yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

屁(おなら)の話

2008-03-29 10:26:05 | 文学

おならの話です。<o:p></o:p>

古典落語に「転失気」(てんしき、おならのこと)というのがあります。知ったかぶりをする和尚さんが医者にかかった時、<o:p></o:p>

「てんしきはありますか」<o:p></o:p>

と聞かれ、<o:p></o:p>

「有ります」と答えたことから話がもつれてお笑いになります。転失気の本当の意味を知っていると、抱腹絶倒の落語です。<o:p></o:p>

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「転失気」後漢末の医学書『傷寒論』にも出ている立派な漢語だそうです。<o:p></o:p>

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さて、ある一流会社の試験問題で、「おならに関する川柳を三つ書いてください。」<o:p></o:p>

というのがありました。<o:p></o:p>

大学出のエリートの答は、<o:p></o:p>

1.屁は黄門様のあくびなり<o:p></o:p>

2.かわいそうだよズボンのおならは右と左に泣き別れ

3.、、、、、<o:p></o:p>

 と言う調子で三つ書けた者はいなかったそうです。<o:p></o:p>

下記のように答えることができれば満点でした。<o:p></o:p>

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丸く出て四角に臭う炬燵っ屁(こたつっぺ<o:p></o:p>

炬燵の屁猫もあきれて顔を出し

そっと出て目の前にパッと出るお風呂の屁

嫁の屁は五臓六腑を駆け巡り<o:p></o:p>

今時の嫁さんは遠慮などしないらしい<o:p></o:p>

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 屁は独りですると侘びしいが、堂々とやると爽快という説もあります。<o:p></o:p>

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上の文の後半は次の本を参考にしました。<o:p></o:p>

芹沢博文著『チョメチョメ八段の八めん六ぴ』力富書房<o:p></o:p>

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北辰一刀流

2008-03-26 11:06:57 | 歴史

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北辰一刀流は中西派一刀流の流れを汲みますが、千葉周作がそれを受け継いで幕末に隆盛しました。神田お玉が池に玄武館を開き、練兵館(神道無念流)、志学館(鏡新明智流)と共に幕末江戸三大道場の一つと言われました。坂本龍馬、清河八郎、伊東甲子太郎、新選組の藤堂平助、山南(やまなみ)敬助、海保帆平なども北辰一刀流を学びました。<o:p></o:p>

千葉周作は千葉氏の守り神、北辰を信仰していたので、自分の剣法を北辰一刀流と称しました。剣の極意は「瞬速」(ともかく速く動くこと)、と語っています。周作は自分に向かって来る弓の矢を叩き落とすことができたと言われています。また竹刀、防具を使ったので、多くの門弟に怪我をすることなく剣術を教えることができ、剣術の普及に大いに役立ち、近代剣道の基を築きました。<o:p></o:p>

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竹刀、防具を使った道場剣道は、真剣勝負とは動作、気構えにおいて本質的に異なります。<o:p></o:p>

例えば、竹刀の場合は相手に当たることができればば1本取ったことになりますが、真剣では刀の刃が力強く垂直に相手に切り込んで行かなくては効果がありません。真剣を扱うのが難しい所以です。<o:p></o:p>

幕末の頃、真剣で勝負をした剣豪で抽ん出て強かったのは、やはり、使命感に燃えていた新選組の近藤勇、土方歳三、沖田総司等でしょうか。<o:p></o:p>

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柳生新陰流

2008-03-23 09:34:43 | 歴史

戦国時代、上泉(こういずみ)伊勢守信綱は愛州移香斎から陰流を学び、自らも工夫を加えて新陰流を拓きました。柳生石舟斎宗厳(むねよし 1527-1606)は伊勢守との試合に敗れ、その弟子の疋田豊五郎(ぶんごろう、後に九州で疋田陰流を起こしました)にも勝つことができなかったので、即刻、伊勢守に弟子入りしました。その後、剣の道に磨きをかけ、柳生新陰流の開祖となりました。「無刀の位」を編み出し、修業中の宮本武蔵にも「無刀の位」で負けなかったと言われます。<o:p></o:p>

