山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第41回>

2018-07-05 04:42:58 | くるま旅くらしの話

【今日(7/5)の予定】 

道の駅:旭川 → 天侯が不安定なため様子を見てから予定を決める

 

【昨日(7/4)のレポート】 天気:雨のち曇り

<行程>

道の駅:あさひかわ → 旭川市博物館 →(D他)→ 旭川兵村記念館 → 道の駅:あさひかわ(泊)

<レポート>

 昨夜もかなりの雨が降ったようだ。昨日は早朝から10回近くもエリアメールが避難勧告や避難指示を送ってきたりしていのだが、夕刻になると今度は避難解除のメールが何度も届いたりして、直接関係のない場所の者たちには眠ろうとする度に起こされたりして、最後の頃は無視して眠ることになってしまった。先ずは無事に避難が解除された方々に良かったねと言うべきなのに、人間というのはやはり自己中心的でわがままな存在であるようだ。

 さて、今日はどうするか。本州の方には台風がやって来て被害の出ているところもあると言うニュースが流れている。北海道の方も明日はその影響を受けるらしく、再び大雨が降るらしい。全くうんざりするのだが、天の働きには抵抗できない。しばらく様子を見ることにしたが、雨も大したことなさそうなので、先ずは直ぐ近くにある旭川市博物館に行って見ることにした。市の博物館は道の駅からは道路一つを挟んだ向こうにあって、5分もかからない。300円也を払って見学開始となる。

 旭川博物館は地元の上川アイヌの歴史や暮らしぶりに力を入れた展示をされているようで、かなりのスペースが割かれていた。今までかなりのアイヌ関係の展示や解説に触れているので、特に目立って新しく感ずるものはなかったが、原野に近い環境の中で、巧みに自然と接し、あらゆるものを神と敬って生きるという姿には、それを破壊してしまった和人の文明の罪のようなものを思わないわけには行かなかった。その他にも旭川の歴史についての展示もあって、この町の発展の経緯等を知ることが出来て有意義だった。

 その後は、少し離れた所にある兵村記念館というのを訪ねることにして、車に戻って出発する。市街地を通り抜けて旭山動物園に向かう道の途中に旭川神社というのがあり、そのすぐ傍に兵村記念館があった。旭川といえば、屯田兵の町、軍隊の町というイメージが強い。軍隊のことはあまりよく解らないのだが、戦前までの国内では、その存在と影響力はかなりのものがあったのだと思う。戦後はそのようなものが一気に払拭され、静かな存在としての自衛隊が組織されているけど、往時は町の繁栄にも影響を及ぼすほどの存在だったに違いない。ま、軍隊はさて措くとして、屯田兵のことはもう少し詳しく知っておきたいと思っての来訪だった。

 中に入ると様々な資料が展示されていて、丁寧な説明がついていたので、大いに役立った。この旭川の地には、旭川、永山、当麻の三地区にそれぞれ400戸ずつの屯田兵が配置されていたとのこと。これらの兵は家族も帯同していたのだから、配置入植した時は、凡そ8千人ほどの人々がこの地にやって来たということになる。未開の地にこれほどの人々がやって来るというのは、やはり国の政策だったから出来たことなのであろう。その出身地の内訳を見ると、四国地区が一番多く、次が中国地区で、これらを合わせて約半数を占めていたことを知った。全国各地から募集したのであろうが、関東などは少なくて、我が茨城県はゼロだった。それが何故なのかは解らないけど、往時の時代背景の何かが関わっているのかもしれない。今まで開拓の厳しさを見て来ているので、屯田兵に支給されている住宅などを見ると民間の小作人の人たちとは雲泥の差があったのだなとやや複雑な気持ちにもなった。しかし、原野を開拓する使命に関してはその差はなく、相当に厳しいものだったのだと思う。北海道第2の大都市旭川もこのような人々の開拓精神と汗そしてたくさんの涙等から出発しているのだなと、改めて敬意を表する気持となった。その後は旭川神社に参拝して再び道の駅:あさひかわに戻る。

 道の駅に戻り、今夜もここに泊ることにして、買い物に出かけて戻って来ると、見知らぬ方が訪ねて来られて声をかけられた。はて、どなただろうと外へ出て見ると、群馬県から来られたという方が名を名乗られて、自分のブログ等をご覧になっておられるというお話だった。奥さんとその妹さんも一緒なのだが、現在買い物に出かけられているというお話だった。自分たちもこれから昼食という時だったので、もう少し経って奥さんたちが戻られたら是非お越しいただいてお話しましょうということになった。嬉しいハプニングである。

  昼食が済んで、奥さんたちが戻られて、我がボロ車にお越しいただいて、改めて挨拶を交わしたのだが、お名前を聞いてはっきり思い出すことが出来たのである。竹之内さんにはもう何年も前に既に出会っていたのだった。拙著をお買い頂き、加えて旅の記録もお買い上げ頂いていたのだった。その送付の際にどこかでお会いできたら良いですねと書いたのだった。だから初めてはなかったのだ。しかし、知り合ってはいても直接ご尊顔を拝するのは初めてだったのである。このような出会いは、自分の人生には最高の出来ごとの一つだと思っている。今まで何回か同じような出会いがあって、その度に大きな感動を味わわせて頂いている。

 さてそれからは5人での賑やかな歓談となった。何しろ女性が3人もいて、これを合わせればどうなるかといえば、それは火を見るよりも明らかなこととなる。特に邦子どのは今まで沈みかけていた疲れた魚が勢いを一気に取り戻したかの如く元気になり、いつものように自分などの出番など無視して話を動かし続けていた。これには竹之内さんもいささか呆れたことであろう。ま、お許しあれ。楽しい歓談は、あっという間に時間が過ぎて、その後女性3人は竹之内さんの車の方へ行って、話の続きがかなり弾んだようだった。男性陣も二人でしばらくゆっくり話をした後、一先ずお別れする。邦子どのはその後もしばらく嬉しさを爆発させ続けていたようで、なかなか戻って来なかった。思わぬハプニングの嬉しい出来事だった。

 さて、明日のことだが、予報では今夜未明から午前中にかけて大雨が降るとのこと。又避難勧告や指示が出るような事態となるやもしれず、何とも不安なことではある。このような時は動き回るのは危険である。取り敢えずこの道の駅は安全な場所と考えて、しばらく様子を見ることにしたい。様子を見ながら、なかなか水が引かないようならば、いっそしばらくここを基地にして旭山動物園通いでもするかなどと考えている。孫たちに動物たちの写真を撮ってやるのもいいかなと考えたりしている。それにしても晴れてくれないと、動物たちも憂鬱な顔となってしまっているだろう。

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