山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

関西・北陸の旅: 第8日

2007-11-19 07:38:01 | くるま旅くらしの話
昨夜は心地良い興奮のもと、満天の星空を仰いだのに、今朝は立ちこめていた霧が、やがて雨となって天井を打つ状態となった。この辺りの気象の変化は、琵琶湖に劣らず激しいのかも知れない。
iさんの車と並んで一夜を過ごし、今日は名残惜しい別れの時が待っている。朝食の後、記念写真を撮ったりしながらひと時を過ごす。嬉しくもわずかに哀しい時間だった。人生にはこの様な時間か時々ある。
iさんご夫婦と別れを告げ、R162をひたすら小浜に向かう。小浜は何度も訪れているが、今はNHKの朝ドラ「ちりとてちん」で名を上げている所だ。
小浜の手前の名田庄の道の駅で小休止。此処は平安時土御門家の荘園があった所と聞く。土御門家は往時の暦や占いに大きく関わった安倍晴明に連なる家と聞く。詳しいことは良くわからない。とにかくこのあたりは、歴史の宝庫である。
その後は小浜のフィシャーマンズワーフへ。鯖の串焼きをゲットするだけが目的。この間天気は荒れ模様で、強風の吹き荒れる中、雨が降ったり止んだりの状態が続く。今日はどうやら日本海側の天気はすこぶるご機嫌斜めの様である。
目的の浜焼きをゲットした後は少し先にある瓜割り名水を汲みに立ち寄る。ついでに昼食休憩。ここの名水を汲む人は多く、ひっきりなしにポリタンクやペットボトルを積んだ車の出入りが続いている。雨は依然として降り続いている。どうしょうもない天気だ。
さてこれからどうするか。明日は大野市の辺りを訪ねたいと考えているので、今夜はどこか近くの道の駅に泊まらせて貰おうと思う。検討の結果、越前町の道の駅:パークイン丹生ケ丘を目指すことにした。
さぁ、それからが大変だった。敦賀近くの若狭湾は今まで見たこともない凶暴な表情をしていた。荒れ狂った波は唸り声をあげて岸辺に襲いかかっていた。敦賀市街を過ぎると海沿いの崖を道が走っており、突風が吹くので慎重に運転した。この車は風に弱いのだ。最悪の天気の中の走行がしばらく続いた。山道を抜け武生に入った時は本当にホッとした。
武生は今は越前市となっていた。給油の後鯖江からR417に入り、越前町の道の駅に向かう。相変わらずの雨である。天気が良ければ鯖江の街中を歩けるのに、残念だ。次の機会にするしかない。鯖江は確か将軍吉宗の出身地だったと思う。その様なことを考えている内に道の駅に到着。
ここは初めての道の駅である。停まっている車は見当たらない。静かだけど少し淋しい感じもする。夜中に相棒が騒がなければいいがと思った。ま、直ぐ上に人が住む建物もあるので大丈夫だろうと思った。こんな夜は、せめて食事は豪華にと、小浜でゲットした鯖の串焼きを肴に一杯やって、間もなく天国へ。
今日の走行距離は153km。何もない雨風の中の移動日となった。
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関西・北陸の旅: 第7日

2007-11-18 07:53:30 | くるま旅くらしの話
琵琶湖の朝は快晴。比良の山々が一段と紅葉度を増して澄み渡る青空を背に輝いていた。少し寒いけど実に爽快である。
今日は、今回の旅の楽しみの一つが待っている日である。京都在住のiさんに初めてお会いする日である。午後、15時過ぎ美山の道の駅で落ち合う予定にしている。
諸準備完了して、9時40分出発。先ずは山側に向かい坂を登る。京都は山に囲まれているので、美山町(今は南丹市)に向かうには市街地を通らなければならない。それで大原の方から行くことにした。市街地を通らないで行くには、R477を行けばいいのだが、これは恐ろしい山の細道なのでそこを行く勇気は持ち合わせていない。
坂を下り大原を通り抜けて市街地へ。白川通りから北大路通りに入り金閣寺方面を目指す。思ったほど渋滞はなく、順調な車の流れだった。金閣寺近くから山沿いに並ぶ有名寺を幾つか横に見ながら福王子でR162に入る。後はこの道をひたすら北上するだけである。途中高雄を通過したが、紅葉見物の人たちで賑わっていた。紅葉は少し早いかなと思った。
その後は車も少なくなり、運転も楽になるかと思ったとたん、事件(?)が起きた。狭い道なので対向車に気をつけて少し左寄りに走っていたのだが、突然ドーンという衝撃音に驚く。何かにどこかがぶつかったらしい。停車できる場所を探し、車を見て見たら、何とオーニング(日除け)の角がカバーが吹き飛んで剥き出しになっていた。電柱の様な物にぶつけてしまったらしい。外れる心配はなさそうなので、そのままにしておくことにした。相棒には散々油を絞られた。弱点や失敗を責められるのは、嬉しくはない。しかし、当事者でない者には許せない攻めどころなのであろう。とんだ失敗談となった。
気を取り直し、北上を続けやがて美山の道の駅に。たくさんの車なバイクが止まり人が溢れていた。特にバイクの多いのが目立った。まだかなり時間があるので、ここではなく少し先の文化村の方へ行くことにする。
文化村は茅葺きの民家の集落が残されており、そこで今でも暮らしが営まれている。ここを知ったのは、亡き畏友A画伯が描かれた民家の絵を頂いたからだった。白川郷の合掌造りとは違う趣の昔からの暮らしの温かな息吹きがそこにはある。A画伯の絵にもその思いが籠められており、それ以来何度もここを訪れている。紅葉を増した大きな山を背に、庭先に赤い実を幾つもつけた柿の木のある茅葺きの集落は、日本の暮らしの原風景そのものだと思う。3時間ほど秋の日差しの中でゆったりとした気分で過ごす。先ほどの失敗をいい忘れさせてくれる、いい時間だった。
3時半頃道の駅に向かって出発。行ってみると、既にiらしい車が来ておられた。初めてお会いするのだが、やあやあお久しぶりという感じの挨拶を交わす。奥さんもご一緒で、たちまち2家族4人の輪が出来たのだった。
その後はiさんの用意された心尽くしの湯豆腐、我が家が用意したおでんの鍋などを囲んで、なんと23時過ぎまで話が弾んだのだった。旅の話を初め、話題は尽きなかった。それらをここに書くのは無理というものである。旅ならではの嬉しい出会いのもたらしてくれる、至福の時間でもあった。
今日はここまで。
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関西・北陸の旅: 第6日

2007-11-17 07:17:45 | くるま旅くらしの話
今日は特に予定の無い日。先ずは近くの宇佐美のスタンドで給油の後、琵琶湖一周をすることにし、琵琶湖大橋を渡り、湖畔にある鮎家へ。
琵琶湖の名産品はここの店に殆ど揃っていると思っており、近くに来た時は必ず寄っている。今日も獲物を求めて立ち寄る。でも何時もとは何だか少し違うような雰囲気だった。最近の幾つかの老舗と呼ばれる店の、不愉快な出来事が気になっているのかも知れない。試食品が少なくなったし、陳列品も少なくなったような気がした。錯覚であって欲しいと思った。
次の目的地は彦根城。湖東エリアの近江商人の故郷にも関心はあるが、今日はパスすることにした。彦根城を一周したが、車を入れられる駐車場がなく、やむなく少し離れたスーパーの駐車場に置いて歩くことにした。
お堀に沿って写真などを撮りながらしばらく歩いた後は、別行動とする。新しく出来たらしい京橋通りという商店街が、相棒の関心を呼んだらしく、俄然一人で歩きたくなったようである。もとより、一人歩きはこちらも願っていること。
すぐさま商店街を抜け、城の方に向かったのだが、行ってみると入口で何と千円も料金を払えと言う。何という理不尽さだ。如何に国宝と雖も、たかが昔の権力者の住まいを覗くだけなのに、こんなべらぼうな料金をふっかけるとは! 確かに自分に大いなるケチの根性があるのは認めるが、この理不尽さに腹が立つのてある。近江商人の倹約主義は、自分たちだけのことで、お客さまには散財をせがむようなものではなかろう。せめてシルバー世代からは、半額以下にして貰いたい、と老人のエゴが出る。勿論、中には入らない。せっかく遠い所を来たのだからと言う囁きはあるが、妥協はできない。この様にして、見ていない城やお寺は無数にある。我ながらバカな奴である。
彦根の街を出る頃から天気が悪くなりだす。既に14時を過ぎており、帰り道に比良山麓にある温泉に入ろうと思っているので少し急ぐことにした。
湖岸の道を長浜方面へ。秀吉が築いた長浜城跡はパスして、木之本でR8に入り浅井(あざい)でR303に。この辺りには戦国末期の歴史の大きな欠片が無数に転がっており、いずれの日にかゆっくり歩いてみたい。
トンネルを抜け、R161を左折してマキノ町の道の駅:マキノ追坂(おっさか)峠にちょっと立ち寄る。ここで今夜の夕食に名物のさば寿司をゲット。大好物である。
その後は順調に走って、比良トピアという名の温泉に着いたのは16時半頃だった。少し雨が落ちてきた。この辺りの気象の変化はかなり激しいようだ。近江八景に言われる「横瀬の夜雨」や「粟津の青嵐」などは、その現れなのかも知れない。比良の暮雪は、今日は暮雨となっていた。
温まった後は、急ぎ琵琶湖大橋の袂を目指す。文字通りだと、ルンペン暮らしのような感じだ。車難民などと呼ばれてしまうかも知れない。今夜の泊まりも、道の駅米プラザとなった。
今日の走行は159km。無駄な走りが多かった。反省。
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関西・北陸の旅: 第5日

