yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

米長永世棋聖 コンピューターに敗れる

2012-01-29 07:33:20 | 将棋
将棋のプロ棋士とコンピューターソフトが戦う「第一回電王戦(ドワンゴ、中央公論社などが主催)」が1月14日に東京の将棋会館で行われ、米長永世棋聖(元名人、2003年に引退)が将棋ソフト「ボンクラーズ」に敗れました。公式の対局で男性のプロ棋士が将棋ソフトに敗れたのは初めての事でした。プロに勝つ将棋ソフトは当分できないと信じていた私には大変衝撃的なニュースでした。
将棋ソフト「ボンクラーズ」は、かつて渡辺明竜王に惜敗した将棋ソフトの強豪「ボナンザ」
(大発見という意味)を搭載したマシーンです。これは、「ボナンザ」をクラスター(房)として、それを6台統合させて手を読む作業を分担し、1秒間に1800万手を読む能力を備えました。「ボナンザ」と「クラスター」を合わせて「ボンクラーズ」と命名されています。
この主な開発者は将棋のプロではなく、東京都の会社員、伊藤英紀さん(49歳)です。なお、このボンクラーズは昨年開催された第21回世界コンピューター将棋選手権で優勝した実績を持ちます。
 今回対戦した米長さんは、2手目に6二玉と過去の常識とは大いに異なる手をくりだして、戦を起こしてコンピューターの弱点を突き、序盤は完璧に指したということですが、終盤にミスが出て苦杯を喫しました。この事でコンピューターの棋力がプロ棋士に近付いたことが証明されました。
 このように、負けるかも知れない勝負、勝ってもあまりメリットが無いと思われる勝負に敢然と挑んだプロの米長さんの心意気に敬意を表します。
 上記のニュースは、お茶の間でも将棋の話が話題になるきっかけを与えてくれ、こうして将棋が広く認知された点にも意義がありました。
なお、第2回の電王戦は来年、現役のプロ棋士5人と5つの将棋ソフトが対戦します。
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出でよ真の政治家

2012-01-26 06:12:57 | 文化
「目先の選挙のことばかりを考えているのが政治屋、国家百年の将来を考えているのが政治家」と、言われます。因みに英語では「政治屋」をpolitician、「政治家」をstatesmanと表現するようです。残念な事に、現代の日本には政治家と言えるような人は殆ど見あたりません。
下級武士が主力になって実現した明治維新。それに続く明治時代には、国家をあげて富国強兵・文明開化・殖産興業を目指し、特に当時の政治家は私利私欲に走らず、こぞって国家百年の将来を考えていました。またその頃には、「井戸塀」政治家と呼ばれる立派な政治家がいました。公共の為の事業を完遂させようと、自分の田畑や家屋敷を売ってまで資金を作り、奮闘した結果、事業が完成した後に残ったのは井戸と塀だけだったというような政治家を言います。JR上越線の開通に生涯をかけて奔走した、新潟県の衆議院議員、岡村貢(おかむらみつぎ)翁もこうした政治家の一人でした。明治の日本人は歯を食いしばって赤貧に耐えつつも国家を支え、幸い、日清・日露戦争に勝利しましたが、次第に軍部が台頭して太平洋戦争への道を突き進んでしまいました。戦後、廃墟の中から立ち上がった日本人は、勤勉に働き、繁栄の昭和の時代を築きましたが、昨今の日本の凋落はどうしたことでしょう。良い政治家の不在、強いリーダーの不在もその要因の一つでしょう。見回せば、党利党略、自己の保身、次の選挙のことしか考えない政治屋ばかりです。国家百年の大計を見据えて、日本の舵取りが出来る真の政治家の出現が待望されます。
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儒家と老荘

