yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

公立大学

2014-10-29 05:38:35 | 文化
認識不足かも知れませんが、私立大学や国立大学に比べて、公立大学は存在感が軽いように思われます。それは、公立大学は、規模が小さいことが多く、数も少ないことが原因の一つかも知れません。全大学の数に対して、私立大学は約75%、公立大学は約13%、残りが国立大学(約12%)だそうです。公立大学の一つである兵庫県立大学の清原正義学長は次のような意見を述べておられます。

この20年の間に国立大学の数が変わらないのに対して、私立大学は1.5倍に
増え、公立大学はおよそ2倍に増えている。これを見れば、公立大学に対する社会的ニーズが
高まっているのは間違いない。大きく言えば、進学率上昇にともなう進学者増加の受け皿に公立大学は貢献してきたのである。増加した公立大学の中には医療看護系、福祉系、社会系、教養系などが多いのを見ると公立大学は地域のニーズに応えて増えたと考えられる。
 公立大学が地域のニーズに応えるべく存在している以上、そのミッションの第一は地域への
貢献であろう。とはいえ、公立大学の存在形態は多様である。単科大学も多いが総合大学もある。それぞれの大学の歴史と伝統、設立の事情もさまざまである。したがって、一口に地域への貢献と言ってもその内実は多様性に満ちている。現状では、それぞれの公立大学が、それぞれの方法で地域への貢献を追求していると言えよう。

また、高知大学(国立ですが)では、日本で最初の「地域協働学部」の設置を申請し、地域の課題を解決する人材を育成することを目指しているということです。

  清原正義 「公立大学のミッション」電気学会誌 2014 Vol.134 No.10
 
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富士山 石川丈山

2014-10-26 05:24:07 | 文学
石川丈山(1583~1672)は江戸初期の漢詩人。三河出身、藤原惺窩(ふじわらせいか)の弟子、
京都詩仙堂に住み多くの文人を友とした。

富士山

仙客来遊雲外嶺
神竜棲老洞中淵
雪如紈素煙如柄
白扇倒懸東海天


仙客来リ遊ブ雲外ノ嶺(いただき)
神竜棲ミ老ユ洞中ノ淵
雪ハ紈素(がんそ)ノ如ク煙ハ柄ノ如シ
白扇倒(さか)シマニ懸ル東海ノ天

 「訳」

仙人が来て遊んだという、神聖な富士山の頂きは雲を抜いて高くそびえている。
また山頂にある洞窟の中には、神竜が棲みついていると伝えられる。
冬のころこの霊山を下界から望めば、山頂から山すそまで純白の雪におわれ、扇に見立てる
ならば、白絹を張った扇面にあたり、その上に立ちのぼる噴煙は」、扇の柄にあたる。まるで
東海の空に白扇がさかさにかかっているようで、その雄大な眺めは、実に天下第一等の山の名に背かぬものである。


「鑑賞」

この詩は詩吟を学ぶ人が必ず習うそうです。

丈山は荻生徂徠に「東方の詩傑」と讃えられ、朝鮮の詩人からも「日東の李杜」と最高の賛辞を得ています。

悠々自適の境涯を賦した次の詩もあります。

幽居即事

山気人世に殊なり、常に啣(ふく)む太古の情、四時雲樹の色、一曲かん泉の声、雨湿うて鶯衣重く、風喧(あたたか)にして喋袖軽し、詩を為(つく)って老に至ると雖も、未だ鬼神をして驚かしめず

最後の2句に味わいがあります。石川忠久先生の「詩拙く書粗なるは我が常分」と似ています。

    「吟剣詩舞道漢詩集 絶句編」 日本吟剣詩舞振興会
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早口言葉

2014-10-23 06:14:26 | 文学
早口言葉には、発音しにくい言葉をならべるものなど沢山あります。

月々に月見る月の多けれど月見る月はこの月の月
仲秋の名月の月を指しています。
瓜売りが瓜売りに来て瓜売り残し売り売り帰る売り売りの声
昔、野菜売りはありましたが、瓜売りはあまり見ないと思っていました。
やしの実をししが食い ひしの実をひひが食う
東京や横浜の人には、うまく発音できないかも知れません。

お綾や母親にお謝り
青巻紙赤巻紙黄巻紙
新春シャンソン・ショー
キャリー・パミュ・パミュ   落語の春風亭昇太師匠も苦手のようです。
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法三章

2014-10-20 05:05:56 | 歴史
中国 漢の高祖、劉邦は始皇帝の秦を下した時(BC206)に法三章という簡潔な規約を示しました。すなわち、人を殺す者は死刑、人を傷つける者は処罰、盗む者は処罰というシンプルな法律でした。法家思想により緻密に定められた法律で治められた秦との対比を明確にするものでした。激動の時代には、法三章はわかりやすく民衆に歓迎されたようです。考えてみると法三章は、統治をする上で、極めて簡潔でかつ根本的な規定のように思われます。現代のテロ集団では、「殺人するなかれ」の一事すら守られていません。紀元前の漢帝国にも劣っています。    但し、漢帝国においても次第に「法三章」だけでは不十分であることが明かになってきましたので、劉邦は丞相の蕭何(しようか)に命じては秦の法の中から時勢にかなったものを選んで九章律をつくったといわれます。
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ほととぎす

