山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘14年 北海道旅くらしのレポート <第33回>

2014-08-21 05:12:44 | くるま旅くらしの話

【今日(8/21)の予定】 

  終日クッチャロ湖キャンプ場に滞在(泊)

 

【昨日(8月20日:水)のレポート】天気:曇り時々雨

<行程>

道の駅:かみゆうべつ温泉チューリップの湯 →(R242・R238)→ 道の駅:オホーツク紋別 →(R238)→ 道の駅:おうむ →(R238・道道)→ 枝幸町・ウスタイベ千畳岩キャンプ場 →(R238・道道)→ 浜頓別町・クッチャロ湖キャンプ場(泊) 

<レポート>

 昨夜は大雨になるのかと心配していたが、夜中に何度か目覚めたときにも雨音は聞こえず、朝になってもそれは変わらなかった。6時近くにブログの投稿を終えて外を見ると、雨雲らしき暗い雲が空を覆っていたが、悪さをするほどの低さではなかった。このところ各地で雨の被害が頻発しており、ニュースで広島市の局地的豪雨災害を聞いて驚き胸を痛めた。広島市安佐南区には知人もおり、災禍に巻き込まれたはいないかと心配が募った。住まいを決める時には相当に慎重に安全のことを考えないと、いつ何時災禍に見舞われるかたまったものではないなと思った。守谷市の我が家は、ノアの洪水でも起こらない限り、水害を被ることはないと思うけど、大地震などではどうなるのか想像もつかない。大自然の不測の災害に対しては、人間は所詮無力なのだが、それにしても住まいに対する最初の判断は重要だなと改めて思った。

 今日は旅の密かな第二の滞在地である浜頓別町のクッチャロ湖畔のキャンプ場入りをする予定の日である。今のところ我々の旅での最北の拠点と考えている。稚内にも良いキャンプ場があるけど、クッチャロ湖には遠く及ばないと思っている。湖の湖畔にあるキャンプ場だけど、相棒でさえも津波や増水などの被害のイメージは湧かないようで、実際にそのような事態に遭遇したとしても、逃げ道は確保されているので、心配は少ないと思う。

 「かみゆうべつ温泉チューリップの湯」という、長い道の駅名には閉口する。書くときに16字も要するなんて、主語にするときは真に扱いが面倒である。ま、パソコンだからいいけど、手書きの場合は大変だ。かみゆうべつ温泉とかチューリップの湯だけでもいいのではないかと思うのだけど、地元の人たちにはそうはゆかない理由があるようだ。上湧別は一つの町かと思っていたら、湧別町の一地区であることに気付いた。昨夜泊めて頂いた駐車場の脇にあったバスの停留所の表示板には中湧別と書かれていたので、地図を良く見たらすぐ隣の温泉は上湧別であり、この辺りが地区の境に当るらしい。渡り鳥さん達から見たら笑ってしまう、人間の区分執着という習性の世界であろう。旅に出ると時々渡り鳥の心境となる。渡り鳥には地名も境界も無用である。

 道の駅を9時前に出発して、北上を開始する。昨日のコムケ国際キャンプ場の入口の所を通りながら、昨夜あそこに泊ったらどうだったかな、などと思った。少し走り続けて、紋別市の郊外近くで給油を済ます。ここから稚内までは給油無しで行こうと考えている。稚内まで行けば少し安い価格で給油できるスタンドがあるからである。再び走り続けて、途中興部の道の駅でトイレ休憩。興部をおこっぺと読むことができる初めての訪問者は、地元出身以外は皆無だと思う。アイヌ語への当て字は自由奔放というのか、当時の役人が付けたものだと思うけど、真に良い加減である。売店は閉まっていて、元気のなさそうな雰囲気が少し気になった。その後更に北上を続けて雄武(おうむ)のLPガス充てん所に寄り、空になっていたボンベ一本を満たす。そこから少し走って雄武の道の駅で小休止。ここも何度もお世話になっている道の駅だが、今日は平日の日中とあってか、閑散としていた。

一息入れて北上を続け、枝幸(えさし)町のスーパーに買い物をしようと立ち寄る。この時、駐車場に入る前の交差点の信号の前でふとダッシュボードのオッドメーターを見たら、何とSUN号の走りが丁度190000kmに達していた。と同時に異変が起こった。計器類の標示の中に「T-BELT」というのがあり、これはスタート時にランプがつくけどその後は消えて表示されることはないのだが、これが突然点いたのである。そもそも機械音痴の自分には「T-BELT」などいうものが何なのかが解らない。駐車場に車を入れた後、取扱説明書を取り出して調べたら、タイミングベルトというもので、標示点灯は取り換えが必要という警告とのこと。放置しておくとエンジンに障害を及ぼす危険性があるとも書かれていた。さて困った。そのようなことが解ってもどう対処すればいいのか解らない。それで、とにかくいつも見てもらっている守谷市のトヨペットに電話して訊いてみることにした。面倒なことにならねば良いがと思いながらの電話だったが、訊いた話では10万キロほど走ると自動的に点灯するようにセットしてあり、前回は9万キロ時点で取り換えているので、それが点ったのだとのこと。直ぐに取り換えなくてもどうこうということはないので、旅から戻って取り換えても大丈夫とのことだった。やれやれと胸を撫でおろす。車の故障は旅の生命線に直結している。

 買い物を済ませ、少し走ってウスタイベ千畳岩という枝幸町を見下ろす大きな岩の上につくられたキャンプ場に行き昼食休憩。ここは7月初旬に催されるかに祭りで何回か来て泊っているのだが、最近は利用したことがない。海の傍で風が強い時が多く、どうしても敬遠してしまう。今日もかなりの強風が吹いていたが、何人かのキャンパーがテントを張ったりして滞在していた。昼食を済ませて一息入れて、出発する。ここから浜頓別町のクッチャロ湖までは30km程だからもう直ぐである。

 間もなく頓別川を渡り、浜頓別町の中心街を通り抜けてクッチャロ湖畔のキャンプ場に到着する。思ったよりも多くのキャンパーが訪れていたので驚いた。バイクの人たちが多くて、それぞれが思い思いの場所に小さなテントの花を咲かせていた。普通車の人たちも多かった。我々のようなキャブコンは皆無で、どうしてなのかなと思った。とにかく無事に目的地に着いたので、先ずは安堵する。明日から何日滞在するかは天気次第だと思っている。取り敢えず4泊することにして申し込みを終える。TVはヘンテナの地デジもBSも良く映り、心配は電源だけである。天気になればそれも無用になるのだが、さてこの後どうなるのか。

 今日はここまでで終わり。

  

キャンプ場からのクッチャロ湖の景観。海につながる湖だが、少し離れているので、いつも波は穏やかである。

 

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‘14年 北海道旅くらしのレポート <第32回>

2014-08-20 05:48:42 | くるま旅くらしの話

【今日(8/20)の予定】 

  道の駅:かみゆうべつ温泉チューリップの湯 →(R242・R238)→ 道の駅:オホーツク紋別 →(R238)→ 道の駅:おうむ → その先未定 

 

【昨日(8月19日:火)のレポート】天気:曇り後雨

<行程>

岩尾内湖白樺キャンプ場 →(道道・R273)→ 道の駅:香りの里たきのうえ →(R273・道道)→ 道の駅:まるせっぷ →(R333・道道)→ マウレ山荘(温泉入浴)→(道道・R333・R242・R238)→ コムケ国際キャンプ場 →(R238・R242)→ かみゆうべつ温泉チューリップの湯(泊) 