勝てない武蔵に、石舟斎はこう言いまいた。<o:p></o:p>

「貴殿は拙者との立の合い最中に、風の音や鳥の声が聞こえたか。それが聞こえないようでは、相手の動きを予測して動くことができない。」<o:p></o:p>

武蔵は己の未熟を悟り、一層修業に励んだとのことです。<o:p></o:p>

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戦国時代は甲冑を着た剣法が主流であり、腰を低くして「沈なる構え」をとるのが普通でしたが、石舟斎は「直立(すぐた)ったる位」を考案し、より自由な道作を可能にし、新陰流を確立しました。立合いの時、直立または、やや前傾する姿勢を取るのが新陰流の特徴です。<o:p></o:p>

石舟斎の長男の厳勝(よしかつ)は戦で負傷して剣が使えなかったので、石舟斎<o:p></o:p>

は五男、宗矩(むねのり)を徳川家康に推挙し、自分は大和国柳生に隠棲しました。宗矩は但馬守を名告って将軍への剣術指南のかたわら「活人剣」を唱えて幕閣として政治手腕を振るい、大名にまで出世し、江戸柳生の元になりました。宗矩の子供には十兵衛などの逸材がいましたが、柳生新陰流は将軍家以外には剣を教えないお留め流でもあり、江戸柳生は後継者に恵まれなかったので次第に衰退しました。<o:p></o:p>

一方、厳勝の子供の兵庫助利厳(としよし)は祖父、石舟斎とよく似た人物で<o:p></o:p>

剣道一筋に修業を積み、尾張徳川家に仕え、尾張柳生の元となりました。兵庫助の三男、連也斎、厳包(よしかね)は天才剣士であり新陰流の道統を継ぎました。そして尾張柳生は、尾張徳川家の庇護の元で隆盛を極めました。<o:p></o:p>

ました。<o:p></o:p>

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會津藩士の剣道

2008-03-18 08:05:10 | 歴史

會津藩上士は、下記の會津五流と言われる剣道の中からどれかを学びました。<o:p></o:p>

安光流、太子流、真天流、神道精武流、一刀流溝口派です。<o:p></o:p>

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幕末には、一刀流溝口派に、猛将、佐川官兵衛、町野門水、といった達人がいました。<o:p></o:p>

戊辰戦争の責任を一身に背負って自刃した萱野権兵衛は、自刃の直前に一刀流溝口派の居合い術の奥義を井深宅右衛門に伝授しました。<o:p></o:p>

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會津五流のうち、現在にまで伝わっているのは一刀流溝口派だけです。<o:p></o:p>

「組太刀左右転化出身之秘太刀」が奥義の骨格であるそうです。<o:p></o:p>

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会津若松の和田又四郎に剣の道統が伝えられて現在に至っています。その子息の和田實氏は道統の継承を天職として剣道指南をしており会津高校剣道部の指導にも当たっているとのことです。<o:p></o:p>

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鞍馬天狗

2008-03-11 07:56:55 | 文化

先週、NHK木曜時代劇「鞍馬天狗」の最終回が放映されました。<o:p></o:p>

野村萬斎が演じた鞍馬天狗は大変さわやかで、緒形直人が演じた近藤勇も剛直で良かったと思います。<o:p></o:p>

二人の最後の決闘は鞍馬天狗が勝ちました。直前に大阪城で瀕死の状態にあったのを助けてくれた近藤に対して、とどめを刺すようなことはせずに、最後のせりふは<o:p></o:p>

「近藤さん、今夜はこれにてお別れいたそう」<o:p></o:p>

というさわやかで格好のいいハッピーエンドでした。<o:p></o:p>

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「鞍馬天狗」は大佛次郎が大正から昭和にかけて書いた多くの時代小説の主人公です。<o:p></o:p>

