yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

超生物

2013-05-29 06:11:18 | 文化
私が愛読するSF小説、「レンズマン」の中に空想の産物である超生物の話があります。初めて読んだ時には、SF小説に疎かった私にはとても衝撃的な話でした。この中に善の超生物アリシアと悪の超生物エッドールが出てきます。最初に著者の独創的な宇宙観が提示されています。以下は「レンズマン」からの引用です。
二十億年ほど昔、二つの銀河系の遭遇が起ったときーーこの事態により、すれちがった二つの銀河系には無数の惑星が発生したのだが、――すでにアリシア人は古い種族だった。非常に古かったので、そのときですら、惑星の偶然的な発生には影響を受けなかった。エッドール人は、もっと古い種族と信じられている。アリシア人はわれわれの時空体系に固有の種族だが、エッドール人はそうではない。エッドール星は巨大で密度が高く、そして熱かったーー現在もそうである。そこの大気は、われわれと異なり有毒な混合ガスである。水圏は有毒で悪臭がある。浸食性のべとべととした液体である。エッドール人は怪物的でアメーバ状生物で無性。彼らのあいだには発生以来ずっと競争があった。闘争は十万年以上もつづいた。
やがて彼らはこの戦争が無益なことを悟り、銀河系を協力して征服することにした。
 アリシア人はエッドール人ほど機械主義的ではなく、本質において平和的だったが、精神に関する純粋科学においてはエッドール人よりはるかに進歩していた。アリシア人は自分のためではなく理想のために戦っているのだった。アリシア人はエッドール人を一掃できる手段として銀河パトロール隊を育成した。このパトロール隊の最初の指揮者として地球のバージル・サムスが選ばれ、アリシアにパトロール隊員の認識票であるレンズを受け取りに行った。「宇宙万有の洞察」ができるというアリシア人に、予言を信じないサムスは、5年後の未来の予言を聞いた。それは、
「サムスが、ワシントン郊外の理髪店で散髪をする。髪を切った後、若い雌猫がサムスのひざにとびあがる。この動きの途中で、カミソリを当てていた理髪師のひじに猫の尻尾が触れ、サムスの左の頬骨のすぐ上に、それと並行して長さ3ミリの浅い切り傷ができる。問題の瞬間に理髪師は傷に止血剤をつけている」というものでした。この時、サムスは「傷を付けられるのはいやだから決してその理髪店に行かないことでしょう」と言ったが、アリシア人は「五年たたないうちにおまえは、すっかり忘れてしまうだろう。そして止血剤をつけられてはじめて今日のことを思い出して、何か自分をののしる言葉を吐くだろう」と冷静に言った。
 そして、5年後、サムスは親友のキニスンとワシントン郊外の理髪店にいた。髪を切った後、理髪師が止血剤を傷口につけていた。そのとたんに、サムスはアリシア人との会見を思いだして「うむ、ちくしょう」と自分を罵った。アリシア人が予言したように、自分自身とその状況に対するののしりだった。その時、子猫がサムスのひざに這いのぼってごろごろ鳴きはじめた。サムスはキニスンに傷の長さの測定を頼んだ。キニスンが精密定規を当てるときっちり3ミリだった。これを見ていた理髪師とキニスンは目をまるくしていた。「わけを話してくれ、サムス」とキニスンが言った。サムスのことをよく知っているキニスンは呆然自失の態だった。「この出来事のかげには何があるんだ。どういう来歴があるんだ?教えてくれ」サムスはキニスンに真相を告げた。ふたりの間に精神的沈黙がおとずれた。思考では計れないほど深い沈黙だった。ふたりとも、アリシア人が実際には何ものであるかは永久にわかるまいということを、理解しはじめたのである。

E・E・スミス 「レンズマン・シリーズ 全6巻」 創元推理文庫
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麦熟れ星と野尻抱影(ほうえい)