<レポート>

 岩尾内湖白樺キャンプ場は、TVが映らないことを除けば(本来キャンプ場といえばそれが当り前なのだが)優れた環境のキャンプ場だと思った。次回からは大いに活用させて頂こうと思った。今までの旅ではどうしても道の駅に依存しがちだったけど、これから先はなるべくキャンプ場を中心の旅くらしに変えてゆきたいと思っている。本当は、少しずつ増えつつあるRVパークのようなものがもっともっと全国的に増えて、旅車はそこに泊るのが当たり前となるのを期待しているのだが、観光立国などを盛んに唱えている国の当局は、外国人の来訪者が車を使っての旅を考えることなどに思いが至っておらず、その際の重要なインフラである車用の宿泊簡易施設の建築や普及に全く目を向けていない。この現状を真に残念に思っている。あと十数年を待たずして、そのニーズを思い知らされる時が必ず来るのではないか。しかし、その時にはもはや自分はあの世で別のことを考えているに違いない。少し横道にそれてしまった。

 朝、キャンプ場の園内を歩いていたら、たくさんのプラムが落ちているのに気付き、拾ってきた。園内に植えられた木に実が付いているのだが、殆どの人が気づかず、ただ落ちるに任せているようである。若い人たちはそのようなものに関心を持つのが少ないようで、名も知らぬままにただの何かの木の実としか思わないのだろうけど、老人は食べられるものとそうでないものとの見分けには敏感で、食べられるものを見逃したりはしない。戦後の飢えの時代を生きてきた者には、忘れられない習性となってしまったようだ。甘酸っぱい実を口に入れながら、このプラムの木を植えた人に感謝した。

  

岩尾内湖白樺キャンプ場内のSUN号。旅は本来はこのような静かな環境の中でくらしのエッセンスをかみしめながら時を過ごすべきものではないかと思うようになった。

 さて、今日も移動日である。当面の目的地は浜頓別町にあるクッチャロ湖のキャンプ場で、ここに着いたら1週間くらいはゆっくり滞在したいと思っている。すぐにでも行きたいのだけど、生憎今日と明日は雨の予報なので、この間は無理をせずにゆっくり北上するつもりでいる。先ずは一番近い滝上町の道の駅を目指すことにする。ここでは朝ドラが見られないので、滝上の道の駅に行けば見られるはずと、朝食はそこに着いてから食べることにして、7時過ぎにキャンプ場を出発する。近いと思っていたのだが、ナビを入れたら50km近くあり、意外と遠くなので驚いた。しかしまあ、北海道ならばこれくらいは近い部類に入るのであろう。熊出没や鹿の飛び出し注意の掲示板を見ながら山道を走って、滝上町の道の駅に着いたのは8時5分前だった。それから急いでTVを設定して、さてヘンテナの力はどうかと心配したが、しっかり映ってくれたので安堵した。他愛もない話である。

 朝食の後、駅舎の方に行き道路情報の掲示を見ていたら、丸瀬布への通行が出来ますと書かれていた。通行止めとなっていた道道が解除されたということだった。それならば丸瀬布温泉に入ることができる。丸瀬布温泉のマウレ山荘は、HOに掲載の無料入浴ができるし、ここのマウレミュージアムには世界の障害者の描かれた絵画が集められて展示されており、その昔障害者の絵画に係ったことのある自分には少なからぬ親近感のある場所なのである。これから紋別の方に行こうと考えていたのだが、予定を変更して、丸瀬布の方に行くことを決める。

 少し雨が降り出して来た。その中を再び山の中の道を丸瀬布の方に向かう。丸瀬布町は平成の大合併で遠軽町と一緒になり、今は遠軽町となっている。合併の際には足して二で割るというような町名や降って湧いたような新たな町名などが現れるのだが、丸瀬布町は静かに遠軽町に入ることを了承したのだろうか。そんなことを思ったりしながらの走りだった。R333に出て丸瀬布町の中心街を左折して武利という所にあるマウレ山荘に向かう。10kmほど走って11時半ごろに到着する。相棒はレストランでの食事を楽しみに出かけて行った。本来なら一緒に行くべきなのだろうが、自分はよほどでない限り外食は遠慮しているので、この頃は相棒も諦めてくれているようである。

 それぞれの昼食が終わって、その後は1時間ほど休息する。14時少し前に温泉へ。ここのお湯は柔らかで温めであり、身体にしみ込むように疲れを癒してくれる感じがする。露天もあって、木々の緑を見ながら最大の山の幸ともいえる温泉を味わった。入る前に一時止んでいた雨は、車に戻る頃に再び降り出していた。それほど酷い降り方ではないので助かっている。この後どうするかをいろいろ考えた結果、久しく行っていないコムケ国際キャンプ場に行って泊ることにしようと決める。今までは泊りを道の駅に依存する傾向大だったが、これからの旅はなるべくキャンプ場を利用することにしようと考え出している。スローライフを志向するのにはキャンプ場でなければならない。当たり前のことに気付いたに過ぎない。

 途中丸瀬布の道の駅に寄ったりしながら、湧別川流域の町々を通り過ぎ、R238に入ってしばらく走り、間もなくコムケ国際キャンプ場に到着する。何だか数年前とは変った雰囲気である。以前は遠かった湖が直ぐ近くまで迫って来ているような感じがした。事務所で受け付けをする前に付近を見たのだが、一台の車も一張りのテントも見られなかった。雨は降っているし、それこそ大潮の時に地震があって津波でも押し寄せてきたら逃げるのは大変だ、と相棒の顔にはありありとその不安が現れている。こりゃあ泊るのは無理だなと即断して車を戻し、先ほど通過してきた上湧別町にある道の駅:かみゆうべつ温泉チューリップの湯に行って泊ることにした。

 たとえ何事も起こらなくても、不安を抱えたまま一夜を過ごすというのは、くるま旅では避けるべき所業であろう。相棒と一緒の旅では、今迄の経験からそのことをよくよく承知しているので、この頃はそう決めている。雨の中を20km近く戻って、少し損をしたような気分となったが、これはいた仕方ない。上湧別の道の駅にはいい温泉があり何回かお世話になっているけど、今日はパスである。旅の車も何台か泊っていた。この道の駅でも今まではTVの設定に苦労していたのだが、ヘンテナの力は絶大で、何の苦労もなしにバッチリ映ったのである。しかし、報道などの中身は相変わらずで、どうしてこんなことが、と思うような事件ばかりである。世の中は世界も含めて、精神的には確実に退歩しているように思えてならない。

 夕食後は早々と寝床に入ったのだが、相棒の話では、この雨の中を近くの広場では盆踊りが挙行されていたとか。お盆行事をここまで引っ張ってきた町の関係者の意地なのであろうが、お気の毒だなと思った。憎い雨ではある。直ぐに眠りの世界に入る。

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‘14年 北海道旅くらしのレポート <第31回>

2014-08-19 02:38:23 | くるま旅くらしの話

【今日(8/19)の予定】 

  岩尾内湖白樺キャンプ場 →(道道)→ 道の駅:香りの里たきのうえ →(R273・道道)→ 道の駅:オホーツク紋別 →(R238)→ 道の駅:雄武 → その先未定

 

【昨日(8月18日:月)のレポート】天気: 晴れ

<行程>

美深アイランドキャンプ場 →(R40・道道)→ 岩尾内湖白樺キャンプ場(泊) 

<レポート>

 今日も書くことは殆どなしの移動日。でも、自分たちの旅は今日から本番を迎えると考えている。

家を出てから31日目となり、丁度一カ月を経過する。今までの旅の中心テーマは、旅の友、知人との再会だった。2年ぶりのお互いの無事の確認は、高齢化に首を突っ込むほど大切になるということを、改めて思い知らされた日々でもあった。順風満帆で日々を過ごしてきた人は少なく、何かしらの苦しみや悲しみを背負いながらの旅人が多いように思った。お釈迦様のおっしゃるように、「生・病・老・死」は、人がこの世に生れてから誰でも経なければならないプロセスであり、その時々のテーマであることを思い知ったのだった。

