yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

爪楊枝

2018-11-29 06:50:04 | 文化
食事の後に歯の間に挟まったものを取り除く小型の楊枝を爪楊枝といいます。(写真 下)
よく見ると、爪楊枝に溝があります。これは何でしょうか。一種の「こけし」なのだそうです。爪楊枝を製作する時、その一端が黒くなりがちなのですが、それをごまかすために、わざわざこけしを彫ったとは、日本の職人は芸が細かいと思います。爪楊枝、日本最大の生産地は、大阪府、河内長野市です。
爪楊枝より少し大ぶりの楊枝もあります。和菓子をいただく時に使う黒文字です。(写真 下)香りのいいクロモジの木を材料にしています。千葉県、君津市、久留里も黒文字の産地です。







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村舎の燕 杜牧

2018-11-26 06:10:03 | 文学
晩唐の詩人、杜牧の七言絶句、村舎燕を紹介します。

 村舎燕

漢宮一百四十五
多下珠簾閉鎖窓
何処営巣夏将半
茅檐煙里語双双

村舎ノ燕

漢宮(かんきゅう)(一百四十五(いっぴゃくよんじゅうご)
多ク珠簾(しゅれん)ヲ下(お)ロシテ鎖窓(さそう)ヲ閉ザス
何レノ処ニカ巣ヲ営マン夏将(まさ)ニ半(なか)バナラントスルニ
茅檐(ぼうたん)ノ煙里(えんり)語ルコト双双(そうそう)

「訳」

漢の離宮は百四十五。
その多くは珠の簾を下ろし、美しい窓を閉ざしている。
燕はどこで巣を作っているのだろうか、夏も半ばになろうとするのに。
見れば、炊煙たちのぼる農家のかやぶきの軒下で一対ずつさえずり語りあっている。

 「鑑賞」

漢の荒廃した離宮を前面に出しつつ、実は唐の首都長安の宮殿空間のさびれた情景を歌う。
こうして歴史的過去に現在を重ね、詩的世界を重層化させるのも杜牧の得意とする技法です。
「漢宮一百十五」と具体的な数字をあげているのは、この詩に強い弾みをつけ、鮮明な印象をもたらしています。「江南の春」で「南朝四百八十寺」と賦したのと似た手法です。

  井波律子 「中国名詩集」岩波書店


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激動の天正10年

2018-11-23 06:14:42 | 歴史
元亀、天正は戦国時代を代表する年号ですが、戦国時代の慣いとはいえ、天正10年(1582年)には、名門、甲斐武田家が滅亡し、織田信長も本能寺に倒れました。
織田・徳川連合軍に攻められた武田勝頼は天目山に逃れましたが、自害に追いこまれ、源氏の名門、甲斐の戦国大名、武田家は、1582年4月3日に滅亡しました。その後間もなく、6月21日には本能寺の変が起こり、天下統一を目前にして、織田信長は非業の最期を遂げ、戦国大名、織田家は滅びました。この年には、戦国時代の大大名2家が相次いで滅亡しました。
一方、西洋に目をむけると、1582年は、従来のユリウス歴に替わって、現在の西暦にあたるグレゴリオ歴が導入されました。
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物華天宝 人傑地霊

2018-11-20 06:15:15 | 文学
中国の春節に、よく玄関に飾られる言葉だそうです。初唐の名詩人、王勃の言葉です。
豊かな物産は、天の恵み、優れた人間は土地の霊気が育むという意味ですが、科学技術の成果も天の恵み。天に隠れされている力を発見する科学者は、研究室や会社など周囲の空気が育てると解釈する科学者もいます。
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海軍兵学寮

2018-11-17 06:30:11 | 歴史
明治の初め(1868年)、東京・築地の芸州藩屋敷地内に海軍操練所がありましたが、翌年に、海軍兵学寮と改称されました。ここでは、教官の講義を座って聴く座学が主体でした。イギリスの教官、ア-チボルト・ルシアス・ダグラスは、受講生が座学に飽きて、非行に走ることを懸念しました。そこで、アスレチック・スポ-ツを導入しました。「兵隊さんがグレないようにするために運動会が始まった」ともいわれます。アスレチック・スポ-ツが、「競闘遊戯会」という18種目にもおよぶ運動会になりました。これが、今日の運動会の起源です。なお、明治天皇が皇居から築地の兵学寮に行幸された道筋は、「みゆき通り」として、今日の銀座に残っています。
やがて、1881年に、海軍兵学寮は、広島県の江田島に移転し、多くの海軍軍人を育てました。
また、1885年に初代の文部大臣になった森有礼(もりありのり)は訓令を発して、全国の小中学校で運動会を実施することを定めました。また、札幌農学校や東京大学でも運動会が行われました。今日、国民的行事である運動会にはこうした歴史がありました。






