yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

埴生の宿

2024-01-31 06:25:23 | 文学
名曲「埴生の宿」は、明治17年に成立しました。アメリカ人、ジョン・ハワ-ド・ペインが作詞した英詞に、里見義が日本語訳をつけました。曲はイギリスのヘンリ-・ロ-リ-・ビショップが作曲しました。小説「ビルマの竪琴」では、日本兵と敵兵がともに歌うという象徴的なシ-ンでこの歌が使われました。

 埴生の宿も わが宿
 玉のよそい うらやまじ
 のどかなりや 春のそら
 花はあるじ 鳥は友
 おお わが宿よ たのしとも たのもしや
  
ふみよむ窓も わが窓
瑠璃の床も うらやまじ
きよらなりや 秋の夜半(よわ)
月はあるじ 虫は友

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知らざるを知らずと為せ 是知る也

2024-01-28 07:01:20 | 文学
「論語 為政第二」の中に、次の文があります。
    子曰、
    由、誨女知之乎、
    知之為知之、不知為不知。是知也
   
    「読み方」  
   子ノ曰ワク、
   由(ゆう)ヨ、
      女(なんじ)ニ之(これ)ヲ知ルコトヲ誨(おし)エンカ。
      コレヲ知ルヲコレヲ知ルト為シ、知ラザルヲ知ラズト為セ。
      是レ知ルナリ。

       「訳」
      先生がいわれた、「由よ、お前に知るということを教えようか。
      知ったことは知ったこととし、知らないことは知らないとする、それが
知るということだ。」

      人はこういう世界、このような問題があることを、これまでずっと知らな かったのかと、愕然とすることがある。「知らないことは知らないこととする、それが知るということだ」。限界や輪郭を知ってはじめて人はおのれの知のありようを知る。謙虚という徳が知恵の裏張りをなす。

         金谷 治 訳注 「論語 為政第二」 岩波書店
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2倍と2乗

2024-01-25 06:00:51 | 科学
数を2倍した時と2乗した時、等しい値になる数は何でしょうか。
2がそれに該当すると思いつく方が多いと思います。それが正解でしょうか。方程式を立ててみます。

 2Xa= aXa    ①
  a=2     ②

① 式において両辺をそれぞれaで割ると a=2 が導かれます。2が正解の一つなのですが、念を入れてみると、a=0 でもいいのです。

上で①から②に進む時に両辺をaで割っていますが、これはaが0でない時にのみaで割ることができてa=2が導かれます。a=0 も①式の正解です。

すなわち、この問題の正解は2と0 でした。

      鶴崎修功 「カジュアルな算数・数学の話」クラ-ケンラボ


 




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天皇の享年

2024-01-22 06:14:00 | 歴史
歴代天皇の享年を調査しました。神武天皇は、伝説上の天皇であり、1296才と言われている途方もない年齢です。綏靖(すいぜい)天皇から応神天皇まで天皇の享年も不確実な数値かも知れません。
女帝は概して御長寿であり、昭和天皇は最長の89才でした。

 初代 神武天皇  1296才
 2代 綏靖天皇    109才
3代 安寧天皇     57才
11代 垂仁天皇    139才
12代 景行天皇    144才
13代 成務天皇    106才
14代 仲哀天皇     52才
15代 応神天皇    109才
16代 仁徳天皇    110才
17代 履中天皇    69才
18代 反正天皇    74才
19代 允恭天皇    77才
20代 安康天皇    55才
21代 雄略天皇   72才
  中略
33代 推古天皇    72才
35代 斉明天皇    55才
40代 天智天皇    46才
40代 天武天皇    不詳
41代 持統天皇    58才
42代 文武天皇    26才
45代 聖武天皇    55才
46代 孝謙天皇    52才
50代 桓武天皇    69才
53代 嵯峨天皇    56才
56代 清和天皇    31才
72代 白河天皇    76才
74代 鳥羽天皇    53才

77代 後白河天皇   65才
82代 後鳥羽天皇   56才
84代 順徳天皇    45才
96代 後醍醐天皇   51才
100代 後小松天皇  56才
106代 正親町天皇  76才
108代 後水尾天皇  84才
109代 明正天皇  72才
121代 孝明天皇    38才
122代 明治天皇    60才
123代 大正天皇    47才
124代 昭和天皇    89才
125代 平成天皇  卒寿をお迎えになりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