2007-11-16 07:43:46 | くるま旅くらしの話
今日も天気は良さそうだ。冷え込みがきついかと思ったが意外と暖かく10℃程度だった。今日は大阪の親しい知人宅を訪ねる予定である。
午前中には柏原市の亡き畏友Aさん宅へ。道に迷う心配があるので少し早めに出発する。ところがなんと一発で最短の道を行くことが出来、今度は早過ぎることになり、當麻の道の駅で時間調整をする結果となった。9時過ぎAさん宅に到着。
Aさんは両手のない画家だった。知り合って十数年になるが、彼の口に絵筆をくわえて描く絵は、とても人間技とは思えぬ精緻さで、素晴らしいものだった。世界一流の画家だと自分は思っている。障害を持つ画家としてではなく、世の中全ての絵描き人の中においてである。
いろいろな意味において、彼から学ぶことは多かった。畏友というべき友は彼しかいない。その彼を昨年失った。真に残念だ。自分より一歳上だからあまりにも早い冥界への旅立ちだった。彼について語りたいことはたくさんあるのだが、それをここには書かないし、書けない。いずれ奥さんから彼の生涯を紹介する本が出されることと思う。それを待っている。波乱万丈の人生というのがあるけど、彼の一生はまさにそれだった。
仏壇にお線香を上げ、心経を唱える。その後2時間ほど奥さんとあれこれ思い出話しや、これからのことなどについてお話を伺った。彼のアトリエは綺麗に改装され、小さな絵の展覧会場となっていた。彼の絵が、少しでも多くの人々の目に触れることを心から願っている。改めてご冥福を祈った。
Aさん宅を辞した後は、旅の親しき友Tさんを今は堺市となった美原町に訪ねる。Tさん宅を訪ねるのは何度目になるのだろうか。今回は彼が本腰を入れて取り組み始められた、木工クラフトの工房を覗かせて頂きたいと思っている。今年北海道でお会いした時は、旅の中で各地の木工工房を訪ねながら作ったという、幾つかの試作品を見せて頂いたが、何れも見事な出来映えで、とても初心者の作品とは思えなかった。旅から戻ったら工房を作りたいと話しておられたのだった。
早速その工房を見せて頂いた。まだ未完成だったが、幾つかの機械や道具類、それに製作に使われる木片類がきちんと整理されていた。Tさんは鉄工所の経営をされていた方である。ものづくりが本当に好きなのだなと思った。自分は全くダメ人間なので、このような方を羨ましいというよりも尊敬せずには居られないのである。自分で出来ないことに対しては、人は無関心のことが多いのだと思うが、自分の場合はそうではなく、出来ないから関心があるのである。我ながら変な奴だと思う。
お宅に参上して、その後は旅のあれこれについての楽しい歓談の時を過ごす。Tさんは自分と同い年なのだが、奥さんは我が相棒とこれ又同い年なのである。女性同士も何かと趣味なども合うらしく、別のテーブルで騒いで(?)いた。このようなお付き合いのできる人に巡り会えたことを、天に感謝したい。
Tさんは本当は昨夜信州の方の知人を訪ねる予定を我々のために1日延ばして待っていて下さったのだった。ありがとうございました。
Tさん宅を辞した後は、今夜の宿を琵琶湖大橋の麓にある道の駅にすることにして、一路進路をとる。高速道で大和郡山まで行き、そこからはR24で宇治まで行って京滋バイパスを大津市方面に向かい、石山寺のインターで下りて、後はひたすら道の駅を目指す。途中山城辺りから夕暮れが一段と迫って来た。大津市内はかなり渋滞していた。18時40分道の駅到着。
相棒は夕食の準備に取り掛かる。この間、京都は嵐山在住のiさんにメールで到着を報告する。iさんとはまだ一度もお会いしたことがないのだが、メールや電話でやりとりを重ねて、今では十年来の知己となっている不思議な関係なのである。明日と明後日は京都を訪ねようかと考えていたのだが、紅葉のシーズンに入って、京都の街中は駐車場を確保するのが困難な状況にあるようなので、iさんに迷惑をかけたくないなという気持ちもあり、その旨をメールに記したのだった。
iさんから早速電話を頂戴する。やはりかなりの混みようとのお話だった。自分たちはiさんにお会いできれば、京都訪問は二の次のことなので、その旨を話し明後日美山町の道の駅でお会いすることとなった。明日は京都ではなく、琵琶湖周辺、特に近江商人の故郷の一つである湖東地区などを訪ねたいと思っている。
今日の走りは186kmでした。
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関西・北陸の旅: 第4日

2007-11-15 07:13:29 | くるま旅くらしの話
昨夜はかなり冷え込んだ。朝方は室内の気温が10℃くらいだったので、ちょっぴり暖房をした。これは好い天気の証しである。今日は山の辺の道を歩く予定だが、最高の歩きの条件が整っているようだ。
9時少し前出発。大神(おおかみ)神社到着9時20分。準備をして、先ずは神社にお参りをする。今日は大神神社から天理の石上(いそのかみ)神宮までのコースを歩く予定である。15km弱ほどの距離であろうか。
神社の横から歩き始め、森の中の道を登り下りながらひたすら歩くだけ。古人(いにしえびと)も、様々な思いを抱きながらこの道を行き交ったのであろう。木立の道脇にはお寺や庵や神社やら、様々の古からのモニュメントが残されている。
やがて少し展望の利く場所に出ると、そこいらは柿とミカン畑が広がっていた。奈良県の柿は有名だが、ミカンはあまり知られていない。ましてやわが国のミカン発祥の地が奈良大和であるなどとは。相撲発祥の地も大和とであるとか。確かに此処は古い文化を誇れる場所なのだから、当然のことなのかも知れない。とにかく、思いも掛けないものに出くわして驚かされることが多い場所なのである。
道脇の無人売店でミカンを買い、ジュース代わりに頬ばりながら歩き続ける。今日は本当に絶好の歩き日和である。去年とは反対のコースなので、時々案内板を見落として道を間違え、戻ったりした。中には1キロ以上も遠回りしたりした。元々山の辺の道は、三輪山に向かうための道の様で、天理方面からの方が親切に作られている感じがした。
急坂を登り降りてようやく石上神宮に到着したのは13時15分だった。4時間弱の殆ど休憩無しの歩きで、万歩計は3万歩近くになっていた。参拝の後帰路につく。
天理の街並みは独特だ。大学の構内と思しき道を通ってようやくバス停へ。ここまでたどり着くのが遠かった。しかし、バスは1時間に2本しかなく、しかも行ったばかりで、30分以上も待たなければならない。腹が空いたので、更にバス停を2つ歩いて、柿の葉寿司の店に入り、其処で寿司をパクつく。美味かったぁ~。間もなくバスが来て、久しぶりに普通のバスに揺られながら大神神社の駐車場に戻る。さすがに疲れた。
一息入れた後、近くの山本そうめん店に出向く。ここで毎年一年分のそうめんを買うことにしている。木箱に入った9kgである。そうめん大好き人間で、以前は冬でも豚汁で食べたりしていたが、今は控えめにしている。我が家のそうめんは三輪の山本そうめんに限ると思っている。
その後は、疲れをとるため、風呂に入ることにして、桜井郊外のスーパー銭湯へ。温泉に行きたいところだが、少し遠いので我慢する。でも入ってみると、スーパー銭湯には様々な工夫がされていて、満足だった。今夜の宿は、昨日と同じ大宇陀の道の駅にお世話になることにして向かう。
17時を過ぎると日が落ちて、辺りは暗くなり始め、空に三日月と思しき鋭い月が掛かっていた。そういえばここ大宇陀は、かの柿本人麻呂が「ひむがしの野にかぎろいの立つ見えて顧みすれば月かたぶきぬ」と詠んだ、阿騎野の里のある所である。かぎろいとは日の出前の空の色だけど、今はその反対の時刻のようだ。歌ごころがあれば、ここで一首とゆくのであろうが、疲れ果てて歌ごころなど何処を探しても見つからない。
今日の走行はたった39kmだったが、万歩計は3万5千歩を超えていた。これは今年の1日の歩きの最高記録である。歩き過ぎである。
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関西・北陸の旅: 第3日