 美深のキャンプ場には、旅の大先達が何人か滞在しておられ、その中でも最高齢者のワダさんは、自分よりも一回り年長の86歳の高齢者である。夏の北海道へのくるま旅を始められてから既に30年を迎えられようとしている。昨年奥様を亡くされ、長い間のお二人の旅の思いを込められて、昨年の夏は散骨に何箇所かを回られたとお聞きしている。今年はどうなさるのかと心配だったが、我々の心配を乗り越えて、美深のキャンプ場に滞在されているのだった。ご自身も幾つもの大病に痛めつけられて、決して楽に動ける身体ではないのに、その旅にかける執念の凄まじさを思い知らされる感じがした。ご挨拶に参上してお聞きしたのは、住まいのある愛媛県は松山の暑い夏を乗り切る自信はなく、北海道に来なければ熱中症などでたちまちこの世を去ることになってしまうとのお話だった。幾許(いくばく)かのジョークも含めてのお話だとは思うけど、半ば以上が本気のように思った。いつどこで倒れても判るようにと、細かな連絡先を記したメモまで用意されているのを拝見して、覚悟の日々なのだなと思った。今の自分には想像もつかない心境である。とにかく無理は決してなさらぬようにと、繰り返してお願いして、設営されているテントを辞した。どうかご無事でお帰りになれるようにと祈るのみ。

 13時頃までの間に、もう一度ヘンテナをつくり上げて、取り換えることにした。今度はアルミのポールにして、以前のものよりもしっかりしたものが出来上がった。この手作りアンテナには興味を示される方もおられるらしく、付近を散策されている何人かが指さしながら通り過ぎてゆくのを見たり、中には傍に寄って来られて熱心に観察されている方もおられて、そんな時には知人に教えてもらったことも忘れたかのように、その作り方を説明したりした。とにかく、この場所では良く映るので、満足だった。

 13時半ごろ、北に向かうことにしてキャンプ場を出発する。これから先はオホーツク海側に出て北上し、雄武町でLPガスを補てんした後、浜頓別町のクッチャロ湖に行き、そこでしばらくゆっくり過ごすつもりでいる。何日滞在するかは今のところ未定。その後は稚内まで北上して何日か過ごし、それから日本海側を南下してゆるりと帰途につくつもりでいる。今日は先ずは名寄市内で給油と食材などを仕入れた後、まだ行ったことのない士別市の山奥にある岩尾内湖畔にあるキャンプ場に行って見て、もし良かったらそこに泊ってもいいなと考えている。ダメなときは隣の滝上町の道の駅に泊まるか、あるいは紋別まで行ってそこの道の駅にお世話になるかも、などとも思っている。成り行き次第である。

 名寄から山道に入り、熊出没注意の表示板のある道を1時間半ほど走ると巨大なコンクリートのダムの壁が見えてきた。こういうのを見ると相棒はビビるのである。あの壁が崩れて大洪水になりはせぬか、或いは湖畔などに泊ったら大雨が降って湖の水が押し寄せては来ぬか、などとあらぬ妄想にとらわれてしまうらしく、少し表情が厳しくなっていた。しかし、キャンプ場に着いてみると湖の水は少なく、白樺の樹間に緑豊かな地面が広がっていて、その心配は消え去ったようだった。林の間には何台かの車が留っており、テントも何張りか設営されていた。事務所の方に聞くと無料だとのこと。直ぐに泊ることに決める。

 その後TVの設定をしたのだが、さすがのヘンテナも四方が山に囲まれ、木々たちに囲まれたこの環境では歯が立たないらしく、受信は不可能だった。それではBSの方をと、いろいろやって見たのだが、これもまたどうもうまくゆかない。ついに諦めて、今夜は本来の旅人に戻って、TVなど無しで、日の沈むと共に眠り、日の出と共に起きるという暮らしを志向することにした。相棒が呆れるのもかまわずに一杯やって、18時には寝床の人となる。

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‘14年 北海道旅くらしのレポート <第30回>

2014-08-18 04:57:10 | くるま旅くらしの話

【今日(8/18)の予定】 

  美深アイランドキャンプ場 → 未定

 

【昨日(8月17日:日)のレポート】天気: 晴れ

<行程>

道の駅:ひがしかわ道草館 →(道道)→ 旭川ラーメン村 →(道道・R40)→ 道の駅:絵本の里けんぶち →(R40)→ 美深アイランドキャンプ場(泊) 

<レポート>

 今日は書くことは殆どなしの移動日。書くとすれば「ヘンテナ」のことくらいか。ヘンテナというのは、手作りの地デジアンテナことで、これを考えだされた方が、そのような呼び方をされていたのが伝わったらしい。先日ウトロの道の駅で、イナオカさんご夫妻に逢って旧交を温めた際に、ご主人からこの手作りアンテナの図面と作り方を教えて頂いたのだが、それは家に帰ってからやって見ようと考えていた。それを昨日旭川のホームセンターで材料を買ったものだから、昨夜真夜中にパッチリ目覚めてしまい、起き出してそのヘンテナを作って見たという話なのである。ちょっと、そのことを書いてみよう。

 頂戴した図面をどこかに仕舞い忘れており、覚えているのは材料のアルミ管とアンテナの曲げる時のサイズだけなのである。何しろ現在使っている地デジアンテナは重さが4kg近くあり、それを支えているポールが旅の途中で壊れてしまい、わずかしか動かせない状態となっており、そのため地デジが良く映らない場所が多く、BSに頼るしかない状況が続いていたのである。それで材料が買えれば試しに作って見ようと思ったのである。図面には細かい材料などが書かれていたけど、何処を探しても見つからないのである。覚えているのは横が20cm、縦が30cmのサイズだけで、それを折り曲げて長方形の四角を二つ作り、それをクロスさせて半田付などして固定させ、四角の一つにケーブルを開いてプラスとマイナスに分けた線を巻きつけるという作業だけである。かなりアバウトなのだけど、とにかくそれに似たものを作って見ることにした。

 相棒に文句を言われるのは覚悟の上で、深夜の1時に起き出して作業を開始する。先ずアルミ管を曲げるのだが、初めてのことなので要領が判らず一発で最初の曲げるのを失敗して折ってしまった。しかし余分な材料がないので、後で絶縁テープでぐるぐる巻きしてつなぐことにした。どうにか2本を曲げ終わって、クロスさせて固定するのだけど、もちろん半田ゴテなどないので、一緒に買ったアルミ線で括って取り付けることにした。格好が悪いのは仕方がない。結線の上を絶縁テープでぐるぐる巻きして、どうにか完成させ、それを立てるポールとして買ってきた細い木の角材を使うことにし、これもテープを巻いて固定することにした。2時間ほどで完成したが、外はまだ真暗で時計は3時を過ぎたばかりだった。直ぐに実験するわけにはゆかないので、一先ずもう一度寝床にもぐりこみ、目覚めたのは5時半近くだった。

 既に明るくなっており、近くの泊りの方たちも起き出して朝食の準備などをし始めていた。どんな按配かと恐る恐る車のサイドミラーに取り付けてTVのスイッチを入れたのだが、何と昨日の設定のままだったのに、実にきれいに映っているのである。寝ぼけていた相棒も起きだし、しばらくの間二人とも呆れて画面に見入ったのだった。今まで何回もアンテナを取り換えてやってきたけど、満足のゆく結果は少なかったのに、このようないい加減な手作りのアンテナで、こんなにきれいに映るとは! 嬉しいというよりもあっけにとられ、その後は複雑な気持ちとなったのだった。

