山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

Ⅱ.旅くらしの実際:1.食事について(その2)

2007-03-06 07:28:14 | くるま旅くらしの話

次におかず等をつくる場合の調理器具についてですが、基本的には鍋(中・小)とフライパンなどが必携具だと思います。いろいろあった方が便利ですから、余裕があれば何種類か取り揃えて持参すればいいと思いますが、車の中は狭く、収納力には限界がありますので、何をどのようにして持ってゆくかは工夫する必要があります。基本は少ない用具であらゆる用途を満たす工夫が大切です。

私どもの場合は、鍋(大×1・小×2)とフライパン(深底)それにアウトドア用のスキレット(ダッチオーブンのフライパンのようなもの)を持参し使うようにしています。大型の鍋はステンレス製の厚いもので、これは万能です。天ぷらや煮物、或いはうどん・ソーメンなどを茹でたりなど、何でも調理可能です。又フライパンは深底の方が多目的に使えます。例えば煮魚などは鍋よりもこれを使った方がうまく出来ます。調理具は、決められた用途に囚われることなく、自由な発想で1つのものを多用途で使い分けたらいいと思います。

家庭での調理のあり方の中にアウトドアでの調理の考え方をミックスした発想が、くるま旅くらしの調理では有用な気がします。フライパンで魚を煮てはいけないとか、天ぷらは天ぷら鍋以外では揚げられないなどという発想を捨て去ることが大切です。

この他食事に係わる用具としては、補助具としていろいろ用意するものがありますが、出来るだけ少ないもので済むように考えることが大切です。

次に食事に関しては、脇役としてのスパイス類の存在があります。私は、日常的な限られた料理を楽しむ上で、スパイス類の果たす役割は大きいと思っています。スパイス類は一般的にボリュームが少ないですから、出来るだけ多く持参するようにしたらいいと思っています。いつも食べているこの料理、このおかずをどのスパイスを使えばよりうまく食べられるかを考えるのは、食事の楽しみの一つです。家にいる時よりも新鮮な食材や変わった食材をゲットした時は、是非このスパイスの活用を考えてみてください。

最後に食事に関して、今までの経験からいろいろと思うことについて、幾つか述べてみたいと思います。

私どもは現在のキャブコンに乗る前は、5年ほどバンコンのお世話になりました。そのバンコンには小さな調理台とシンクが備わっていましたが、これを使って調理をすることは殆どありませんでした。現役時代でもありましたので、長期間の旅は不可能で、せいぜい1週間程度の旅が限界でした。あちこちできる限りたくさん動き回って見てみようということから移動時間が多く、落ち着いて調理などしている余裕は無かったというのが実態です。時々オートキャンプ場を利用することがあり、その時は持参している七輪を持ち出して火をたき、炭を熾したりして野外料理を楽しんだというくらいで、それ以外は外食が殆どでした。道の駅などで調理をしようとしても水の補給や処理が難しく、とてもご飯を炊くなどは出来ませんでした。

しかし、世の中には賢いというか、恐ろしく非常識というか、とんでもない人がいて、トイレの洗面所で米を研ぎ、葉っぱを洗って、そのクズをそのまま洗面台の中に放置したり、自動販売機の電源のコンセントを引き抜いて、そこにコードを差し込んで電気釜でご飯を炊く人がいたりして(その行為を直接見たわけではなく、行為の後を見ただけなのですが)、これでは車での旅くらしはバッシングを受けること必定ではないかと危惧したものでした。どのような理由があろうともこのような行為は断じて許されるものではありません。

公共の場所で、どうしても使用目的外の使い方をしようとする場合は、そこの責任者の許可を得なければならないと思います。無断で勝手なことをやれば、必ずその後に大きな非難・反動の揺り戻しがやってきます。今の世の中は、誤った使い方や無断での違反行為に対しては、それを使わせないようにするか、或いはその対象となるものを撤去するという方向へ進展することが多いのです。道の駅のゴミ箱などもそのいい例で、来訪者がルールを守らないため、次第に撤去の方向へ向っています。ゴミ箱は食事とは直接関係ありませんが、洗面所を自分の家の調理台と同じと考えて使うようなことは絶対しないで貰いたいものです。

私がもし今バンコンでくるま旅くらしをするとすれば、移動時はやはり外食中心となると思いますが、長期滞在の場合は、キャンプ場を探してそこにテントを張り、基地として活用するようにし、食事はテントの中もしくは外でつくるようにすると思います。北海道などでは無料のキャンプ場もたくさんありますので、夏を中心とした季節ではそのようなくるま旅くらしが充分に可能です。勿論バンコンであっても現在では充分に室内で調理可能な立派な設備を備えた車もありますので、そのような場合は、論外です。

キャブコンに替えてからは、殆ど外食をしなくなりました。外食はお金の面からというよりも、前述の医食同源ということから考えると、私のような糖尿病患者には、メニューの選択が難しく、困惑することが多いのです。好きなものを好きなだけ、何を食べても何の問題もない人には、このような悩みなど不要なのかもしれませんが、それができるの同世代の人が普通に存在するとは思えません。やはり食事は自分でメニューを考え、自分で作って食べるのが一番だと思います。

私どもの場合は、食事をつくるのは女性の仕事であるというふうには考えていません。実質的には家内が作ることが多いのですが、時々私も調理をしますし、後片付けやゴミ処理(これは殆ど私の仕事ですが)もやります。冗談に言うのですが、家内が居なくなっても喰うには困らないのです。人間、生きるというのは、自分自身の責任であって、そのための食べ物を自分で作るなんぞということは、必要最小限の持つべき技術であり、技能であり、知恵なのではないか、というのが私の考えです。

男も女も関係ないのです。高齢になって、仮に相棒が病に倒れて調理が出来なくなった時、自分では何も出来なかったなら、一体どうされますか? 外食やコンビニ弁当のようなものだけで健康を維持できますか? できるわけも筈も無いと思います。今の平和がいつまでも続くなどという保証は無いのが現実なのですから、還暦を過ぎたら、せめて自分が何をどのように食べたら良いのか、それをどう作れば良いのかくらいはしっかり身につけておきたいものです。

これは実は私の亡き父が母に先立たれて、その後大変苦労しているのを見て実感したことでもあります。それを反面教師として、もし自分がそのような状況に陥ったとしたら、せめて自分の食べるものくらいは、メニューも調理もしっかり身につけておかなければならないと覚悟したことなのです。おかげさまで、現在はまずまずの自信があります。うまいとかまずいなどということは論外です。先ずはメニューを考えることが出来て、それを調理する力が出来ることが大切であり、うまい・まずいはそれが出来た後での課題ということでしょう。私は、還暦を過ぎたら、何でもうまいという食べ方が出来ないと、人生はつまらないもので終わってしまうような気がするのです。何を食べてもまずいというような人は、実につまらない人生を送っているように私は思います。

少ししつこいですが、誰か作ってくれる人がいなければ、自分では何も出来ないので、コンビニ弁当や外食に依存するしかないという人は、人間としての大事な何かを忘れている人です。この意味で、女性の方が人間としての大事なことを備えている人が多いように思いますが、最近では女性であっても簡易食や変なダイエットにうつつを抜かして自ら体調を崩しているなど、大事なことを置き去りにしている人が増えつつあるようで、困ったことです。 

このテーマは一先ずこれで終わり。明日は食材について取り上げます

コメント
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