「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず。」
人口に膾炙(かいしゃ)されている名対句です。自然は悠久であり毎年同じ季節に花が咲くが、それに対して人の世は時の移ろいとともに変わり、無常で儚いことを言っています。これは初唐の詩人・劉希夷(きい)の七言古詩、「代悲白頭翁」の一節ですが、この詩は「唐詩選・巻二」に採られており、また「和漢朗詠集」にもあることから、日本でも広く親しまれています。この詩の全文を書き下して下に記します。
白頭の翁に代って悲しむ
洛陽城東桃李(とうり)の花 飛び来たり飛び去って誰が家にか落つ
洛陽の女児顔色を惜しむ 行く行く落花に逢うて長く嘆息す
今年花落ちて顔色改まる 明年(めいねん)花開いて復た誰か在る
已に見る松柏摧(くだ)けて薪(たきぎ)となるを
更に聞く桑田変じて海となるを 古人復た洛城の東に無し
今人(こんじん)還って対す落花の風
年々歳々花相似たり歳々年々人同じからず
言を寄す全盛の紅顔子 応(まさ)に憐れむべし半死の白頭の翁
これ昔紅顔の美少年 公子王孫 芳樹の下 清歌妙舞す落花の前
光祿池台錦繍を開き 将軍楼閣 神仙を画く 一朝病に臥して相識無し
三春の行楽誰が辺にか在る 宛転たる蛾眉能(よ)く幾時ぞ
須臾(しゅゆ)に鶴髪乱れて絲の如し 但だ看る古来歌舞の地
惟だ黄昏(こうこん)鳥雀(ちょうじゃく)の悲しむ有るのみ
この世の無常が見事に詠み込まれています。「四高寮歌」などにも採られている「三春の行楽」(三ヶ月の間の春の行楽の意)の語も見えますし、「松柏摧(くだ)けて薪となり、桑田変じて海となる」も、よく使われます。
さて作詩に没頭していた作者の劉希夷は、ある時、「年々歳々、、、」を思いつき、得意になっていましたが、舅(しゅうと)の宋之問に「この句は不吉だから削除せよ、そしてこの句を私に譲ってくれ」と言われました。しかし劉は一旦受け容れたものの、放っておきました。それが原因で劉希夷は怒った宋之問に殺されたとも言われています。(宋之問も有名でこちらのほうが詩作の力が高かったとの説もあり、この話の真偽のほどはよくわかっていません。)このように「名詩句には因縁のあるエピソードがつきもの」といわれていますが、この話は格好の一例です。
人口に膾炙(かいしゃ)されている名対句です。自然は悠久であり毎年同じ季節に花が咲くが、それに対して人の世は時の移ろいとともに変わり、無常で儚いことを言っています。これは初唐の詩人・劉希夷(きい)の七言古詩、「代悲白頭翁」の一節ですが、この詩は「唐詩選・巻二」に採られており、また「和漢朗詠集」にもあることから、日本でも広く親しまれています。この詩の全文を書き下して下に記します。
白頭の翁に代って悲しむ
洛陽城東桃李(とうり)の花 飛び来たり飛び去って誰が家にか落つ
洛陽の女児顔色を惜しむ 行く行く落花に逢うて長く嘆息す
今年花落ちて顔色改まる 明年(めいねん)花開いて復た誰か在る
已に見る松柏摧(くだ)けて薪(たきぎ)となるを
更に聞く桑田変じて海となるを 古人復た洛城の東に無し
今人(こんじん)還って対す落花の風
年々歳々花相似たり歳々年々人同じからず
言を寄す全盛の紅顔子 応(まさ)に憐れむべし半死の白頭の翁
これ昔紅顔の美少年 公子王孫 芳樹の下 清歌妙舞す落花の前
光祿池台錦繍を開き 将軍楼閣 神仙を画く 一朝病に臥して相識無し
三春の行楽誰が辺にか在る 宛転たる蛾眉能(よ)く幾時ぞ
須臾(しゅゆ)に鶴髪乱れて絲の如し 但だ看る古来歌舞の地
惟だ黄昏(こうこん)鳥雀(ちょうじゃく)の悲しむ有るのみ
この世の無常が見事に詠み込まれています。「四高寮歌」などにも採られている「三春の行楽」(三ヶ月の間の春の行楽の意)の語も見えますし、「松柏摧(くだ)けて薪となり、桑田変じて海となる」も、よく使われます。
さて作詩に没頭していた作者の劉希夷は、ある時、「年々歳々、、、」を思いつき、得意になっていましたが、舅(しゅうと)の宋之問に「この句は不吉だから削除せよ、そしてこの句を私に譲ってくれ」と言われました。しかし劉は一旦受け容れたものの、放っておきました。それが原因で劉希夷は怒った宋之問に殺されたとも言われています。(宋之問も有名でこちらのほうが詩作の力が高かったとの説もあり、この話の真偽のほどはよくわかっていません。)このように「名詩句には因縁のあるエピソードがつきもの」といわれていますが、この話は格好の一例です。
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