山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第47回>

2018-07-11 05:33:05 | くるま旅くらしの話

【今日(7/11)の予定】 

道の駅:もち米の里☆なよろ → 歴史民俗資料館 →(R40・D)→ 道の駅:西興部 →()→ 道の駅:興部 →()→ 道の駅:おうむ(泊) 

 

【昨日(7/10)のレポート】 天気:曇り遅くなって雨

<行程>

道の駅:ひがしかわ道草館 →(D・R)→ 東川町郷土館 → コーヒー豆焙煎店 → レストラン →(D)→ 東神楽町資料館 →(D・R39)→ 道の駅:とうま →(R39・D・R40)→  道の駅:絵本の里けんぶち →(R40他)→ ホテル士別翆月inn →(D・R40)→ 道の駅:もち米の里☆なよろ(泊)

<レポート>

 予報では今日の夜半から雨が降り出し、日中はずっと雨が降り続くということだったが、夜中にほんの少し降って、朝起きた時は路面が濡れているレベルだった。雨の予報が外れるのは良いのだけど、その前に脅すのは止めて貰いたい。天気に関しては、だんだんヒネくれた気持を持つようになって来ている。とにかく、今日の大雨という予報もどうやら外れるような気がした。それで良いのだ。

 今日はどうするのか。はっきりした予定はないまま、漠然とした考えでは、14日から行われる天塩川のカヌーによる川下りに知人が参加されるので、それを応援することにして、美深のキャンプ場の方へ行くことにしているので、少し北上することを考えている。今日はここを出てそちらに向かうことにしているのだが、まだ空の様子は怪しいし、どうも予定もはっきりしない。とにかく午前中はここにいて東川町の郷土館などを訪ねることにした。

 郷土館は10時開館なので、それまでは付近をぶらぶらしたりして、時を過ごす。10時になって早速郷土館を訪ねる。道の駅からは歩いてゆける距離である。元の役場が郷土館となっていた。受付で担当の方に挨拶して、中を見せて頂く。それほど大きい規模ではないけど、この町の歴史がコンパクトに説明されていた。拝み小屋といわれる往時の開拓小屋も再現されており、この町が自分たちの歴史を大切にしていることが判った。この町自体は昭和16年に旭川村から分村して生まれてということだった。この分村ということが各地でかなり多く見られているのだが、それはどうしてなのか知りたいと思った。帰り際に担当の方と少し話をしたのだが、ボランティアで来ておられるとのことだった。現在の東川町は、農業中心の町で、その中心は米作だとのこと。水が豊富で、水田の耕作に適しているとのこと。又旭川に近くマーケットが確保されているので、蔬菜類の栽培もあるとのこと。牧場等の経営は殆どないという話だった。ご先祖が富山県から来られたという4代目のそのお方は、実直そうな富山人のお顔をされていた。

 その後邦子どのがコーヒー豆を買いたいというので、昨日駅の売店の方から教えて頂いた店へ出向く。田んぼに隣接したその店は、なかなかモダ―ンで、邦子どのはすっかり気に入ったようだった。それが済んで、もう一度東川町の中心街に戻り、何とかいう店で昼食。何やらイタリア風のメニューだったが、これは邦子どの向けのもののようで、自分は只食べるだけという感じだった。邦子どのは満足していたようだった。時に洋風の食べ物も味わいたいのであろう。

 これで東川町とも別れることにして、先ずは隣の当麻町に道の駅に向かう。この道の駅にはゴミ箱が設置されており、北海道の中では数少ない場所なのだ。聞くところによると、北海道の一番偉い人は、外来者に対しては、ゴミと名のつくものは何一つすれるのを許さない。全部持って帰らせる。と大見えを切ったということだが、治世のトップがこのような矮小な感覚では、押し寄せて来ているアジア系の来訪者には対処できないのではないか。トップに逆らってゴミ箱を設置している道の駅:あさひかわや道の駅:とうまのあり方の方がまともに見えるのは、あながち旅する者の身勝手とは言えまい。ゴミ箱を撤去すれば、汚れが解消するという発想は、不法投棄という新たな犯罪などを生み出す源となるのである。買うだけ買わせれば後は知らない、それは消費者の考えることというのは為政者の考え主張することではない。売り物の全てはやがてはゴミとなるのである。極端に言えば、売店でがゴミを売っているのだ。この問題はより高い見地から取り組まなければならない、国家的な課題なのではないか。自分はそう思っている。

 当麻の道の駅でゴミ処理をさせて貰った後は、風呂に入ることにして士別市にあるホテル士別INN翆月へ。その入り口近くに士別市の博物館があったので、入浴の前に訪ねることにした。100円也の料金を払って中に入る。どこから見始めて良いのか分からない様な陳列の仕方だった。邦子どのはどこから見て良いのかを受付の人に訊いたら、どこからでもお好きなようにご覧になって下さいとのこと。それが判らないから訊いているのに、この回答は親切なのかそれとも投げやりなのか。邦子どのは後者の方と受け止めたようだった。自分たちは150年のこの町の来し方を知りたいと考えてここを訪ねているのだが、この博物館はそのような町の歴史を考えて造られているようではなく、一部sのような紹介もしておこうという程度の発想で作られている感じがした、バンフレットも無く切符だけを貰って、あとは岩石だの野生動物や昆虫の標本などを見るだけで、目的とはかなり違う場所だなと思った。邦子どのはこの150年の開拓の歴史を記した資料等がないか訊ねていたが、ほんの一部を書いた資料はかなり高価で、とても買う気にはなれず、かなり不満が高じたようで、100円の価値もないなどと大きな声で呟いていた。この博物館は誰に何を見せようとつくられているのか、曖昧な感じがした。邦子どのがそのようなことばを吐くのは正しくはないけど、誤りでもないのかなと思ったりした。

 その後はすぐ傍にある翆月というホテルの風呂に入らせて頂く。「HO!」という雑誌の無料入浴にあやかってである。このホテルでは陸上などの合宿所としても利用されているらしく、駅伝などでの有名企業の名が数多く並んでいた。今現在も合宿している企業もあるらしく、何人かの選手らしき人だトレーニング姿で広場で運動をしていた。ご苦労さんです。

 その後は今日の宿を先日泊った道の駅:もち米の里☆なよろにすることにして向かう。16時過ぎ到着。一段落する頃に雨が降り出した。今日は日中が雨の予報だったのに全くその様子はなく薄日が差したりしていたのだが、どうやらこれは少し遅れてやってくるらしい。今夜は雨になるのかなと思いつつ早やめに寝床に入る。邦子どのはその後暗闇の中で何やら音楽などを聴いていたようである。ストレスが溜まって来ているのかも。自分の方は一向に溜まらないのは何なんだろうと、ふと思ったりした。

