Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

志の教育

2016年03月08日 | Weblog
福岡雙葉学園で「志の教育」を実施して、
生徒の皆さんの感想レポートを読んでいると、
様々なことに気づかせて頂くことができます。

今回は、
一人一人が、
自分の将来について、
手探りをしている不安を抱きつつも、
考え続けていこうとしている姿勢にはっとさせられました。

自分自身が、
志を高く持ち続け、
未来に対してチャレンジし続けているか、

改めて、私自身が、
そのことに対して、
厳しく向き合っていこうと強く思ったのです。

勿論、私には、
生涯のテーマがあり、
志高く生きようと思っています。

しかし、日々、
私の会社にも経営を巡っての課題は山積していますし、
顧問先、研修先の組織にも多少なりとも課題はあります。

その改善のために、
研修をさせていただくわけですから、
課題があるのは、当然と言えば、当然のことです。

しかし、それを当然と思わない厳しさが必要だと思います。

微塵も妥協しないように
日々を生き抜いているか?

改めてそのことを考えさせられました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見果てぬ夢

2016年03月06日 | Weblog
私もいい年と言われる年齢になりました。

しかし、夢を追い続けている自分がいます。

「日本の教育をより良いものにする」

「志の大切さを、一人でも多くの方と共有する」

学び続け、語り続け、歩き続け、

夢中になって教育と向き合っていこうと思います。

酔生夢死という言葉は、

酒に酔ったような、また夢を見ているような心地で、

なすところもなくぼんやりと一生を終わることという意味です。

しかし、

酒を愛し、

酔いの心地良さのままに、

人生や仕事を楽しみ、

夢を抱き続けて死んでいくという意味に

無理矢理意味を変換したい私がいます(笑)。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初鳴き

2016年03月05日 | Weblog
会社で机に向かっていると、
オフィスの裏の茂みの方から、
ウグイスの声が聞こえてきました。

今年はなぜか、
「初鳴き」ということが、
強く意識されました。

そこにウグイスは居たはずなのに、
初めて声を発したこと、
それが初めて耳に飛び込んできたことが、
なぜかとても強く季節を意識させてくれたのです。

その数分前に、
家から持ってきた桜桃の一枝が、
一気に花開いていたからかもしれません。

一昨日まで暖房の効いた部屋に置いていても、
たいして花開かなかった桜桃が、
昨日の春の陽気と共に一気に開花したのです。

季節を知るということについては、
私たちは鶯や桜桃の足下にも及ばない。

そんなことを思いました。

そして、花鳥風月と共に生きた人々の精神に、
もっと学んで行きたいと思いました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名前

2016年03月03日 | Weblog
名前は願いをもって付けるものだと私は思います。

別に、他者と識別するだけというなら、
番号でも良いのです。

しかし、
かけがえのない我が子に、
かくあれかしと祈りを込めて名前を付けるというのが、
多くの日本人の心であり、感性だと思います。

私の会社の名前も、
深い願いをもって付けました。

Vision&Education,Ltd.

志という言葉は、
適切に英語に訳せなかったので、
この会社名にしました。

多くの人たちが志を持ち、
活き活きと生きていくことのできる社会を
教育を通して実現していきたい。

そうした思いを込めて名前を付けました。

組織の名前を公募で決めるなどということは、
勿論、それぞれの組織の自由だとは思います。

しかし、私にはどうしてもそれが
美しいことのようには思えないのです。

言葉の力というものに、
私はもっと誠実でありたいと思っています。






公募で名前を付けるとかいう話が耳に入ったので、


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分の考えを持つ

2016年03月01日 | Weblog
自分の考えを確立できるような学びをするように、
子どもたちには指導しています。

しかし、正直、このことは本当に難しいのです。

なぜなら、人間は、死ぬまで成長の途上に居ると思うからです。

昨日の自分の考えよりも、今日の自分の考えの方が、
より、正しさに近づいたものでありたいと願います。

しかし、それは、
昨日の自分を乗り越えて行くことに他なりません。

以前と違う考えを持つことを是とすれば、
今日の自分の考えに、多少なりとも、
懐疑的にならざるを得ないのです。

なぜなら、今日の日も、
直ぐに過去という名の「以前」になるからです。

しかし、それでも、信念を持つことができるように、
学び続けていくしかないのだと思います。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする