yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

感受性の維持

2015-10-30 05:19:41 | 文化
高い感受性を維持するのは難しいことだと思います。
NHKの人気キャスターのUアナウンサーが自著の中で次の詩を紹介しています。二日酔いの朝、必ず読む詩。

 「自分の感受性くらい」

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

茨木のり子さんの詩。
酒を飲んで、言い訳をし、的外れな愚痴を述べて本質と向きあわずに逃避した翌日、いやでも目にいれることにしている。

言葉の力で、自分の心が多少なりとも動く、そのくらいの、感受性は失いたくないなと思って。

日々、自戒と自己管理、プロとしての姿勢に敬意をいだきます。

       有働由美子「ウドウロク」 新潮社
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2015-10-27 05:12:24 | 文学
易は中国の周代に始まり、漢代に成立したと言われる学問です。「五経」の一つ、「易経」は、易の中核となる書物です。易には三義があります。第一義は変わること。易という字は「かわる」と読みます。第二義は「変わらない」こと。「変わらない」という大基の概念があって、初めて「変わる」という概念が成立するからです。第三義は「命」、「天命」「立命」「義命」を知ることです。変化する森羅万象の中で「命を立てる」ことを目指した学問です。安岡正篤は終戦の詔勅の草案を起草しましたが、その中に「義命の存するところ 万世のために太平を開かんと欲す」としました。しかし、時の内閣は、「義命は欧米人に理解されないだろう」と誤認識した結果、「時運の赴くところ、万世のために太平を開かんと欲す」と改悪したということです。安岡は、これを聞き、大いに落胆したということです。「時運の赴くところ」では国家の道筋を立てるのに「成り行き任せ」にするという文章になると考えたからです。後日、安岡が昭和天皇に「義命の存するところ」の真意を奏上した時、昭和天皇は深く首肯されたということです。
さて、易から派生した「四柱推命」別名「命理学」などは、膨大なデータを利用した結果ですから、よく当たるとも言われますが、こうした通俗易占いには迷信や誤解が含まれていますので、誤って利用されていることが多々あるとのことです。例えば、「丙午(ひのえうま)生まれの女性は結婚相手に相応しくない」などの迷信がそれです。また、運命と宿命が混同されることも多いそうです。しかし、易は西洋人にも高く評価されています。大著「歴史の研究」を書いたアーノルド・トインビーは、二十以上の文明の消長を記しました。彼はシュペングラーの「西洋の没落」を読んで、西洋文明の未来を悲観しました。しかし、「易」の存在を知り、東洋哲学により、未来への展望に目を開き、悲観から解脱することができ、大きい感銘を受けたそうです。
また、孔子は「論語」の中で、易を次のように奨励しています。
子曰、加我數年、五十以學、易可以無大過矣。    「論語述而 第十六」
子曰ク、我ニ數年ヲ加ヘ、五十ニシテ以ツテ易ヲ學ベバ、大ナル過チハ無カルベシ
「訳」 私がもう少し歳を重ねて、五十歳になってから易を学び直せば、大きな間違いをしなくなるだろう。
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望慮山瀑布 李白

2015-10-24 05:13:15 | 文学
盛唐の詩人、李白の七言絶句です。

望慮山瀑布

日照香炉生紫煙
遥看瀑布挂長川
飛流直下三千尺
疑是銀河落九天

日ハ香炉ヲ照ラシテ紫煙ヲ生ズ
遥カニ看(み)ル瀑布ノ長川ニ挂(か)クルヲ
飛流直下三千尺
疑フラクハ是レ銀河ノ九天ヨリ落ツルカト



「訳」

陽の光が香炉峰を照らして、峰は紫にけぶっている。
はるか彼方に、大きな滝か長い川をたてかけたように流れ落ちているのが見える。
飛ぶようなその滝の勢いは、まっすぐに三千尺も流れおちる。
まるで銀河が天空から流れ落ちるのではないかと思われるばかりである。

    「鑑賞」

慮山は、江西省、九江市の西南、は鄱陽湖と長江のほとりにそびえる。峰や滝にめぐまれる
名山で香炉峰はその峰のひとつ。ここもまた多くの詩人に親しまれているが、李白らしくダイナミックにうたいあげたのがこの作である。
起・承の前半の二句で瀑布を遠望し、「香炉」と「煙」の縁語によって慮山の美と奥深さを描き出し、転・結の後半の二句では瀑布そのものに焦点を合わせて、躍動感と着想の奇抜さを発揮している。「三千尺」の滝などあろうはずはないが、銀河が天から直下するかのような豪快な滝の表現にはぴたりの詩想である。「李絶杜律」と李白は絶句、杜甫は律詩)と称せられるように、壮大にして迫力十分な李白の代表作といえよう。