とにかく良く映るようになったのだから、文句を言う筋合いではない。これでこの先の旅も少し楽になれるかと、先ずはホッとしたのである。ところが、その後に欲が出て、幾らなんでも細い木製のポールではみっともないし頼りないから、せめてしっかりとしたアルミ製のポールに変えようと材料を買い足し、その作業を剣淵町の道の駅でやって見たのだが、その結果は惨敗で、さっぱり映らなくなってしまった。ポールを木からアルミに変えたのが拙いのかと、元に戻してみたのだが、やはりダメで映らない状況だった。これじゃあ、もう一度作り直さねばなるまいと美深のキャンプ場に着くまでの間にホームセンターを回って材料を買い集め、間もなくキャンプ場入りをしたのだが、作り直しをする前に試しに取り付けてチャンネル設定を行ってみたら、なんと、今度はきれいに映っているではないか! その原因が何なのか良く解らないけど、要するに映るのであるからアンテナに問題があるわけではなく、剣淵のその地域の電波の状態がキャッチしにくかったというだけのことなのかも知れない。電気の知識が皆無に等しい老人が、朝から晩までヘンテナの成功と失敗に振り回されたヘンテコな一日だったという話である。

ヘンテナに振り回されたため、取り敢えず美深のキャンプ場に来てしまう結果となったが、元々は明日にここを訪れ、大先輩を表敬訪問するつもりでいたので、それが少し早やまったということである。今日の報告はこれで終わり。いやあ、疲れた。

  

老人がいい加減に作ったヘンテナ。こんな粗末なものなのだが、1万円を超えるような地デジアンテナよりも感度がよく、きれいに映るのが不思議である。材料費は780円だったが、一番高かったのはアルミの針金で300円ほど。実質費用は500円もかかっていない。

 

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‘14年 北海道旅くらしのレポート <第29回>

2014-08-17 01:43:02 | くるま旅くらしの話

【今日(8/17)の予定】 

  道の駅:ひがしかわ道草館 → 未定

【昨日(8月16日:土)のレポート】天気: 曇り後晴れ

<行程>

道の駅:あしょろ銀河ホール21 →(R242・R273)→ 道の駅:足寄湖 →(R273・R39)→ 層雲峡駐車場 →(R39)→ 当麻町スポーツランドの温泉 →(R39・道道)→ 道の駅:ひがしかわ(泊) 

<レポート>

 一夜明けての道の駅:あしょろ銀河ホール21の駐車場は、7割方車で埋まっていたので驚いた。我々と同じように昨夜は盆踊りや花火の打ち上げを楽しんだ旅の人たちがたくさんおられたのだなと思った。ブログの投稿を終えた後、いつものように町中を1時間ばかり散策する。北海道の町や村のつくりは、どこに行ってもほぼ同じようで、町の中心となる役場やそれに関連する公共の施設などを囲み連なって、市街地といえば町の中心街を走るメインロードに沿って1km足らずほど商店やその他の事業に係る家々が立ち並び、そこを離れるとたちまち草地や樹木が茂る山地となっている。足寄町は平成の大合併で巨大面積の自治体(浜松市や高山市など)が生まれるまでは、日本で一番広い面積を誇る町だったのだが、その中心街といえばやはり他の町などと変わらない状況だった。

 朝食を終え、一休みした後相棒共々にマツシマさんに電気(特にバッテリーとソーラーに関して)に関してのご教導を頂く。これは特に相棒の要請が強く、その方面に関しては全く知識も技能もない自分は、普段から相棒には全く相手にされない存在なので、相棒はその道の専門家であるマツシマさんにどうしても教えて頂くのだと思いを強くしていたのだった。丁寧懇切な説明を受けて、相棒も十二分に納得したようだった。くるま旅をするようになって、初めの頃は車の設備や装置などについて多少知識や技能も身につけようと心掛けていたのだが、その後いつの間にかそのような考えはどこかに消え去ってしまい、車には殆ど何も手を加えないまま、必要最小限のことをくるま屋さんにお願いして取り付けてもらうだけだった。それが、今回の旅で気づいたのは、TVのアンテナなどについて周囲を良く見ると、自分のような大げさで面倒な装置を使っている人は殆ど皆無で、皆さんもっと簡便で性能の良いものを自分で工夫して作成したり、取り付けたりして使っているのである。ちょっと恥ずかしい気分にもなった。それで一念発起して、一先ずTVのアンテナだけはもっと簡単に写り、使えるものを工夫することに決めたのである。マツシマさんにも、作ってあげようかとお助けのお声をかけて頂いたのだが、敢えて自分で取り組んでみることを申し上げて、謝辞したのだった。旅から戻ったら、とにかく何とかしなければならないと思っている。

 さて、今日はマツシマご夫妻とお別れして、旭川の方に向かうことにしている。2日間だったけど、マツシマさんご夫妻には、地元の何人かの方とお引き合わせて頂くなどして、本別町や足寄町などのこの北の大地に住まわれる方々の素晴らしさと良さをたくさん教えて頂き、お礼の言葉もないほど嬉しくありがたく思った。新しい方との出会いを含めて、今回学んだことを今後も大切に維持し、育てていきたいと思った。ありがとうございました。

 9時半近く、マツシマさんご夫妻に別れのご挨拶をして足寄の道の駅を後にする。先ずは国道242から国道273に入り、足寄町のもう一つの道の駅:足寄湖に寄りトイレの処理などをする。すぐに出発して、層雲峡方面に向かうことにする。当初は士幌町にある道の駅:しほろ温泉に行って風呂に入ろうかと思っていたのだが、そんなに急いで入らなくてもいいと思いを切り替え、旭川まで行くことにした。何処に泊ることになるのか判らないけど、相棒が東川の木工細工の店に行きたがっているので、もしかした今日中にそこまで行ってしまうかも知れない。それは成り行き次第である。

 山道を上り下りすること2時間弱、途中で糠平湖に水没と出現を繰り返すという幻の橋梁、タウシュベツ川橋梁の展望所などに立ち寄り、写真などを撮ったりして、ようやく層雲峡の駐車場に到着する。層雲峡の観光はもう何度も来ているので今日は止めることにした。ここで一昨日買っておいたジャガイモを茹でて昼食にする。勿論これは自分だけの話で、相棒は別。レッドムーンという名の赤い表皮のジャガイモは、大きさがインカのめざめに良く似ていたが、味の方は今一だった。それでも不満はない。今度は積極的には買わないだけである。昼食の後は14時まで休憩とする。珍しく相棒は寝床の中へ。そして自分はブログの下書きなどをして過ごす。

  

上士幌町糠平湖付近、タウシュベツ川橋梁の景観。写真では何度も見ていたが、実物を見たのは今回が初めてだった。今年は水不足で、先日の大雨にも拘わらず橋梁は完全むき出しの状態となっていた。

 14時を少し回った頃再出発。取り敢えず当麻町の道の駅を目指すことにした。しばらく下りの続く道を走って、途中から無料の高速道があったので、それを利用することにして、愛別ICまで走りそこから一般道を走って間もなくR39に入る。相棒は疲れてしまったらしく、今日は温泉には入らないというので、自分だけが温泉に入ることとなった。何処にするかしばらく迷った後、この先の当麻町のスポーツ運動公園の中にある何とか言う名の温泉に入ることにして向かう。15時ごろ到着する。旭川エリアは足寄とはかなり天気が違っていて、糠平からの三国峠を越えるといきなりの晴天となっていた。層雲峡の駐車場はラッキーにも木陰だったけど、当麻町のこの温泉の駐車場は木陰も日陰も全くなく、むき出しの太陽のギンギラギンを照射されて、とんでもない暑さだった。とにかく後のことは相棒に任せて、自分一人が温泉に出向き、髭などが伸びてむさい顔をさっぱりさせに行くことになった。小一時間ほど温泉やサウナ、水風呂などに浸かって気分転換をし、車に戻る。相棒はあまりにも暑いので、寝床に入るのを敬遠せざるを得なかったとのこと。何をしていたかは知るところではない。

 このままここに泊るという選択肢もあったのだけど、日はまだ高くとても今から滞留する気分にはなれず、取り敢えず旭川市街に向かうことにし、途中で給油を済ます。その後はショッピングモールのある場所に出向き、少々買い物などを済ます。このようなことをしている内にようやく夕暮れ近くになり、今日の宿はやはり東川町の道の駅:ひがしかわ道草館にすることにして向かう。18時少し過ぎ到着。第1駐車場の方はかなり混雑していたので、第2駐車場の方に車を停め、錨を下ろす。近くの学校の校庭で盆踊り大会が催されていて、賑やかな太鼓の音が聞こえていた。お盆は終っているのだけど、今日明日は休日とあって、それに子どもたちは夏休みの最後となるらしく、各地で北海盆唄が流れていた。夕食の後、相棒と一緒にちょいと覗きに行ったが、自分は直ぐに車に戻り、相棒だけがその後も踊りの成り行きを関心を持って見続けていたようだった。明日はどうするか思案しながら、寝床にもぐる。相棒が何時戻ったかは知らない。

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‘14年 北海道旅くらしのレポート <第28回>

2014-08-16 05:50:08 | くるま旅くらしの話

【今日(8/16)の予定】 

  本別町・西美里別の知人宅 →(道道)→ 道の駅:士幌おんせん → その先未定

 

【昨日(8月15日:金)のレポート】天気:

<行程>

道の駅:ステラほんべつ →(道道)→ 静山キャンプ場 →(道道・R242・道道)→ 西美里別・知人宅 (足寄夏祭り見物など)→(道道)→ 道の駅:足寄銀河ホール21(泊) 

<レポート>

 【今回も前回同様、簡明に記すことにします】

いい気分で眠りに就いて、目覚めたのは4時過ぎだった。外の景色は本別の町中で、場所は道の駅:ステラ本別。昨夜の臨時の宿である。ブログ投稿を終え、その後1時間ほど町の中心エリアを散策する。利別川が近くを流れていて、小ちんまりとまとまった町の中心街だった。昨日の盆踊りの際に町役場の建物に掲げられたスローガンの中に、「戦禍の焦土から立ちあがった私たち町民は、‥」とあるのを見て、空襲があったのかと少し疑念があったのだが、後で訊くと実際にその被害をこうむったのだとのこと。本別のこのエリアは天気の崩れも少なく良い気候に恵まれていたため、帯広と間違えた米軍が爆弾を投下したという話だった。充分に納得した。それにしても良い気候が仇になるとは。戦争は愚かな行為だと改めて思った。

 

7時少し前には3家族共に目覚めて、それぞれの朝食などに取り掛かる。その後、マツシマさんご夫妻は9時からアマチュアハムの定時無線連絡のために先に自宅に戻られた。これから浦幌に向かうというオオヤさんご夫妻を残して別れを告げ、我々も近くの静山キャンプ場に行って一息入れることにして出発する。静山キャンプ場のある本別公園は、義経伝説縁の地であるとかで、義経館というのが作られており、庭には義経と弁慶の像なども作られていた。エゾに逃れたという義経のその後の話は、この地以外でも聴いたことがあり、この主従は日本の歴史に登場する人物の中ではトップクラスの愛された悲劇の存在なのだなと、改めて思った。

 

再びマツシマさん宅にお邪魔し、11時過ぎまで歓談の後、マツシマさんにご案内頂き、足寄湖近くに12年の歳月をかけて、たった一人で建築中という方の家を見せて頂きに向かう。行ってみると、想像をはるかに超えたイギリス風の建物で、土台の石や全て古い道内の民家の解体廃材を利用して造られたという。150坪にも及ぶスケールの大きさにただただ感嘆するのみ。完成までにあと5年を要する見込みだという。世の中には凄い人がおられるものだと、芝刈りをされていたご本人の顔を見ながら恐れ入るばかりだった。

  

すべてたった一人の力で建築中の英国風御殿。外側はほぼ出来上がったが、ここまで12年の歳月を要しており、内部や庭が完成するまでには、尚5年の時間が必要だとのこと。

 その後は、昨夜お世話になったオガワさん宅に連れて行って頂き、しばらく歓談する。奥様にもお目にかかり、美味しいお茶をご馳走になった。また、自宅に引かれている名水を頂戴し、ペットボトルを満たす。北海道の方らしい豪快なお住まいで、水もこの上なく美味だった。

 

今夜のメインイベントの花火大会を見る前に螺湾地区にお住まいの花作りなどをされている、マツシマさんのもう一人の知人の所へご案内頂くことで、先に足寄の道の駅に車を停め、一台で行くことにしようと道の駅に着いたら、既に超混雑が始まっており、これでは戻って来た時の駐車スペースが確保できないかもしれないと心配になり、訪問を次の機会にすることにし、ここでこのまま開始時間を待つことにする。やがて、盆踊りや花火大会が始まった。

  

足寄の盆踊りの開始。北の大地の夏一番の楽しみのイベントである。子供の部や仮装踊りなどが組まれていた。

  

 北の大地の夏の終わりの大空に炸裂する花火。思わずのどよめきが広がって、人々の様々な思いが光の中を一瞬さ迷う。

足寄の花火大会は、十勝地方の中でも最大級で、しめくくり的なイベントらしい。かなりの人出で川辺の道路は混雑していた。3部に別れて工夫を凝らされた様々な花火が夜空を彩った。自分自身花火を見ることは20年ぶりくらいになる久しぶりのことで、偶にはいいものだなと思った。十二分に堪能して車に戻り、今夜はマツシマさんの車と二台並んで道の駅に泊る。楽しくも嬉しい一日だった。明日からは再び移動付きの旅が始まる。

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‘14年 北海道旅くらしのレポート <第27回>

2014-08-15 05:48:18 | くるま旅くらしの話

今日(8/15)の予定】 

  終日本別町西美里別の知人宅に滞在

 

【昨日(8月14日:木)のレポート】天気: 晴れ(雲多し)

<行程>

本別町静山キャンプ場 →(道道)→ 西美里別・知人宅 (ヒマワリ迷路探訪・盆踊り大会見物など) 

<レポート>

 【いつも長文の記事を書いているので、今日と明日は簡明に記すことにします】

 

本別町の本別公園エリアに造られているキャンプ場は、数多い北海道の同様の施設の中でも有数の優れたものだと思った。昔から伝わる義経伝説を活かして、大自然を巧みに利用して、町民のみならずここを訪れた人たちが、心と身体の疲れを静かに癒せる環境が整えられていた。

  

 木立の中に作られているキャンプ場はマイナスイオンが溢れるほどで、大勢のキャンパーがその緑の世界を楽しんでいた。

11時少し前に、本別町西美里別に夏期の3ヶ月間ほど家を借りてお住まいのマツシマさんご夫妻を訪問する。自分よりも10歳年長のマツシマさんは奥さん共々我々のあこがれのお方で、お元気に来訪を迎えて下さった。2年ぶりの再会である。先着されていたマツシマさんの知人のオオヤさんご夫妻をご紹介いただく。また、旅の新しい知人の輪が広がった。嬉しくも楽しい出会いだった。