 

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第46回>

2018-07-10 04:43:57 | くるま旅くらしの話

【今日(7/10)の予定】 

道の駅:ひがしかわ道草館 →(D・R) 天侯が不安定なため様子を見てから予定を決める

 

【昨日(7/9)のレポート】 天気:曇り一時雨

<行程>

千望峠駐車場 →(D)→ 上富良野町資料館・土の館 →(D)→ 道の駅:びえいビルケ白金 →(D)→ 三郷名水 →(D)→ 四季彩の丘 →(D・R237)→ ゼルブの丘 →(R237・D)→  道の駅:ひがしかわ道草館(泊)

<レポート>

 昨日とは打って変わった陰鬱な空が夜明けを待っていた。再び雨模様の天気が始まった様である。今朝は1時半頃に起き出し、ブログを書いて出した後、二度寝をして5時半頃に起き出し。そのあと1時間半ほど山の方に向かって歩いた。この辺りは農場となっていて、麦や大豆やビートなどが栽培されているのだが、1kmほど山側に歩くとたちまち両側が森となっており、それを少し歩くと左方に中富良野町へ抜ける道があり、その中間くらいの地点に富良野風景画館というのがある。ここには奥田さんという絵描さんが住んでおられ、何度かそこを訪ねたことがある。そこまで歩こうと思っていたのだが、片道が7km近くなりそうなので、4kmほどあるいた地点から折り返すことにした。早朝の散歩は気持がいい。この辺りは熊君たちが出るという話は聞いていないので、道端の野草などを観察しながらの歩きとなった。そろそろ花期を迎え出したのか、様々な野草たちが花を咲かせていた。ウバユリ、ウツボ草、ヤナギラン、コウリンタンポポ、シカギク、それにエゾシモツケ、ヨツバヒヨドリ等が開花を開始していた。もう半月もすると、邪魔くさいほどの咲きぶりとなるに違いない。熊君に会うことも無く、花たちを見ながら車に戻る。

 今日は月曜日なので、多くの資料館や博物館は休みである。この近くでは上富良野町の土の館という所だけが開館しているので、先ずはそれを見た後、久しぶりに白金エリアに行って見ることにしようと考えている。ビルケノ森インフォメーションセンターが新しく道の駅となったと聞いていおるので、そこも是非見ておきたいし、雨が降らなければその近くにある三郷名水を汲んでソーメン等を食べることにしたい。北海道に来てもう1カ月半近くにもなるのにソーメンを作って食べるチャンスがないというのは実に不可解な話なのだ。たくさん持参しているのに。

 先ずは近くにある資料館の土の館へ。ここも何度も前の道を通っているのに入るのは初めてである。土の館という言葉からは、農業生産に関わる資料等が展示されているのだろうと軽い気持ちで入ったのだが、中に入って見てその規模の大きさと内容の素晴らしさに驚いた。菅野という農業機械を扱う企業を立ち上げた方の話が中心になって、この資料館が作られたということなのだが、単に農業機械だけではなく、農業そのものの世界史的なことも詳しく調べて解説があり、また農業を営む上で最も重要な土そのものについても詳しく展示・説明がなされていた。又耕作に絡む様々な農具、農業機械の発展の歴史等についても詳しく展示と解説がなされており、何といっても圧巻はずらりと並ぶトラクターやプラウの実機の展示だった。歴史的に揃えられており、中には蒸気機関を動力にした110年前の大型機械等もあって、その迫力に圧倒された。この土の館は、農業を志す人たちや、農業に取り組んでいながらスランプなどに陥っている人たちには必見の場所ではないかと思った。

土の館に展示されている今から110年前の蒸気トラクター。蒸気機関車が畑を耕作しているかのようだこの他にも数々の歴代のトラクターが並んでいた。農業に関心ある人は、この土の館を訪ねれば数多くの大切な情報を手に入れることができるに違いない。

 その後は念願のそうめんを食べるべく先ずは新しい道の駅:びえいビルケ白金に行くことにして出発する。日新ダムの脇を通る道は何度も往復しているので、懐かしい気分となる。山の中の道は少しも変わっていないなと思いながら、道の駅に着いたのだが、こちらの方は新しさというよりも車と人の多さで溢れておりがっかりするほどだった。そうめんを食べる前に三郷名水を汲もうと行って見たのだが、何とそれはもう無くなっていたのである。廃屋があるだけで水汲み場は跡形も無く消えていた。この土地の所有者が止めにしたというような立て札があった。すっかり調子が狂ってしまった。それに加えて雨も降り出していたので、道の駅に戻るのは止め、そのまま美瑛の方向へ行くことにして、花の名所の一つである四季彩の丘へ行くことにする。

 行って見た四季彩の丘の花たちは今一尚早の感じがしたが、観光客は溢れんばかりの盛況だった。その大半はアジア系の人たちで、遠慮会釈も無く大声で話をして旅の気分を満喫しておられるようで、日本人とは違うな、やっぱりと思ってしまう。この頃は観光バスだけではなく、レンタカーで回る人たちが増えているようで、「わ」ナンバーの車が目立っている。観光立国などと国は謳っているけど、この人たちを受け入れるインフラが本当に出来上がっているのか、その危うさを思ってしまう。ゴミ処理の仕組みも無く、有料の泊りの施設も無く、買い物だけをさせるだけの環境しか出来ていないのに、外国からの車利用の人たちが増えて来た時は、様々な問題が起こるに違いない。日本のくるま旅の世界は、外国人はおろか日本のリタイア者の受け入れに対しても真に半端な状態であり、道の駅や高速道のSA等に車があふれる状態になっている。もう20数年くるま旅をしているのだが、年々旅の環境が悪化しているのを感じないわけにはゆかない。

 四季彩の丘で邦子どのがコロッケ二種を2個ずつ買って来てそれが昼食となってしまった。そうめんは遠い世界へ走り去ってしまった。いつ何の心配も無くそうめんを食べられる時が来るのか。真に今年の北海道の夏は異常ばかりが続いている。

 四季彩の丘を出た後は、今日の宿は東川町の道の駅にすることにして、ひがしかわ道草館に向かう。途中、美瑛町の入口付近にあるゼルブの丘という花の名所に寄り一休みしたが、ここも花の咲き具合は今一だった。20分ほどで道の駅:ひがしかわ道草館に到着する。この道の駅にも何度かお世話になっている。旭川に近くTV等も良く映って、良い場所だと思っている。

