yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

山中の月 真山民 

2015-08-31 05:12:41 | 文学
南宋の詩人、「真 山民(しん さんみん)」の五言古詩です。

山中月 

我愛山中月
炯然掛疎林
為憐幽独人
流光散衣襟
我心本如月
月亦如我心
心月兩相照
清夜長相尋

我ハ愛ス山中ノ月
炯然(けいぜん)トシテ疎林二掛ルヲ
幽独ノ人ヲ憐レムガ為ニ
流光衣襟ニ散ズ
我ガ心本月ノ如ク
月モ亦我ガ心ノ如シ
心ト月ト兩ツナガラ相照ラシ
清夜長(とこしな)エニ相尋ヌ


「訳」

私は山中にかかっている月が、木のまばらな林を照らしているのを愛する。この隠士である私を憐れむかのように、月光は私の襟のあたりを照らしている。私の心はもともと月のように自然で無欲、時勢にへつらうことなく、月もまた私の心と同じで、わが心と月とともに照らしあって、このすばらしい美しい夜をいつまでも尋ねるのである。

 「鑑賞」
 月の光に照らされて孤独な心を歌っている。澄みきった心が、月の光と照らしあっているのを平明に賦している。真山民の出身地などの詳しいことは不明。宋末の遺民で世を逃れ、人に知られることを求めず、自分で山民と呼んだのでこの名前が残っています。


「吟剣詩舞道漢詩集 律詩・古詩編」日本吟剣詩舞振興会
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囲碁棋士 林海峰 1400勝 達成

2015-08-28 04:45:26 | 将棋
囲碁棋士 林海峰名誉天元(73歳)が 去る8月6日に1400勝を達成しました。張治勲二十五世本因坊に続いて史上2人目です。林海峰氏は、中国・上海で生まれ、台湾を経て10歳のときに来日し、12歳で日本棋院のプロ棋士になりました。名人を通算8期、天元を5連覇するなどの実績があります。歴代最多勝は張治勲二十五世本因坊(59歳)の1463勝です。

林海峰氏は73歳の今日まで、現役棋士として厳しい勝負の世界で活躍されてこられたのは誠に立派だと思います。

将棋界に目を移すと、現役最高齢は加藤一二三 九段、75歳です。
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キトラ天文図

2015-08-25 05:09:34 | 文化
奈良県明日香村の特別史跡、キトラ古墳(7世紀末~8世紀初め)の石室の天井に天文図が描かれています。天文学と考古学の研究者がこれを調査したところ多くの事実が判明しました。        この天文図は金箔で68個の星座が描かれ、北極星を中心とした天体運行を三重の同心円
(内規、赤道、外規)と、これらとは中心のずれた円(黄道)で示しています。現存する世界最古の詳細な天文図だそうです。今回、文化庁と奈良文化財研究所が、相馬充・国立天文台助教(位置天文学)と中村士(つこう)大東文化大東洋研究所兼任研究員(現代天文学)とに共同研究を依頼しました。二人は個別に分析を行った結果、天文図の原図の観測地点・年代を次のように推定しました。
  観測地点: 北緯34度付近 すなわち、中国の西安または洛陽を推測
  観測年代: AD 240-520 ( 相馬氏)
        BC 120―40 (中村氏)

地軸の歳差運動(地球の自転軸が回転する現象)や、カノープス(老人星)が見える地域か否かが、推定の決め手になったようです。

 お2人の年代推定はわかれましたが、いずれにしても古墳造営年代よりも数100年以前となりました。考古学者の研究とあわせて中国で観測された天文図が朝鮮を経由して日本にもたらされたものと考えられるそうです。それにしても世界最古の天文図が日本にあるとは、驚きでもあり誇らしく思われます。