趙治勲 1600勝 達成

2024-01-19 06:41:18 | 将棋
囲碁の趙治勲名誉名人(67歳、下 写真)が、2023年12月25日に公式戦通算1600勝を達成しました。これは囲碁・将棋界を通じて前人未踏の偉業です。内訳は、1600勝、899敗、3引分け、勝率で、0.6402です。なお、2位は小林光一名誉名人の1461勝です。趙氏は6歳で韓国釜山から来日し、木谷実九段の弟子となり、11歳で史上最年少プロになりました。
一方、将棋界の最多勝数は羽生善治九段の1556勝、勝率0.6930です。これは、羽生九段が15歳でプロになってから53歳の今日までに残した成績です。2位は谷川浩司第17世永世名人の1388勝です。なお、藤井八冠は354勝中です。

 次に将棋と囲碁の人気度を紹介します。
  愛好者人口、  将棋対囲碁:460万人対130万人。
     プロ棋士の数、  将棋対囲碁:160人対400人。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徳川将軍の享年

2024-01-16 06:52:38 | 歴史
江戸時代に日本を牽引した徳川将軍の享年に注目しました。最長は最後の将軍、15代徳川慶喜公の77才で、最後の将軍が最長に驚きました。

60代で逝去した将軍は僅か4人、脚気で逝去した将軍が3人いました。
下に享年と死因を記しました。

初代 家康 75才  食中毒
2代 秀忠 53才  寄生虫病
3代 家光 55才  脳卒中
4代 家綱 39才  心臓発作
5代 綱吉 63才  成人麻疹
6代 家宣 51才  インフルエンザ
7代 家継  8才  急性肺炎
8代 吉宗 68才  脳卒中
9代 家重 51才  尿毒症
10代 家治 49才  脚気
11代 家斉 68才  急性胃腸炎
12代 家慶 60才  熱中症
13代 家定 35才  脚気
14代 家茂 20才  脚気
15代 慶喜 77才  肺炎

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関西将棋会館

2024-01-13 06:11:02 | 将棋
日本の将棋の総本山は、東京渋谷区千駄ヶ谷にある東京将棋会館(日本将棋連盟)ですが、西日本における将棋の中心は、大阪府福島区にある関西将棋会館です。これを建て替える話が進んでいます。
大阪府高槻市に、総工費5億円で2024年完成を目指しているとのことです。関西の棋士の井上慶太九段、浦野真彦八段が、高槻市と連携して事業の中心になっているそうです。高槻市は、元戦国大名の高山右近の城下町であり、近年、城址から将棋の駒が多数出土しています。また中井捨吉八段の出身地でもあります。中井八段は、大山名人や升田名人を育てた木見金次郎氏の弟子であり、最近88歳で他界するまで関西の棋界で活動されました。浦野八段は中井八段の晩年の弟子であり、詰将棋の名手でもあります。
高槻市は将棋をテ-マとして日本将棋連盟と連携し、関西における将棋の町を目指して町起こしを狙っています。大阪府福島区から高槻市への移転費は5億円超と見込まれていますが、市はクラウドファンディングなどで資金を募っています。藤井聡太五冠のオリジナル扇子が返礼品として人気があり、既に3.1億円を集めたそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漢詩 国民投票

2024-01-10 06:07:22 | 文学
2002年の4月~6月に、日本人を対象に行われた漢詩に関する国民投票について、作品部門と詩人部門に分けて集計した結果を紹介します。

       作品部門 1人3票まで
         1位 杜甫 「春望」       84票
         2位 杜牧 「江南の春」     46票
         3位 王維 「元二の安西に使いするを送る」 40票  
  4位 孟浩然 「春暁」      39票
  5位   王之渙 「鶴鵲楼に登る」  29票 
     李白 「静夜思」      29票
  7位 李白 「早に白帝城を発す」 26票
8位 陶淵明 「飲酒二十首其の五」25票
9位 王翰 「涼洲詞」      23票
10位 張継 「楓橋夜泊」     21票


      詩人部門 1人3票まで
         1位 李白  216票
         2位 杜甫  185票
         3位 白居易 69票 
   杜牧  69票
  5位 王維  64票
  6位 陶淵明 60票   
  7位 頼山陽 39票
8位 蘇軾  29票
9位 孟浩然 26票
10位 王之渙 13票


         漢詩という異国の文化が日本人に親しまれ、深く浸透していることを顕わしています。日本人の漢詩熱は本場、中国を上回る勢いではないでしょうか。

           石川忠久 中西進 「漢詩歓談」大修館書店
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦後初めてのお召し列車