「白髪三千丈」とか「銀河が九天から落つる」とか、誇大表現もここまで来ると、もはや恐れ入るほかありません。

石川忠久「NHK 漢詩紀行」 日本放送出版協会
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不公平感

2015-10-21 05:28:47 | 文化
我が国は、自由主義、民主主義国家であり、過去数十年の間、戦争のない平和国家であったことは、まことに幸せであると感じます。また、日本は資本主義国家なので、それ故に有りがちであったかも知れませんが、近頃、「不公平感」を懐く事例をいくつか聞きました。例えば、「ある業界団体が政治資金規正法の上限を超える数千万円の政治献金を特定の国会議員にした」というニュースがあり、考えさせられました。一部の金持や大資本家を優遇した政治が行われるとしたら不公平です。

またアメリカなどで見られるような、一部の金持が、国の資産の多くを独占しているとしたら、それは不公平な社会だと思います。フランスの経済学者、ピケテイも、21世紀の資本主義の欠陥として、それを指摘しています。

それにつけても、税の公平負担が望まれます。以前、税の捕捉率について「クロヨン」(90・60・40%)とか「トウゴウサンピン」(十・五・三・一)という言葉がありました。給与所得者は、ほぼ100%捕捉され、自営業者、農業・林業・水産業者、政治家からの捕捉率が少ないというのが今も存続していたら、大いに不公平だと思います。(宗教法人は無税とか医師に対する優遇税制いうのも不公平ではないでしょうか)

また、一部の超金持に資産が偏在することを防ぐ仕組みにすることが大切だろうと思います。
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名字 考

2015-10-18 05:47:43 | 文化
日本代表ラグビーチームが世界で気を吐いて、一躍「時の人」となった五郎丸歩選手。キック直前に忍者が印を結ぶような五郎丸ポーズも人気となりました。
ところで、五郎丸という名字は珍しいと思いましたが、実はそれ程ではなく、電話帳上の名字ランキングでは8288位、全国に990世帯あるそうです。「五郎丸」という名字は、筑前国・那珂郡・五郎丸という地名に由来し、五郎丸という地名の土地には五郎という人が沢山いるとか、石がゴロゴロしている場所が沢山あるという説もあります。五郎丸選手の出身地も福岡(筑前国)。 実は不肖の郷里は越後の四郎丸ですので、五郎丸には特別に違和感がありませんでした。
さて、日本の名字ランキングを調べてみたらベストテンは、以下の通りです。

   1位  佐藤    313,079世帯
   2位  鈴木
   3位  高橋
   4位  田中
   5位  伊藤
   6位  山本
   7位  渡辺
   8位  中村
   9位  小林
   10位 加藤   133,341世帯

 確かに、友人・知人を思い浮かべると上記の名字の人は全部います。
 さて、稀姓、絶滅危惧種の名字には、例えば、女優の「綾瀬はるか」さん(広島県出身)の本名の「蓼丸(たでまる)」があります。綾瀬はるかさんの本名は蓼丸綾だそうで、蓼丸姓は全国で1世帯らしいです。
また、タレントの本名はというと、タモリさん(福岡県出身)は、森田一義。綾小路きみまろさん(鹿児島県出身)は、 假屋美尋(かりやよしひろ)だそうです。
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五十年前 二十三 

2015-10-15 06:02:02 | 文学
愈文豹(ゆぶんひょう)の著書 「静夜録」に義(せんぎ)という人物の作として引かれている詩で、七言絶句の形をとる戯れ歌です。

読尽詩書五六坦
老来方得一青衫
佳人問我年多少
五十年前二十三

詩書ヲ読ミ尽クスコト 五六坦
老来 方(まさ)ニ一青衫(いちせいさん)ヲ得タリ
佳人 我ニ問フ 年ハ多少ナルヤ
五十年前 二十三


「訳」

書物を読み尽くすこと、五、六坦
老いさらぼえて、やっと下っぱ役人になった。
美しい女性においくつかと聞かれたら、
五十年前には二十三だったと答えよう。

「鑑賞」

宋代以降、中国では科挙制度が整備されましたが、何段階もの試験に合格するのは至難の技でした。蘇軾、蘇轍兄弟のように若くして合格(蘇軾は20歳、蘇轍は17歳で合格)する例もありましたが、中にはこの詩の作者のように老齢になってやっと合格する者もめずらしくなかったそうです。
一坦は宋代では72キログラム、五、六坦は、現代風に言えば、1トンというところです。
青衫は下級官僚の服のこと。
科挙は、戦前の日本では高等文官試験。現代の上級公務員試験、司法試験といったところかも知れませんが、大変難しい試験であったといわれています。
なお、この漢詩には、哀しくも厳しい現実の「典故」(皇帝・高宗と宮女と科挙に合格した陳修の逸話)があるそうです。