 夜までに大分時間があるので、しばらくTVを見ていたのだが、全国各地での水害の被害の大きさにがくぜんとした。知人の住む場所も含まれており、難を逃れて居られればいいがと無事を祈るばかりである。それにしても100人を超える死者と行方不明の方が60人近くもいるとは、未曾有の大水害ではないか。北海道にもいつやって来るか想像もつかない。とにかく安全に早やめの万全を期すことが肝要だなと改めて思った。ここ東川町も先日の大雨で避難指示が出た場所があり、要注意なのかもしれない。明日は雨との予報なので、油断しないように対処したい。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第45回>

2018-07-09 02:40:59 | くるま旅くらしの話

【今日(7/9)の予定】 

千望峠駐車場 →(D)→ 上富良野町土の館 →(D)→ 道の駅:ビルケの森白金 →(D)→ 美郷名水 →(D)→ その先未定

 

【昨日(7/8)のレポート】 天気:快晴

<行程>

道の駅:あさひかわ →(R237他)→ 美瑛町郷土学館美宙 →(R237他)→ 菅野ファーム →(R237他)→ ファーム富田 →(R237他)→ 上富良野町開拓記念館 →(D)→ フラヌイ温泉 →(D)→ 千望峠駐車場(泊) 

<レポート>

 昨夜は大雨が降るという予報だったので、いつ雨が降り出すのかと気になりながらの寝床の中だったが一向に雨音も無く、そのまま眠ってしまった。朝珍しく自分よりも早く目覚めた邦子どのが、窓を開けて「ピカピカだ!」というので、何か照明のようなものがあるのか、それとも自分の頭を見て声をあげたのかと、何だ、と言ったら、ピカピカなのは天気のことなのだった。外へ出て見ると、何とまあ、想像したことも無い快晴の空が広がっていたのである。これじゃあ思わず大声を上げるのも当然だなと思った。それにしても昨日までの天気予報とは一体何だったのだろう。いい天気になったのだが、文句を言う筋合いではないのだが、大雨の脅しに対しての心理的負担は大きかったので、予報者やマスコミには一言旭川向けのお詫びでも言って貰いたい気分だった。

 何と今日までここ旭川の道の駅に5泊もしてしまったのである。全てが天侯の所為だと思っている。今日はここを脱出しなければならない。そう心に決めたのだった。今日のような晴れの天気が続いてれば、富良野辺りの花たちも大いに香りを振り撒いているに違いないのだが、今日は未だ早いだろうと思いながら、それでもどんな状態なのか見に行くことにした。ということで、美瑛、富良野方面へ向けて出発することにする。

 9時前に出発して、先ずは美瑛の北西の丘公園へ。美瑛には幾つも展望所があるけど、この北西の丘公園は、丘の景観や大雪山系の山々を眺望するに優れた場所である。美瑛に来ると必ず寄る場所の一つである。久しぶりに展望所に上り大きな景観を堪能する。今日は本当によく晴れており、大雪山につながる十勝岳などの山々が雲を絡めて横たわっているのが見えた。この季節では滅多に見ることのできない景色なのだろうなと思った。邦子どのは近くにあるガラス工芸品を売る店へ出かけて行ってそこのご主人と4年ぶりの会話を楽しんでいたようである。もう十数年来の知り合いとなっているので、知らんぷりは出来ないのであろう。1時間半ほど景観を楽しんだ後は、美瑛町の郷土館である美瑛町郷土学館美宙へ向かう。美宙と書いてみそらと読むらしい。なかなかこった美瑛らしい名称だなと思った。5分もかからない内に到着する。

美瑛町北西の丘公園から見る十勝連峰の景観。中央で噴煙を上げているのが主峰の十勝岳。昨日までの陰鬱な天気からは想像もできないほどの大きな景観である。

 中に入って驚いたのは建物内部の立派さだった。全て地元の資材を使っての建物であり、その殆どは地元の用材であるカラマツが使われていたし、又壁の一部は地元で採取される軟石が使われていた。展示内容も解りやすくこの町の主な歴史の足取りを知ることが出来た。現在の美瑛町は農林業のみならず、観光が大きな力となっているようで、昨年は年間180万人もの観光客が訪れたという。如何にも北の大地らしい丘の畑の展望が多くの人たちの心を揺さぶるのだなと思った。

 その後は、花の様子を知ろうと先ずは菅野ファームへ立ち寄る。残念ながらここは未だ楽しめるほどのレベルには達していなかった。あと1週間から10日ほどが見ごろとなるのではないか。それでラベンダーの名所であるファーム富田の方も見ておこうとそのまま中富良野町へ。行って見たファーム富田も又同様の状態で、もう少しの辛抱だなと思った。ここの駐車場で昼食を済ませ、その後は上富良野町の開拓記念館へ。

中富良野町ファーム富田のラベンダー畑の開花状況。あと1週間から10日位が見ごろとなるようだ。

 上富良野の開拓記念館の傍を何度も通っているのに、そこを訪れるのは今回が初めてなのだ。今回の旅ではそのような場所が幾つかあって、反省することがきわめて多く大きい。記念館に入って、この町の歴史を知って、驚くことばかりだった。上富良野といえば、富良野と名のつく4つの自治体の中でも農林業の他にも自衛隊の駐屯地もあり、観光資源も豊かな町だと現在の状況は分かっていても、この町が大正15年の十勝岳の大爆発による泥流で壊滅状態となったこと。一時は廃村という所まで追いつめられた厳しい状況から這い上がった、いわば過去2度の開拓の歴史を持つ町であること。そしてこれには二人の先駆者(二人とも三重県出身の田中常次郎と吉田貞次郎である)の甚大な尽力があったこと。等々を知ったのだった。十勝岳は今日も二筋の噴煙をあげていて何とも不気味な姿を呈していた。この町の今後の平和に災いをもたらすことがないようにと願いつつ、改めて火山活動の怖さを思い知らされた。

 その後はフラヌイ温泉に行き、少し早目の入浴を楽しむ。この温泉は温度の低い源泉と普通の温度の、二つの浴槽などがあって、ゆっくりお湯を楽しむことが出来るので、この地に来た時はいつも利用させて貰っている。15時前の時間帯は入浴する人も少なくて、のんびりすることが出来て満足だった。

 今日の泊りは千望峠の公園駐車場にすることにして、入浴後そこに向かう。千望峠は、正面に十勝岳連峰が横たわり、左方の彼方には大雪山の山塊が遠望できる大展望所であり、かみふらの八景の一つになっている。ここが気に入っていて、このエリアに来た時は泊ることが多い場所なのだ。16時過ぎの時刻は夕暮れにはまだかなり余裕があり、しばらくの間、その雄大な景観を楽しんだ。邦子どのは、美瑛の北西の丘展望公園やこの千望峠を見ることが出来て、やっと北海道へ来たのを実感できたと、心が落ち着いたようだった。ここはやって来る人も少なく、昨日までいた旭川の市街地の窮屈さはなく、静かな夜を迎えることが出来た。明日から又天気は下り坂のようなのだが、今日の予報のように大番狂わせが続いて欲しいものだ。旅にはほどほどの天気の良さが必要なのだと思う。