2007-11-14 07:27:01 | くるま旅くらしの話
道の駅:大淀iセンターの朝は曇り。昨夜は少し雨も降って、すっきりしない天気だ。昨夜も長い夜だった。明け方近くトラックが入って来て、エンジンをかけたまま1時間ほど騒音を振り撒いて去って行った。この暴挙をやめせさる為に、何らかの法規制が必要ではないか。何処へ行っても目に余るものがある。
今日は明日香村を歩く予定である。朝食の後、いつもの処理をして、出発。此処から明日香村までは、10分ほどの近さである。今日は高松塚古墳付近ではなく、村の中心エリアを歩くことにして、甘樫の丘の駐車場に車を留める。
歩く準備の後、田んぼ脇の小径から散策開始。相棒が、私有地ではないかと、歩くのをためらうようなことを言うのは無視する。古代を訪ねるのに、車の走る舗装道を歩くと言うのが、そもそも大間違いなのだ。江戸時代の水戸街道でさえ、幅はたった2メートル余りしかなかったのだ。飛鳥時代ならもっと狭くても不思議ではない。狭い道を行った方が、より多くの発見がある。これが自分の信念である。小さな丘を越え、坂を下ると案内図には載っていない発見があった。その昔、川原寺(かわらじ)で使われた鉄類を鋳た工房ね跡だという。やっぱり小径でなければ、と思った。
その後は川原寺跡に出る。このお寺のことはよくわからない。たくさんの礎石が点在する、広大なガラン跡が広がっていた。その向かい側にかの厩戸の皇子即ち聖徳太子のお生まれになった橘寺があった。あったと言うのは、このあたりに来るのは3年以上経っていて、ロクに案内図も見ず、当てずっぽうで歩いているからである。橘寺には入らず、山際の脇道を通って、石舞台古墳へ。15分ほど歩いて到着。ここは、実は初めての所だった。段丘芝生の公園なので無料なのかと思ったら、古墳のある場所だけ有料だった。やむなく250円也を払って入る。一説では往時の権力者、蘇我馬子の墓とか。時の権力者でも、今でははっきりしないというところにピラミッドなどとは違う、日本らしさを感ずる。とにかく変なお墓だった。お経もあげず見物して、そこを出る。
更に歩きは続いて、古い街並みを通ってしばらく行くと、岡寺の門前町のような所に出た。更に急坂を登るとその上に岡寺があった。このお寺はどの道を行っても急坂を登らなければならない。お年寄りは背負ってでもないとお詣り出来ないだろう。ここも入山料をとられるので、山門前で写真を撮っただけでサヨナラする。息が上がるほどの急坂を登って辿り着いた挙げ句の果てに300円も払うなんて、まったく理不尽以外の何ものでもない。衆生に恵みを施すのが寺ではなかったのか?いつもの疑問である。
岡寺を下りた後は、再び細道を通って古い街並みを抜け、酒船石と言う得体の知れないものがある場所へ。ここは松本清張先生の古代研究でも紹介されている所で、なんとなく興味がある。下の無人売店で買ったミカンを頬ばりながら、その不思議な石を観た。自分にはその謎は全くわからない。
その後は飛鳥寺へ。ここは明日香村に来れば必ず寄る所である。飛鳥時代を象徴する建物であり、場所だと思う。何故かホッとするのである。いつものように蘇我入鹿の首塚を見て、今日のコースの最後の甘樫の丘へ向かう。
甘樫の丘は我々の気に入りの場所だ。小さな丘だけど、結構きついさかを登ると、急に展望がひらけて、その昔の奈良の都を望むことができる。大和三山もしっかり望見することができる。今日は天気も良くなって、いい感じだ。周辺の樹木が僅かに紅葉し始めていた。しばらく景観を楽しんだ後、丘の中の道を下り駐車場に戻る。3時間半の長行程の散策だった。万歩計は2万歩を超えていた。
お茶を飲みながら、しばらく休憩する。この後橿原神宮に行き、久しぶりに今井町を歩こうかなどと考えていたのだが、相棒の脚が限界近くなっているので、それは取り止める。
一息入れた後、昨日定休日だった下市町の温泉に入りに行くことにし、出発。40分ほどで到着。3日ぶりの入浴なので、ホッとする気分がある。下市温泉は秋津荘と明水館があり、日帰り温泉は明水館の方である。1時間余り温泉を楽しんだ後は、今日の泊まり予定の道の駅:宇陀路大宇陀へ。17時過ぎ到着。今夜も又また長い夜を迎えることとなった。今日はかなり歩いたので、ほどよい眠りが期待できそうだ。
本日の走行距離は53km。
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関西・北陸の旅: 第2日

2007-11-13 07:03:03 | くるま旅くらしの話
昨夜はあまりにも早く寝過ぎ、0時半にはパッチリと目覚めてしまい、その後2時間かけてブログを書いたものの、まだ夜明けには遠く、無理して寝床に入り、トラックの騒音などに悩まされて大変だった。明け方に少し雨が降り、今日も天気きは良くなさそう。
今日は東名阪を上野迄行き、名張から室生に行き、室生寺を訪ねることにする。その後は大宇陀の道の駅に寄った後、下市町の温泉に入って、泊まりは大淀町の道の駅に泊まろうと考えている。
刈谷を8時35分出発。順調流れだが、風がかなり強い。スピードを控えめにして、伊勢湾を通過する。眼下に広がる名古屋港の様子を見ると、今日本で一番活気があるエリアの息吹きが伝わってくる感じがする。桟橋に並ぶ自動車はどこへ向かうのだろうか。
三重川越インターで降り、R23に入る。いつもは混むこの道も少し早いせいか流れはスムースだ。しばらく走ってR1に入り、亀山方面へ。天気はすっかり回復して、少し暑さを覚えるほどになった。亀山を過ぎ関インターからはR25となる。東名阪道である。何と今日から集中工事開始とかで、片側.一車線の規制となっていた。それでも流れは順調で、10時半には上野から名張方面へ。その後も順調で、室生寺に着いたのは12時少し前だった。
室生寺もほぼ毎年訪れている。閑静な佇まいと優雅な五重塔、平安時代初期からのどっしりとした建造物が好きだ。金堂などに鎮座する仏像なども素晴らしい。荘厳な歴史の重さを感ずるのである。特に五重塔は台風で破損され、心配したのだったが、いまはすっかり修復も終わり、以前と変わらぬ優雅な姿を見せてくれていた。紅葉には今一だったが、秋の風情を味わうのに不足はなかった。2時間ほど散策を楽しんだあと、駐車場に戻り、特製うどんで昼食。この頃から天気が急変し、晴れていた空からいきなり雨が落ちてきた。
雨の中を大宇陀の道の駅に向け出発。途中ずっと本降りの雨だったが、道の駅に着いた時には、何故か止んだ。少し休憩。野菜の売店で黒豆大豆の枝豆が無いかと探したがダメだった。以前此処で今頃手に入れたことがあり、期待したのだったがやっぱりダメだった。
その後は下市町の温泉に入ろうと期待しながら行ったのだったが、行ってみたら、何と今日は定休日だという。がっかり、残念。やむなく、今日の宿予定の道の駅へ。
到着は16時を少し過ぎたばかり。昨日の二の舞とならぬよう、時間を過ごす。再び雨が降り出した。ブログなどを書いている内に、眠るにはちょうど良い時刻となった。ここはトラックが入って来ないので、安眠妨害はなかろうと思っている。
本日の走行距離は193kmでした。
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関西・北陸の旅: 第1日

