花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

静と動の間

2018-04-17 21:26:08 | Weblog
 松尾芭蕉は今で言う滋賀県で洒落堂なる名前の庵を営む門人を訪ねた際、「山は静かにして性を養い、水は動いて情を慰す。静、動二つの間にして、住みかを得る者あり」としたためました。山とは比叡山、水とは琵琶湖を指しています。何と贅沢な眺めの住まいであろかとうらやましくなります。方や、猫の額ほどの地面に建つウサギ小屋の如き拙宅では、性を養い、情を慰すこともままならぬかと思いきや、天は決してお見放しにはなっていません。4月の暖かさに誘われて我が猫の額では、マーガレットの白、ツツジのピンクが目を楽しませ、心に静穏をもたらしてくれます。また、日に何度かヒヨドリが1羽、あるいは2羽で訪れて、「ぴーよ、ぴーよ」のさえずりとともに、そのしぐさが気持ちを明るいものに変えてくれます。
 山は静、水は動と言っても、新緑が萌えいだす時は「山笑う」、また紅葉の頃は「山が燃える」と、山にも動きを感じます。水にしても「悠久なる大河」と言えば、動ではなく静の響きがあります。自然における静と動とは相容れない別のものではなく、併存するものではないでしょうか。私たちの心がどちらの周波数を捉えるかによって、山は静でもあり動でもあり、水も然りかと思います。
 ところで、何とはなしに感じる自然の静と動は好もしいものですが、このところの政治の静と動にはざらっとした違和感を覚えます。火の粉が上がっているのに知らぬ存ぜぬで幕引きを図ろうとしたり、こっそり隠していたものが露見して批判が巻き起こったり。渦中にある霞ヶ関や永田町住人たちの「詫び」を入れない居直りと、品性の「寂び」しさ、体制腐敗の「錆」には、ため息が漏れるばかりです。

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