ピアニスト・国府弘子さんのこころに残る言葉は、「がんのことをウチではポンと呼ぼう」だそうです。5月25日付朝日新聞夕刊の記事によると、国府さんはがんの治療をしている時、薬の副作用で心身のバランスが崩れてしまいました。それを励まそうとした夫が言った、「がんという言葉の響きが良くない。がんのことをウチではポンと呼ぼう。勝てる気がする」、この言葉によって病気との向き合い方が変わります。「『このポンが』『このポンめ』・・・そう呼んでいるうちに気持ちが軽くなり、笑いが出ていた」、国府さんはこう振り返っています。
古くから日本人は、言葉が与える印象に対して繊細な感覚を持ってきました。例えば、「閉会」のことを「お開き」と言ったり、「するめ」はお金をするのイメージにつながるので「あたりめ」と呼んだりします。これらは言葉の意味に関するもので、響きを意識した国府さんとはちょっと違うかもしれませんが、言葉が与える印象を大事にするという点では同じです。
話は変わって、1993年にヤクルトと中日がセ・リーグの優勝を争っていた時のことです。仲間内でどっちが優勝するか話していた際、私はヤクルトじゃないかと言いました。理由はくだらなく、それぞれのチームの外国人助っ人の名前が、ヤクルトはハウエル、中日はパウエルで、半濁音の「パ」の響きが何となく弱っちかったので、パウエルがいる中日はハウエルのヤクルトに勝てないと言いました。最終的にはヤクルトが優勝しましたが、当然ながら名前の響きのせいなんかではなく、そしてふたりとも打撃成績は立派なものでした。国府さんの夫婦愛の話を読みながら、どういう訳かペナントレースと助っ人選手の名前のことを思い出してしまいました。
古くから日本人は、言葉が与える印象に対して繊細な感覚を持ってきました。例えば、「閉会」のことを「お開き」と言ったり、「するめ」はお金をするのイメージにつながるので「あたりめ」と呼んだりします。これらは言葉の意味に関するもので、響きを意識した国府さんとはちょっと違うかもしれませんが、言葉が与える印象を大事にするという点では同じです。
話は変わって、1993年にヤクルトと中日がセ・リーグの優勝を争っていた時のことです。仲間内でどっちが優勝するか話していた際、私はヤクルトじゃないかと言いました。理由はくだらなく、それぞれのチームの外国人助っ人の名前が、ヤクルトはハウエル、中日はパウエルで、半濁音の「パ」の響きが何となく弱っちかったので、パウエルがいる中日はハウエルのヤクルトに勝てないと言いました。最終的にはヤクルトが優勝しましたが、当然ながら名前の響きのせいなんかではなく、そしてふたりとも打撃成績は立派なものでした。国府さんの夫婦愛の話を読みながら、どういう訳かペナントレースと助っ人選手の名前のことを思い出してしまいました。