 

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第44回>

2018-07-08 06:01:09 | くるま旅くらしの話

【今日(7/8)の予定】 

道の駅:旭川 → 美瑛・富良野方面に向かう(詳細未定)

 

【昨日(7/7)のレポート】 天気:曇り

<行程>

道の駅:あさひかわ に終日滞在(泊)

<レポート>

 今日は午前中は晴れの予報だったが、晴れには程遠く一時ぼんやりと太陽が照らす時もあったが、その後はずっと厚い雲に覆われていて、ガッカリの一日だった。午前中は邦子どのが車の床が湿気で濡れているので、シートやカーペットの一部を取り替えるということで、カッターナイフを使う作業を強いられた。自分一人でやると、必ず問題を起こしてそれを後々まで愚痴られるので、このような場合はとにかく言うとおりに作業をすることにしている。おかげで、床はつぎはぎだらけとなったが、濡れた部分はなくなって、ほんの少し快適感が増した。

 11時頃同じ旅をされている名古屋在住の知人から電話があり、現在浦臼町にいるのだが、もし自分が旭川にいるのであれば、是非会いたいのでこちらに向かうとの話だった。勿論OKである。ということで、車内の不具合カ所の手当ても住んだので、水野さんが到着するまで時間があるので、邦子どのは近くの大雪アリーナで開催されている全道フォークダンス大会の見物に出かけて行った。自分の方はやや手持無沙汰のまま車内で時間を過ごす。12時半を過ぎても邦子どのが戻って来ないので、またまた時間のことは忘れているのだと、何回か電話やメールをしたのだが、全く通じなかった。それでも13時少し前には戻ってきたのでほっとした。この人は好きなことに夢中になると時を忘れる人なのである。辛うじて気づいて思い出してくれたのは真に幸いなことだった。

 その後昼食を済ませ、しばらく待つこととなった。

 14時半過ぎに水野さんご夫妻到着。水野さんご夫妻とも4年ぶりの再会である。お互い4歳も歳をとったこととなる。やあやあの挨拶の後は、またまた長い長い歓談となる。水野さんご夫妻も我々とお互いのコンビが同世代なので、何の屈託も無く話が出来るのだ。お二人とも大へん人懐こくて話好きであり、その名古屋弁には親近感が溢れ出ている。我が家の代表の邦子どのも負けず劣らずの多弁家なので、自分の分まで話を取り込んでお二人との会話を楽しんでいた。ご主人の方はこの3年の間に結構身体を壊したり傷めたりしたようで、薬なども多用されているようだった。でも現状では特に問題もなくお元気に旅を楽しんでおられるようである。夕刻までそれこそ時の過ぎるのを忘れての楽しい会話が弾んだ。旅の友というのは、心の友でもある。水野さんご夫妻に感謝。

 今年の再会を約して一先ずお別れする。天気予報では今夜から明日の午前中にかけて再び大雨が降るというので、先日のように早朝から避難勧告や避難指示のエリアメールが鳴らなければよいがと思いつつ早やめの就寝となった。この数日間は旅の知人たちとの楽しい歓談の時間を持つことができ、この道の駅にもう4日も滞在することになったけど、それなりに嬉しく有難い時間を持てて良かったと思っている。明日は雨が止んだらどうしてもここを出で、花の様子などを確認したいと思っている。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第43回>

2018-07-07 05:44:16 | くるま旅くらしの話

【今日(7/7)の予定】 

道の駅:旭川 → 全道フォークダンス大会見物(邦子どののみ)→ 未定。

 

【昨日(7/6)のレポート】 天気:曇り時々晴れ

<行程>

道の駅:あさひかわ →(D・R40)→ 北鎮記念館 →(R40・D・R39)→ 大雪の湯 →(R39・D)→ 道の駅:あさひかわ(泊)

<レポート>

 朝、雲は多かったが、遠くに青空が広がっていて、今日は予報通り少し晴れ間が見られることになりそうだ。久しく見なかった青空を見て、気分が少し好転するのを感じた。久しぶりに朝の歩きに出かける。ここ3日ほどは殆ど歩いていないので、少し挽回できるように旭川の市内を歩くことにした。先ずは近くのJR駅まで行って見ることにした。旭川のJR駅は現役時代に何度か来ているのだけど、現在の駅はすっかり新しくなっていて、往時の面影は全くない。随分と時間が過ぎたのを思い知らされる気分となった。旭川の街がどのようになっているのか、今は見当もつかない。全く未知の世界を歩くのと同じ自分がいるように思った。

 駅前の通りをまっすぐ歩いてゆくと、間もなく市役所があった。そこから左に折れてしばらく歩くと樹木のある通りがあったので、その道を気ままに往復する。樹木があるのには救われる気分がする。緑の通りと呼ばれているようだった。それから買いもの通りというのがあったので、それをぶらぶら歩いてのだが、なにしろまだ6時前の時間なので、空いている店などあるわけも無く、買いもの通りも眠りこけている感じだった。今日の街中の歩きはそれくらいにして、その後は来た道を戻って忠別川の堤防の道をしばらく歩くことにした。川にはまだ濁流が奔っていて、恐ろしい形相をしている感じだった。激流に流された樹の株などがむき出しになって、川の瀬に引っ掛かっているのが何本も見られて、先日の雨の凄まじさを物語っているようだった。20分ほど行ってから引き返し、今度は美瑛川の様子を見てみることにして向かう。こちらの方も忠別川に負けないほどの濁流が奔っていた。一つ下流の橋まで歩くことにして、それから30分ほどかかって旭川大橋というのを渡る。この橋はどうやら美瑛川と忠別川の二つの川を跨いで造られているようで、自分は美瑛川の右岸だと思って歩いていたのだが、元に戻ったらそれは忠別川の右岸だった。2時間と少し歩いて車に戻る。いい歩きの時間だった。毎日このような時間が取れればいいのだが、さて明日以降はどうなるのだろう。

 今日は天気もよさそうなので、旭川にもう一つある屯田兵と第7師団のメモリーの残る北鎮記念館に行くことにしている。その後は風呂に入って、取り敢えず道の駅:あさひかわに戻ることにしている。そのようなことを考えていたら、邦子どのに電話が入り、四国徳島在住の方が午後訪ねて来て下さるという話だった。現在北海道にお出でになっているのは承知していたのだが、どうやら都合と場所が一致出来たとのこと。これで午後の日程も決まり、泊りももう一泊追加することとなった。