2024-01-07 06:08:46 | 歴史
昭和20年(1945)11月12日午前8時、昭和天皇を乗せた5両編成の御召列車が東京駅を発車しました。列車は東海道本線、関西本線、参宮線を経由し、伊勢神宮の下車駅である三重県の山田に向かいました。天皇が神宮を参拝するのは外宮と内宮の祭神に戦勝を祈願した12年12月以来で、今回は「戦争終息」すなわち敗戦を報告するのが目的でした。戦前の行幸では、沿線の警備や天皇の護衛は厳重をきわめました。列車が通る駅のホ-ムに入れる資格をもった人々も制限されました。ところが、今回は天皇自身がそれらをいっさい撤廃するように命じました。敗戦の衝撃がまだ冷めやらなかった当時、警備や規制をなくせば何が起きるかは予想もつきませんでした。しかし、列車に同乗した内務大臣の堀切善次郎が目にしたのは、不安を払拭する光景でした。「御召列車が名古屋に着いたときには、熱狂した歓迎の人波が駅頭にあふれ、列車の窓辺まで押し寄せ、その人たちの顔も声も、ただ感激そのものであったのです。」同乗していた内務大臣の木戸幸一もそれを日記に書きました。「沿道の奉迎者の奉迎振りは、何等の指示を今回はなさざりしに拘わらず、敬礼の態度などは自然の内に慎みあり、如何にも日本人の真の姿を見たるがごとき心地して、大いに意を強ふしたり」戦前とは異なり、沿線では奉迎の必要がなかったのに、人々は自発的にホ-ムに集まったり、万歳をしたりした。たとえ天皇の姿が見えなくても、先頭の機関車に日の丸を交差させた列車が走るだけで戦前と同じ光景を再現できました。天皇の戦争責任を問う声はどこからも聞こえてきませんでした。翌1946年以降、御召列車は全国各地で運転されることになりました。

      原 武史 「歴史のダイヤグラム」朝日新聞

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春望 杜甫

2024-01-04 06:21:48 | 文学
詩聖 杜甫の五言律詩 を紹介します。

  春望

国破山河在
城春草木深
感時花涙濺
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵万金
白頭掻更短
渾欲不勝簪

        「読み方」

国破レテ山河在リ
城春ニシテ草木深シ
時ニ感ジテハ花ニモ涙を 濺(そそ)ギ
別レヲ恨ンデハ鳥ニモ心ヲ驚カス
烽火三月ニ連ナリ
家書万金ニ抵(あ)タル
白頭掻ケバニ更ニ短カク
渾ベテ簪ニ勝エザラント欲ス

  「訳」
  国都長安の町は、賊軍のためにすっかり破壊され、あとには山と川が昔 
のままにある。
荒れ果てた町にも春はやってきて、草や木が深々と生い茂った。
この戦乱のなげかわしい時節を思うと、花を見ても涙が落ち、
家族との別れを悲しんでは、鳥の声にも心が痛む。
戦いののろしは三か月もの長い間続き、
家族からの手紙はなかなか来ないので、万金にも値するほど貴重だ。
たび重なる心痛のため、白髪はかけばかくほど短くなり、
まったく冠をとめるピンもさせなくなりそうだ。
 「鑑賞」
755年11月、安禄山の乱が起こり、翌年6月、長安が落ち、玄宗皇帝は蜀に落ち延びました。杜甫は粛宗(玄宗の息子)のもとに駆けつけようとして、賊に捕らえられ長安に幽閉されました。この詩はその翌年、757年の春、幽閉生活のなかでの作。
第一・二句(首聯)は対句。国都長安では高殿や大きな家がみな破壊され、今まで建物の陰になっていた山が向こうにくっきりと見え、剥き出しになった川が滔々と流れている。春は人間の興亡におかまいなしに訪れ、草も木も春になれば生い茂る。なにげない表現だが、人の世の無常と自然の雄大さが蔵されています。
第三・四句(頷聯)も対句。普通ならば春に咲く美しい花を見ればうれしくなるはずが、今は戦乱の時。美しい花も涙のたねなのです。(中略)
第五・六句(頸聯)も対句。延々と三ヶ月燃え続けた秦の都・咸陽と眼前の荒れ果てた唐の長安とが二重写しになるところにおもしろみがあります。たまに来る家族からの手紙はたいへん貴重で、万金の価値がある。家族からの便りをまちわびる作者の気持ちが痛切に詠われています。
第七・八句(尾聯)は結び。「簪」とは、昔の役人が冠を髪にとめるピンのことです。それができないとは、もう役人勤めもできなくなりそうだ、ということの譬えです。戦乱によってもたされた失意、孤独感、望郷の念が自然を通して巧みに詠みこまれています。
特に、首聯は、芭蕉も「おくのほそ道」で引用しています。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」
夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡

        石川忠久「ビジュアル漢詩 心の旅」世界文化社 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする