山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第2日):その2

2009-01-04 01:36:49 | くるま旅くらしの話

   

 四国八十八ヶ所霊場、第1番札所、霊山寺の仁王門。巡礼はこの門を潜って、本堂、大師堂等を拝しながら開始される。

霊山寺の参詣を終え、次の2番札所の極楽寺(ごくらくじ)に向うが、その前に近くにある道の駅:第九の里というのをちょっと覗いてみた。格別変ったこともない小さな道の駅だった。第九というのは勿論ベートーベン作曲の交響曲のことで、ここはかつて第1次世界大戦の時のドイツ軍の捕虜を日本が預かった場所だという。その収容所の跡に記念館が建てられ、その近くに新しく道の駅が出来たということだった。

極楽寺は道の駅から5分もかからない所にあり、20分ほどで参詣を済ませる。次の3番札所の金泉寺(こんせんじ)も直ぐ近くなのだが、案内板に従って細い道を行くのはキャンピングカーとしてはヒヤヒヤものである。この辺には撫養街道(県道12号線)に沿って左右にお寺が点在している。しかし撫養街道を走るのはほんの少しで、お寺からお寺への移動道路は殆どが細い町道となる。これからずっとそのような走りとなるかと思うと、些か複雑な気持ちとなった。これも修業の一つなのだと思い直したのだった。

一つのお寺に20分ほどかけての参詣だった。第4番札所大日寺(だいにちじ)、第5番札所地蔵寺(じぞうじ)、第6番札所安楽寺(あんらくじ)、第7番札所十楽寺(じゅうらくじ)、第8番熊谷寺(くまたにじ)、第9番札所法輪寺(ほうりんじ)と回って、この頃になると日が暮れ出した。次の第10番札所の切幡寺(きりはたじ)まで何とか回ろうと行ったのだったが、車を降りてお寺への坂道を歩き始めた所で、こう暗くては写真の撮影は無理だと判断して参詣を諦め引き返すことにした。

今夜の泊まりは、少し遠いけど脇町(現美馬市)の道の駅:藍ランドうだつにお世話になることにして向う。この道の駅には以前も泊まったことがある。1時間ほどかかって到着。半日は大都市圏を走り続けて、後の半日は気持ちを切り替えてのお寺巡りとなった。それにしても今日中に第10番札所まで回ることが出来るとは思わなかった。頭の中をいろいろな思いが駆け巡って、若干疲れた感じがする。夕食の後は、早めに寝床にもぐりこむ。

◇般若心経の読み方

今回の旅では、岩波文庫のワイド版の「般若心経・金剛般若経」(中村元・紀野一義訳注)を持参した。200余ページの内、般若心経の部分は40ページに満たない短いものである。何度も読んでいるけど、本当のところは謎である。心経にもいろいろあるらしいが、一般的には三蔵玄奘法師が訳されたというものが取り上げられていると聞く。漢字で書かれているので、棒読みではない読み方で、何が書かれているかを知ることが出来る。それをここに参考までに記しておくことにしたい。

般若波羅蜜多心経       唐の三蔵法師玄奘訳す

観自在菩薩、深般若波羅蜜多(じんはんにゃはらみった)を行じし時、五蘊(ごうん)皆空なりと照見(しょうけん)して、一切の苦厄(くやく)を度したまえり。舎利子よ。色(しき)は空(くう)に異ならず、空は色に異ならず。色は即(すな)わち是れ空、空はすなわちこれ色なり。受想行識(じゅそうぎょうしき)もまたかくのごとし。舎利子よ、この諸法は空相(くうそう)にして、生ぜず、滅せず、垢(あか)つかず、淨(きよ)からず、増さず、減らず、この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もなし。眼界(げんかい)もなく、乃至(ないし)意識界もなし。無明(むみょう)もなく、亦(ま)た無明の尽くることもなし。乃至(ないし)老も死もなく、亦た老と死の尽くることもなし。苦も集も滅も道もなく、智もなく、亦た得もなし。得る所なきを以ての故に、菩提薩埵(ぼだいさった)は、般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙(けいげ)なし。罣礙なきが故に、恐怖(くふ)有ることなく、(一切の)顚倒夢想(てんどうむそう)を遠離(おんり)して、涅槃(ねはん)を究竟(くきょう)す。三世諸仏(さんぜしょぶつ)も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得たまえり。故に知るべし、般若波羅蜜多は是れ大神咒(だいじんしゅ)なり。是れ大明咒(だいみょうしゅ)なり。是れ無上咒なり。是れ無等等咒(むとうどうしゅ)なり。能()く一切の苦を除き、真実にして虚ならざるが故に、般若波羅蜜多の咒を説く。即ち咒を説いて曰く、掲帝(ぎゃてい) 掲帝 般羅掲帝(はらぎゃてい) 般羅僧掲帝(はらそうぎゃてい) 菩提僧莎訶(ぼうじそわか)   般若波羅蜜多心経 

大変難しい仏教の世界のことばが述べられており、一々解説註をを読まないと意味がわからないのだが、何百回とお経を誦していると、何となく言っていることが解る様な気持ちになってくるのが不思議である。

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