2013-05-26 05:59:15 | 文化
春の夜空を眺めると「春の大三角」という星があります。獅子座の二等星・デネボラと、乙女座の一等星スピカと、牛飼い座の一等星アークトゥルスが大きな三角形を作っています。デネボラはアラビア語で「獅子の尾」という意味です。スピカは、純麗な白光を発することから和名で「真珠星」とも呼ばれます。アークトゥルスは赤味があり、麦が熟れる頃から南に出てくるので、和名を「麦熟れ星」や「麦星」とも言います、漢名は「大角」です。

明治時代には、「日本にはろくに星の名がない」と言われたことがあります。ところが、英文学者で随筆家の野尻抱影(1885―1977)は、星の調査を深め、一升ぼし(スバル)やツリガネボシ(ヒヤデス星団)、カゴカツギボシ、スモウトリボシなどの和名を調査して突き止め
ました。抱影は天体民俗学者でもあり、星に関する著書が多数あります。なお、作家の大佛次郎の実兄に当たります。
 抱影と言うペンネームは珍しいですが、金剛般若教の夢幻泡影(むげんほうよう)から取ったということです。よく使われているのは、金剛般若経と文字が異なる抱影ですが。

 野尻抱影 「日本の星」中央公論社
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夏目家の福猫

2013-05-23 06:47:40 | 文学
夏目家というと、「我が輩は猫である」から猫を連想します。この猫の話を半藤末利子さんが本に書いています。以下は半藤末利子著「夏目家の福猫」からの引用です。

 「我が輩は猫である」のモデルになった夏目家の名のない飼い猫は、最初は小説に書かれている通りのノラ公であった。毎朝、雨戸を繰るが早いか、家の中にニャンと飛び込んできて、漱石夫人の鏡子やお手伝いさんや子供達の足にじゃれついたり引っかいたりする。鏡子に言わせれば、仔猫のくせにハナから図々しかったそうである。子供たちが引っかかれて泣き出すたびに、鏡子はそやつをつまみ出すのだが、いつの間にか泥足のままお櫃の上にちゃっかり座っていたりする。いっそ誰かに頼んで遠くに捨ててきて貰おうかと思案しているうちに、
「そんなに家に入ってくるなら、この家が気に入っているのだろうから、飼ってやればいいじゃないか」と漱石の一言があった。それからはひとまず表に追い出すことだけは止めたものの、猫嫌いの鏡子は悪戯が過ぎるとそやつを物差しでパシッとひっぱたいたり、御飯を抜いたりして罰を与えていた。
 ところがある日、出入りのあんま師が膝にすり寄てくるそやつを抱き上げて、しげしげと調べあげたあげく、
「奥様、奥様、この猫は足の爪の先まで黒うございますから、珍しい福猫でございますよ。飼っておおきになるとお家が繁盛いたします」
 と宣うた。福猫と聞くや鏡子は、
「あら嬉し。福が向こうから飛び込んできてくれたとは」
と、即座にそれまでの虐待を止め、掌を返したようにそやつめに好待遇を与えることとした。たとえば随筆にあるように、鰹節をふりかけた御飯に昇格したようである。
こやつをモデルにして初めて書いた長編小説で漱石はいっぺんに文名を馳せたのであるから、まさしくこやつは福猫だったのであろう。好待遇を受けつつ千駄木・西片町・早稲田と居を移して約四年間も飼われたのちに、こやつは明治四十一年に名もなきまま死んだ。その時漱石は、
「辱知猫の義久しく病気の処、療養不相叶、昨夜いつの間にか裏の物置のヘッツイの上にて逝去致し候。埋葬の儀は車屋を頼み箱詰にて裏の庭先にて執行仕り候。但し主人「三四郎」
執筆中につき御会葬に及び不申候」
と、懇意の人々にわざわざ猫の死亡通知を出している。そして死骸を埋めた所には、猫の光る目を稲妻にたとえた
「この下に稲妻起る宵あらん」
という句を書いた墓標を立てている。亡くなった九月十三日には毎年弟子たちを集め猫の法事を営んでいる。鏡子のみならず漱石もまた、このノラを福猫と思い、深く感謝していたのであろうか。そして漱石はすでに物故していたが、猫の十三回忌には、鏡子は猫を埋めた場所に九重の石塔を建立している。(以下略)

