山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第62回>

2018-07-26 05:36:18 | くるま旅くらしの話

【今日(7/26:木)の予定】 

道の駅:花ロードえにわ →(R36・D)→ 勇武津資料館 →(D・235)→ 道の駅:むかわ四季の館 →(R235)→ その先未定(日高エリア各地の資料館等を訪ねる予定)

 

【昨日(7/25:水)のレポート】 天気:曇りのち晴れ

<行程>

道の駅:ウトナイ湖 →(R36・D)→ 苫小牧美術博物館 →(D)→ 勇武津資料館 →(D・R234)→ 早来郷土資料館 →(R234・R237)→ 道の駅:マオイの丘公園 →(R237・D)→ 道の駅:花ロードえにわ(泊)  

 <レポート>

 朝少しばかりウトナイ湖の湖畔付近を散策する。ここは初めて泊った場所なので、付近がどのようになっているのかが良く判らない。すぐ傍に湖全体の保護施設のようなものがあり、そこから散策道があってネイチャーセンターまで行けるようになっているので、その道を歩くことにした。あまり人が歩くことがない様で、くもの巣や足元の草たちが群がって生えていて、少し歩きにくかった。無人の林の中を一人歩いていると、熊さんなどが挨拶に出て来るのではないかとちょっぴり不安を感じながらの歩きだった。所々ウトナイ湖を見渡せる場所があって、静かな穏やかな眺めを楽しんだりした。ネイチャーセンターにはまだ人気はなく、そこから引き返すことにしたが、帰り道は歩きやすいR36の歩道を歩くことにした。こちらは大型のトラックなどがひっきりなしに通るので、先ほどの散策路とは大違いの無粋な歩きとなった。

 今日は3~4箇所の訪問を予定している。本当はもっと多かったのだが、再度ネットで調べてみたら閉館している所があったりして、変更を余儀なくされたのだった。先ずは地元苫小牧市の美術博物館というのを訪ね、そのあと市内の郊外らしき所にある勇武津資料館を見て、更にその後安平町の早来郷土資料館を訪ねることにしている。時間が余った時は長沼町の郷土資料館を訪ねるのもいいなと思っている。

 9時半ごろ出発して、先ずは苫小牧市の美術博物館へ。ここはその名の通り美術館と博物館が一緒になっているという少し変わった施設だった。自分たちは見たいのは博物館の方だけなので、美術館の方は敬遠することにした。博物館の方はさすがだなと思うほどに洗練された展示がなされていた。主に町の歴史等を中心にした見学だったが、この町の成り立ちをよく理解できたように思う。その昔この町は勇払と呼ばれる松前藩の会所があった所で、北前船の寄港地の一つであり、又松浦武四郎が探検をする際の基地の一つでもあって、海運をベースに発展してきた町なのだというのを知った。その他得るものは大きかった。

 その後、勇武津資料館へ。地理的にここがどんな場所なのかは地図を見て知ってはいても、現地に着いて見ると一体どういう場所なのかが判りにくい感じがした。ただ、この資料館は明治になる前の江戸の末期に、江戸の八王子の千人同心と呼ばれた人たちの内の100名が、往時の国際事情からロシアの南下侵入から国を守るために、手を挙げて志願してその防備と開拓のために入植した場所であるということは知っていた。中に入るとその経過等が表示説明されていたのだが、文字が小さくて良く見えない状態だった。邦子どのが館員らしき人に苦情的なことを言ったら、その方も同感とのことで、その後いろいろ話をしている内に、千人同心に関する詳しい説明データをコピーして頂けることになり、真に有難かった。千人同心の人たちは悪条件のために多くの人たちが命を失い、結局は失敗に終わったのだが、その志は決して無ではなかったのではないかと思った。資料は後で読むことにして、その後二階堂さんとおっしゃる館員の方から、様々なお話を伺って大へん参考になった。特に興味深かったのは、イザベラ・バードというイギリスの女性探検家・旅行家が書かれた「日本奥地紀行」の初版本がここにあるという話と、東洋文庫でその訳本を書かれた元京大教授の金坂さんという方が、英国で手に入れたという日本の地図があるということだった。自分もそれを見せて頂いたが、英語の原文での著書を見るのは初めてだったので、興奮した。また、地図は実に精巧なもので、英文で各地名が表示されていたが、この地図は一体誰が作成したものなのか。それを伺ったら、どうやら彼の伊能忠敬の作成したものとのこと。門外不出を幕府が堅く禁じていた地図も、知らぬ間に外国へも渡っていたのだということを改めて知った。その他たくさんの興味あるお話を頂いて、すっかり時間が経つのを忘れ、気づけば12時半を過ぎていた。