 

昼食をいただき休憩の後、近くの農地に育てられたヒマワリ畑で1週間だけ作られる巨大迷路のイベントを見に連れだって出発する。4500坪の広大なヒマワリ畑に作られた迷路は、何故かトラクターの引く観客運びの車も働いていて、迷路の中を迷わずに運行されていた。

  

 4500坪の広大なヒマワリ畑。イベントのキャッチフレーズには3000坪の迷路と書かれているけど、実際よりも小さく称しているのは、北海道らしい大らかさかなと思った。

夕刻近く、マツシマ夫人心づくしの早めの夕食を頂いた後、本別町役場の広場で開催されている盆踊り大会を見物に連れて行って頂く。この時期道内の各地で同様のイベントが開催されているけど、これは町や村に住む人々が、そして外来の人々も含めて絆を強める大切な時間なのだと思った。相棒もオオヤ夫人も踊りに参加していた。

  

盆踊り風景。この踊りは日本らしさの籠もったフォークダンスのようなものだが、大都市からは消え去る傾向にあり、地方の中に生き続けているのは日本人が日本人であることを忘れぬ証しでもあるような気がした。 

踊りが終わって、最後の行事の「餅撒き」が終わり、そのあとは何とマツシマさんの知人の地元の方(オガワさん)に、近くの居酒屋でご馳走になり恐縮した。オガワさんは地元の有力企業の会長さんとお聞きした。障害者の方の雇用も積極的になされているとマツシマさんからお聞きし、その気さくなねじり鉢巻姿にますます尊敬の念を抱いた。近くにいたお客さんも一緒になっての楽しい歓談のひと時だった。

 

その後は、飲酒運転などできるわけがなく、予めそのために3家族とも旅車で来訪しており、道の駅の駐車場にお世話になっている車に戻り、それぞれの宿とする。くるま旅ならではの自在の宿である。

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‘14年 北海道旅くらしのレポート <第26回>

2014-08-14 06:42:09 | くるま旅くらしの話

【今日(8/14)の予定】 

  本別町静山キャンプ場 →(道道)→ 西美里別・知人宅 → その先未定・但し泊りは知人宅

 

【昨日(8月13日:水)のレポート】天気: 曇りのち晴れ

<行程>

道の駅:メルヘンの丘めまんべつ →(R39)→ 北見市内経由 →(R39)→ 道の駅:おんねゆ温泉 →(R39・R242)→ 道の駅:オーロラタウンりくべつ →(R242)→ 足寄温泉 →(R242)→ 本別町静山キャンプ場(泊)

<レポート>

 道の駅:メルヘンの丘めまんべつの一夜はかなりの台数の旅車が泊ったようで、朝になって外を見ると寝る時にはいなかった車が隣のスペースにも止まっていた。今日からお盆入りということで、道内の在住者の方も車で来られているようで、札幌や函館ナンバーの車なども見られた。天気は晴れとの予報だが、空に雲が多く今のところ晴れになるような気配はなかった。ブログを書き終えた後、小一時間ばかり近くの畑の脇道などを散策した。ここはメルヘンの丘と名付けられているけど、確かにその風景はロマンを感じさせるものがあり、空想を湧き立たせるような広い丘の風景が横たわっている。麦を刈った茶色の畝跡の脇にビート畑の緑色が寄り添って遠くまで伸びており、その彼方に何か知らぬが痩せた樹木が数本だけ立って見える景色は、印象に残るものだった。それらの丘の中を歩くと、どこか遠いヨーロッパの大地を歩いているような感覚になり、ハイジのような少女たちが飛び出してくるようなメルヘンチックな気分になるのである。ま、ジサマには少し縁遠い世界ではあるけど、それでも穏やかな気分になれる歩きだった。

  

幻想的なメルヘンの丘の景観。これは早朝の光が少ない時刻での画像だけど、明るくなると又様子は一変する。

 車に戻り、朝食の後給水などして、近くにある地元生産の野菜などの販売所の開店を待っていると、近くに泊っていた車の方から声を掛けられ、相棒も混ざってしばしの歓談となった。その方は北九州ナンバーで、自分たちもその昔福岡で7年暮らしたことがあり、親近感もあったのである。話を伺っているうちに、ますます親近感は強まったのだった。その方は猿を一匹連れて奥さんと一緒に旅に来ておられ、大道芸的なことを楽しみながらついでに旅も楽しんでおられるとのことだった。相棒が自分(馬骨)がちょっぴり手品などの他人を楽しませる技などに興味を持っているのだなどと話をすると、彼は俄然力を込めて自分の持っておられるその秘訣のようなことについて語ってくれたのだった。それはかつて自分が企業な教育の場で他人に向かって話をするときに気づいたこととほぼ同じ中身だった。しかし、彼は大道芸で飯を食ってきたという確信のようなものがあり、はるかに迫力のある内容だった。理屈ではなく実際の経験、体験から身につけられた考えであり、その情熱に圧倒された。彼によると自分は素質があるとのことだった。九州地元では弟子の方も何人かおられるそうで、大道芸というか、他人を楽しませるには、一見胡散臭そうな顔の人物が有利なのだそうである。その胡散臭そうな顔を備えている自分には大いにその素地があるのだと力説されてしまった。自分自身も胡散臭そうな顔には自信を持っており、それは素直にそう思うのだけど、さて、実際どこから入れば芸らしきものが身につくのか。これを機に取り組んでみるのも面白いかなと思った。又一つの新しい出会いがあって、楽しい時間だった。

 野菜類を少しばかり買い入れて、出発する。今日は調整日である。というのも本別に夏期の間家を借りて過ごしておられる知人からお招きを受けて、15日にお邪魔する予定だったのだが、先日改めて確認の意味でお邪魔することをお知らせすると、すぐに返信があって、どうせなら14日にいらっしゃいとのことだった。その日は盆踊り大会があるから一緒に楽しみましょうというお話。それでは14日の午後にお邪魔しますと伝えたら、今度は午前中に来て一緒に昼食もというご案内だった。遠慮は捨ててお言葉に甘えることにした。嬉しいお話である。ということで、明日には本別町西美里別のお住まいをお邪魔することになっており、今日はその近くまで行って泊ることにしている。予定としては道の駅:おんねゆ温泉を考えているけど、どうなるかは気分次第である。

 R39を走り続けて、途中から無料の高速道に入って北見の方に向かったが、5分ほど走ったら元のR39に出てしまったのでちょっと驚いた。そのあとも走り続けて北見市街に入り、途中で給油をする。この給油所では、給油が終わった後に籤のような装置が付いていて、当ると割引されるようになっているのだが、今日は何と一等が当たってL当り5円引きになったとの相棒の話。ラッキーである。少し気分を良くしながら走って、間もなく道の駅:おんねゆ温泉に到着。この道の駅も驚くほどの混雑ぶりだった。今日はお盆の入りで、夏休みも終わりに近づいていることもあってか、道内各地からの子ども連れの車が圧倒的に多いようだった。というのも、この道の駅には東洋一とかいわれるからくり鳩時計があり、更に隣接して山の水族館という淡水魚の水族館があり、人気のある場所なのである。水族館の前には長蛇の列が出来ているのを見て驚いた。このような風景を見るのは初めてのことである。

 ここで昼食をとりしばらく休むことにした。ジャガイモと人参の煮物を作り、その後に蕎麦を茹でて食べることにする。この担当は全て自分であり、出来上がる間相棒はどこかへ何か獲物を探して歩き回っていた。間もなく相棒が戻って来て、それに少し間に合わず遅れて蕎麦が出来上がる。先日買った幌加内の蕎麦はなかなか美味だった。満足してそのあとはしばらく休憩。天気は回復して時々雲間から暑い日射しが降りかかる。しかし、空の半分以上は黒雲などに覆われていて、まだ完全回復とはいえない状態だった。

