yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

百人一首 あれこれ

2016-05-30 05:01:11 | 文学
近頃、競技カルタが流行っているそうです。(人気漫画「ちはやふる」の影響もあるとか)昔の家庭では、正月には百人一首で遊ぶことが広く行われていました。私もよく百人一首で遊びましたので、今でもよく覚えています。和歌などは、意味がわからなくても、ともかく覚えるのが良いと、識者が言います。百人一首から名前を付けるという例も多々あります。

淡路島(あはぢしま)通ふ千鳥の鳴く声に行くよ寝覚めぬ須磨の関守 (源兼昌)
女優の淡島千景さんの芸名の由来

世の中は常にもがもな渚こぐあまの小舟の綱手かなしも  鎌倉右大臣 (源実朝) 
  朝ドラ「とと姉ちゃん」の「常子」の名の由来という話があります。「常にもがもな」は永く続いて欲しいの意。

君がためをしからざりし命さへながくもがなと思ひけるかな  (藤原義孝)
  「常子」の母の「君子」の名の由来という話があります。

千早振る神代もきかず竜田川 からくれなゐに水くくるとは  (在原業平)
この歌を借用した有名な「ちはやふる」という落語があります。落語の中では、「千早」と「神代」は遊女の名、竜田川は関取の名。

かくとだにえやはいぶきのさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを (藤原実方)
  不肖の得意札、この札を膝の近くに置いて死守したものです。Kの音が聞こえたら0.5秒で取ったこともありました。(因みに、上の句がKで始まる札は全部で13枚あります。)

      井上雄一郎 「小倉百人一首全釈」武蔵野書院
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ギャグ

2016-05-27 04:55:32 | 文化
ギャグとは、英語gagからの外来語、いわゆる芸人が使う冗談のことです。思いつくのに、大いに苦労されているのでしょう。可笑しいのがあります。

「ひろしです。今年消える予定の芸人リストからも名前が消えたとです。」
「言ったことは忘れ、言おうとしたことまで忘れ、忘れたことまで忘れました。」
「若い時の写真を娘に見せたら、お母さん、顔色が白かったのね」よく見たら白黒写真だった。
「何が食べたいの?」聞くだけ聞いて、いつものおかず。
「昔は死ぬほど好きだったもん。だからいろんなおかずを作ってあげた。」あの頃はご主人を溺愛してたんだよ。今、出来合いのおかずだよ。
「昔は希望で胸が膨らんでいた。今は脂肪で腹が膨らんでいる」綾小路きみまろ氏のブラック冗句、中高年には受けます。

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シュレーディンガーの猫

2016-05-24 05:03:35 | 科学
著名な物理学者、シュレーディンガーが量子論の世界観を解説する話に登場する思考実験上の猫のことです。
ここに一匹の猫がおり、これを箱の中に入れます。箱の中には青酸ガスの発生器があります。他にも、放射性物質のラジウムとガイガーカウンターも入っています。アルファ崩壊が起きると、青酸ガスの発生器を稼働させるスイッチが付いています。一定時間後に蓋を開けるのですが、この時間内にアルファ崩壊が起きる確率は50%です。アルファ崩壊が起きるとガイガーカウンターが作動して青酸ガス発生器のスイッチが入り、青酸ガスが出て猫が死ぬことになります。蓋を開けた時に、猫が生きている確率は50%であり死んでいる確率も50%です。猫が箱に入っている状態は、生きている状態と死んでいる状態が1対1で重なり合っていると解釈されます。猫の生死というマクロには明確な事象が、量子論的には、確率とか、状態の重なりとかいうわかりにくい話です。上記については、観測の定義の問題とか用語の科学的定義の問題について学者(物理学、哲学)の間にも議論があるようです。
不肖は、残念ながら、物理学の深い意味については、十分には理解できません。
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京都 難読地名 12問

2016-05-21 05:13:27 | 文化

地名の読み方には、原理原則というものがあまりないでしょうから、結構、難読地名が多いようです。京都にも沢山あります。



問題編
(1) 穴太
(2) 不明門通
(3) 太秦
(4) 御幸町通
(5) 間人
(6) 糺の森
(7) 直違橋
(8) 罧原
(9) 烏丸通
(10)先斗町
(11)深泥池
(12)安居院



解答編
(1) あのう
(2) あけずどおり
(3)  うずまさ
(4)  ごこまちどおり
(5)  たいざ
(6)  ただすのもり
(7)  すじかいばし
(8)  ふしはら
(9)  からすまどおり
(10) ぽんとちょう
(11) みぞろがいけ
(12) あぐい
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応制 天橋立 釈希世

2016-05-18 06:14:23 | 文学
室町時代の禅僧 釈希世(1403~1488)の七言絶句です。釈希世は、京都の人、六歳から書を読み始めました。八歳のとき、後小松天皇に拝し、詩を賦したところ、高く評価され、その後「八歳神童」と呼ばれました。さらに、学問に励み、内外の書に通暁したということです。後に南禅寺内に聴松院を建てて住みました。著書に「村庵稿」「雪巣集」があり、86歳で没し、勅命により、「慧鑑明照禅師」と、諡(おくりな)されました。