 先ずは北鎮記念館へ。記念館は自衛隊の旭川駐屯地の傍にあって、どうやら自衛他との関わり合いもある感じだった。2階がメインの資料等の展示場となっていた。

 先ずは屯田兵の入植や開拓や暮らしの状況などが詳しく説明されていた。旭川地区には3地区計1200人とその家族たちの入植があったということだが、これは先日兵村記念館の方でも示されていた情報なので、屯田兵に関しては、重なるところが多かった。これはまあ当然のことではある。次に旭川には第7師団が設けられ、これは屯田兵をベースに構成された軍隊だが、この歴史のようなものが詳しく説明されていた。戦後に育った者にはなかなか知る機会のない情報だったので、それなりに勉強になったが、この中で一番心が痛んだのは、やはり日露戦争の勝利とその裏にあるものについての感慨である。

 自分は日露戦争に関しては、「一将功成って万骨枯る」という思いを拭い去ることができない。死傷者が5万人近くも出て、その後全国各地にその慰霊碑が設けられ、それは今でも残り続けているのである。戦争は戦わずして勝ち、戦わずして負けるべきである。それが政治家の役割であり、国際間のルールとなるべきものではないか。複雑な気持ちになりながら記念館を後にする。邦子どのは、途中で気分が悪くなったと先に出て車の中で青い顔をしていた。

 その後、風呂に入ろうと大雪の湯という所へ行ったのだが、入ったのは自分一人で邦子どのはしばらくベッドに横たわって頭痛の回復を待つとのことだった。何か知らぬが、ショックいが大きかったのかもしれない。入浴の後は早々に道の駅:あさひかわに戻る。駐車場の半分以上がくるま旅の滞在者で埋まっていた。その後は客人を迎える準備などをして過ごす。邦子どのの気分も回復したようで、やれやれである。

 15時半過ぎ山田さんご夫妻がお見えになる。山田さんご夫妻とは初めて知り合ったのが2002年というから、もう16年も前からの出会いの友なのだ。旅で知り合った人というのは、仕事関係等では得られない格別の思いというのか嬉しく大切なものがあるのである。徳島在住の山田さん宅にお邪魔したこともあり、特に邦子どのは奥さんが千葉県出身でもあり、格別の親近感を抱いているようである。北海道の旅で毎年会っていたつもりが、すれ違いが多かったりして、気がつけばもう10年近くお会いしていなかったのである。つまりはお互い全員が10歳も歳をとってしまっていたということである。この間山田さんは大病に襲われて、相当に厳しい経験をされたとお聞きした。自分より5歳ほど先輩なので、やがて自分にもそのような時期が来るやもしれず、心してお話を伺った。現在は元気を回復され、このように旅をされているのだが、以前のような旅車によるくるま旅ではなく、宿を利用しての旅とのことだった。奥さんはとても元気なご様子で、邦子どのと大きな声で話をされていた。この元気さにご主人も励まされるところが大きいに違いないと思った。奥さんは七宝焼では日展にその作品が何度も入選を続けておられるアーティストでもあり、今回の旅も何か作品のテーマやヒントを求めてなのかもしれないと思った。とにかく10年のブランクを埋めるべく、歓談は続いたのだが、それはあっという間に過ぎてしまった。今夜の宿に向かうために17時には出発しなければならない山田さんご夫妻とお別れとなる。四国へも久しく行っていないので、来年辺り考えてみたいと思っている。その時には山田さんに是非ともお会いできることを楽しみにしている。

 さて、その後はちょっぴりさびしさを感じながら、しばらく山田さんご夫妻のことなどを振り返って話した。親しき友との再会は嬉しいのだが、別れた後の寂しさのようなものがやって来るのはいかんともし難く、毎度の味わいなのである。

 明日はここを出てさてどこへ行こうかなどと考えながら夜を迎える。再び天気が悪化するらしいので、安全第一に考えなければならない。美瑛や富良野辺りの花はどうなっているのか。この寒さでは花たちも咲くのをためらっているのではないか。行くとすればその方向だななどと思いながら眠りに入る。

 

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第42回>

2018-07-06 04:31:01 | くるま旅くらしの話

【今日(7/6)の予定】 

道の駅:旭川 → 近場の記念館や旭山動物園などを訪ねるつもり。

 

【昨日(7/5)のレポート】 天気:雨又雨そして雨

<行程>

道の駅:あさひかわに終日滞在する

<レポート>

 今日の天気予報を見ると、全国的に雨となっていた。どうやら梅雨が明けたなどと言っていた関東地方でも雨降りの様である。戻り梅雨などという天気予報官には好都合のことばも用意されているから、もしかしたらそういうことになるのかもしれない。天気に対する恨み節はなかなか止めるわけにはゆかないのである。それにしてもここ旭川では、大雨警報が出ているほどだから、要注意である。昨日のようにエリアメールが何度も鳴り響かないことを願うだけでだ。

 ということで、今日はもうどこへも行かないことにして、もう一日ここにじっとしていることに決める。雨というのは、降っている時だけではなく、降った後もしばらくの間は危険が潜む場所を幾つも作るのだから、そのような心配が無くなるまでは、外出は控えた方がいい。ここは忠別川と美瑛川に挟まれた地域なのだが、この両川の水が溢れるほどにはならないと思うから、ま、大丈夫だろうと思う。ノアの洪水のようなことが起これば、もうこれは運を天に任せるしかない。

 さて、何をするか。何もすることが無い。いや、本当はしなければならないことは幾らでもあるのだが、その気がしないのだ。その気が起こらない時は無理をしてもどうせ碌なものは出来ないので、そのような時は全てを放棄して眠ることにしている。今はそのような状態である。午前中は少しばかり本などを読んで我慢して過ごしたのだが、午後からはもう限界を超えたので、布団にもぐりこむことにした。邦子どのは自分とは別のペースで何やら過ごしているようで、午後はどこかへ出かけて行った。

 一眠りの後起き出すと邦子どのがどこからか戻って来て、スーパーで飲料が安く売られており、在庫があと二つしかないので、買ってはどうかとう。幸い雨も少し小降りのようなので、直ぐに買いに行く。いきなり目覚まし代わりの労働だった。そろそろ雨も降り飽きることだろうと思うのに、いつまでもダラダラと降り続けている。もう愚痴をいうのは止めて、おとなしく一杯やって夜を迎えることにする。今夜半ばからは晴れの予想となっているので、明日は近場の記念館などを訪ねたり旭山動物園などへ出かけることにしたいなどと思っている。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第41回>

2018-07-05 04:42:58 | くるま旅くらしの話

【今日(7/5)の予定】 

道の駅:旭川 → 天侯が不安定なため様子を見てから予定を決める

 

