山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第3日):その2

2009-01-05 00:12:54 | くるま旅くらしの話

◇観自在菩薩とは(1)

さて、今夜からこのお経に書かれていることについて、自分の思いを綴ってみたい。先ずは、このお経の主役である「観自在菩薩」という存在についてである。「観自在菩薩」とは何なのだろうか?誰を指すのだろうか。仏教という宗教の創設者が釈迦というのであれば、本来このお経の主役もお釈迦様であって不思議はないと思うのだが、何故か観自在菩薩となっている。どうやら観自在菩薩というのは、我々が慣れ親しんで呼んでいる観音様のことらしい。違う説もあるということだけど、自分としては観音様と同じと考える方がわかりやすい。

ところで、観音様というのはどのような仏様なのであろうか。仏にも位というのがあって、如来とか菩薩とか詳しいことは解らないけど、観音様は菩薩の位だという。如来と菩薩がどう違うかなどということには関心がない。どうせお釈迦様の感知しない世界で、後世の人間どもが現世の治世のしくみを真似て作ったに違いないからである。私は、仏教は一切の差別をしない宗教だと思っている。宗教戦争を起こさないのが仏教だと思っている。少なくともわが国の国内においては、宗教戦争はなかったと思っている。本物の平和主義は仏教の考え方の中にあると思っている。それが誤解であっても構わないと思っている。

観音様の考えは、観音経というお経に書かれていると思っているが、これまた難しくてよく解らない。随分昔、京都の清水寺の貫主だった大西良慶師の話を聞いたことがあるが、その中で師は観音経について、そのエッセンスは①施無畏(せむい)と②即時観其音声、皆得解脱(そくじかんごおんじょう、かいとくげだつ)であるとおっしゃったのを思い出す。①の施無畏とは、恐れのない心を施すという意味とのこと。恐怖や心配事で悩み苦しむことを無くして下さるという意味であり、又もう一つの②の即時観其音声、皆得解脱というのは、(困ったリ悩んでいる人が、観音様に向って)どうぞお助けください!という願いに対して、即座にどんな悩みや困ったことでも解決して下さるという意味である、ということをお話しされたのだった。

人間大衆にとって、これほど便利で都合の良い仏様はいないのではないか。大小様々な悩みごとを抱えて生きている衆生(しゅじょう)にとっては、お願いすれば直ちにそれを解決してくれるというのは、こんなありがたいことはない。そして観音様は様々な姿に変身して衆生の悩みを解決して下さるという。時には馬の姿になって、衆生の悩みを馬が草を食むようにバクバクと食べてくださるという。これは馬頭観音と呼ばれている。衆生の無数の悩みを救うために、千の手を差し伸べている姿は、千手観音であるというように、観音様は全ての人間を、様々な恐れ(=畏れ)から救って下さる優しい仏様なのである。変身の数が33もあり、それゆえに観音巡りの数は33が基本となっているとも聞く。

ところで、観音様というのは本当に存在するのであろうか。存在するとすれば、何処におわすのであろうか。眠れぬ夜は、いろいろと想いがさ迷う。

   

 我が家の仏壇の聖観音菩薩像。小さな木彫りの仏像だけど、そのご利益(りやく)はとてつもなく大きい。

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