2012-01-23 06:02:58 | 文学
田口佳史著の「老子の無言」によれば

俗に「上り坂の儒家、下り坂の老荘」と言われるように、儒家の思想と老荘思想を使い分けることを、私はお勧めしています。儒家も老荘も「現世を肯定する」という部分では同じ。欲望も肯定しているし、立身出世や富を求めることも肯定しています。ただ社会のあり方について、儒家の思想が「現行肯定プラス改善」、つまり現在の状況を受け入れたうえで改善を要求するのに対して、老荘思想は「現行否定」。現在の状況を否定して、根本から変えていくものです。
それがなぜ、上り坂・下り坂になるのか。仕事でも人生でも、うまくいっている上り坂のときは、基本的にやり方を変える必要はありません。問題が生じない限り、好調のままどんどん進んでいくべきでしょう。だから、「現行肯定プラス改善」の儒家の思想でいく。
一方、何をやってもうまくいかない下り坂のときは、やり方を百八十度変えて革新する必要
があります。下り坂なのにまだ儒家の思想でいこうとすると、「まだ足りない。もっと努力しろ」となるので、間違った道を更に遠くに行ってしまい、苦しくなってくるんです。やり方を変えなければなりません。
「現行否定」の老荘思想を思考のバックグラウンドにして、自らに「考え方が間違っていないか?」「やり方がまずいんじゃないか?」「いろんな制約にがんじがらめにされていないか?」
と問いかけ、根本から変えていくほうがいい。こんなふうに、状況に応じて儒家の思想と老荘思想を使い分けることを「上り坂の儒家、下り坂の老荘」というわけです。(以下略)

 入学試験に合格出来なかった時などには、ただくよくよすることなく「荘子」の大ほらを読んで気宇を壮大にして気分を一新するといいとよく言われるようです。

           田口佳史 「老子の無言」 光文社
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惜福(せきふく)

2012-01-20 07:09:38 | 文学
惜福(せきふく)という言葉があります。幸田露伴の随筆「努力論」の中にあります。惜福とは、自分に与えられた福を使い尽さずに、残しておく。という意味です。露伴は次のように書いています。
福を取り尽くしてしまわぬが惜福であり、また使い尽くしてしまわぬが惜福である。
惜福の工夫を積んでいる人が、不思議にまた福に遇うものであり、惜福の工夫に欠けて居る人が不思議に福に遇わぬものであることは、面白い世間の現象である。

露伴は惜福のほかに、「分福」と「植福」を論じています。
分福(ぶんぷく)は
幸福を人に分け与えることです。自分ひとりの幸福なんてありえません。周囲の人も幸福であるからこそ、自分も幸福なのです。幸福を惜しむ気持ちは大切ですが、独り占めにしようとするのは感心しません。

植福(しょくふく)は
幸福を植えること。将来に渡って幸せであり続けるように、今から幸福の種を撒いておくこと。精進(正しい努力)し続けることです。

また将棋の米長邦雄永世棋聖は、惜福、分福、植福に関連して、「運命の女神は、謙虚と笑いを好む」とも言っています。人生で幸福な時こそ謙虚であれ、失意の時にも笑いを忘れてはいけないと言っています。

       米長邦雄 「運を育てる」 
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良き友

2012-01-17 07:52:47 | 文学
「徒然草」の百十七段に、兼好法師は良き友に関して次のように書いています。

よき友三つあり。一つには、物くるる友。二つには医師(くすし)。三つには、知恵ある友。

鎌倉時代の兼好法師の見方は現代にも通じています。遠くの親戚より近く他人と言われますが、我が家も良い隣人に恵まれています。気前良く物を下さる方がいます。昨年の暮れには家庭菜園で採れた白菜や葱を食べきれない程分けて下さいました。この方は庭に井戸を数十メートルも掘って地震に備えていましたので、私も心強く思っていました。ところが、東日本大震災の時には、地下水が泥水に変わってしまい何の益にも立たなかったという話でした。元のようなきれいな飲料水に回復させるのには、大変苦労されたようです。友人としては、特別に優れた人でなくても物をくれなくても、うそをつかない人、誠実でやさしい人が良いと私は思っています。

一方「徒然草」には悪い友人のことも書いてあります。

友とするに悪き者、七つあり。一つには、高くやん事なき人。二つには、若き人。三つには、病なく身強き人。四つには、酒を好む人。五つには、たけく勇める兵(つはもの)。六つには、虚言(そらごと)する人。七つには欲深き人。

これらは、兼好法師一流の洞察ではありますが、このように贅沢なことを言っていると、友達は一人もできないと言う人もあります。

日本古典文学大系 「方丈記 徒然草」 岩波書店
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乾電池の発明者 屋井先蔵(やいせんぞう)