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余生  良寛

2015-08-22 05:09:30 | 文学
良寛の漢詩です。

余生 

雨雲氣復
心清遍界物皆
捐身棄世爲閑人
初月與花送餘生

雨レ雲レテ氣モ復タル
心清ケレバ偏界物皆シ
身ヲ捐(す)テ世ヲ棄テテ閑人ト爲リ
初メテ月ト花トニ餘生ヲ送ル


「訳」

雨があがり、雲も切れて遠のき、晴れあがったので大気までもがさっぱりとした。心がすがすがしければ、世の中の物すべてがすがすがしく感ぜられる。いま、私は、この身も、このうき世も捨てて、ひまな人間となって、初めて月と花とを理解することができる。この月と花を相手に余生を送ることにしよう。

「鑑賞」
 良寛は47歳で越後の国上山の五合庵に入り、隠棲生活を始めました。この詩は隠者宣言ともいえる詩です。良寛の書と詩は、彼の天衣無縫な性格からくる奔放な趣があります。
  平明でわかりやすいと思います。

「吟剣詩舞道漢詩集 続 絶句編」日本吟剣詩舞振興会

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冥王星

2015-08-19 05:17:26 | 文化
最近、冥王星が話題になっています。冥王星Plutoは1930年にクライド・トンボーが発見し、太陽系第9惑星として覚えていました。和名を「冥王星」と和訳命名したのは野尻抱影氏です。嘗ては、火星や木星とならんで立派な惑星の一つでしたが、冥王星は月よりも小さいこと、さらに冥王星の衛星カロンは、冥王星の半分以上の大きさがあるので、二重天体でもあることが分かりましたので、普通の惑星とは異なるので、2006年の国際天文連合の総会で「準惑星」と呼ぶことに決まったそうです。
 さて、米航空宇宙局(NASA)は、9年半以前に無人探査機「ニューホライズンズ」を打ち上げました。この探査機が冥王星に接近し、去る7月14日に、冥王星まで12500kmの地点を通過
し、冥王星の詳細な画像を地球に送信してきました。これによると、冥王星は窒素とメタンの
氷で覆われており、富士山の標高に迫る3千m級の山が複数、確認されたということです。隕石衝突によるクレーターが無く、山ができてから、1億年以下の比較的新しい地形だと考えられるそうです。はるかかなたの星に接近して、写真を撮り、その写真から多くのことを読み取った科学技術に驚嘆しました。今後もさらにデータを送信してくる予定だそうですので、新た
な知見を楽しみにしています。

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エア・セクション

2015-08-16 04:53:38 | 文化
去る8月4日午後、JR京浜東北線・根岸線のエア・セクションのエリアで架線が切れ、隣接する5路線(東海道線、横須賀線、横浜線など)にも影響が及び、35万人が影響をこうむるという大事故がありました。エア・セクション内に停止した車両が再発進した時に過大な電流が流れ、架線が熱で溶断したと考えられています。
エア・セクションは、2本の架線が約30cmの間隔で張られている区間です。この2本の
架線には異なる変電所から電力が供給されるようになっています。通常の速度で運行する時には問題が無いのですが、この区間に車両が停止したり発進すると問題が起こるようです。変電所から供給される電力の電圧には僅かに差があります。例えば各々の電圧をV1、V2とします。パンタグラフが2つの架線に接触すると I=(V1-V2)/Zの電流が流れます。通常、変電所側のインピーダンス(抵抗)Zは極めて小さいので、V1とV2が僅かでも異なると、流れる電流Iは極めて大きい値になります。これは一種の短絡現象です。電気工学の常識の中には、「二つの変電所からの電力を直接接続させること」はありません。
 実際、電車の運用においても、エア・セクション内で車両を停止するのは禁じられているということであり、当該の根岸線においても、ATC(自動列車制御装置)が備えられており、エア
・セクション内では車両が停止しないようになっているそうです。今回の事故は原則に合わないことを起こしたようです。ところでエア・セクションは首都圏を中心に、約920カ所もあるということです。
私の考えでは、現行のエア・セクションという物は、事故発生の恐れがあるので、廃止するか、もしくは、もっと安全な設備に交換するのが妥当ではないかと思われます。
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プロジェクト・リーダー

