「博識は雅俗共に博識なるべし。
必ずしも善きことのみを知るにあらず。
悪しきことをも知り尽くして、
これを行うの方法もわきまえながら、
敢えて君子は行わざるのみ。」
教育者に品行方正な聖人君子であることを期待する向きは多い。
しかし、福沢諭吉先生は、前述のようにおっしゃる。
つまり、
「悪いことを知らないから、悪いことをしないというのでは、
悪いことを知れば、その悪いことに陥る危険性がある。
悪いことを知って、敢えてそれを行わないこと、
また行わないように人を導くのが、君子の道である。」 と。
福沢諭吉は若いころ随分人から非難されることが多かったようである。
それが、この言葉にも表れているように思う。
つまり、一度は悪いことをしてみなければ、
語ることの出来ない言葉であろう。
しかし、そんな諭吉が、
『ひびのおしへ』の第一番目には、
「うそをつくべからず」と掲げている。
ここに人間福沢諭吉の姿を私は垣間見る。
人間はあまり格好の良いものではなく、
聖人君子になど、
なかなかなれるものではない。
しかし、だからこそ、
それを目指して行かなければならないのだと。
・・・はい。
単なる福沢先生の言葉を利用した言い訳ですね(笑)。
必ずしも善きことのみを知るにあらず。
悪しきことをも知り尽くして、
これを行うの方法もわきまえながら、
敢えて君子は行わざるのみ。」
教育者に品行方正な聖人君子であることを期待する向きは多い。
しかし、福沢諭吉先生は、前述のようにおっしゃる。
つまり、
「悪いことを知らないから、悪いことをしないというのでは、
悪いことを知れば、その悪いことに陥る危険性がある。
悪いことを知って、敢えてそれを行わないこと、
また行わないように人を導くのが、君子の道である。」 と。
福沢諭吉は若いころ随分人から非難されることが多かったようである。
それが、この言葉にも表れているように思う。
つまり、一度は悪いことをしてみなければ、
語ることの出来ない言葉であろう。
しかし、そんな諭吉が、
『ひびのおしへ』の第一番目には、
「うそをつくべからず」と掲げている。
ここに人間福沢諭吉の姿を私は垣間見る。
人間はあまり格好の良いものではなく、
聖人君子になど、
なかなかなれるものではない。
しかし、だからこそ、
それを目指して行かなければならないのだと。
・・・はい。
単なる福沢先生の言葉を利用した言い訳ですね(笑)。