山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第14日)

2009-01-19 00:30:30 | くるま旅くらしの話

第14日 <10月15日()

Yさん宅→道の駅:第九の里(徳島県鳴門市)→道の駅:あわじ(兵庫県淡路市)→(明石海峡大橋・R2R43R310R309)→道の駅:かなん(大阪府河南町)→道の駅:ちはやあかさか(大阪府千早赤阪村)(泊) <196km

快晴の良い天気となった。少し寒さも感ずるけど、今頃の季節が一番好きである。ぐっすりと眠って、体調は万全だ。Yさんありがとうございました。しみじみと人の厚意をありがたいなと思った。

少し早めに出発して、先ずは近くにある道の駅:第九の里へ。トイレの処理と排水処理をするためである。早朝の道の駅には3台ほどの車が停まっていたが、人影は見かけなかった。お湯を沸かしお茶を淹れて、朝食を済ませた後、鳴門方面に向けて出発。今日は淡路島経由で、明石海峡大橋を渡り、神戸から一般道を大阪に向い、堺市から河内長野の方へ行って、千早赤阪村の道の駅に泊まるつもりでいる。大移動日だ。

鳴門市に入って、少し場違いかなと思いつつ海岸通りで売っていた淡路島産のタマネギを買う。食べてみないと判らないけど、まさかインチキではないだろうと思いつつの買い物だった。この頃はやたらに偽物が多いので、何を買うにも勇気が要る。小鳴門橋を渡って、鳴門北ICから有料道路の大鳴門橋を渡り、淡路島南ICで再び一般道へ。R28を急がずに安全運転で走って、岩屋の先にある道の駅:あわじに到着したのは、11時頃だった。途中、タマネギを専門に扱っている店を見つけ、車を停めてもう一度タマネギを買い入れた。ご存知だろうが、淡路島のタマネギは、他のものとは何故か一味違うのである。どう違うかは、スライスにでもして食べてみれば直ぐに判ることである。淡路島に行って、タマネギを買わない人は、北海道に行ってジャガイモやトウキビを買わない人と同じで、可哀相な人である。

道の駅で一息入れて、12時丁度出発。ここからはノンストップの強行軍である。どれくらい時間がかかるのか見当もつかない。来る時は高速道を使ったので、あっという間の感じがしたが、一般道を行くとなると、渋滞の状況によっては、暗くなってしまうかもしれない。とにかく行くだけである。

      

 明石海峡大橋を見上げる。なんという巨大な建造物なのだろう。この分だと、やがては、宇宙エレベーターなどというのもが本当に実現するのかも知れない。

明石海峡大橋を渡って、あっという間に神戸の垂水ICについて、そこを出てからR2へ。この道をどこまでも行って、途中からR43R26と行けば堺に行くので、そこからR310に入り、どこかでR309に行けば千早赤阪に行くことができる。その程度の行程プランなのである。ナビもないので、あとは状況に合わせて走るだけだ。神戸からのR2の道は、途中までは所々神戸らしさを窺わせる場所もあったが、R43に入ると、高速道の下の道ばかりで、ただ前を見て運転するだけだった。それにしても大阪・神戸エリアも何という住宅の混みようなのだろう。東京以上に密集している感じがした。

思ったよりも順調な流れで、大した渋滞もなくR309に入り、新しく出来た河南町の道の駅に着いたのは、15時半頃だった。ノンストップ、3時間半の走りだったが、さほど疲れは感じなかった。ただ、助手席の邦子どのは結構しんどかったのではないかと思う。15分ほど休憩して、予定の千早赤阪村の道の駅に向う。10分ほどで到着。

ここは何度かお邪魔している所である。河南に道の駅が出来たので、これからはここに来る車は少なくなるのかも知れない。事務所には、日本一小さな道の駅などというキャッチコピーが書かれていた。くるま旅の者が泊まりに利用させて貰う道の駅としては、ここは最高の場所の一つのように思った。トラックは入ってこないし、水を汲む場所もある。ゴミ箱がないのは残念だが、これは仕方がない。

とにかく今日はもうこれから何もせずにゆっくり休養することにして、それから後の時間を過ごす。夜は予想通りの静けさで、十分に疲れを癒すことが出来た。

◇「故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒。是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。真実不虚故。」

「故に知るべし、般若波羅蜜多は是れ大神咒なり。是れ大明咒なり。是れ無上咒なり。是れ無等等咒なり。能()く一切の苦を除き、真実にして虚ならざるが故に、般若波羅蜜多の咒を説く。」>

この辺りからよく解らなくなる。咒(しゅ)と呼ばれるものが、何故般若波羅蜜多なのか。咒というのは、不思議な霊力をもつ真言ということらしいけど、この関係が自分には解らない。八十八ヶ所のどのお寺に行っても、真言という全く意味の解らないことばというのが書かれているのだが、どう発音すればよいのかも見当がつかない。真言というのを唱えれば、知恵の完成に近づけるというのがどうも理解できないのである。

このような疑問を持つ間は、自分という奴は真言宗の信者にはなれないなと思う。特別信者になろうとしているわけではないから、それほどのこだわりはないのだが、どうもここまで来てこのお経が解らなくなるのである。どうして般若波羅蜜多が咒なのかが解らないのだ。ま、もともといい加減な人間なので、そのことにはあまりこだわらないことにして、とにかく能除一切苦(のうじょいっさいく)とか真実不虚(しんじつふこ)というようなことばに魅力を感ずるのである。とにかく真言というのが不思議な霊力を持ったことば(というか、音声というべきか)であり、それが一切の苦を取り除き、偽りのない真実であるということを、そうなのかと思うしかない。この辺のことは、古代インドのことを知らないとどうしようもない世界である。

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