「鞍馬天狗」が最初に発表されたのは、なんと大正13年(1924年)ですが、現代に至るまで、長い間少年達を魅了し続けたヒーローでした。<o:p></o:p>

昭和の映画では、嵐寛寿郎が演じて好評を博し、一般的な鞍馬天狗像の形成に大きい影響を与えました。<o:p></o:p>

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一方、新選組と近藤勇は著作当時の定説に倣って、悪玉として描かれています。<o:p></o:p>

今回の時代劇では、近藤勇は武士道を実践する潔く強い局長として描かれていました。<o:p></o:p>

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ヨーロッパ流テーブルマナー プロトコール

2008-03-06 13:14:08 | 文化

プロトコール<o:p></o:p>

Protocole:(フランス語で礼儀のこと、IT技術の分野では「機器と機器の間の通信規約」という翻訳が一般的です。)<o:p></o:p>

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テレビで、マナーの専門家、畑中由利江さんが話していました。<o:p></o:p>

テーブルマナーに関して<o:p></o:p>

1,椅子に腰掛ける時は椅子の左から入ること。<o:p></o:p>

  これは、皆様もよくご存じかと思います。<o:p></o:p>

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意外と感じたのは<o:p></o:p>

2.料理が出て来るのを待つ間、両手をテーブルの上に置くこと。<o:p></o:p>

   「ゲストの私はナイフや銃剣やピストルなどの凶器を所持していません」<o:p></o:p>

と、アピールしたのが、その始まりであったとのこと

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3.女性から男性にワインなどを注ぐのはマナー違反。<o:p></o:p>

  Ladies firstの国では、女性側からお酒を注がない。<o:p></o:p>

日本流なら、構わないのではないかと推測されます。それに、注いだり注がれたりするほうが楽しいです。<o:p></o:p>

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4.取りにくい豆などを取る時はパンをちぎって沿え、豆をフォークの背に乗せて、それを口に運んで食べること。<o:p></o:p>

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5.スープは食べるようにいただくこと。<o:p></o:p>

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テーブルマナーには、イギリス流とフランス流があり、かなり異なりますが日本ではずっとイギリス流が主流でした。<o:p></o:p>

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要するに、楽しい会食が自然に、上品にできればいいとのことです。<o:p></o:p>

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プロトコールは、「大人が人生を楽しむための教養」と考えて身に付けていただきたい、と言うことでした。<o:p></o:p>

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羽生善治三冠の言葉

2008-03-01 08:17:40 | 将棋

  将棋のプロ、羽生善治(よしはる)が「プロフェッショナル」というテーマについて語った言葉を紹介します。<o:p></o:p>

羽生三冠が超スピードで千勝を達成したことは、つい先日、このブログに載せています。<o:p></o:p>

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・「プロフェッショナルとは揺るぎない人々、自分の力を信じて己の仕事を天職として続ける人々」<o:p></o:p>

・「才能は努力を継続する力」<o:p></o:p>

・「直感は経験の積み重ねから生まれる閃き」<o:p></o:p>

・「リスク無くして成長無し」<o:p></o:p>

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羽生三冠のような天才は何の苦も無く多くの記録を達成したと思われがちですが、内実は血のにじむような努力の積み重ねの結果であろうと思われます。<o:p></o:p>

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有吉道夫(73才)、内藤国雄(69才)、加藤一二三(68才)、中原誠(61才)は、いずれも千勝を達成した大棋士ですが、いつも変わらず十年一日の如く真摯に、今でも若手に伍して現役で活動しています。その姿を見て、羽生三冠はある日、はっと悟ったそうです。<o:p></o:p>

「日々の地道な努力を続けることが最も難しいことである。」と。<o:p></o:p>

羽生三冠は外出する時はいつも小型のカバン一つです。その中には詰将棋の問題集があり、それを取り出して解くのを日課にしているそうです。<o:p></o:p>

大天才、羽生三冠にして、この毎日の精進には敬服いたします。<o:p></o:p>

また最近、対局の時には「玲瓏」という言葉を思い浮かべて、虚心に盤に向かうとのことです。<o:p></o:p>

折しも一昨日2月28日には、挑戦者の久保利明八段を退けて王将位4連覇の偉業を達成されました。<o:p></o:p>

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