yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

高適 除夜の作 霜鬢明朝又一年  

2019-12-31 07:26:10 | 文学
毎年、大晦日になると決まって想い起こす漢詩、除夜の作(高適)です。

旅館の寒燈獨り眠らず 
客心何事ぞ轉(うた)た凄然
故郷今夜千里を思ふ 
霜鬢明朝又一年

詩人 高適(こうせき)は四川省成都に流浪して来た杜甫を温かく援助し親交を結びました。晩年は不遇でした.

結句 霜鬢明朝又一年    
白髪に又 一年がむなしく加わる、にしみじみとしたものを感じます。


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平城山を越えた女

2019-12-28 06:30:10 | 文学
「平城山を超えた女」は故・内田康夫氏の著作で、古都奈良を愛する人々を題材にした話です。奈良坂の上にある般若寺、夕陽地蔵なども出てきます。
 嘗て、東大寺の東上に「日吉館」(1914~1995)という宿があり、會津八一、志賀直哉、和辻哲郎、亀井勝一郎等の文人に愛されました。料金は激安で、夕食の定番はすきやき。入浴は男女交代制、浴室は時代物であったため、引き戸はガタピシ。「実力でお入り下さい」という張り札もあったといいます。部屋は相部屋、雑魚寝、暖房は丸火鉢。名物女将は田村キヨノさんで、朝寝坊は許さず、容赦なくたたき起したということです。田村キヨノさんは1998年に88歳で他界され、建物は老朽化したため2009年に取り壊されました。

     内田康夫 「平城山を越えた女」 講談社

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結果論

2019-12-25 07:34:25 | 文化
「結果論」という言葉があります。物事の結果を見てから、もっともらしく説明することを言います。「後講釈」、「後付け解釈」ともいわれます。また、物事の原因、動機などを考えずに、結果のみを見て行う議論を指します。「結果論にすぎない」と切り捨てられることもしばしばあります。例えば、将棋、相撲、野球などの勝負について評論をする場合、勝負の結果を知った上で議論をしたら、結果論といわれるのはやむを得ないことかも知れません。不肖も勝負の論評をすることがありますが、予め「結果論ですが」と断った上で論評すれば、角が立たないように思われます。
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村居書触目(村居 目に触るるを書す)  陸游

2019-12-22 06:16:53 | 文学
南宋の詩人、陸游の七言律詩を紹介します。

村居書触目

雨霽郊原刈麦忙
風清門巷曬糸香
人饒笑語豊年楽
吏省徴科化日長
枝上花空閑蝶翅
林間椹美滑鶯吭
飽知遊宦無多味
莫恨為農老故郷

村居 目ニ触ルルヲ書ス

雨霽(は)レテ 郊原 麦ヲ刈ルコト忙シク
風清ク 門巷(もんこう) 糸ヲ曬(さらす)スコト香バシ
人ゴトニ笑語饒(おお)ク 豊年楽シ
吏ハ徴科ヲ省キ 化日(かじつ)長シ
枝上 花空シクシテ 蝶翅(ちょうし)閑カニ
林間 椹(くわのみ)美(うま)クシテ 鶯吭(おうこう)滑ラカナリ
飽クマデ知リヌ 遊宦(ゆうかん)多味(たみ)無キヲ
恨ムナカレ 農ト為リテ故郷ニ老ユルヲ

「訳」

  雨が上がり、城はずれの畑では麦の刈り取りに忙しく、風が清らかに吹いて、村のわが家に蚕の繭糸をさらす香りを運んで来る。誰もが笑いにつつまれて豊年を喜んでいる。役人も税の取り立てを軽くしてくれて、太平の日々が続いている。樹の枝にはすっかり花がなくなり、蝶ものんびり舞っている。林のあたりでは桑の実がおいしそうに実り、鶯も麗しい鳴き声を響かせている。役人暮しの味けなさがよくわかった。一農民となって、故郷に年老いていくことを恨むまい。

「鑑賞」

石川忠久「NHK 漢詩紀行 四」 日本放送出版協会










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水に浮く氷

2019-12-19 07:04:56 | 文化
氷は水に浮くものです。つまり氷の比重は水より小さいからです。(水の比重は1.0、氷の比重は0.92です。)コップに張った水に氷が浮いています。(下図)
この氷が溶けたら水面は上昇するでしょうか。「水面の高さは変わらない」というのが正解ですが、直感的にはわかりにくいので、数式による説明を考えてみました。

