花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

隣人愛の陥穽

2024-03-11 23:26:00 | Weblog
 イエス・キリストの教え、「汝の隣人を愛せよ」はあまりにも有名です。素晴らしい教えではありますが、ある危険性が潜んでいるような気がします。イエスは隣人の例として善きソマリア人の話を挙げています。盗賊に襲われて怪我をした人を、たまたま通り掛かったソマリア人が助け、路銀を工面してあげます。イエスは、これこそが隣人と言える行為であるとしています。

 善きソマリア人同様、一人ひとりがそれぞれ隣人を愛するのであれば、問題はありません。しかし、教徒、教団、宗派など組織性を帯びてくると、往々にして隣人とそうでない人の区分けがなされます。教区が同じかどうか、あるいはキリスト教信者か異教徒か、などなどで線を引くケースです。そうなると、隣人は愛しても、隣人でない人は愛さない、さらには敵とみなすといった態度が現れてきます。イエスの教えを守っているようでも、実は大いに反している、みたいなことが起きてしまう恐れがあります。

 おそらくイエスはその危険性を分かっていたのでしょう。「汝の敵を愛せよ」と教えることも忘れていませんでした。この言葉にも忠実であるなら、全ての人に対してソマリア人的に接するわけで、隣人愛は教徒、教団、宗派、そして民族や国境を超えてみんなが対象になります。

 また、イエスは「右の頬を打たれたら、左の頬をも向けなさい」と教えました。暴力を否定しているのはもちろん、悪に対して悪で立ち向かえば、相手と同じ土俵に乗ったことになり、それは自らを貶めることを意味するよ、と戒めているのでしょう。

 新聞で、テレビで、血なまぐさいニュースを見ない日はありません。そこにはイエスが危ぶんだ間違った隣人愛が、悪い働きをしているのかもしれません。普通に考えれば誰にでも分かる、たった3つの教えを守るだけで良いのに。日々、悲しく思っています。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