【昨日(7/4)のレポート】 天気:雨のち曇り

<行程>

道の駅:あさひかわ → 旭川市博物館 →(D他)→ 旭川兵村記念館 → 道の駅:あさひかわ(泊)

<レポート>

 昨夜もかなりの雨が降ったようだ。昨日は早朝から10回近くもエリアメールが避難勧告や避難指示を送ってきたりしていのだが、夕刻になると今度は避難解除のメールが何度も届いたりして、直接関係のない場所の者たちには眠ろうとする度に起こされたりして、最後の頃は無視して眠ることになってしまった。先ずは無事に避難が解除された方々に良かったねと言うべきなのに、人間というのはやはり自己中心的でわがままな存在であるようだ。

 さて、今日はどうするか。本州の方には台風がやって来て被害の出ているところもあると言うニュースが流れている。北海道の方も明日はその影響を受けるらしく、再び大雨が降るらしい。全くうんざりするのだが、天の働きには抵抗できない。しばらく様子を見ることにしたが、雨も大したことなさそうなので、先ずは直ぐ近くにある旭川市博物館に行って見ることにした。市の博物館は道の駅からは道路一つを挟んだ向こうにあって、5分もかからない。300円也を払って見学開始となる。

 旭川博物館は地元の上川アイヌの歴史や暮らしぶりに力を入れた展示をされているようで、かなりのスペースが割かれていた。今までかなりのアイヌ関係の展示や解説に触れているので、特に目立って新しく感ずるものはなかったが、原野に近い環境の中で、巧みに自然と接し、あらゆるものを神と敬って生きるという姿には、それを破壊してしまった和人の文明の罪のようなものを思わないわけには行かなかった。その他にも旭川の歴史についての展示もあって、この町の発展の経緯等を知ることが出来て有意義だった。

 その後は、少し離れた所にある兵村記念館というのを訪ねることにして、車に戻って出発する。市街地を通り抜けて旭山動物園に向かう道の途中に旭川神社というのがあり、そのすぐ傍に兵村記念館があった。旭川といえば、屯田兵の町、軍隊の町というイメージが強い。軍隊のことはあまりよく解らないのだが、戦前までの国内では、その存在と影響力はかなりのものがあったのだと思う。戦後はそのようなものが一気に払拭され、静かな存在としての自衛隊が組織されているけど、往時は町の繁栄にも影響を及ぼすほどの存在だったに違いない。ま、軍隊はさて措くとして、屯田兵のことはもう少し詳しく知っておきたいと思っての来訪だった。

 中に入ると様々な資料が展示されていて、丁寧な説明がついていたので、大いに役立った。この旭川の地には、旭川、永山、当麻の三地区にそれぞれ400戸ずつの屯田兵が配置されていたとのこと。これらの兵は家族も帯同していたのだから、配置入植した時は、凡そ8千人ほどの人々がこの地にやって来たということになる。未開の地にこれほどの人々がやって来るというのは、やはり国の政策だったから出来たことなのであろう。その出身地の内訳を見ると、四国地区が一番多く、次が中国地区で、これらを合わせて約半数を占めていたことを知った。全国各地から募集したのであろうが、関東などは少なくて、我が茨城県はゼロだった。それが何故なのかは解らないけど、往時の時代背景の何かが関わっているのかもしれない。今まで開拓の厳しさを見て来ているので、屯田兵に支給されている住宅などを見ると民間の小作人の人たちとは雲泥の差があったのだなとやや複雑な気持ちにもなった。しかし、原野を開拓する使命に関してはその差はなく、相当に厳しいものだったのだと思う。北海道第2の大都市旭川もこのような人々の開拓精神と汗そしてたくさんの涙等から出発しているのだなと、改めて敬意を表する気持となった。その後は旭川神社に参拝して再び道の駅:あさひかわに戻る。

 道の駅に戻り、今夜もここに泊ることにして、買い物に出かけて戻って来ると、見知らぬ方が訪ねて来られて声をかけられた。はて、どなただろうと外へ出て見ると、群馬県から来られたという方が名を名乗られて、自分のブログ等をご覧になっておられるというお話だった。奥さんとその妹さんも一緒なのだが、現在買い物に出かけられているというお話だった。自分たちもこれから昼食という時だったので、もう少し経って奥さんたちが戻られたら是非お越しいただいてお話しましょうということになった。嬉しいハプニングである。

  昼食が済んで、奥さんたちが戻られて、我がボロ車にお越しいただいて、改めて挨拶を交わしたのだが、お名前を聞いてはっきり思い出すことが出来たのである。竹之内さんにはもう何年も前に既に出会っていたのだった。拙著をお買い頂き、加えて旅の記録もお買い上げ頂いていたのだった。その送付の際にどこかでお会いできたら良いですねと書いたのだった。だから初めてはなかったのだ。しかし、知り合ってはいても直接ご尊顔を拝するのは初めてだったのである。このような出会いは、自分の人生には最高の出来ごとの一つだと思っている。今まで何回か同じような出会いがあって、その度に大きな感動を味わわせて頂いている。

 さてそれからは5人での賑やかな歓談となった。何しろ女性が3人もいて、これを合わせればどうなるかといえば、それは火を見るよりも明らかなこととなる。特に邦子どのは今まで沈みかけていた疲れた魚が勢いを一気に取り戻したかの如く元気になり、いつものように自分などの出番など無視して話を動かし続けていた。これには竹之内さんもいささか呆れたことであろう。ま、お許しあれ。楽しい歓談は、あっという間に時間が過ぎて、その後女性3人は竹之内さんの車の方へ行って、話の続きがかなり弾んだようだった。男性陣も二人でしばらくゆっくり話をした後、一先ずお別れする。邦子どのはその後もしばらく嬉しさを爆発させ続けていたようで、なかなか戻って来なかった。思わぬハプニングの嬉しい出来事だった。

 さて、明日のことだが、予報では今夜未明から午前中にかけて大雨が降るとのこと。又避難勧告や指示が出るような事態となるやもしれず、何とも不安なことではある。このような時は動き回るのは危険である。取り敢えずこの道の駅は安全な場所と考えて、しばらく様子を見ることにしたい。様子を見ながら、なかなか水が引かないようならば、いっそしばらくここを基地にして旭山動物園通いでもするかなどと考えている。孫たちに動物たちの写真を撮ってやるのもいいかなと考えたりしている。それにしても晴れてくれないと、動物たちも憂鬱な顔となってしまっているだろう。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第40回>

2018-07-04 05:45:58 | くるま旅くらしの話

【今日(7/4)の予定】 

道の駅:旭川 → 天侯が不安定なため様子を見てから予定を決める

 