2007-11-12 07:14:35 | くるま旅くらしの話
起床4時半。目覚めは1時半。3時間ほど辛抱して起き出し、外を見るとまだ雨が降っていた。最後の荷物を積み込んで、出発したのは5時20分だった。予定より40分も早かったのは、上出来だった。
直ぐに常磐道に入り、一路東京方面へ。首都高に入り都心をすんなり通って、新宿から高井戸を通過して中央道に入る。途中高井戸付近で同じ進路を反対に向けて停まっている小型トラックがあり、びっくりした!訳がわからない。ニュースだけの話かと思っていたが、現実にそれを見て、目を疑った。気を引き締めて運転するよう、自分に言い聞かす。
八王子を過ぎ、上野原icにて一般道のR20へ。甲州街道である。山あいの集落は朝霧の中に朧気に見えた。雨は殆ど止んでいるようだ。旅は高速道ではなく、一般道に限るようだ。甲州路はまだ少し紅葉には早く、柿の実だけが赤く輝いていた。山道を登り笹子トンネルを抜けると直ぐに道の駅:甲斐大和がある。ここで小休止し、一息入れる。雨模様の天気で、周囲は霞んでいる。
出発の後は、甲府を通り過ぎ道の駅:白州に立ち寄り、野菜などを眺める。買ったのは相棒用の赤飯とパン類少々だけ。白州は名水の里で、道の駅にも水汲み場があるけど、今日は汲まない。
山あいの道を更に走って、茅野を過ぎやがて諏訪に。R20は諏訪にはバイパスがなく、しばらく狭い街中を走る。諏訪湖は見えない。そう言えば今NHKでやっている大河ドラマは信玄についての物語だった。その縁(ゆかり)の地をずーっと通ってきたのだった。しかし今日は寄り道はせず、ひたすら走り抜けるだけだ。
岡谷を過ぎ塩尻峠を越えると、R20は終わり、R19となる。木曽路である。今日はこの道を名古屋に向かい春日井まで南下する予定。再び雨が降り出し、やがて本降りとなった。奈良井の宿もけぶる雨の中だった。木曽路は見事な全山紅葉の中にあった。雨でなければ車を停めて、その大きな景観に浸りたいのだが、残念である。
ずーっと走りつづけて、賤母(しずも)という道の駅で、いい加減な昼食を済ます。内容は書けない。13時10分出発。中津川を過ぎると、名古屋の匂いが急に強まってくる。多治見を過ぎると間もなく春日井である。ここから東名に入り、豊田からの伊勢湾岸道を目指す。
今日は無理すれば東名阪の針インター迄行けるのだが、それは止めて伊勢湾岸道にある刈谷のハイウェイオアシスに泊まることにしたのである。
豊田インター近くになっても伊勢湾岸道の何の案内板も無いので、不安になり、とにかく一旦インターを出ることにした。料理所の人に聞いたら、つながっているとのこと。やっぱりそうかと思いつつ、ナビなし、地図無し(古くて湾岸道が載っていない)を少し反省する。豊田南インターから入ったのだが、結果的には料金的にも正解だったのかも知れない。刈谷ハイウェイオアシスは直ぐだった。15時半到着。ここに泊まるには、かなり早い時間である。今日は日曜日とあってか、かなりの混雑ぶりである。
相棒はスペシャルトイレの写真を撮るのだとカメラを抱えて飛び出して行った。ここにはご婦人用の超デラックスなトイレがあるとか。自分はまだ見たことがない。これからも見ることはないだろう。ここには名古屋名物の一つであるえびせんをはじめ、たくさんの魅力的な食べ物があるらしく、相棒は張り切って何回か買い出しに出掛けて行った。その結果、夕食と言えば、竹輪、シュウマイ、餃子、豚まん、ういろう、それにえびせんを、我が家の菜園で採れたのを大量に持参したチシャにくるんでつまむと言う、何とも珍奇なメニューとなった。焼酎のお湯割には合わないものが幾つかあったが、それは相棒の腹の中にだけ収められた次第である。明日はもう少しまともなものを食べよう。長~い夜を迎える。
今日の走行距離は462km。
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出発前日