体積V、質量Mの氷を想定します。氷の比重をd1とすると、
   M/V=d1      1式

この氷が比重d0の水に浮いています。
水面より、上にある氷の体積をvとします。
すると水中にある氷の体積は V-v です。

浮力の法則では、水中にある氷の体積と同じ量の水の重量(V-v)/d0が
氷の質量と同じです。
すなわち、
(V-v)/d0=M    2式
 ここに、1式を代入しvについて解くと

v=M(1/d1-1/d0)  3式

氷が溶けるとは、氷の比重が水の比重に近づくことです。
すなわち d1=d0 となると3式の右辺はゼロになるので、
v=0
水面の上にある氷の体積はゼロですから、水面の高さは変わらないのです。
同じように考えると、北極や南極付近で海上に浮いている氷が溶けても地球上の海面の高さは変わりません。

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ポピュリズム

2019-12-16 06:12:55 | 文化
ポピュリズムとは、平民主義、大衆主義のことで、一般大衆の利益や権利を守り、大衆の支持のもと、既存のエリ-ト主義である体制や知識人などに批判的な政治思想、政治姿勢をいいます。ここまでは立派な内容なのですが、近年は否定的な意味をこめて衆愚政治、大衆迎合主義を指すようです。アメリカ、イギリス、ヨ-ロッパ、ブラジルなどにもポピュリズムが広がっているとの見方があります。大衆の情緒を利用する政治手法でもありますが、意志決定の根拠が理性ではなくて感情であり、自国最優先というところに危険を憶えます。米国の政治学者、モンク氏は、ポピュリズムの特徴を以下のように述べています。
特定個人だけが国民を代表しており、反対勢力は悪と決めつける。司法をないがしろにする。メディアを敵として扱う。少数者や弱者に不寛容である。

危険な政治姿勢ではないでしょうか。モンク氏は、日本にはポピュリズムの台頭が見られないと発言しましたが、本当でしょうか。一抹の疑問も憶えます。

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旧制高校、真の人間形成の場

2019-12-13 06:09:03 | 文化
故・中曽根康弘氏が6年前に、「旧制高校、真のエリ-トのつくり方」という本に特別寄稿をされた文を紹介します。

 特別寄稿  真の人間形成の場として再検証する契機に

我々の世代にとって旧制高校は誠に感慨深いものがある。上州の田舎から旧制静岡高校に入学し、最初に洗礼を受けたスト-ムの衝撃は今も私の脳裏に強く焼き付く。褌姿に朴歯の下駄を履いた上級生が肩を組み、寮の廊下を怒鳴りながら新人の部屋を廻ってはたたき起こし、人生の意味や世界の在り方を問いかけ、説教を垂れるのである。それは田舎育ちの者にとって初めて受ける精神的感化であり社会的覚醒の機会でもあった。
以後、寮生活を基本に、大いに学問、芸術文化を論じ、スポ-ツに励むことで学生一人ひとりが自らを心身ともに成長させていくのである。消灯の後も暗闇の中で人生を論ずることが、どれ程自らを成長させる糧となったことか。寮生活は自治が伝統であり、その運営は自主性に委ねられる。何事も話し合いによる合議によって、学生は自ずと社会的規律と責任を学んでいった。やはり、私にとって旧制高校の3年間は人格の基礎を築く上で重要な期間であったといえる。
その精神は「全人教育」「教養主義」であり、教室の授業よりも読書と議論、運動体育に明け暮れることが中心であった。あの頃耽読した西田哲学や河合栄治郎、歴史の大類伸、ヘ-ゲルやカント、ランケなどによって今に至る私の学問的基礎が養われた。また、その後時局が戦争へと突入しようとする中で、世界や国や社会と共に自らの在り方と関係をあれ程真剣に考えた時はなかった。そう考えると、帝国大学時代に比して旧制高校時代への思いはその密度の濃さと相俟って真に深いものがある。