【昨日(7/3)のレポート】 天気:雨

<行程>

澤田さん宅 →(D他)→ 道の駅:旭川(泊)

<レポート>

 旭川の大切な知人とは澤田さん母娘である。昨夜は遅くまで歓談が続く楽しい時間だったのだが、この間外は大雨で、朝になっても止むことなく、ニュースを見ると、北海道各地で記録的な大雨となったようだ。どのようなわけでこんなに雨が降るのかトンと理解できない。何か大いなる天の悪意があって、それが兇器をふるって雨を降らせているのかもしれない。

 早朝の5時20分過ぎ、突然携帯やスマホそれにタブレットが一斉に大騒ぎをし、何だろうと驚いて開けてみたら、何と緊急避難勧告のエリアメールだった。それによるとペーパン川の水位が上昇したので、東旭川町米原に避難準備、高齢者等避難開始を発令したという市からの情報だった。続いて直ぐに又同様の他地区に対する避難指示のエリアメールが入り、こりゃあとんだことになっているのだなと思った。その後も引き続き度々エリアメールが届き、何とこの忠和地区にも避難指示があったのだ。澤田さんの話では、一部低地があり、時々大雨で同様の出来事があったのだが、それは一部であって、この場所は心配ないということだった。

 さてどうするか、しばらく考えた結果、いつまでもここにいてご迷惑をかけるわけにはゆかないので、とにかくトイレや食料供給等で心配のない旭川の道の駅に行って、しばらく様子を見ることにしようということにした。その前に少し小降りになったので、澤田さんから水を頂戴して水槽を満たす。天気が良ければもう少し話などして一先ずの別れが出来るのに、何ともはや中途半端なお別れとなった。あと3カ月の間には再訪が叶う日が必ずあることを約して道の駅:旭川に向かう。

 10分ほどで道の駅に着いたのだが、途中の美瑛川に架かる両神橋を渡るときは、いつもは穏やかな川に濁流が飛沫をあげて奔り下っており、川辺の公園なども消え失せていた。旭川は石狩川に忠別川や美瑛川などが合流する地点でもあり、河川災害には厳しい条件の場所なのだと、思い知ったのだった。

 道の駅には全国各地からの旅の車が数多く留っていた。我々もその中に加わり、しばらく様子を見ることにする。雨は依然断続的に振り続けていて、雨勢は少し弱まって来ているようだが、上流部ではまだ衰えずに降り続けているのかもしれない。その後も11時半には、3つの川が合流した地点のすぐ下流にある神威古潭地区に避難命令が出ていた。

  もしここに濁流が押し寄せてきたらどうするか。その時は流れに任せるしかないと腹をくくることにした。ここは近くに美瑛川が流れ、反対側には忠別川が流れている。ショッピングモールやビル、住宅等が密集する地区であり、もしそのようなことが起きたとしたら、これは大事件になり、旭川市としても甚大な被害を蒙ることになる。自分の住む守谷市の隣の常総市では、4年前には鬼怒川が氾濫して、市庁舎までが濁流に浸るという事件があったが、あれは人災と思われる要因も多くあったように思っている。旭川市であれば、そのようなドジは踏まないだろうと信ずることにした。

  同時に今日はもうどこにもゆかず、何もせずこの記録だけを書いて、それが終わったら、眠り続けて時を過ごすことにしようと決める。直ぐ近くに市の博物館があるのだが、そこへ行くのも止めることにした。このような事態に巻き込まれたのは、自分たちの長い?くるま旅の歴史の中では初めてのことである。とにかく天の意思には逆らえないのだ。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第39回>

2018-07-03 06:04:00 | くるま旅くらしの話

【今日(7/3)の予定】 

旭川市内知人宅 →(R12他)→ 市内の博物館等を巡った後、道の駅:東川道草館に泊る予定

 

【昨日(7/2)のレポート】 天気:雨

<行程>

道の駅:もち米の里☆なよろ →(R40)→ 道の駅:絵本の里けんぶち →(R40・D)→ 道の駅:当麻 →(D)→ 旭川ラーメン村 →(D・R12)→ 旭川市内知人宅(泊)

<レポート>

 昨夜は一晩中大型トラックのエンジン音が鳴り続いていたが、少し疲れていることもあり、あまり気にしないで眠ることが出来た。相変わらず朝方はいつもと同じように機嫌の悪そうな雲が空を覆っていた。今日も晴れとは縁のない一日となりそうである。それどころか明日はこの地区は終日の大雨となりそうという天気予報が出されている。

 5時過ぎ付近を1時間半ばかり歩き回る。ここは名寄と行っても平成の大合併前までは風連町と呼ばれる町だった所である。近くにある元役場は、今は名寄市役所風連庁舍となっていた。近くにある中央小学校はただ今新校舎を建築中のようだった。この辺りが旧風連町の中心街だったことが判る。風連歴史民俗資料館という建物があったので、玄関まで行ってみたら、休館は土曜日と月末日と書かれていた。今日は月曜休館の多い日なのだが、ここは大丈夫そうなので、あとで訪ねてみることにして、その後は市街地を通り抜けて水田や畑が広がる中にある道を、その風景を楽しみながら歩き続けた。時々霧雨のようなものが舞い降りて来て、傘を取り出したりしながらの散策だった。一見何もない様な景色だけど、足元を良く見ると名も知らぬ野草が花を咲かせていたりして飽きることのない時間だった。

 今日は特段の予定はない。月曜というのは、博物館や図書館などが定休日となっている箇所が多いので、今回の旅では休養日のような形となってしまっている。先ほどの風連歴史民俗資料館を見た後は、旭川まで行って、もし都合が合えば知人宅に挨拶に参上し、その後は久しぶりに旭山動物園通いを初めて見るのもいいな、などと思っている。2~3日かけて動物たちの写真を撮って、孫たちへの土産にするのもいいなと思ったりしているのである。

 邦子どのにご都合を伺って貰ったら、今日でも差支えないということだった。ありがたい。それに、折角だからここに泊ることにしてはどうかというお話だったので、お言葉に甘えて今夜は知人宅泊りとすることを決めた。以前にお邪魔した時も、もう一組のご夫妻と一緒にこの場所に泊めさせた頂いたことがある。我々のくるま旅の場合は、旅車を止める場所さえあればどこでも宿泊可能なのである。格別の部屋や布団などは無用なのだ。その方が眠りにはストレスが少ないし、余計な気づかいをして頂かなくても済むので、これが当たり前となっている。