井波律子 「中国名詩集」 岩波書店

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祝 ノーベル賞 受賞

2015-10-12 05:21:16 | 文化
  2015年のノーベル医学・生理学賞は、日本人の大村智氏、物理学賞は梶田隆章氏に与えられました。この発表が、去る10月4日、5日にありました。これで日本人のノーベル賞受賞者は24人になりました。まことに喜ばしいことです。
 大村氏は山梨県韮崎市出身、山梨大学を卒業した後、研究を続け、土壌から採取した微生物
を用いて、熱帯病に効く薬を開発しました。この薬はアフリカを中心に数億人に投与され、多くの命を助けました。現在北里研究所の教授をされています。小さい頃から、祖母に「人のためになることをしなさい」と教えられ、それを実行されたのです。大村氏は、「幸運は強い意志を好む。失敗をおそれるな。」と語っています。

梶田氏は埼玉県東松山市出身、埼玉大学理学部を卒業した後、東大大学院の小柴昌俊教授の指導を受けました。岐阜県飛騨市にある宇宙線研究所のスーパーカミオカンデを用いて、素粒子ニュートリノの観測を行う中で、ニュートリノに質量があることを、世界で初めて証明しました。
 お二人とも、地方出身で、地方の国立大学を卒業したこと、スポーツにも熱心であったことが共通しています。大村氏はスキー、梶田氏は弓道です。地道にこつこつ研究をやりぬいたことも共通しています。
 また、梶田氏には、ノーベル賞受賞者の小柴昌俊氏と故・戸塚洋二氏という二人の優れた指導者がいたこと、スーパーカミオカンデという世界一の宇宙線観測装置と優秀な観測チームがあったことも物理学の大発見を助けました。スーパーカミオカンデの中枢であるセンサーは浜松ホトニクス社製の直径20cmの光電子増倍管が12000本も使われているということです。このセンサーは、カミオカンデとスイスのCERNにもあり、ヒッグス粒子(重力の元)の観測にも寄与しましたので、合計3回(小柴氏、ヒッグス氏、梶田氏)のノーベル賞に貢献しました。梶田氏は、「すぐに役に立つ研究ではないが、人類の知の地平線を広げるもの。研究者の個人的な好奇心に基づくもの。こうした基礎研究に賞が与えられたことの意義は大きい」と語っています。

 大村氏と梶田氏の研究が成功した背景には、それを可能にした平和な環境が日本にあったことも幸いであったと思います。ただし、昨今は、国立大学への国からの運営交付金が減少傾向にあるという厳しい財務事情もあり、今後も高度の学問・研究が従来通りに進められるか危惧されるそうです。直ぐに役立つことはないかも知れない基礎研究や人文学の研究にも十分な研究費を支給することは大事なことではないでしょうか。
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不測の事態

2015-10-09 05:32:29 | 将棋
人生には不測の事態が多いのでしょうが、頭脳ゲームである将棋の戦いにもあります。少し古い話になりますが、去る3月21日におこなわれた将棋電脳戦FINAL(コンピューターとプロ棋士の戦の最終戦)第二局でも不測の事態が起きました。
プロ棋士の永瀬拓矢六段が、成れる「角」を成らずに王手をかけたことによります。当然成ると思っていたのは相手のコンピューター(Selene)でした。ところが「成らず」で王手をかけられ、コンピューターは混乱に陥り、王手を放置して反則負けになってしまいました。つまり、コンピューターは不測の事態には対応出来ない場合があるということが明らかになったのです。また、人間は不測の事態を作って前途を切り開く場合があるということです。将棋の駒は「成らない」より、「成る」のほうが価値が高いので、「成らず」とするのは常識的ではありません。内舘牧子氏は、次のように書いていました。
 ドラマに限らず、現実の生活においても、どうも不測の事態に対応できず、相手の思うツボ
にハマるのは男である。女は先を読んで「不成」という行動を起こす。この後、コンピューターには「不成」という攻め方も組み込まれるだろう。さらに手強くなる。人間の男も、女の手強さを知って精進せねば、投了に次ぐ投了になる。

なお、将棋には「打ち歩詰め」という禁じ手があるので、これを回避するために、わざと「不成」とする高等戦術があり、高段者は誰でも知っています。コンピューターも既にプログラムを修正したことでしょう。

 内舘牧子 「月夜の駒音 不測の事態」 将棋世界 2015年10月号
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賊軍