2007-11-10 11:25:03 | くるま旅くらしの話

明日旅に出かけるのだが、今朝は雨になってしまっていた。天気予報はまだ1週間後の予報は怪しいところがあるけど、短期予報はもはや殆ど狂わない。残念ながら明日も天気は機嫌が悪いらしい。

今日はこれから時間をかけながら旅の準備をする予定である。まず朝一番に給油をしに行き、満タンにして今戻ったところでこれを書き始めている。車本体の中にいろいろなものを運び込むので、真っ先に給油をしておかなければと思い込んでいる。走り出してからでもいいのだが、何しろ我が家からは給油所に入る前に高速道の入り口になってしまうのだ。常磐道谷和原インターの入り口まで、ものの2分とかからないので、明日の早朝出発のためには、今のうちに給油しておく方が間違いない。

明日は首都高を中央道に向かい、東京郊外の八王子を過ぎ相模湖の先の辺りで高速道を降り、甲州街道をゆっくり走って木曽街道に入り、山道の紅葉などを楽しみながら、ひたすら名古屋方面に向かう予定でいる。途中で日が暮れるだろうから、できれば温泉のある場所に泊まりたい。しかしR19沿いにはそのような所は見当たらないようだ。土岐辺りに泊まることになるのではないかと思っているが、行って見なければ判らない。

さて、準備の方だが、細かいことがたくさんある。衣料や食料品関係は相棒の担当、自分の方はといえば、まずは車の基本的な部分のチエックがある。エンジンオイルや冷却水の状況、バッテリーやタイヤの状況、それに寒くなりだしているので、ガスFFヒーターの可動チエックや温水ボイラーの点検などがある。しかしこれらのチエックは技術に係わるので、その面の音痴を自認する自分としては、本当のところチエックがきちんとできているのかどうか、あまり自信がない。とりあえず破損や異常が見られず、ちゃんと動いてくれればそれでいいと思っているだけなのだ。

次にパソコンやDVD、CDなどの機材の積み込みとチエックがある。これらの機器はインバーターの調子次第なので、接続してみて異常がなければそれで良しとしている。旅の道連れには音楽が不可欠だが、今回は何を持参しようか迷っている。

地図や資料等は、今回は急ぎ旅なので必要最小限のもの以外は持参しないことにしている。一般道のロードマップと奈良・京都の詳細図があればそれでよい。山の辺の道は何回か歩いているので、地図は不要である。ナビなし主義なので、新しいエリアに向けての旅にはそこの地図が不可欠だが、今回はあまり横道に逸れている余裕はなさそうなので、身軽な状態で行けると思っている。

炊事用の給水をするのは、雨が小降りとなってからにしよう。トイレの給水もその時行う予定である。普段車を使わないときは、全ての水のタンクを空っぽにしておくので、給水時は少し入れてから一度排水し、再度入れるようにしている。3年前までは、車までが遠かったので、これらの作業には苦労したが、今は玄関先に車をおいているので、ずいぶんと楽になった。

細かいものの中には、保険証とか薬だとかがある。今のところ薬は一切服用していないので、念のため鼻炎の薬程度を持参するだけである。旅先での体調不良は旅を台無しにしてしまうので、要注意である。今のところ、体調はすこぶる良好だ。安全運転を心がけるだけである。

などなど、このようなことをしながら夜を待つのである。明日は遅くとも6時には出発したいと考えている。東京の高速道が高速の機能を発揮できるのは、7時少し前くらいまでであろう。それを過ぎると、一般道を下回る速度の道に変身するのである。車を運転していて、道路の状況により、止まってしまって動かないというのが、自分にとってはたまらないストレスになる。今回はそのような事態に一度も出くわさないで済むようにと願っている。

明日の朝になって、最後の仕事は、同伴するカスピ海ヨーグルトを車の中に運び込むことである。小さなビンに4個のヨーグルトを飼っている()が、この連中のおかげで自分の元気のかなりの部分が支えられていると思っている。何はともあれ、どうでもいいような現在の状況報告でありました。

明日からは、しばらくは携帯での投稿となりますので、コメント等はできませんので、あしからずご了承ください。

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食用菊の話

2007-11-09 09:45:53 | くるま旅くらしの話

昨日、皇帝ダリのことを書いたので、今日は同じ秋の花である菊のことについて書いてみたい。

菊は秋の代表的な花であり、確か桜と並んで国の花ではなかったか。その香り高い花は、古来より多くの日本人に愛されてきたのだと思う。今頃の季節は全国各地で菊花展が開かれ、愛好家が大切に育て上げ、見事な大輪の花を咲かせたたくさんの菊が、その優美さを競っている。菊人形などのお祭りも各地で開催されていることであろう。