 漱石の長女、筆子は漱石の弟子の松岡譲と結婚しました。その松岡譲の四女が末利子さんで、私の郷里の中学、高校の先輩です。のちに半藤一利氏と結婚して現在もお元気です。

 かつて、松岡譲と久米正雄が漱石の長女、筆子をめぐって争ったことがあります。久米正雄が、この事情を歪曲してモデル小説にしたため、松岡譲は世間から冷たい目で見られましたが、その無念を小説「夏目家の福猫」は見事にはらしました。また、漱石没後、内田魯庵が「夏目さんは殆どといって好いくらい西洋の新しい作を読んでいない」と批判したとき、まっさきに反撃したのが松岡譲でした。「これくらい間違ったことを書く人は一度先生の書斎に入ってみるがよい」と激しく反駁しています。
 漱石には松岡譲のような誠実で一本気な弟子がいたので、いわれなき中傷から守られたのです。雑司ヶ谷墓地に眠る漱石は「末利子よ、よくぞ書いた。正しい記録を残しておいて偉い!」と大いに喜んでいることでしょう。ということで半藤末利子さんは「夏目家の福孫」になったと言われます。

半藤末利子 「夏目家の福猫」
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プロ棋士とコンピューター

2013-05-20 05:33:43 | 将棋
将棋のプロ棋士 郷田真隆九段は、嘗て、名人戦にも登場した強豪です。彼はアナログ派の代表的存在と周囲に思われていました。ところが昨年の夏、ノート・パソコンを購入して棋譜データーベースを使うようになったそうです。そのきっかけは、新宿で待ち合わせた時に、偶然、ある家電量販店が目に入り、「ふらふらと入って買った」ということです。記者が感想を尋ねると「便利だよねー。朝起きるとすぐに電源を入れてヤフーニュースをチェックする」と意外なコメントがありました。さらにつけ加えて「前例のあるなしがすぐにわかるので、研究会に持っていくと重宝する」と、話してくれたそうです。しかし「コンピューターを使っても自分の将棋は変わらない。自分の頭で考えた手を指すだけだ」ときっぱりした口調で語ったそうです。一刀流と言われる剛直な棋風で、自分のスタイルを守る郷田九段らしい言葉でした。
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春日山懐古

2013-05-17 06:08:57 | 文学
大槻磐渓(1801~1878)は仙台藩士で幕末・明治の儒者、父は、大槻玄沢で「解体新書」を書いた蘭学者で仙台藩の侍医。ここでは磐渓の七言絶句「春日山懐古」を紹介します。

春日山懐古

春日山頭鎖晩霞
驊騮嘶罷有鳴鴉
憐君獨賦能州月
不詠平安城外花

春日山頭(かすがさんとう)晩霞ニ鎖(とざ)サル
驊騮(かりゅう)嘶(いなな)キ罷ンデ鳴鴉(めいあ)有リ
憐レム君ガ獨リ能州ノ月ヲ賦シテ
平安城外ノ花ヲ詠ゼザリシヲ



越後の春日山には上杉謙信公の城跡が晩霞(夕映え)にとざされている。
謙信公が騎乗したという驊騮(赤毛の駿馬)がいななき、鴉(からす)が鳴いている。
謙信公は能登の七尾城を攻略した時、「能州の月」を題材にした漢詩を賦した。しかし信長軍を破る力もあったのに、(謙信が急逝したので)上洛して洛外で花見ができなかったことが惜しまれる。

「吟剣詩舞漢詩集(絶句編)」 日本吟剣詩舞振興会編
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人魚構文