 その後は次の早来郷土資料館へ向かう。途中昼食を食べられる場所があったらと思って行ったのだが、見つからぬままに資料館に到着。実はこの資料館がなかなか見つからず苦労したのだった。ナビの案内が終わっても見当たらないし、誰かに訊こうと思っても誰もいないのである。少し走りまわって、ようやくそれを見つける。ところが、中に入って見ると無人で、受付に名前を書いて、照明を点けて自由に見るという仕組みだった。一応昔の生活用具や開拓に係わる用具などは展示されてはいるのだが、町の歴史に関しては極めて大雑把で明治時代のことは数行しか書かれておらず、大正時代もほぼ同じで昭和のことは数多く書かれている年表が貼ってあっただけである。何だか少しがっかりしてしまった。町としては学童向けにこのような資料を展示するくらいの扱いしかしていないようで、あまり力を入れているという思いは伝わっては来ず残念だった。

 その後は道の駅:マオイの丘公園まで行き昼食をとる。14時半を過ぎており、かなり遅い食事となった。ま、これは致し方ない。その後もう1カ所くらいと、地元の長沼町の郷土資料館へ行こうとナビに行く先を入力するのだが、何度やっても福島県須賀川市の長沼郷土館しか出て来ないのである。後で邦子どのに指摘されて半笑いとなったのだが、先に調べた住所や電話そのものが須賀川市だったのである。そしてここの長沼町にはそのような施設はなかったのである。とんだドジな話だった。それを指摘した邦子どのもレインコートがないと騒ぎ出し、どうやら先ほどの勇武津資料館に置き忘れたらしい。二階堂さんに電話してそれを確認して、明日もう一度出向くこととなった。やれやれの話である。

 今日は実は我々の新しくなった健康保険証を知人の恵庭市在住の荒津さん宅に取りに行くことになっている。郵送先をお願いして、それが今日届いたというので、参上することにしたのである。夕刻にお邪魔しようと考え、それまでの間とうきびを茹でたり、水を汲んだりなどして時間を過ごす。それらの一連の作業が完了して、今日泊るのを予定している道の駅:花ロードえにわに向かう。17時頃に到着して、間もなく奥さんがお出でになり、お宅の方へご招待頂くこととなった。お宅は恵庭の道の駅から至近距離にあり、車を道の駅に置いて、歩いてお宅までご案内頂いた。先日ブログで恵庭の道の駅に泊ると予定を書いた際には、当日変更してしまったので、奥さんは道の駅までお出でになり、車を懸命に探されてても見当たらず、全く失礼してしまっているので、この当日変更というのは、決してやってはならないと深く反省している次第。

 4年ぶりにご尊顔を拝して、お元気そうなので安堵する。先日ご主人とはお会いしてしばしの歓談をしているのだけど、奥さんの方は今日までお会いできなかったのである。その後は、まあ、奥さんの心づくしの美味なる、魅力的な食べ物や肴の数々をご馳走になりながらサッポロならではのビールを頂き、話題のつきない歓談がいつまでも続いた。自分の好物のジャガイモもご用意いただいて恐縮した。旅では食べられない家庭料理の数々を頂けることは、本当に嬉しく有難いおもてなしである。又、帰り際には数々のお土産を頂き、恐縮の限りだった。娘と息子の里帰りのような気持なのだとおっしゃっていただき、そのお心遣いにはただ只頭が下がるだけである。本当にありがとうございました。今日は、ご主人は別荘の方へお出でになっており、話ができなかったのが心残りだけど、今度来た時はご主人ともゆっくり話をしたなと思った。しみじみと人の情愛を感じ味わったいい一日だった。

コメント
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