 平成25年5月            中曽根康弘

  喜多由浩 「旧制高校 真のエリ-トのつくり方」産経新聞出版


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渤海と日本

2019-12-10 06:47:53 | 歴史
奈良時代、日本海を隔てた大陸に渤海国という友好国がありました。
渤海国は、現中国東北部から朝鮮半島北部、現ロシアの沿海地方にかけて、嘗て存在した国家です。
奈良時代の727年には、最初の渤海使が出羽国北部(現・秋田県)に到着したと「日本書紀」にあります。また746年には渤海人と鉄利人、1100余人が日本に帰化を求めて到着しましたが、「還した」とあります。771年には渤海使17隻325人が、秋田県能代湊に到着しています。当時、秋田城は朝廷の迎賓館としても使われ、日本には珍しい水洗トイレもあったということです。こうした古代からの大陸との交流の証拠があるので、ロシア人のDNAが日本人にも伝わり、秋田美人のみなもとになったのではないかという説もあります。

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珍姓 稀姓

2019-12-07 07:28:32 | 文化
日本人の姓は多種多様であり、中には驚かされる稀姓・珍姓があります。

 興梠(こうろぎ)   宮崎県     興梠一郎(大学教授)
五百籏頭(いおきべ) 滋賀県      五百籏頭真(政治学者)
五郎丸(ごろうまる)  福岡県     五郎丸歩(ラグビ-選手)
蓼丸(たでまる)   広島県     蓼丸綾(綾瀬はるかの本名)
青天目(なばため) 福島県
  七五三田(しめた)   千葉県
  猫屋敷(ねこやしき) 岩手県
   鰻(うなぎ)     鹿児島県
   勘解由小路(かでのこうじ) 山口県
   小鳥遊(たかなし)  和歌山県 (鷹がいないと小鳥が遊べる)
  八月一日(ほずみ)  群馬県 (八月一日に稲穂を積む)
  薬袋(みない)    山梨県  (薬袋は見てはならない)
  栗花落(つゆり)   大阪府 (梅雨入りの頃に栗の花が落ちる)
  月見里(やまなし)  山梨県 (月を見るのに山が無いほうがいい)





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遊山西村(山西の村に遊ぶ) 陸游

2019-12-04 06:15:49 | 文学
南宋の詩人、陸游の七言律詩を紹介します。

遊山西村

莫笑農家臘酒渾
豊年留客足鶏豚
山重水複疑無路
柳暗花明又一村
笙鼓追随春社近
衣冠簡朴古風存
従今若許閑乗月
拄杖無時夜叩門


山西ノ村ニ遊ブ

笑ウ莫(なか)レ 農家ノ臘酒(ろうしゅ)渾(にご)レルヲ
豊年 客ヲ留メテ鶏豚(けいとん)足ル
山重ナリ水複(かさ)ナリテ路無キカト疑イ
柳暗クシテ花明ラカニ又一村
笙鼓追随シテ春社(しゅんしゃ)近ク
衣冠簡朴ニシテ古風存ス
今従リ若(も)シ閑ニ月ニ乗ズルコトヲ許サバ
杖ヲ拄(つ)キ時ト無ク 夜 門ヲ叩カン

「訳」

   暮に仕込んだ田舎の濁り酒か、などとお笑いくださるな。去年は豊作、客人をもてなす鶏肉と豚肉はたっぷりありますぞ、との誘いかけ。山々重なり川筋くねって、道は行きどまりかと見ると、柳が小暗く茂り、花が明るく咲く村があらわれる。春の祭りが近いのか、笛や太鼓が鳴り響き、村人の祭の装束は素朴で古き良き時代の名残りをとどめている。これからも暇なとき、月の光に誘われて訪れてもよいと言われるなら、気の向くままに杖をついて夜中におじゃまいたそう。

「鑑賞」
陸游は、宋朝の復権、北国金に対する抗戦を志していましたが、政争で主戦派閥が敗北したため42歳で免職となり、29年の官吏生活故郷に帰り、しばしのやすらぎを得ました。こうした隠栖中のひと日、村人から招待され、心のこもったもてなしを受けた喜びを、この詩はうたっています。「にごり酒と肉をどうぞ」という村人の言葉に始まって、江南の田園を描き、村人の風俗に目を細めました。このあたりは陶潜の桃花源を彷彿とさせ、故郷の小桃源といった風情です。そして「気が向いたらいつでもお邪魔しますよ」と、身も心もやすらいでいる作者がしのばれます。愛国詩人、田園詩人としての風貌ををつたえる作者の佳篇です。


石川忠久「NHK 漢詩紀行 」 日本放送出版協会







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