2015-08-13 05:34:04 | 文化
世間には色々なプロジェクトや事業がありますが、諸会合、会社の運営などには必ずリーダーがいます。諸会合では実行委員長、会社の場合は社長です。リーダーは普通、1人です。リーダーが不在ですと色々不都合なことが起きる可能性があります。たとえば、責任の所在があいまいになり、執行部が無責任体質になることがあります。また、事業の組織的運営が円滑に進まない上、一貫した方針がとれないことが多いと思われます。
さて、2020年の東京オリンピックのリーダーは、実は私には先日まではっきり見えていませんでしたが、6月27日に遠藤利明氏が五輪大臣に就任しました。それにしても遅すぎる任命という気がします。では、大臣の義務と責任は何なのでしょう。それは言うまでもなく、2020年の東京五輪を成功させる事だろうと思います。
 その目的を達成させるために、五輪に関係のある日本の国民、団体、組織は一丸となって、五輪大臣を補佐し、活動をするべきなのでしょう。新国立競技場の建設、財務、総務、渉外、庶務、メディア対応、広報、警備、選手育成など、直ぐに思いつくだけでも膨大な業務があると推測されます。

 さて、1964年の東京オリンピック組織委員会会長は故・安川第五郎氏であり、見事にオリンピックを成功させました。10月10日の開会式当日は天候までもが味方しました。連日の雨はあがり、晴天の下での式となりました。感激した安川氏は、この時以後、揮毫を頼まれると必ず「至誠通天」と書いたそうです。
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フェリー火災で織田氏殉職

2015-08-10 05:03:41 | 文化
去る7月31日、北海道苫小牧沖で、商船三井フェリー「さんふらわー だいせつ」に火災が起きました。乗員22人・乗客71人合わせて93人は無事に脱出できましたが、1人の行方がわかりませんでした。8月3日に、火元と見られる火災現場の近くで遺体が発見され、2等航海士の織田邦彦(おりたくにひこ)氏、44歳と確認されました。
織田さんは、消化活動に向かったまま行方不明になっていました。織田さんは「やさしい人で船員の信頼もあつかった。まじめで正義感と責任感が強かったので危険な場所まで行ってしまった」とみられます。織田さんの母、靖子さんは、「息子は職務を全うしてくれた。責任感の強い子だった。誇りに思っているし、褒めてやりたい」と話したそうです。織田さんの殉職に対して、謹んで哀悼を申し上げます。
船長は、織田さんを除く乗員と乗客の脱出を指揮し、それを見届けた後にフェリーから脱出したそうです。すべての退船行動は整然となされたということです。
当然のことかも知れませんが、緊急事態において、責任者としての模範的な行動をとられたと思います。
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法的安定性と一人一票問題

2015-08-07 05:13:04 | 文化
わが国は法治国家であり、憲法を基盤とする法大系により、国が成立しています。これを認めることが法的安定性だと思いますが、近頃、これを軽視する言動がありました。
首相補佐官のI氏は、「国を守る措置が第一であり、法安定性は関係ない」と言いました。
後に国会で陳謝の上、撤回しましたが、当然のことでしょう。「法安定性は関係ない」という言葉から、太平洋戦争以前の日本が連想されました。そして、法を軽視する人は国家の行政官の資質に欠けるのではないかと思いました。(法を軽視する人が法の制定に参画する不思議な事態です。)

また、法的安定性の基盤となる、憲法の選挙制度の中の一人一票の問題について、7月28日の「朝日新聞」、朝刊の、あるページに、全面を使った意見広告が載っていました。私にとっては衝撃的な内容でした。文責者は久保利英明氏など3名の弁護士です。