 ということで、もう今夜の宿も決まったので、先ずは風連歴史民俗資料館へ行って見ることにして出発する。事前にネットで開館時間などを調べたら、休館は毎土曜日と月末日で今日は開いている筈なのだが、事前に名寄市のもう一つの北国博物館という所に連絡して解錠して貰うようなことが書かれていたので、すぐに電話したのだが、一向につながらない。変だなと思って、北国博物館を調べたら今日は休館日となっているではないか。休みでは連絡のしようがない。だけど何だか変だなと思った。月曜日は休館ではないと言っておきながら、月曜日に休館する博物館に問い合わせろというのはおかしいではないか。だったら、この歴史民俗資料館も連動して月曜日こそ休刊日とするべきではないのか。役所のやることは時々矛盾と言うのか、抜けているといういのか、デタラメというのか、不可解なことがある。とにかく断念することとなった次第。

 その後は、只管旭川に向かい、途中当麻町の道の駅に寄って小休止した後、旭川ラーメン村に行き、久しぶりにいつもの塩ラーメンを食べる。今日は野菜塩ラーメンというのを賞味した。ラーメンを店で食べるのは年に一度か二度である。糖尿の関係があり、そう決めているのである。4年ぶりの旭川ラーメンは格別の味がした。

 その後は、昨日雨で濡れたままになっている着衣などを早めに洗っておくことにして、市内のコインランドリーに行き洗濯に取り掛かる。これは邦子どのの仕事の世界である。2時間ほど掛って洗濯を済ませ、その後は旭川への深川からの入口近くに位置する知人宅へ。

 その後の知人宅では、4年ぶりの再会を果たし、夜遅くまで歓談が続いた。そのことはここには書かない。嬉しく楽しかったということだけ書いておこう。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第38回>

2018-07-02 04:46:56 | くるま旅くらしの話

【今日(7/2)の予定】 

道の駅:もち米の里☆なよろ →(R40)→ 旭川方面へ向かう未定

 

【昨日(7/1)のレポート】 天気:雨時々くもり

<行程>

クッチャロ湖キャンプ場 →(R238)→ ウスタイベ千畳岩キャンプ場 → よさこいソーラン・夢想漣えさし見物他 →(R238・D・R275・R40・D)→ 名寄温泉サンピラー →(D・R40)→ 道の駅:もち米の里☆なよろ(泊)

<レポート>

 早くも7月となった。家を出てから早や37日が過ぎて、そのような時間の経過は全く感じられないのだが、これはもう疑いのない事実なのだと自分に言い聞かせている。というのも、毎日が寒さ混じりの曇天ばかりで、晴れとの印象の残っている日は、6月に入ってからはたった1日しか記憶にない。如何に蝦夷梅雨が定着したとはいえ、この連日の天気の様子は只事とは思えない。とにかく夏を実感することのない日々が続いているのである。

 今日は邦子どののために用意された一日である。一度は諦めて貰った枝幸のカニ祭りに再度チャレンジして、カニはともかく彼女のたっての懇願でもあったよさこいソーラン踊りを何としても見てもらわなければならないのである。ということで、クッチャロ湖のキャンプ場を少し早目に出発して、ウスタイベ千畳岩で行われているカニ祭りの専用駐車場に確実に車を入れることにして、6時過ぎには出発。邦子どのは既に駐車場が満車になっているのではないかと、最悪のことばかり想像するのだが、6時半頃に着いて見た駐車場は何の心配もないほど空いていた。

ウスタイベ千畳岩キャンプ場の様子。何時もは閑散としているこのキャンプ場は、隙間もないほどぎっしりと全国からのキャンピングカーなどが押し寄せて、窒息する感じがするほどだった。自分たちの車は別の専用駐車場に停めてあり、そこからはシャトルバスがフル回転して客を運んでいた。

 地元枝幸の踊りの集団である夢想漣えさしの演舞は11時40分予定となっている。それまでの間、邦子どのは好きなカニなどを自由に味わったりして楽しめばいいので、勿論ここからは別々の自由行動である。今日の自分の役割はその夢想漣えさしの動画を撮ることを課せられているだけなので、その上演までの間に会場を離れて約4kmほどある枝幸の町の方まで行って見ることにした。天気はちらりと晴れ間も顔を出すといった様子で雨の心配はなさそうである。それでも一応傘だけは持参しての歩行だった。枝幸の市街地は何度も歩いているので、4年たってもそれほど忘れていなかったので安堵した。まだ土地の記憶は大丈夫だと妙な自信を持ったりした。町の中心街をぶらぶらした後、会場へ戻る。まだ11時を少し回っただけだった。

 やがて11時40分が来て、よさこいソーランの踊りが始まった。と、同時くらいに雨粒が落ち始めた。これはどうなるのかなと思ったのだが、とにかく始まった以上は動画を撮り続けなければならない。目の前に見るよさこいソーランの演舞は、さすがに今年の札幌の全道大会で優勝しただけあって迫力のあるものだった。自分はこのような踊りに殆ど関心を持たないのだが、それでも踊り手の懸命な動作とそれを踊る強い誇りのようなものが伝わって来て、圧倒されるものがあった。6分ほどで優勝曲の踊りが終わったのだが、この間に雨勢は一層激しくなり、まるで夏のスコールのような降り方となった。これじゃあたまらんので動画を撮るのは止め、歩いて車に戻ることにした。幸い傘を持参していたので、ビショ濡れになることはなかったが、持参していない人も多く、皆さんずぶ濡れとなって気の毒だった。邦子どもいち早く車に戻っていたが、合羽だけだったので、濡れの被害は結構大きかったようだ。

 とにかく自分の使命は果たしたので、先ずは安堵する。邦子どのはカニ汁なども味わったようで、又カニ飯なども手に入れて、それなりの満足したようだった。濡れた着物などを着替えたりした後、昼食休憩とする。

 その後は、今日は自分が風呂に入りたいので、調べた結果名寄市にある名寄温泉サンピラーという所へ行くことにして出発する。途中音威子府村で名物の黒蕎麦を食べるつもりだったが、雨は酷いし温泉に入るのをあまり遅らせたくないので、寄らずにそのままノンストップで名寄市内へ。温泉は名寄市の郊外のスキー場の近くにあって、思ったよりも少し遠かった。少し伸びて来ていた髭を剃って、疲れをとって、今日の宿を予定している道の駅:もち米の里☆なよろへ。

 この道の駅には旅の車と思われるものが数多く泊るようで、かなり混雑していた。トラックも多いようで、既に何台かエンジンかけっ放しの車が止まっていた。あまり泊には向いていないようである。他に移動しようかと考えたが、邦子どのも今日の祭りで興奮してかなり疲れているようなので、動くことは止め、ここに泊ることにする。夜間のトラックのエンジン音が気になっていたのだが、疲れていたせいかあっという間に爆睡となって、一日は終わった。

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