2012-01-14 06:40:59 | 文化
今や生活の必需品である乾電池は、屋井先蔵(1864-1927)が発明しました。私の郷里に彼のような優れた発明家がいたことを、迂闊にもこれまで知りませんでした。先蔵は、長岡藩士の家に生まれました。上京して東京物理学校(現・東京理科大)の実験所の職工になり、昼間は仕事、夜は電池の開発に専念しました。当時の電池といえば液体を使う湿電池であり、電池から液体が漏れやすく、大型で使いにくい物でした。東京帝国大学物理学教室の田中館愛橘教授の助言も受けながら彼は研究を進め、1888年頃、乾電池の開発に成功しました。電池の陽極の炭素棒をパラフィンで煮ることにより液漏れを防止するなどの工夫が実ったそうです。現在の乾電池よりはやや大型で、価格は4円程度でしたが、当時は用途が限られていました。1892年にシカゴの万国博覧会に出品された地震計に使われたことがきっかけとなり、世に知られるようになりました。折から日清戦争が勃発し、凍結しない電池として通信機器用に陸軍から大量に発注され、その事によって事業化の見通しが立ち、1910年には「屋井乾電池」を設立し、大量生産に乗り出しました。先蔵は「乾電池王」と言われました。夢を追い、やる気に満ちた発明家でしたが、ワンマンで秘密主義でもあり、「屋井乾電池」の隆盛は長く続くことはなかったそうです。現在、パナソニックは乾電池業界の一方の雄ですが、もしかして屋井先蔵にも、松下幸之助のような偉大な経営者になれる芽があったかも知れません。
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豊葦原瑞穂の國

2012-01-09 16:57:12 | 文学
豊葦原(とよあしはら)瑞穂(みずほ)の國は、「日本書紀」にも出ている我が国の美称です。豊かな広々とした葦の原に瑞々しい稲穂が生育している国という意味です。
漢文では蜻洲と言うようです。今は少なくなりましたが、蜻蛉(せいれい、とんぼ)が沢山飛んでいる穏やかな国ということでしょう。「あきつしま」とも言います。

恩師からいただいた賀状に次の漢詩がありました。

 開戦七十年

憶昔蜻洲開戦初
少年未識困前途
幸遭平世七旬後
老大従今何処趨

憶フ昔 蜻洲開戦ノ初メ
少年未ダ識ラズ 前途ノ困ヲ
幸ニシテ平世ニ遭ヒテ 七旬ノ後
老大今ヨリ何処(いずこ)ニ趨(おもむ)カン

1941年に真珠湾を攻撃してから70年余になりました。
「老大国、日本はこれからどうなるのでしょう」と結んで
あります。

末尾に「文運隆昌」とあり、感激いたしました。
ありがたいことです。

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不倒流 淡路仁茂九段

2012-01-07 07:30:44 | 将棋
  将棋の淡路仁茂(ひとしげ)九段は、1950年神戸市生まれの61歳。故藤内金吾八段門下で、内藤國雄九段や谷川浩司永世名人と同門です。将棋は粘り強い棋風で、叩かれても叩かれても立ち上がる「不倒流」といわれました。将棋は短い手数で勝つほうが格好良いのですが、淡路九段は長い手数になるのを厭わないことで有名です。1981年に中田章道七段と戦い、激闘の末339手で勝ったという記録を持っており、「長手数の美学」などと称されています。勝負に勝つというのはこうした泥臭いものなのでしょう。米長将棋連盟会長の将棋も「さわやか流」とも言われますが、反面「泥沼」流とも言われています。久保利明現王将・王位が淡路さんの所に入門してきた時(当時4歳)に、なんと19枚落ち、即ち淡路九段は玉将1枚のみで勝ったという有名なエピソードがあります。その久保さんも今やA級八段で、王将と王位のタイトルをもつ強豪に成長しました。この久保王将は、昨年の12月25日のNHK杯将棋トーナメント戦において、定跡に無いような形の急戦から乱戦に持ちこみ、戦を制して森内名人を降しました。
ある時、米長邦雄将棋連盟会長が、「久保君は偉い、淡路の弟子なのにタイトルを取った」と言いました。言外に、「弱い淡路の弟子がタイトルを取る強豪になった」とほのめかしたのです。これを聞き咎めた淡路九段が「いくら会長だからといって、言ってはならない言葉ではありませんか」と詰め寄ったそうです。その通り米長会長の失言には違いないのですが、将棋連盟という特殊社会における和気靄々とした雰囲気を感じました。また将棋指しは将棋以外のことは不得手で、子供がそのまま大人になっているような人々が多いとも言われています。ある八段は、「将棋年鑑」の中の「棋士紹介」の欄に、「趣味は将棋」と堂々と書いています。趣味は将棋以外のものを書くのが普通だと思いますが、思わず笑ってしまいました。
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都ぞ弥生