今日の話は、そのような優雅なものではなく、我が家の裏庭に植えられた数本の食用菊に因む話である。我が家の裏庭は、文字通りの裏庭で、幅が1m余しかなく日差しも良くないため、菊たちは幹を太らせることができず、上にばかり伸びて実にスマートな形をしている。このような場所に植えられたのは不幸というしかない。しかし、植えた側としては、もうここしか植える所が無かったのである。

その菊たちがようやく花を咲かせてくれている。もってのほか、延命菊などという品種である。これらの品種は食用の菊なのだ。菊たちがやっとの思いで咲かせた花は、まもなくその植え主の暴力に摘まれ、茹でられてその腹の中に納まる運命にある。そのことを彼らが喜んでいるのか、悲しんでいるのかは知らない。

ところで、なぜ我が家の裏庭に菊が無理して植えられたのかということなのだが、これは旅と大いに関係があるのである

食用菊といえば、東北地方が有名で、東北各地の出身の方ならば、子供の頃から菊を食用としていることに、何の疑問も感じないに違いない。花を食材に使うというのはそれほど多くはないが、明らかに花らしい花を食べるのは菊が一番ではないかと思う。人により花というものに対するいろいろな考え方、受け止め方があるから、それを食べるということについての好き嫌いは大いに存在するのだと思う。

数年前、東北の旅で三戸の道の駅に立ち寄ったとき、我が相棒が駅の広場に広げられた地元の物産を販売しているご婦人の一人から、声をかけられた。相棒はもんぺ風の着衣をしていて、それが気になったのか、その方が大きな声で話しかけて来られたのだった。「お友達になりたいわ!」などという殺し文句を言われて、それがご縁となって、それからその方と本当にお友達となってしまったのである。その後は、毎年三戸を通るときは、国道4号線沿いに自分の農園で獲れた様々な農産物を販売するTさんのお店に立ち寄り、挨拶を交わすのを常とするようになったのである。

或る時、そのTさんから冷凍した菊を頂戴したのだった。お話では献上菊というのだそうだ。献上というのは、もともとこの地出身の南部の殿様へのことを意味している。南部の殿様の住まいといえば、今は盛岡の方が本拠となっているが、その昔は三戸に城を構えていて南部藩の基盤を固めたのである。その城跡は今では城址公園となっているが、かなりスケールの大きいお城だったことを偲ばせる。そのようなこともあって、三戸の人はプライドの高い方が多いようだ。

さてその献上菊のことだが、Tさんのお話では、近代になっても東京に住まわれた旧主に対して、この季節になると食用菊を献上していたのだという。いわばその流れを汲む自慢の食用菊のお裾分けを頂戴したのであった。正直言って、最近は菊など食べたことはなく、子供の頃食べさせられた思い出は、ただ苦いだけでお世辞にも美味いとはいえぬ代物だった。

その頂戴した食用菊は、冷凍したものを戻し、それに酢醤油をかけて食べるという、単純素朴そのものの食べ方なのだが、これが実に美味かったのだ。シャキシャキという食感と上品な風味溢れる香り、それに微かな苦味は、この食べ物が薫り高き菊という存在であることを思い起こさせるとともに、それ以上の食べ物としての品格を示しているように思えたのだった。これは無理をした褒め過ぎのように聞こえるかもしれないけど、自分としてはまだまだ褒め足りないと思っている。それほどに感動したのだった。自分は少々食べ物には感動しやすい嫌いがあるなとは思うが、たかが菊の花にこれほどの味があるとは夢にも思わず、真に恐れ入ったのだった。

さて、そうなると自分でも作ってみたいというのが悪い癖なのである。裏庭の僅かなスペースのことも考えず、旅から戻った翌春苗木を見つけて購入し、無理やりに植えたのだった。一応深く穴を掘り、堆肥などもしっかりやって、万全を期したつもりなのだが、なかなか思うようには育ってくれず、1年目ではほんの少しの収穫しかなかった。今年は2年目となるが、暑かった所為か思ったよりは生長は上手くいったと思っていたら、花が咲く少し前に風で倒れてしまい、あわてて支えをして今日に至っている。良く見れば幹が細くてやたらに伸びてばかりの力のなさそうな枝ぶりなのである。一番大事なときに家を留守にしており、その間の手当て不足が、このような状態を招いているに違いない。

しかし、今年はそれでも、昨年よりは遥かにマシな花が咲いている。明後日旅に出発する予定だが、明日辺り今ある花を摘んで、出発の前祝の祝杯の肴に供しようと考えている。献上菊には遠く及ばないけど、こちらも殿様気分で、我が家の今年秋一番の肴を味わうことにしたい

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