2014-10-17 05:27:53 | 文学
戦国時代末期に連歌がはやりました。 明智光秀なども嗜みました。 連歌師に里村紹巴(さとむらじょうは1525~1602)という人がいました。「耳嚢(みみぶくろ)」の中にほととぎすの句があります。

鳴かずんば殺してしまへほととぎす    信長
鳴かずとも鳴かせて聞かうほととぎす  秀吉
鳴かぬなら鳴くとき聞かうほととぎす   家康

このほかに紹巴が詠んだといわれるほととぎすの句があります。

鳴かぬなら鳴かぬもよしほととぎす   紹巴

ほととぎすは夏の到来を告げる鳥で、平安時代以来、その初音を聞くのは人々の楽しみでした。ほととぎすは鳴き声をめでるものと決められていますが、鳴かないならそれはそれでよいのではないかと紹巴はいいます。武将三人の句は紹巴の句の前置きでした。
「鳴かぬもよし」は「荘子」の「無用の用」に通じるものがあります。役に立つものが役に立ち、役に立たないものは役に立たないという常識的な価値観に対して、荘子は「無用の用」
というパラドクスを示しました。

紹巴の句にも文人の味わいがあります。

織田正吉 「笑いのこころ ユーモアのセンス」岩波書店
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グローカル人材

2014-10-14 18:40:01 | 文化
ある大新聞社の9月22日の新聞紙上に下記の記事がありました。

「隠岐は留学でグローカル人材を育て。ニセコには外国人が定住し。離島や山あいに最先端あり。田舎の知恵比べ。」

読点の多いこの文章は、意味が直ぐにはわかりませんでした。不肖は新語に弱いせいか、まず、「グローカル人材」の意味がわかりませんでした。
「グローカル」は「広辞苑」や「英和辞典」には無さそうなので、ネットで調べてみました。例えば、次のような説明がありました。「グローカル人材とは、日本と現地(中国とかタイとか)をつなぐような人材のことで、日本のことをよくわかった上で、海外で活躍するような人材だ。現地に生産工場を作ってそれを指導したり、現地の人とうまくやりあいつつも本社の意向を聞いて、うまく間を取り持つ人材だ。これは一般にはブリッジ人材と呼ばれている。日本企業のいうグローバル人材とは、要するにブリッジ人材のことである。」 グローカル人材と、日本企業が言うグローバル人材は、どちらもブリッジ人材という特長に於て、よく似ています。
globalとlocalは意味が反対なのに、敢えてそれを一つにしたようなglocalという合成語は、意味が不明瞭で、造語としてのセンスの無さを感じます。そして、このような意味が曖昧な言葉を新聞が使うことに対しても、センスがないと感じました。


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月夜荒城の曲を聞く 水野豊州

2014-10-11 06:53:40 | 文学
水野豊州(1889~1958)は、大正・昭和の漢詩家。名は喜蔵、裁判所に奉職、退官の後、多くの詩を賦しました。ここでは、律詩を紹介します。江戸初期の漢詩人。

月夜聞ク荒城ノ曲

榮枯盛衰一場夢
相思恩讐悉塵煙
星移物換刹那事
歳月忽々逝不環
史編読続興亡跡
弔涙幾回几前灑
今夜荒城月夜曲
哀愁切々憶当年

榮枯盛衰ハ一場ノ夢
相思恩讐悉(ことごと)ク塵煙トナル
星移リ物換ハルハ刹那ノ事
歳月忽々逝イテ環ラズ
史編読ミ続ク興亡の跡
弔涙幾回カ几前ニ灑(そそ)グ
今夜荒城月夜ノ曲
哀愁切々当年ヲ憶フ

 「訳」
この世の栄枯盛衰は、その場かぎりの、わずかな間の夢にすぎない。時がたてば、お互い
の喜びの感情も、またうらみの情も、ことごとく雲か霞のように消えてしまう。星が移り、
事物が変化していくのも、ほんの少しの間のことである。歳月はどんどんと過ぎ去って帰ってこないのである。そうした無常の世の移り変わりを考えながら、栄枯盛衰の歴史のあとをふりかえると、そのはかなさが胸にしみ、自然と涙が出てくる。月の光の中で、「春高楼の花の宴、めぐる盃影さして、、、」と、あの荒城の曲を聞いていると、栄枯盛衰のあとがしのばれて哀愁切々と胸をうたれる。

