山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第13日)

2009-01-18 00:18:27 | くるま旅くらしの話

第13日 <10月14日()

道の駅:源平の里:むれ→第84番:屋島寺→第85番:八栗寺→道の駅:源平の里むれ→第86番:志度寺→第87番:長尾寺→道の駅:ながお(香川県さぬき市)→第88番:大窪寺→御所の郷(温泉)(徳島県阿波市)→Yさん宅 (泊)  <112km

日は八十八ヶ所巡礼の最後の日となる予定である。残っているお寺は、高松に住んでいた時に何度も参詣しており、難所はない。道もかなり良く知っているので、今日は思いをこめて参詣を終わらせたいと思っている。参詣が終わった後は、温泉に入って汗と緊張を流し、今夜は先日電話を頂戴した徳島のYさん宅にお邪魔して歓談の時を持つことを楽しみにしている。

空模様が怪しい。今日は雨になりそうだ。8時少し前に道の駅を出発して、先ずは第84番屋島寺(やしまじ)へ。屋島ドライブウエイを通って、広い駐車場に着いた時は、他には車はなかった。雨が降り出したので、傘を持っての参詣となる。屋島寺も古刹の風格のある立派なお寺である。久しぶりの参詣に懐かしさを感じながら写真などを撮った。

   

屋島壇ノ浦とその向うは牟礼五剣山。壇ノ浦も埋め立てが進んで、その昔の面影は殆んど消えてしまった。

屋島寺のあとは、牟礼町にある第85番札所の八栗寺(やくりじ)へ。ここも何度か来ている所だ。未だ子供たちが小さい頃、八栗寺の裏にある五剣山に家族全員で登ったのを思い出したりした。邦子どのの足を考えて、往路はケーブルカーで、復路は歩いて下ることにする。ケーブルカーは八十八ヶ所の中では、ここだけである。女性の運転手のガイドを聞きながら、あっという間にお寺に到着。歩いてくれば、なかなかの難所である。剥き出しの岩の間に本堂や大師堂が建てられており、改めて信仰というもののエネルギーの大きさを感じた。

車に戻る頃まで、雨は降り続いていた。下り坂は両側が樹木に囲まれており、雨はさほど気にならなかった。元気なおばさんの一団が、坂道を登って来るのに出会った。我々は明らかに手抜きをしている。このおばさんたちのパワーには敵わないなと思った。

次は、第86番の志度寺(しどじ)である。お寺に向う前に、もう一度牟礼の道の駅に立ち寄る。その後、近くのスタンドで給油を済ませ、志度寺へ。志度寺は海の側にあって五重塔が目立った存在である。ここへも何度も来ており、改めて昔の記憶を辿りながらの参詣だった。残りはいよいよあと二つのお寺となった。先ずは、第87番の長尾寺(ながおじ)へ。小雨の中の参詣となる。境内の中を整備しているのか、工事の残材のようなものが置かれていて、やや落ち着きにかける雰囲気だった。

長尾寺の参詣を終えた後は、いよいよ結願寺である第88番札所の大窪寺(おおくぼでら)である。長尾からは40分くらいの距離だが、途中で長尾の道の駅に立ち寄り深呼吸。再び雨が強くなりだした。15年前の参詣の時も雨だったのを思い出す。12時30分大窪寺に到着。とうとう辿り着いた、といったら歩きの方には失礼かも知れないけど、車であってもやっぱりそのような思いはある。

   

大窪寺本堂。この日は生憎の雨だったが、四国八十八ヶ所を巡り終えての、安堵の顔をした善男善女が何人か参詣しておられた。

今までの総復習の意味をこめて、般若心経を誦し、参詣を終える。最後は雨の中だったが、ほんの少しだけど、何だか光の束が天から降ってくるような明るさを感じた。車は車なりの厳しさを味わいながらの八十八ヶ所の参詣だった。

13時30分、大窪寺を出発して、R193を脇町に出て、撫養街道を土成まで行き、徳島自動車道土成IC近くにある御所の郷という温泉施設のある所へ向う。丁度1時間ほどで到着。未だ小雨が降っている。とにかく温泉へ。平日とあってか、さほど混んでおらず、12日間のお寺巡りのことを思いながら湯船に浸かる。まだそれほど実感が湧かないところがあるけど、もう少し経ったら思い出はもっと深まるに違いない。1時間ほど入ってサッパリする。

この後は、Yさん宅を訪ねる。Yさんは徳島市内にお住まいがあるのだが、今度新しく藍住町の方に家を新築されたとのこと。そこを訪問の予定である。大体の住所や道案内の様子は電話で伺っており、何とかなるだろうと向ったのだが、そう簡単には行かず、少し迷ってしまった。吉野川に近い住宅街の一角のお宅を訪ね当ててお邪魔したのは、16時半近くだった。ご主人が途中まで迎えにお出ででなければ、もっと遅くなってしまったに違いない。

Yさんの新しいお宅は、住宅団地の一角に建てられたピカピカの建物だった。ここはお住まいとしてではなく、奥様の七宝焼教室の会場としてお使いになるというようなお話だった。お部屋の中をご案内頂いたが、そのようなレイアウトとなっている、素敵なお住まいだった。未だ出来上がったばかりで、ご夫婦で来られるのもそれほど多くないとのお話だった。

Yさんとは、毎年北海道でお会いしているのだが、今年はタイミングが会わずお会いすることが出来なかった。奥様と家内は同じ千葉県出身同士ということもあり、話が合うことが多いようである。ご主人は旅車のメカや装備に関しては、様々な工夫を取り入れられて、我々と同じ車なのに、中身は雲泥の差がある。特に電気に詳しい技術屋さんで、その技術力は、奥様の七宝焼の作品作りにも大きく貢献されている。奥様は日展の工芸美術部門でずっと入選を続けられているアーティストである。

その後は心づくしの美味しいご馳走に舌鼓を打ちながら、遅くまで楽しい歓談の時を過したのだった。今夜はここに泊まってというお勧めだったが、Yさんご夫妻は市内の自宅にお帰りになるということもあり、車の中の方が気楽だからと、駐車場をお借りして一夜を過すことにする。旅車というのは、このようなことが出来るので、便利である。車を置く場所さえあれば、寝床は確保されるのである。車の中では気の毒だとお考えになる方が居られるかも知れないけど、我々の仲間内では、泊りがけでお宅を訪問した時は、宿は車の中を使うことが多い。その方がお互いに気楽なのである。

降り続いていた雨もどうやら上がったようだ。明日からは四国を離れて関西方面へ向かう予定である。

 

◇「三世諸仏。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。」

「三世諸仏も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。」 については、もうそれほど思いをめぐらすこともない。三世諸仏の三世というのは、過去、現在、未来という意味である。夫々の時間の流れの中にも目覚めた人(=仏)が居て、その人たちは知恵の完成によって、この上ない正しいを悟り得ることが出来た、というのがこの文章の意味だと訳されている。ただ、そうなのだろうなと思うだけである。

これは観世音菩薩が舎利子に向って言っていることばであるから、諸仏というのは、観世音菩薩以外の般若波羅蜜多を獲得した者なのであろう。それは過去や未来の世界だけではなく、現在の世界にも存在しているというのだけれど、一体それは何処に居られるのか。観音様なら、すぐ傍にいるというのがわかるような気がするのだが、他の仏様ということになると、何だか解りにくくなってしまうような気がする。

あまり理屈で考えることには、やはり問題があるようだ。

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