山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第67回>

2018-07-31 05:02:24 | くるま旅くらしの話

【今日(7/31:火)の予定】 

本別町義経の里キャンプ場 →(R242他)→ 本別町歴史民俗資料館 →(R242・)→ 足寄町郷土資料館 →(R)→ 陸別町関寛齋記念館 →(R)→ オンネト―湖 → その先未定

 

【昨日(7/30:月)のレポート】 天気:曇り後晴れ

<行程>

本別町義経の里キャンプ場 →(R242)→ 足寄動物化石博物館 →(R242)→ 道の駅:足寄銀河ホール →(R242)→ 本別町義経の里キャンプ場(泊)

<レポート>

 昨夜は2時頃に起き出して、ブログの発信を済ませる。夕方涼しくなる筈の天気が、いつになっても気温が下がらず、しかもかなり湿度が高くて、来道以降初めての熱帯夜を体験することになった。内地の方たちは毎晩このような状態なのかと、たった一夜の出来事を必要以上に愚痴ることもあるまいとは思いつつ、エアコンなど付いていない狭い車の世界では、もう窓を開けて風を通すしかない。夜明け近くなって何とか涼しくなって、ようやく生きた心地がするようになった。

 二度寝の後5時半には起き出して、いつものように6kmほど付近の散歩に出かける。このキャンプ場は本別川に沿って造られており、今朝は今まで行ったことのない上流の方に向かう道を選んだ。その先に何があるのか知らずに歩いて行ったのだが、道は途絶えることなく続いており、1kmほど行くと、小麦畑や、韃靼蕎麦の畑などが広がっていた。開拓は既に大分前からこのような場所まで進んでいたのだということを知り、人間の持つ力の大きさを知った感じがした。3kmほど行ったら、「ヒグマが出没するので注意!」という立て札があり、これはヤバいかなと思って引き返すことにした。キタキツネ君なら積極的に逃げてくれるけど、熊君の場合はそうはゆかないだろうと思う。とにかく戻った方が無難と考え、来た道を戻る。道端の野草たちの観察に気をとられながらの散策だったが、早やくもヤマハギが咲いているのを見つけて、どこかにもう秋が忍び寄っているのだなと思った。昨夜の暑さは消え去って、今は寒さを覚えるくらいの曇りの朝となっている。車に戻って一息入れて、今日の行程を見直す。

 当初はここ本別町の資料館訪問は諦め、今日は足寄の動物化石博物館を見た後、阿寒湖の方に向かおうと考えていたのだが、もう一度思いなおして、太平洋戦争の末期ここ本別町も空襲を受けて被害を蒙っているという話を聞いているので、やっぱりこの地の歴史を知っておく必要があると思った。それに足寄町にも郷土資料館があるというのを知り、又陸別町の関寛齋記念館は是非とも見ておかなければならないと考え、いずれも今日は休館日となっているので、今日は足寄の動物化石博物館だけを見て、もう一度この義経の里キャンプ場に戻り泊って、明日その3カ所を見た後阿寒方面へ向かうことにする。

 ということで、8時半頃出発して先ずは近くにある道の駅:ステラ☆ほんべつへ行き、トイレの処理等をする。トイレはキャンプ場よりも道の駅の方が数段優れているので、多くの場合そのように対処している。トイレの後足寄に向かって出発。本別の中心街から足寄の中心街までの距離は14kmくらいしかない至近である。しかも動物化石博物館は本別側寄りにあるので、15分ほどで到着した。9時30分開館なので、ほぼ1番乗りといった感じだった。実のところ化石というものにそれほど興味関心があるわけではない。65歳以上は半額の200円では入れるので、折角だから見ておこうという野次馬的な考えなのである。動物化石というから古代の生物のものなのだろうと入っていたのだが、それはアショロアと呼ばれる海に住んでいた動物の化石がこの地で発見され、引き続きべヘモトプスなどという別の種類の化石も発見されて、この博物館が作られることになったようである。こんな山奥で海の生物の化石ばかりが見つかり、館内にはそれらの想定骨格標本が幾つも展示されていて、この地球の歴史の変転の凄まじさを表わしている感じがした。それにしても部分の一部しかない骨の化石から、よくもまあこれほどまでの全体像が想定できるものだと、専門家の執念のようなものに感動した。先日の三笠博物館でのアンモナイトの壮大な展示やむかわ町穂別博物館のむかわ竜など、北海道の太古の海は豊かであって、多くの生きものが生息していたのだなということに改めて不思議を覚えた。

 1時間ほどの見学を終えた後は、近くの道の駅:足寄銀河ホールにもちょっと寄って、何か変わったことはないかと覗いたりした。博物館に入っている間に天気は一変してすっかり夏空になっていた。気温はぐんぐん上がり、これではキャンプ場は厳しいなと思った。風が通ってすれればいいのだが、昨夜のように無風だと灼熱地獄となってしまう。椅子やテーブルなどのキャンプ用具を持参していれば、林間の木陰の中で涼しい時間を過ごせるのだが、今回は移動中心の旅なので、小さな折りたたみ椅子しか持参していない。不安を抱きながらキャンプ場に戻る。

 その後は予想していた通りの灼熱地獄の暮らしとなった。車の中は34℃を超す暑さとなり、その中で1時間半ほど昼寝を試みたが、ギブアップして起床。邦子どのが窓を全て開放して、ようやく30℃となり、少し風が通るようになったが、それでも暑い。時々林間に逃げ出して涼をとり、16時近くになってどうにか雲が日を遮ってくれるようになり、風も吹き出してくれたので、ようやく生き返った感じがした。内地の、特に大水害で被災された方々のことを思えば、贅沢な愚痴など言っていられないのだが、人間いざとなれば大自然の寒暑には太刀打ち出来るものではなく、暑い!の愚痴ばかりである。19時を過ぎるとようやく北海道らしさの夜が近づいてきたようである。それでも今夜は窓を開けたままの就寝となった。明日このエリアの訪問を終えたら、道東の方に向かわなければならないなと思っている。道東には熱帯夜はないと信じている。やれやれの一日だった。

コメント
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