内容の要旨は次の通りです。

Ⅰ 国会活動をする正統性の無い違憲状態議員:
   憲法前文、第一文・前段「日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し・・・」の中の「正当に選挙された国会の代表者」に該当しないので、「国会活動の正統性のない議員」と言える。因みに違憲状態議員とは、2014年12月の衆議院選挙の小選挙区選出の議員が考えられる。
Ⅱ 「違憲状態議員は、国会活動をする正統性が無い」との議論を見落としている。
Ⅲ 上記を腹の底から理解するか否か:
  憲法学者は、違憲状態議員が毎日、平然と国会活動をしている現状を、異常であるとは腹の底からは気付いていない。
  最高裁判事(全15名)の過半数の判事も同じである。
  文責者の一人、升永英俊弁護士も腹の底から理解したのは、一人一票裁判のために8000
  時間超思索した後の2013年末でしかなかった。
 世論:
  一般人でこの事を理解している人は日本に約100人であろう。

あなたの選挙権が何票の価値かを下記のURLでチェックしてみましょう。
  http://www.ippyo.org/

私(在千葉市)の場合
    衆議院 : 0.58票
    参議院 : 0.28票     でした。
 衆議院はまだしも、参議院は僅か0.28票で、1票よりはるかに小さい値でした。
1票の地域格差を是正しないと違憲状態議員は解消できないようです。
選挙制度の議論は、一人一票の実現を前提として、なされるべきではないでしょうか。

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日本刀 和泉守兼定

2015-08-04 05:27:21 | 歴史
南北朝時代以降、美濃の国には著名な刀工が現れましたが、その中に和泉守兼定もいました。和泉守兼定を名乗る人は複数いましたが、二代兼定は名人でした。美濃の国、関に住み、関鍛治を代表する存在でした。
一方、古川兼定家は会津で最も古い刀匠の家柄で、その十一代目の和泉守兼定は家職の最後を飾った名匠です。彼は天保八年(1837)に会津若松に生まれました。12歳で日新館に入り、書を学びましたが優秀でしたので、褒美として硯一面を賜っています。刀の銘や筆蹟に優れていたのは、こうした素養によるものといわれます。14歳になると父について鍛法を学び、16歳の時、御櫓御道具見習いとして出仕しました。
文久2年(1862)に藩公が京都守護職として京都に着任すると、兼定は御抱え鍛治として活躍し、在京の5年間は刀匠としての檜舞台でした。翌、文久3年には「和泉守」の勅許を賜り、御礼として御太刀三振を孝明天皇、親王、女御に奉献しています。そして会津藩士や公家のために多くの刀を鍛えました。兼定の刀は美しい刃紋のある名刀でしたが、良く切れて、かつ折れないという実用性も備えていました。「新選組」の鬼の副長、土方歳三もこの時期に兼定を入手して愛刀としたと推測されます。(なお、司馬遼太郎の小説「燃えよ剣」では、歳三が名刀兼定を江戸で入手したとありますが、疑問に思います。)土方歳三は、文久3年8月18日の政変、池田屋事件、蛤御門の変などに、この愛刀と共に出動しました。また、この刀は、現在も歳三の生家のあった日野市にある、「土方歳三資料館」に、保存されているということです。

京都で作刀に励んでいた頃、兼定は次のような和歌を詠んでいます。
    一槌も無駄をば打たじ 大丈夫(ますらを)が 守となさん太刀とおもへば

兼定にとって作刀は己の戦場でした。

しかし「戊辰戦争」の後、武具としての日本刀の役割は終わりました。当時33歳の兼定は、一時、越後の加茂に移りましたが、38歳の時、若松に帰り県の職員として暮らしました。55歳の時には皇太子殿下に、一刀を献納しています。
 晩年の1903年、陸軍より呼び出しがあり、砲兵工廠に赴いたところ、作刀の要請がありました。それに応えて、英国公使に贈呈するために最後の一振を作ったのち、67歳で他界しました。

 参考  米山雲外氏のウェブサイト 「会津刀匠和泉守兼定について」
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