応制 天橋立

碧海中央六里松
天橋絶景是仙蹤
夜深人待龍燈出
月落文殊堂裏鐘

碧海ノ中央 六里ノ松
天橋ノ絶景 是レ仙蹤(せんしょう)
夜深ウシテ 人ハ龍燈ノ出ヅルヲ待ツ
月ハ落ツ 文殊堂裏ノ鐘


「訳」
 青海原の真中に松の緑が六里も続いている。それは仙人の遊んだ足跡と思われるほど美しい景色である。夜が更けてきらめく龍灯の光が出てくるのを待っていると、やがて月も沈むころ、文殊堂の鐘の音が水を渡って響いてきた。

「鑑賞」
  応制とは天皇の命により詩を作ることの意ですが、この詩が生まれた背景はよくわかっていないようです。

「吟剣詩舞道漢詩集 続 絶句編」 日本吟剣詩舞振興会

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大正評判女番附

2016-05-15 05:16:40 | 文化
大正期に評判となった女性を相撲番付風に紹介した「大正評判女番附」1923年刊行(図面下)というものがあります。
右上に横綱として「銀行家 広岡浅子」が、大関として「教育家 安井哲子」があります。
二人の活動は社会から高い評価を受けていました。広岡浅子(1849~1919)は、NHKの朝ドラでも有名になりましたが、実業家であるとともに、女子教育にも深い理解を示し、日本女子大学の創立に深く関わりました。

安井哲子(1870~1945)は一般に「安井てつ」として知られていますが、ケンブリッジ大学とオックスフォード大学で学び、東京女子大学の創立当初より学監として初代学長新渡戸稲造を補佐し、また、第2代学長として建学の礎を築きました。
広岡浅子と安井てつ、同時代の二人は、女子教育の理想を追求し、活発に意見交換をした仲であったそうです。
矢島楫子(やじま かじこ)(1833~1925)女子教育家、社会活動家。女子学院初代院長。
三浦環(みうら たまき) (1884~1946) ソプラノ歌手、欧米各地で「喋々夫人」に出演。
棚橋絢子(たなはし あやこ)(1839~1939)女子教育家、現東京女子学園の初代校長。
九条武子(くじょう たけこ)、(1887~1928) 歌人
野上弥生子(のがみ やえこ)(1885~1985) 小説家
豊竹呂昇(とよたけ ろしょう)(1874~1930) 女義太夫の太夫
岩崎なを(いわさき なお)(1868~1950) 新潟県出身の助産婦。帝国大学、産婆養成科に入学、昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮の助産を担当。
峰島きよ(みねしま きよ)(1833~1918)夫の遺産で東京府の教育支援
吉岡弥生(よしょか やよい)(1871~1959)医師。現東京女子医科大学を創設。
川上貞奴(かわかみ さだやっこ)(1871~1946) 日本初の女優として初めて欧米を巡業。
下田歌子(しもだ うたこ)(1854~1936) 教育家、現実践女子大学の創設者
江木栄子(えぎ えいこ)(1877~1930) 新橋の芸妓、美貌で社交界の花形
平塚雷鳥(ひらつか らいちょう)(1886~1971)女性解放運動家、婦人参政権運動に尽力
松旭齊天勝(しょうきょくさい てんかつ)(1886~1944)近代奇術の代表者。
上村松園(うえむらしょうえん)(1875~1949)日本画家。女性初の文化勲章受章者。
鍋島栄子(なべしま ながこ)(185^1941) 日本赤十字社篤志会看護婦人会会長。
毛利安子(もうり やすこ)(1843~1925)婦人の地位向上と慈善事業に注力、日本赤十字社の要職を務めた
与謝野晶子(よさの あきこ)(1878~1942)歌人
跡見花蹊(あとみ かけい)(1840~1926)女子教育家。現跡見学園女子大学を創立

まさに百花繚乱とも言える人々です。この番付にはありませんが、津田塾大学を創立した津田梅子(1864~1929)も忘れることができない一人でしょう。




ネットより借用

           「挑戦する知性」東京女子大学

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引き分け

2016-05-12 04:59:08 | 文化
スポーツやゲームで、得点が同じで勝負がつかない場合は引き分けにならざるを得ないのですが、勝者を決める必要に迫られるケースは多いと思います。野球・サッカー・テニスなどでは、多少の無理をしてでも、勝者を決めるのが通例ではないでしょうか。
 チェスや将棋の場合は再試合になります。これは公平なことですが、プレーヤーにも負担が大きく、時間も費用もかかるという弱点があります。もし、格上の人も格下の人も度量と寛容の気持ちがあれば、場合によっては「引き分け」という解決法もかんがえられるかも知れません。チェスの“「ステイルメイト」は「引き分け」”というルールが生まれた背景には、強者が王侯貴族に敬意を表したという時代の気分があったということです。また、ロシアのプーチン大統領は、二国間の領土紛争があると、紛争地帯の中間線を新しい国境とするなど、柔道の「引き分け」という考え方を採用して、領土問題を解決する手法を時に使うようです。「引き分け」とか「痛み分け」は人間が生み出した知恵の一つではないでしょうか。
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對花懐舊 釈義堂