2013-05-14 05:29:54 | 文学
人魚構文というものを紹介します。上半身が人で下半身が魚のように、種類の異なるものがくっついて一つの文になるーーこれが「人魚構文」と呼ばれる奇妙な表現です。
例えば「太郎は明日、大阪に行く予定です」という文につき、言語学者の角田大作氏は、20年ほど前に「奇妙な文だな」と思ったそうです。太郎は人間なのに、「太郎は予定です」と表現するのは意味の上でおかしい。文の構造も変わっています。前半は「太郎は行く」という動詞述語文で、後半は「予定です」という「名詞+です」という名詞述語文です。このような人魚のような構文は英語にはないそうです。(英語では、Taro has a plan to go to Osaka tomorrow. と明晰に表現します。)
角田氏はこの表現を人魚構文と名づけました。
たとえば「雨が降っている模様です」(判断の根拠)。「本を読んでいるところです」(現在進行形)など五つのグループに分類できるということです。(私などは、人魚構文のどこが奇妙なのか、よくわからない気もしますが)
こうした人魚構文のある諸言語を調査したところ、日本語、アイヌ語、朝鮮語、中国語、モンゴル語、ビルマ語、ネパール語、タガログ語、ヒンディー語など20カ国の言語に、人魚構文が確認されたということです。東アジア以外ではエチオピアのシダー語だけ。ヨーロッパには無いそうです。こうしたことから、東アジアを一つの言語地域としてとらえることが可能との考え方もあるそうです。
白石彰彦 「朝日新聞」 2013.3.5
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でんきの礎

2013-05-11 04:37:23 | 文化
電気学会は、平成20年(2008)に創立120周年を迎え、その記念事業の一環として、「でんきの礎」という電気技術の顕彰制度を始めました。今年は創立125周年にあたる年であり、11件の技術を顕彰する予定です。この中に「北本連系―日本初の本格直流送電設備」や
「乾電池を発明した屋井先蔵」があります。

北本連系―日本初の本格直流送電設備:
 北海道と本州間の電力連系設備は日本初の本格的な直流送電設備です。これの完成により、全国規模での電力系統の広域運営が可能になり、既に30年以上に亘り活用されています。私も幸い、この技術の一端に関わることができました。

屋井先蔵:
2012,1,14のブログにも取り上げておりますが、彼は明治時代に乾電池や電気時計を発明し、日本の電気技術の発展に多大の貢献をしました。屋井先蔵が長岡藩士の子弟であることは、あまり知られていないようです。
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鈴木貫太郎

2013-05-08 07:12:53 | 歴史
鈴木貫太郎(1867-1949)は、千葉県関宿(現在の野田市)の人。海軍大将、連合艦隊司令長官、軍令部長などを歴任。侍従長の時、2.26事件に遭い、襲撃され重傷を負うも命をとりとめました。誰とも話し合いをする穏やかな公平な人で、日頃から、「軍人が政治に口を出してはいけない」と言っていましたが、人望があり、終戦時には内閣総理大臣を務めました。
遺訓に「正直に腹を立てずに撓まず励め」があります。この遺訓は、鈴木貫太郎が卒業した前橋市の桃井小学校の校歌になって今も唱われています。「正直に腹を立てずにたゆまず励め」。遺訓には「撓む」という字を当てていますが、「たゆまず」と言い伝えられています。
因みに、実力名人制度を創始した将棋の関根金次郎 十三世名人は、鈴木貫太郎と同じ関宿の出身です。
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半藤家の糠床

2013-05-05 08:34:46 | 文学
  先日、テレビで「文豪の味」という番組を放映していましたが、この中で半藤家の糠床を紹介していました。半藤家は当主が一利氏、夫人が末利子(まりこ)さん。夏目漱石の孫です。以下に、半藤末利子著 「夏目家の福猫」から糠床の部分を引用します。