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ハッブルの法則

2018-11-15 06:08:28 | 科学
アメリカの天文学者、エドウィン・ハッブル(1889~1953)は、1929年に、地球から遠い銀河ほど速い速度で地球から遠ざかっていることを発表しました。その速度が地球からの距離に比例していることは「ハッブルの法則」と呼ばれ、宇宙が膨張していることの証拠とされ、広く知られています。ところが、ベルギ-の天文学者、ジョルジュ・ルメ-トル(1894~1966)が同様の論文をハッブルの発表より2年早く発表していたことがわかりました。近年、ルメ-トルの研究経緯が詳しく分かってきたことを受け、IAU(国際天文連合)は、8月に「ハッブルの法則」の名称を「ハッブル・ルメ-トルの法則」に変更することを進めています。
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丁度いい

2018-11-11 06:19:08 | 文学
仏教に「丁度いい」という教えがあります。京都・大原の宝泉院という寺に、下の写真のような掛け軸があるそうです。下記のように書いてあります。

 お前はお前で丁度よい
顔も身体も名前も姓も
お前に丁度よい
貧も富も親も子も
息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度よい
幸も不幸も喜びも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は
悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと
行ったところが丁度よい
卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
佛さまと二人連れの人生
丁度よくないはずがない

南無阿弥陀仏          浄覚

釈迦の「少欲知足」の教えが連想されます。









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青山 新宿 由来

2018-11-08 06:09:26 | 歴史
東京都の一等地、青山と新宿の由来です。
徳川家康の側近に青山忠成と内藤清成という家来がいました。家康が関東に入府した直後の頃、忠成が鷹狩に随行していたところ家康は赤坂の上から西の方を見渡し「馬に乗って一回りして参れ、その範囲の土地を屋敷として与えよう」と言いました。そこで忠成は馬が斃れるまで駆け回り、広大な土地を賜りました。この地が青山、原宿の始まりです。原宿にある長青山・梅窓院は青山家の菩提寺です。
青山氏は三河の郡上八幡の出身です。新宿一帯を賜った内藤清成にも似た話があります。
四谷から代々木村にかけて20万余坪もの屋敷地を家康から賜っています。内藤氏は信濃・高遠の出身です。この拝領地の中から内藤新宿という宿場が開設されました。新宿御苑の中には今も内藤氏の屋敷があるそうです。
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日本の重心 東京の重心

2018-11-05 06:08:07 | 文化
日本の中心はどこかという問題については、28にも及ぶ諸説があります。
その一つ。日本地図の板を作り、一点で支える時に安定する場所(重心)を求めますと、長野県小川町になります。また、人口の重心は岐阜県関市です。一方、日本全体を含む円を書いた時に、この円の中心(外接円の中心)は群馬県の渋川市だそうです。
さてそれでは、東京都の重心はどこでしょうか。答えは中央区ではなく、新宿よりも西の国分寺市です。この町には国分寺跡があるのですが、奈良時代から武蔵の国の中心だとされていたようです。また、オ-ストラリアのウルルは「地球のへそ」と呼ばれたりします。
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居合道

2018-11-02 06:04:44 | 文化
武具としての価値が無くなった日本刀を用いて、現代でも居合を嗜む人がいます。不肖の亡父も居合を遣う剣道の錬士でした。戦国時代、羽州の林崎重信が、林崎夢想流を創始し、その剣技の中で居合を体系化しました。互いに刀を抜いて構えを取り、立った状態で立ち会う剣術に対し、居合は、刀を鞘に納めたままで、座った状態、つまり居合った形から対敵動作に入る術です。おなじみの映画の「座頭市」やアニメの「ルパン三世」に登場する五エ門が使う術です。亡父は真剣を用いて居合の習錬をして、林崎神道英信流抜刀術 五段の允許を得ました。
林崎流の他に、神道無念流(しんどうむねんりゅう)も居合を行います。幕末の斎藤弥九郎は江戸の三大道場の一つといわれた神田の練兵館で多くの門人を育てました。桂小五郎、高杉晋作、井上薫、伊藤俊輔、江川英龍など。この流派を学んだ他の剣士に、新撰組の永倉新八、芹沢鴨、伊東甲子太郎などもいました。斎藤弥九郎は、武は戈を止むるものとして、闘争を戒め、精神の修養を重視し、生涯、刀を抜くことがなかったという優れた師範でした。
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