2012-01-04 06:04:20 | 文化
名歌「都ぞ弥生」は明治45年4月の北大予科の記念祭で発表された寮歌です。恵迪(けいてき)寮は札幌農学校開設時に設置された寄宿舎を前身としています。明治40年に予科が設置された時に、「書経」の「迪(みち)に恵(したが)うは吉(よ)し」を出典として命名され、開寮されました。
「都ぞ弥生」の作詞は予科二年生の横山芳介、作曲は予科三年生の赤木顕次です。横山と赤木は喧嘩をしながら推敲し、それに熱中し過ぎて六月の学年末試験に落第し留年となりました。他の多くの寮歌は七五調ですが、「都ぞ弥生」は、当時はまだ少なかった八七調の雄大な歌詞です。以下にそれを記します。

都ぞ弥生の雲紫に 花の香漂ふ宴の筵
尽きせぬ奢りに 濃き紅や その春暮れては移らふ色の
夢こそ一時青き繁みに 燃えなむ我が胸想ひを載せて
星影さやかに光れる北を 
人の世の
清き国ぞとあこがれぬ

豊かに稔れる 石狩の野に 雁音(かりがね)はるばる沈みてゆけば
羊群声なく牧舎に帰り 手稲の嶺 黄昏こめぬ
雄々しく聳ゆる 楡(エルム)の梢 打振る野分に破壊(はえ)の葉音の
さやめく甍に 久遠の光
おごそかに
北極星を仰ぐかな

寒月懸かれる 針葉樹林 橇の音氷りて 物皆寒く
野もせに乱るる 清白の雪 沈黙(しじま)の暁 霏々として舞ふ
ああその朔風 飄々として舞う
荒(すさぶ)る吹雪の 逆巻くを見よ
ああその蒼空 梢聯(つら)ねて 
樹氷咲く 
壮麗の地を ここに見よ

牧場の若草 陽炎燃えて 森には桂の新緑萌(きざ)し
雲ゆく雲雀に 延齢草の 真白の花影 さゆらぎて立つ
今こそ溢れぬ 清和の光 小川の辺(ほとり)をさまよひ行けば
美しからずや 咲く水芭蕉 
春の日の 
この北の国 幸多し

朝雲流れて 金色に照り 平原果てなき 東(ひんがし)の際
連なる山脈 玲瓏(れいろう)として 今しも輝く 紫紺の雪に
自然の芸術(たくみ)を 懐かしみつつ 高鳴る血潮の 迸りもて
貴とき野心の 訓(をし)へ培ひ
栄え行く 
我等が寮を 誇らずや


下道氏曰く、「八七調は重苦しいと言われていましたが、この歌では重々しい北海道の情感を表現するのに成功したとも評されています。美しくも雄大な北海道の四季を描いたこの詩は、北海道の魅力をあますことなく詠い上げています。」

下道 郁子 学士会会報U7 2011年12月
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壬辰

2012-01-01 06:39:07 | 文学
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
今年の干支(えと)は壬辰(じんしん)です。
「壬」は十干において、九番目の「みづのえ」に当たります。字形は中央の一の字が横に長く、人が妊(はら)んでいる形です。「おもねる」や「大きい」という意味もあります。五行では水、方位では北を指します。
「辰」は十二支の五番目の「たつ」。方位では東南東を指し、時刻では午前八時を指します。星座二十八宿の一つで、サソリ座にあたります。辰はサソリ座の主星の赤い一等星アンタレスのことであり、中国名は「大火」です。なお北辰は北極星のことです。字形は貝が殻から足を出している形で、足を出して動くことから、「動く」や「震える」の意味になりました。説文学上から言えば、「辰」という字は理想に向かって辛抱強く、かつ慎重に、いろいろな抵抗や妨害と闘いながら歩を進めていくという意味だそうです。新しい年が、そのように理想に近づく年となることを祈ります。


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