2015-10-06 05:04:51 | 歴史
賊軍とは、「官軍」の対語で、日本史上、その正当性を否定する言葉です。たとえば、幕末、維新後に天皇の意思に沿わない側の軍を指します。「朝敵」とほぼ同じ意味で、賊軍の語は、多くは幕末、明治維新後に用いられました。官軍、賊軍は、その時々の政局において、天皇側か否かで、呼ばれる呼称であり、足利尊氏のように、賊軍になったり官軍になったりした人物もいました。長州藩の場合も、1863年8月18日の文久の政変で京から追放されて賊軍となった時代がありました。半藤一利氏は「賊軍の昭和史」の中に下記のように書いています。

司馬遼太郎さんの言葉を借りれば、戊辰戦争は幕府側からみれば「売られた喧嘩」なんですよね。「あのときの薩長は暴力集団にほかならない」と、これは司馬さんの言葉です。ですから、本来は官軍も賊軍もない。とにかく、薩長が無理無体に会津藩と庄内藩に戦争を仕掛けてきたわけです。今流の言葉でいえば、まさに侵略戦争ですよ。侵略に伴って、かなり残酷なこともやっていますしね。奥羽鎮撫使の世羅修蔵の動きなど、仙台藩や米澤藩、それに会津藩などへの謀略で攻撃を仕掛けています。では、賊軍とされたのはどの藩か、また、どうやったときに賊軍といわれたか、このことを考えてみなくちゃならない。
戦争というのは面白いもので、攻めるほうがいくらやって来ても、受けるほうが立たないと戦争にならないんですよ。薩長を中心とする西軍の連中が錦の御旗を押し立てて、官軍を名乗
って大挙襲ってきた。このときの薩長が東北諸藩に突きつけた要求は、要するに、何も悪いことをしていない会津と庄内を裏切って法外な金を支払えというものでした。つまり、薩長に隷属しろというに等しかったわけです。これに対して、無抵抗で降伏するのは武士の面目が立たなかったでしょうし、いろんな各藩の事情もあったでしょう。無理に受けて立ち上がったわけですね。それで戦争となり、受けて立った東軍の藩は賊軍にされたんです。

 「勝てば官軍」という言葉もありますが、1863年には賊軍であった長州藩は、5年後の1868年には官軍となり、戊辰戦争に勝ち、今日まで、権力の中心にいました。
 一方、所謂、賊軍出身者にも偉大な人物がいました。
    山川健次郎(会津藩、東大総長)
    高橋是清 (仙台藩、蔵相、首相)
    米内光政 (盛岡藩、首相)
    井上成美 (仙台、海軍大将)
    山本五十六(長岡藩、海軍)
    今村均  (仙台藩、陸軍大将)
    鈴木貫太郎(関宿藩、首相、太平洋戦争を終結させた)


             半藤一利 「賊軍の昭和史」東洋経済新報社
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澄邁驛通潮閣 蘇軾

2015-10-03 05:24:20 | 文学
宋代の詩人、蘇軾の漢詩です。

澄邁(ちょうまい)驛ノ通潮閣

餘生欲老海南村
帝遣巫陽招我魂
杳杳天低鶻沒處
青山一髮是中原


餘生老イント欲ス海南ノ村
帝巫陽(ふよう)ヲシテ我ガ魂ヲ招カシム
杳杳(ようよう)トシテ天低(た)レ鶻(こつ)沒スル處
青山一髮是レ中原

「訳」

 私は、もはや余生をこの海南の村で過ごそうと心に思っていたのだが、天帝が巫陽に私
の魂を呼びもどすようお命じになった。
はるかに遠く大空は水平線の彼方にたれて、そこにははやぶさの姿がかき消える。
ひとすじの髪の毛のように細く連なる山なみ、あれこそ中国の地だ。

    「鑑賞」
蘇軾は海南島」で死ぬ覚悟をしていましたが、皇帝・徽宋(きそう)が即位すると、党派抗争を緩和するために旧法党の官僚をも用いるような状況に変わりました。65歳の春、蘇軾は簾州安置に移されるとの命をうけました。思いもかけぬ中国本土への帰還でした。海南島の北岸、澄邁駅まで来て、対岸を望み見ました。「青山一髮是れ中原」万感をこめてうたいきりました。そして秋に、自由の身となり、翌年、常州に落ち着きますが、七月、病のため他界しました。浮沈の生涯66年の間に、その足跡は中原から海南島まで中国全地に及び、それは歴代詩人中、随一でした。
 高級官僚にして、大詩人、蘇東坡の絶唱です。

石川忠久 「NHK漢詩紀行(二)」 NHK出版

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