 これが宝物とは言えないし、泥棒には三文の値打ちもないが、大地震の時一番先に持ち出したいものがある。それは曾祖母、祖母、母から私へと、吾が家で唯一つ、江戸時代から受け継がれてきた糠床である。糠みそ漬けの歴史を繙いたことが無いので解らないが、この元種は曾祖母の世代より更に遡った所にあるのかも知れない。
私がもの心ついた頃から実家の食卓には、和風、洋風、中華風を問わずメインディッシュの脇には必ず色よく漬かった糠漬けがあった。戦前迄は殆どの中流家庭に女中と呼ばれた、今で言うお手伝いさんが何人かいたものだが、母の話によると、まずその娘さん達が長く家に居て貰うに足るかどうかを知る為に、彼女達の糠床の手入れの仕方を点検して決めたと言う。いつ樽の蓋を開けても不快な臭いなどせず、表面がきいれいに平らにならされていれば合格というのである。娘の頃、台所の床板を二、三枚はずし、「糠みそって生きているのよ」と言いながら跪いて床下の樽の中に手を入れている白い割烹着姿の母を、私は何回か見たことがある。
 私の母方の女系は大体長命で、曾祖母が九十一歳、祖母が八十七歳、母が九十一歳でそれぞれ天寿を全うした。子供の頃、私は祖母の家によく行った。しかし糠床に手を入れるどころか、祖母が台所に立つ姿を私はついぞ見かけたことがなかった。祖母は味にはまったく無頓着で、祖父がこれはうまい、と褒めようものなら何日でも同じ料理を食べさせた人だそうである。母に糠漬けのこだわりを伝授したのが、大ざっぱで何事によらずこだわりを持ちそうにないこの祖母であった事が私には不思議に思えてならない。母の母であったことさえ不思議に思える。
 曾祖母の家にも母に連れられて一、二度行ったことがある。曾祖母はその時八十歳を疾うに越していたと思われるが、子供の私から見ても豆粒のように小柄な人だった。きちっと着物を着こなし、正座を崩さず、耳に手をかざしちょっと小首を前に突き出して、母の話を聞いてから、「おやまあさようでございますか。ではこの方は、松岡さんとあなたの一番末のお嬢様で、、、」と自分の孫や曾孫に対してもとびっきり丁寧な言葉を遣った。いかにも江戸時代の武家の娘そのままの名残りをとどめた行儀のよい老女であったように思う。お歯黒をした若い頃の曾祖母がきりりと襷を掛け、糠床に手を入れてかきまわしている姿を、私は容易に想像できる。(以下略)

 番組では取材した女性アナウンサーが、この糠床で漬けた漬け物に舌鼓を打っていました。この漬物の味は「食の達人」の折り紙付きです。そして専門家の調査によれば、この糠床に住む菌は日本で最も長生きしている植物性乳酸菌だということです。

      半藤末利子 「夏目家の福猫」
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東京ディズニーランド 開業30周年

2013-05-02 05:57:27 | 文化
平成25年4月15日に東京ディズニーランドは開業30周年を迎えました。この間の入場者数は5億6千万人ということです。日本の人口.約1億3千万人で割ると、すべての日本人が4回以上訪れたことになります。東京ディズニーランドにいる人々の様子を見ると、みなニコニコと楽しそうです。ここの魅力を一言で言うと、日本の中に出現した「非日常」であり、海外旅行に行った時の喜びに似ています。ところで、この楽園を陰で支えるスタッフ・キャストの行動指針はSCSEと言われています。

S Safety   客に安全・安心を提供する。
C Courtesy  丁寧で、礼儀正しい態度で客に接する。
S Show   身だしなみと格好を整えて客に魅力的に見てもらう。
E Efficiency 効率を大切にする。

上記の態度で客をもてなし、幸せを提供することを心掛けているそうです。世界中で夢と幸せを与えてきたディズニーランドの、この姿勢は接客ビジネスに関わる者にとって参考になる部分が多いかも知れません。
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