2016-05-09 04:52:20 | 文学
南北朝時代の高僧、釈義堂、1325~1388)の七言絶句です。釈義堂は、土佐に生まれ、比叡山で修行の後、鎌倉の円覚字や京都の建仁寺に住し、空華道人と号し、漢詩文集「空華集」を著しました。また、絶海中津とともに五山文学の双璧とされました。

花ニ對シ舊ヲ懐フ

紛紛世事亂如麻
舊恨新愁只自嗟
春夢醒來人不見
暮檐雨洒紫荊花

紛紛タル世事亂レテ麻ノ如シ
舊恨新愁只自ラ嗟(なげ)ク
春夢醒メ人來ツテ見エズ
暮檐(ぼえん)雨ハ洒(そそグ)紫荊(しけい)ノ花
「訳」
   世の中のことは実にわずらわしく、まるで麻の糸のようである。その間に多くの知人を失い、昔のことを恨み、近ごろのことを愁い、ただみずから嘆くのみである。春のうたた寝の夢からさめてみれば、夢に見たそれらの人たちの姿はなく、夕暮れの軒ばの雨が、さびしく紫荊の花にしたたっているだけである。

「鑑賞」
  杜甫の詩に「紛々たる軽薄何ぞ数うるをもちいん」がある。紫荊花は蘇芳(そおう)のこと。続斉諧記」に、田真の兄弟三人が相談して遺産を分けたが、堂前の一株の紫荊樹を三分
しようとしてこれを切りかけたが、たちまち樹が枯れてまるで火が燃えるようなさまになった
ので切るのをやめた。すると、またもとのように勢いよくったので兄弟はこれに感じていったん分けあった財産をいっしょに合わせて仲良よく協力するようになったとある。この故事から兄弟が仲よく父の遺産を共有していることをほめて「紫荊花」というようになった。義堂の時代は南北朝が分立して天下が騒然たる状態だった。それは兄弟が互いに遺産を譲りあわない状態に似ている。ここで「紫荊花」を出してきたのは南北朝の合一によって天下の太平が来たすことの意を寄せたものであろう。なお、南北朝が合一したのは義堂の死後四年目ことであった。

   「吟剣詩舞道漢詩集 絶句編」 日本吟剣詩舞振興会


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成功の秘訣はVW 山中伸弥教授

2016-05-06 05:12:03 | 文化
ノーべル賞を受賞した山中伸弥教授の語録に、「成功の秘訣はVW」というのがあるそうです。最初、「VWとは、フォルクスワーゲンのこと」だろうと思いましたが、山中教授の発言の意味は異なっていました。Vはvision、Wはwork hard だということです。成功するためには、Work hardは当然のことでしょう。Visionは一般的には、視覚・幻影・夢など、色々な意味がありますが、山中教授の真意は、「医学の進歩に役立つ研究成果(例えばiPS細胞は難病の患者を救う)の展望を持つこと」のようです。将来像とか、理想像とか未来展望を描くことはすべての研究やプロジェクトにとっても、非常に重要なことではないでしょうか。
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将棋盤の点

2016-05-03 05:14:14 | 将棋
先崎学九段のエッセイ集にある「将棋盤の点」の話です。

N九段とG九段とK氏と私で、函館に競馬をやりに行った時のこと。酒を飲みながら、そういえば、将棋盤にはなんで点があるのか、という話になった。碁盤に星があるのは、星打ちという言葉が有るぐらいで何となく分かる。しかしなんで将棋盤の中央には四つ、点があるのだろう。
その時、Nさんが叫んだ。「点なんて、あるわけないじゃない」
はあ、となる三人。たしか、あったはずじゃあ、、、。「ない」とNさん。「ない。君達、何年将棋やってるの。そんな点、あるわけないじゃん」
「なにいってるんすかあるに決まってる」とG。かくて不毛な点のあるない論争がはじまったのである。横で女の子が呆れだした。「二人とも本当に将棋指しなの」(註:二人とも王将になった強豪)
論より証拠、誰かに電話して確かめようとなって、電話したのは私。相手はなんと羽生善治である。酔っぱらいの勢いというのは凄いものだ。
 羽生は眠そうな声だった。事情を説明すると、呆れられた。「ちょっと盤を見てくれない」と私。「メンドーです。たしかあったんじゃないですか」
 「羽生はある、といってたよ」と私は言った。次のNさんの一言はカッコよかった。「羽生時代もこれで終った」 (註:今でも羽生時代は継続中)
 東京に帰り、家の将棋盤を見た時のNさんのことを考えると、今でも笑ってしまう。そう、あるんですね。だいたいの盤には、四つしっかり点がある。(下 図面)

   先崎学 「摩訶不思議な棋士の脳」日本将棋連盟







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