「鑑賞」

栄枯盛衰は、主として豪族・武将・権勢家などの変転急なさまを表すのに用いられているが、本詩は、この命題をむしろ、歴史の場に登場しない一般の世の人びとのはかないさまに見たてている。

「吟剣詩舞道漢詩集 律詩・古詩編」 日本吟剣詩舞振興会
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今泉アマ 将棋プロ編入試験へ

2014-10-08 05:35:49 | 将棋
将棋の朝日名人の今泉健司氏(41歳、広島県福山市育ち)が異例のプロ編入試験に挑むそうです。14歳でプロ棋士の養成機関である「奨励会」に入って27年。合格すれば戦後史上、最年長のプロ入りとなります。
奨励会を通過することなく、プロに挑む編入試験は極めてまれで、これまでに特例で実施された1944年と2005年の2回しかありません。

今泉氏が挑戦する編入試験は、20歳代の若手プロ5人と5局戦い、3勝すれば合格ということです。9月23日と10月5日に行われた第1局と第2局を戦い、二人の四段に2勝中ということです。

1944年に五段編入試験に合格した花村元司氏(当時26歳は「東海の鬼」といわれた真剣師(賭将棋師を生業)でした。「妖刀使い」ともいわれ九段に上りました。さて、
2005年に瀬川晶司氏(当時35歳)はプロ編入試験に合格してプロ棋士になりました。

今泉氏は花村氏や瀬川氏と比べて、最年長(41歳)のプロ挑戦ですが、ご健闘を祈ります。
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計算困難問題

2014-10-05 05:14:04 | 科学
計算が難しいといわれる問題の代表として「巡回セールスマン問題」があります。これは、「NP困難」の問題といわれます。巡回セールスマン問題、Traveling Salesman Problem とは、都市の集合と各都市間の移動コスト(例えば距離)が与えられたとき、全ての都市を丁度1度ずつ巡り出発地に戻る巡回路の総移動コストが最小のものを求める、組み合わせ最適化問題です。 
 都市の数を30とします。ある都市を出発して、その都市に戻る組み合わせは、ほぼ30の階乗、すなわち、2.65X10の32乗、すなわち約10の30乗といわれます。これを日本で最高のスーパーコンピューター「京」で計算しても1000万年かかるそうです。これは事実上、計算不可能ということです。
ところが、現在、アメリカで開発中の「量子コンピューター」が、十分なレベルに到達すると、これを使って「巡回セールスマン問題」を短時間に計算できる可能性があるそうです。「量子コンピューター」は従来のコンピューター(ノイマン・コンピュター)と原理が根本的に異なり、量子の不思議な性質(1とゼロを重ね合わせた状態が存在すること)を使うそうです。ところで、根本原理の発想と超電導を利用した量子回路制御分野では日本の技術が貢献しているそうです。

さて、一方では、将棋の必勝法を計算できるかという問題があります。将棋は駒を並べた時、
先手が指すことができる手の種類は30手です。将棋は平均して110手程度で勝負がつきます。
勝負がつくまでの手数の組み合わせは30の110乗、すなわち、3.04X10の162乗にもなります。
将棋の必勝法は「セールスマン巡回問題」のようなNP困難問題とは異なりますが、計算するべき組み合わせは、「セールスマン巡回問題」よりもはるかに大きく、計算は不可能に近い気がします。
 ただし、特定の局面を与えて、「次の最善の一手」をパソコンを使って、モンテカルロ法などで発見することに限れば、勝負をつけるという結果においてその実力はプロ棋士に匹敵するまでになりました。(これは、将棋の必勝法を計算する事とは、意味が異なります。ある局面を対象にして、勝負に勝つ可能性の高い一手を見つける事と、必勝法を計算する事は、問題の質が異なるし、計算量にも大差があると思われます。)
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クイズ

2014-10-02 05:15:20 | 文化
クイズを2醍 出題します。父親と息子が同じ車に乗ってドライブをしている途中、交通事故を起こし、二人は大怪我をして、救急車でそれぞれ別の病院に運ばれました。息子の前に出てきた医師は「これは私の息子です」と言いました。医師の言葉に嘘はありません。医師がそう言ったのはなぜでしょう。
この問題は、医師は青年の母親だったというのが答です。「これが私の息子です」と言う立場にあるのは青年の父か母のどちらかで、父は他の病院に運ばれていますから残るのは母親ということになります。外科医は男性というイメージに誘いこまれると、それが壁になって簡単な問題が難問になります。

さて、次の問題です。黒い豆と白い豆を混ぜて一つの鍋で煮ました。煮上がったので黒豆と白豆を分けましたが、二、三秒もかからなかった、なぜでしょうか。
「黒豆と白豆を混ぜる」は黒豆と白豆が半分ずつという思い込みをしがちです。黒豆は一粒
だったというのがこの問題の答です。

思いこみや先入観により、問題が難問になってしまう例です。

織田正吉 「笑いのこころ ユーモアのセンス」岩波書店

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