花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

焼き芋焼酎

2007-10-31 23:05:33 | Weblog
 先週の朝日新聞夕刊(10/25付)で、志村けんさんが焼き芋焼酎を愛飲していると紹介してありました。志村さん曰く、「芋焼酎より香ばしくて、まろやか。何杯目でもうまい」、とのことです。焼き芋焼酎とはその名の通り、さつまいもの焼き芋から作る焼酎です。これまで酒屋で焼き芋焼酎を見掛けても、「大切な小遣いを割いて買うお酒だ。ハズレだったらヤだなぁ」と、二の足を踏んできましたが、この記事を読んだ後何日かして近所のQeen's ISETANへ買い物に行った時、お酒コーナーに焼き芋焼酎が置いてあったので試しに買ってみました。「飲み進めるとともに味が変わっていくのが楽しい」と、志村さんお薦めの飲み方は、ロックにほんの少しの水を加えて、かき混ぜずに飲むのだそうです。私は、それとは違って、水=6に対して焼き芋焼酎=4の水割りで飲んでみました。氷は入れず水は冷やしたのではなく常温です。一口含むと、水にしっかりとけ込んだはんなりとした甘みが広がります。「いけるじゃない」と、今までの飲まず嫌いを反省しました。昔、開高健氏が「いいウィスキーは水に溺れない」と書いたか言ったか広告のコピーにしたか、そんな気がしますが、この日飲んだ焼き芋焼酎にもそれが当てはまりました。水に忍び込んで渾然一体となったかのようです。水「割り」を飲むと言うよりは、酒の味がする水を飲んでいるような感じがし、開高氏の言う「水に溺れない」とは斯くありなん、と思わせられました。その味わいは何度も確かめたくなる美味しさで、志村さんならずとも、「これは、はまるかも」と思いました。
 話の矛先は大きく変わりますが、以前、「社交の場などで大切な集まりになればなるほど、女性の身なりは肌の露出が多くなり(イブニングドレスはまさしくそうです)、一方男性はタキシードに蝶ネクタイ、カフスボタンといったますます窮屈な格好になる」と、何かの本(ヴェブレンの「有閑階級の理論」だったか?)で読んだ記憶があります。これは女性の挑発的な姿を前にして、ぐっとこらえて紳士的に振る舞う、男の寸止めの美学を表しているのか、あるいはお預けを食わされている哀れさを表しているのか、どちらにも取れますが、ここでは前者の解釈を採用することにします。寸止めの美学には、'prudence'(節度、分別)ある大人のおもむきが漂っていて、これを酒の飲み方に当てはめてみるならば、酒は飲んでも飲まれるなと言うことでしょうか(耳が痛い)。で、先の焼き芋焼酎に話を戻すと、焼き芋焼酎をちびちび飲りながら、水割りを飲むのと寸止めの美学の間には何か相通ずるものがあるのじゃなかろうかと感じました。お酒をくぅわぁーっと鯨飲するのは豪快ですが、酔ってしまえば味に対する感度は鈍ります。飲みにはやる気持ちをぐっと抑えて、生(き)で飲んでも美味しいお酒を敢えて水で割って飲み、しかしながら、アルコール分が薄くなったが故にかえって探りやすくなったお酒の微妙な味を吟味していくのは、なかなか渋い、'prudence'のある飲み方ではないかと思いました。そんな思いを抱いた焼き芋焼酎との出会いでありました。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