14時近くまで休んで、とにかくここにいても仕方ないので、陸別町の道の駅の近くに温泉があるらしいので、そこに行って入った後、道の駅に泊ろうかと考え、向かうことにする。来た道を少し戻って、留辺蘂からR242に入り、置戸町を経由して陸別町に向かう。陸別町の道の駅には行ったことがあるけど、この道を通るのは初めてである。急坂の多い山道なのかなと予想していたのだが、それは大きく外れて意外となだらかな道が多かったので助かった。道の両側は樹木ばかりで、あまり広さを実感できなかったが、その分間近に緑を見ながらの運転は疲れが少なくて済んだように思う。1時間ほど走って道の駅:オーロラタウンりくべつに着いたが、お盆のイベントがあるのか、駅の構内は慌ただしい雰囲気で駐車場もかなりの車が泊っていて、落ち着かない状況だった。とにかく風呂に入ろうと行ってみたのだが、何と16時からの営業だという。1時間も待つには耐えられないので、それじゃあ足寄迄行くことにしようと変更を決める。調べた結果、足寄温泉というのがあるので、そこへ行き、その後道の駅:足寄銀河ホールに行って泊ることにする。

陸別から40分ほど走って足寄町の中心街を通過する。道の駅も通過して2kmほど行った先に足寄温泉があった。さっそく中に入る。古い温泉施設で、設備もかなり疲れていたが、お湯の方は本物で、不満はなかった。小一時間ほど湯を楽しんで外に出たのだが、すっかり回復した天気はまだまだ太陽が威力を発揮していて、木陰がないと苦しくなるような陽ざしだった。これから戻って道の駅で過ごすのは厳しいと考え、予て知人から聞いていた本別町にある静山キャンプ場という所へ行って見ることにした。本別町には道の駅もあり、キャンプ場がダメなときはそこに泊れば良い。ということで、もう一度予定を変更して静山キャンプ場に向かう。

20分ほど走ってキャンプ場に到着。ここは本別公園の隣にあって、林間には100張近くもあろうかと思われるほどのたくさんのテントが張られて大勢の方がキャンプをしておられた。こんな立派なキャンプ場があるのを今まで知らなかったとは何といううかつさだろうと思った。駐車場はまだかなりの余裕があったので、今夜はここに泊めてもらおうと決める。来て良かったなと思った。随分と行き当たりばったりの変更をした一日だったけど、最後は最高の場所に収まることが出来て、満足だった。これで明日は安心して、余裕を持って知人宅を訪ねることができる。終わり良ければすべて良し。

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‘14年 北海道旅くらしのレポート <第25回>

2014-08-13 01:18:22 | くるま旅くらしの話

【今日(8/13)の予定】 

  道の駅:メルヘンの丘めまんべつ →(R39)→ 北見市内経由 →(R39)→ 道の駅:おんねゆ温泉(泊)

 

【昨日(8月12日:火)のレポート】天気:

<行程>

道の駅:摩周温泉 →(R241・R243)→ 道の駅:ぐるっとパノラマ美幌峠 →(R243)→ 美幌市街で買い物など →(R243・R39)→ 道の駅:メルヘンの丘めまんべつ(泊)

<レポート>

 道の駅:摩周温泉の朝は霧の中だった。予報では晴れとのこと。これは間違いないだろう。台風一過の後の青空は清々しいものだが、その後に来る暑さには閉口する。なるべくならカラッとした晴れの天気にして欲しいと願う。その霧の中を1時間ほど釧路川に沿って歩いた。何度も歩いているコースだけど、今日の釧路川は、昨日の雨で濁った水を流していた。思ったほど水かさは増えてはおらず、それはこの地が上流に位置しているからなのであろう。釧路川は屈斜路湖を源流としており、その呼び名は湖と同じ「クッシャロ」から来ているとのこと。クッシャロは縮めて発音すれば、クシロとなるわけである。川に架かる橋のたもとにその命名の由来が書かれた掲示板があった。誰も歩いていない川の側道を一人占めにして朝の空気を吸いながらの歩きだった。

  

釧路川の命名の由来が書かれた表示板。弟子屈市街を流れる釧路川に架かる橋には、この説明板が各所に置かれている。

 昨夜も大変な混みようで、駐車場は満杯近くなっていたようだ。歩きから戻る頃には、半分以上の人が次の目的地に向かって出発して行った。皆さん何かに追いかけられるように急いでおられるのを見て、その昔の自分たちの旅の毎日を思い出したりした。今はその気は全くなく、特別のことでもない限りは、10時頃までは動かないようにしている。間もなく霧が晴れて来て、太陽が顔をのぞかせ次第に暑さが増してきた。今日は、昨日予定していた大空町の道の駅までちんたら行ってそこに泊るつもりでいる。昨日は東藻琴経由でのコースを考えていたが、今日は暑くなってきているので、コースを変更し美幌峠経由で行くことにした。美幌峠には道の駅があり、そこに留まれば涼風に恵まれて暑さを逃れられるという計算である。10時過ぎ道の駅:摩周温泉を出発する。

 しばらく平地を走り、屈斜路湖に突き出た和琴半島の入口を過ぎて、両側に林の続く道を走ると、次第に登りとなってやがて展望が開けてくる。眼下に屈斜路湖が見えるようになると、間もなく美幌峠となり、道の駅の駐車場に車を停める。11時少し前ということもあり、今日はかなりの混雑ぶりである。車のナンバーを見ると、地元よりも遠来の内地ナンバーの方が多いような気がした。予想通り、風が吹いていて、暑さを適当にコントロールしてくれていた。少し強い風も時々吹くけど、下界の暑さを思えば、これは天恵の風といってよい。ここで昼食にし、そのあとも2時くらいまでは昼寝などして休むことにする。

 相棒は裁縫道具を取り出し、自分の被る帽子の制作に取り組んでいるので、しばらく峠の上の方まで散策に出かけることにした。その前に昼ごはんを仕掛けることにして、米を計量しこれを洗ってガスコンロにかけての出発だった。このような作業は本来相棒が為すべき仕事だとは思っているのだけど、サービスのつもりで行った次第である。(これが後で問題となった)峠の上の方に展望所があり、そこまで散策路が作られている。この散策路の両側には魅力的な野草たちが花を咲かせてくれているのを知っているので、今日は何種類の花たちに会えるかが楽しみだった。散策路は急な坂道で、一番上まで登る人は少ないのがいつもなのだが、今日は何故か若い人が多いらしくかなりの人たちが上まで登っていた。やはり花たちの花期は殆ど終わってしまっていて、残っているといえばヤマハハコとヨツバヒヨドリくらいだった。その中で足もと脇に小さな紫の花を咲かせている草があり、それをカメラに収めたのだが、名前は判らなかった。センブリのような花の形で、葉も良く似ているのだが、あまりにも小さいので違うような気がした。車に戻って図鑑を調べて見たのだが、どうもわからない。これは課題にしようと思った。

  

美幌峠の展望所の足元近くに何箇所か花を咲かせていた野草。センブリでもリンドウでもなさそうな草丈10cmにも満たない小さな野草だった。ここは厳しい環境なので、これ以上は大きくなれないのかもしれない。

 美幌峠の景観は大きく、道の駅の名もぐるっとパノラマ美幌峠となっているけど、まさにその通りの雄大な景観である。屈斜路湖を見下ろす景色はカメラには収まりきれず、その一部しか写せないのが残念だった。遠望と足もとの花たちに気を取られながらの散策だった。

  

美幌峠から屈斜路湖方面を俯瞰する。真ん中の島は中島。その向こうの山が摩周山なのだが、天気が良くて霞がかかりはっきりしない。

  ところで、これから問題が起こったのである。実は時々起っている現象なのだが、夫婦二人旅というのは、このようなお粗末な出来事も包って時間が過ぎていることを解って頂くためにあえて記すことにした。というのは、散策に出かける前にご飯を仕掛けていったのだが、戻って見るとそれに火が入っており、間もなく出来上がりを待つ時間だったのである。勿論これは相棒がやってくれていることなのだが、自分が戻って来た時に丁度沸騰して、相棒が慌ててその蓋を開けた時に、言語道断のセリフを吐いたのである。というのも、自分が仕掛けた釜の中の米が傾いたままだったらしく、そのままご飯を炊いてしまったので、火の回りが不均等になっていたらしく、それに気づいた相棒が吐いたセリフが「××××××××!」という罵詈雑言的な恐ろしく下品なものだったのである。それがどんな文句かは、クイズにして当てて貰いたいくらいである。勿論その罵詈雑言は自分に向けて発せられたものであり、断固許しがたいものだったので、それで昼ご飯は食べないことを即時宣言したのだった。相棒を弩鳴るよりもこの方が怒りを鎮めるのには良いように思った。よって、自分は今日は昼飯抜きということになった次第。このような愚にもつかない話をあえて書く必要もないのだけど、時には本当のことも書くべきかと。

 そのあと1時間ほど昼寝をして高原の涼を味わった後、次の目的地の美幌市街に向かう。長い坂道を下り続けて平地に出ると、間もなく美幌市街の郊外商店街に到着。ここで買い物とコインランドリーなどの用を済ます。そのあとは大空町の道の駅:メルヘンの丘めまんべつに向かう。道の駅到着は17時半近くだった。10台近くの旅車らしき車が先着していた。日中はここもかなり暑かったのだと思うけど、夕方になって暑さは消え去ってくれたようで、今夜は心配なく眠れるようである。TVくをセットしたら、丁度高校野球の実況をしており、郷里の茨城県代表藤代高が岐阜の大垣日大高と対戦して10対5でリードしていたのだが、見ている内に何だか怪しげな戦いぶりになり、最後は逆転負けをしてしまった。茨城県の何処が代表になったのかも知らずに出かけてきたのだが、藤代高は守谷市の隣町の取手市にあり、ご近所でもある。もう少し頑張って欲しかった。1回戦敗退は残念である。夕食は拒否するのは止め、2食分を補給するつもりで、一杯やって早々に寝床に入る。

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‘14年 北海道旅くらしのレポート <第24回>

2014-08-12 05:25:59 | くるま旅くらしの話

【今日(8/12)の予定】 

  道の駅:摩周温泉 →(R391・R243)→ 美幌峠 →(R243・R39)→ 道の駅:メルヘンの丘めまんべつ(泊)

 

【昨日(8月11日:月)のレポート】天気:雨のち曇り

<行程>

川湯温泉園地 →(道道)→ JR川湯温泉駅 →(R391)→ ホテルパークウエイ(温泉入浴) →(R391・R241)→ 道の駅:摩周温泉(泊)

<レポート>

 昨夜は寝入りの頃は大して雨も降らず、風も全くない状態だったのだが、さすがに台風の影響を逃れられるはずがなく、その後次第に雨が本降りになり、やがて天井を叩く音が騒がしくなり始めた。そのまま眠りに就いたのだが、その後も雨脚は弱まる気配を見せず、朝になっても一向に止む気配はなかった。その内に少し風が出て来て、心配性の相棒は付近の大木が倒れて来はしないかと、相変わらずの心細げな顔つきだった。ここは林間の中につくられた駐車場なので、その可能性無きにしも非らずなのだが、それはよほどの強風の場合で、今吹いている風は木を倒すほどの勢いはなかった。TVのニュースでは、北海道は今日一杯は道内全域が雨や風に悩まされそうなので、これじゃあ、あまり動くのは賢くないなと思い、当初は東藻琴経由で大空町の道の駅まで行こうと考えていたのを急遽変更することにした。

 変更の内容というのは、昨日立ち寄った道の駅:摩周温泉に行って、そこで過ごすことである。あの道の駅ならば、雨風が吹いても大勢の仲間が滞在しているので、安心できるというわけ。これは自分というよりも相棒の考えがベースになっている。孤独に弱い人なのである。ま、かなり悪質な台風のようなので、不安のない場所でじっと危険の通過を待つというのが正道というものであろう。老人の空元気は厳に慎まなければならない。

 ということで、10時過ぎに雨の中を出発し、先ずはJR川湯温泉駅に行き給水とトイレ処理を行う。雨の中の作業は、着ているカッパを通して着衣を濡らすに十分なほどだった。半ばやけくそになって水汲み場やトイレを何度か往復した。それが終わって、昨日入る予定を変更したホテルパークウエイの温泉に向かう。ここの湯は川湯温泉のエリアにありながら、硫黄の臭いのしない澄んだお湯なのである。これは手術の跡の残る相棒にとっては嬉しい条件のお湯で、大いに楽しみにしていたのだった。料金が10円値上がりして310円になっていたけど、何の不満もない。それから小一時間ゆっくりと雨の中の作業の疲れを取り去る。

 雨は依然として降り続いている。風も時々強い奴が襲って来たりしている中を弟子屈町の中心街に向かって進む。道の駅に定着する前に、早や12時を過ぎている時刻なので、JR摩周温泉駅前にある店に行き、名物になりつつある摩周の豚丼を手に入れることにして立ち寄る。これは相棒の分で、自分は昨日買った掘りたてのジャガイモを茹でて食べるつもりでいる。間もなく道の駅に到着。駐車場は相変わらずの混雑ぶりで、空いている駐車スペースを探すのに苦労した。ようやく見出して車を入れ、今日はここに腰を据えることにした。

 それにしても大変な混雑ぶりである。駅舎が建て替えられる前のことを思うと今昔の差の大きさに戸惑うほどだ。以前は摩周という名の入る魅惑的な呼称にもかかわらず数台の車が泊るに過ぎなかったのだ。その分釧路川を挟んでの向かい側にある水郷公園の駐車場は超満杯で、今のこの状態を凌ぐほどの混雑ぶりだった。現在の水郷公園は、ひっそりとしていて泊る車は2,3台に過ぎない。この建て替えは成功もしくは成功が行き過ぎての失敗ともいうべき状況なのかもしれない。あまりに来客が多過ぎると、管理にかなりの力を要することになるからである。ま、それは余計な勘ぐりというものであろう。

 雨もようやく小降りになって止みかけ始めた。一眠りして目覚めたのは15時頃だったか。ニュースでは川の増水での氾濫が何箇所か報道されていたけど、このすぐ近くを流れる釧路川も下流の方では、かなり危険な状態となっている所があるようだ。この辺りは源流の屈斜路湖に近いので、増水しているとはいえ氾濫するほどではないけど、支流からの水を呑込んで流れる下流域では、心配なことであろう。早く勢いが収まって欲しいなと思った。為すこともないので、TVなどを見て時間を過ごす。そのまま夜となり、雨が再び降り出した。最後の一降りをたくらんでいるらしい。台風は既に消滅しているので、悪あがきなのであろう。明日は天気は回復するというので、今度は猛暑が気になる。転向に翻弄されるのは人間の弱さの証明であろうけど、とにかくいかなる気象条件にも耐えてゆかなけらばならない。そのような当たり前のことを考えながら、再び長い夜を迎える。

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