このところ猛暑に見舞われていますが、夏の酷暑の期間を三伏(さんぷく)と言います。 ここでは杜荀鶴(とじゅんかく)の「夏日 悟空上人の院に題す」という漢詩を紹介します。杜荀鶴(846~904)は晩唐の詩人であり、翰林学士でした。杜牧の末子とも言われ、琴や詩に優れた風流人でした。
夏日題悟空上人院
三伏門を閉ざして一衲(いちのう)を被(き)る
兼ねて松竹の房廊を蔭(おお)ふ無し
安禅必ずしも山水を須(もち)ひず
心頭滅却すれば火も亦た涼し
酷暑の三伏に門を閉ざして衣を被(き)ている。
涼しそうな木陰も無い。
安らかな禅の境地に入るのに、必ずしも静かな山水を必要としない。
無念無想の境地に至れば火さえも涼しく感じられるものである。
第四句は大変名高く、禅宗では「偈(げ)」として伝えられています。
そしてこの言葉は「座禅はどこでもできる」ということの例として「碧巌録」にもあります。
さて戦国時代(1582年)甲斐の恵林寺の快川禅師は、その徳を慕う織田信長の招聘を受けましたが、自分は「武田家からの厚恩がある」と言いきっぱり断りました。これに怒った織田信長は恵林寺を攻めて火をつけました。この時、禅師は法衣を着て、扇子を持って端座し、この句を口ずさみつつ従容として焼死したと言うことです。
夏日題悟空上人院
三伏門を閉ざして一衲(いちのう)を被(き)る
兼ねて松竹の房廊を蔭(おお)ふ無し
安禅必ずしも山水を須(もち)ひず
心頭滅却すれば火も亦た涼し
酷暑の三伏に門を閉ざして衣を被(き)ている。
涼しそうな木陰も無い。
安らかな禅の境地に入るのに、必ずしも静かな山水を必要としない。
無念無想の境地に至れば火さえも涼しく感じられるものである。
第四句は大変名高く、禅宗では「偈(げ)」として伝えられています。
そしてこの言葉は「座禅はどこでもできる」ということの例として「碧巌録」にもあります。
さて戦国時代(1582年)甲斐の恵林寺の快川禅師は、その徳を慕う織田信長の招聘を受けましたが、自分は「武田家からの厚恩がある」と言いきっぱり断りました。これに怒った織田信長は恵林寺を攻めて火をつけました。この時、禅師は法衣を着て、扇子を持って端座し、この句を口ずさみつつ従容として焼死したと言うことです。