のキングズ・パークで南十字星とともにカノープスを見る幸運に恵まれました。辺りが暗くなるのを待って、ホテルから郊外のこの公園の小高い丘に足を延ばしました。少々寒くはありましたが、中天に瞬くこの見事な星群を見ることが出来たことは、一生の宝となりました。<o:p></o:p>

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野尻抱影 著  『星座歳時記 Ⅲ』 恒星社<o:p></o:p>

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