先週火曜日の朝日新聞夕刊で、作家・池澤夏樹さんは、「希望の話をするのはまだ早すぎるだろうか?何か未来につながる、そして嘘の混じらない話はないものか」という書き出しに続けて、原子力に依存したエネルギー政策からの転換を呼び掛けています。まず、「核エネルギーはどこか原理的なところで人間の手に負えないのだ。それを無理に使おうとするから嘘で固めなければならなくなる。まずは自分たちを欺いて安全と信じ込もうとする。そこに科学的根拠はない」としつつ、「数百基の原発を数百年に亘って安全に運転し、かつ廃棄物を安全に保管する能力は人間にはない」と断じています。では、原子力発電に代わる風力や太陽光による発電はどうでしょうか。「量的にぜったいに足りない」、「供給が不安定で、電圧や周波数の面でも品質が低い」、このように電力業界はこれまで過小評価をしていましたが、環境省が先日試算したところによると、「『再生可能エネルギーの導入可能量は五億キロワット』という数字がある。今の日本全国の発電設備総量が約二億キロワットであるというから、その倍を超える」そうなので、電力業界の見立ては間違っていたことになります。しかし、発電量が満たされても、再生可能エネルギーに問題が全くない訳ではなく、池澤さんは、「風力について言えば、低周波騒音とか景観とか渡り鳥の衝突」などの課題を指摘しながらも、それにも関わらず、「これらは既にある技術の延長上にある。その気になれば手の届く範囲内にある。そこのところがどうにも手に負えない核エネルギーとは根本的に違う」と述べ、「日本という高度に工業化された国がその気になれば、エネルギーの風景はがらりと大きく変わり得る」と、希望を抱いています。
かつて、ハプスブルク家のオーストリアでは、プロイセンの圧力により苦しめられていた時、宰相カウニッツがブルボン王朝と結ぶことを提言します。皆がそれまで敵対してきたブルボン王朝との同盟を難しいと見る中、カウニッツは、「とても実現しそうにない、という理由で実現されないものが数多くある。だが、実行されないという理由だけで困難なこととされるものの方が、はるかに多い!」と言って、フランス、そしてロシアと同盟し、プロイセン包囲網を敷いたと聞きます。(江村洋著 「ハプスブルク家」(講談社現代新書 P.172) カウニッツの言葉は、旧来の方針を墨守しがちな人間の性向を批判したものだと思います。18世紀のオーストリアから、今私たちが直面している困難に目を転じます。実現されていないからと諦めることなく、「未来につながる」決断とは何か、先入主を捨てて、それを考えていくことが求められていると思います。
かつて、ハプスブルク家のオーストリアでは、プロイセンの圧力により苦しめられていた時、宰相カウニッツがブルボン王朝と結ぶことを提言します。皆がそれまで敵対してきたブルボン王朝との同盟を難しいと見る中、カウニッツは、「とても実現しそうにない、という理由で実現されないものが数多くある。だが、実行されないという理由だけで困難なこととされるものの方が、はるかに多い!」と言って、フランス、そしてロシアと同盟し、プロイセン包囲網を敷いたと聞きます。(江村洋著 「ハプスブルク家」(講談社現代新書 P.172) カウニッツの言葉は、旧来の方針を墨守しがちな人間の性向を批判したものだと思います。18世紀のオーストリアから、今私たちが直面している困難に目を転じます。実現されていないからと諦めることなく、「未来につながる」決断とは何か、先入主を捨てて、それを考えていくことが求められていると思います。
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