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フィンランドの歴史 内戦か独立戦争か

国民が二分される

 ロシア帝国の崩壊によって、フィンランドの独立が実現したが、この崩壊はフィンランドに悪影響をももたらした。ロシアからパン用の穀物が入ってこなくなると、物価が高騰し直ちに飢饉となった。一般の人々は、価格の高騰によって最大の利益を得るために、暴利をむさぼる人々が食料を隠していると思っていた。空腹であるというだけの理由で、感情が激することが多々あった。

 農村の上地を所有しない住民、すなわち小作農民や農業労働者は、将来に不安を感じていた。小作人は、貸借地をよこすよう要求したが、小作人に土地を引き渡すことになるのを恐れた地主は、あちこちで小作人を追い払った。農業労働者は、工業労働者が提唱した、8時間労働制の一般化と自治体選挙での選挙権要求に賛同した。

 ロシアによる弾圧が終わったので、出版、演説、集会の自由が復活した。このため、統治者を鋭く批判することや、大集会の開催が可能となった。軍隊や警察の力を借りても、セナーッティには秩序を回復することができなかったため、大衆集会は暴力的なものに発展しやすかった。1917年当時、フィンランドはまだ自国の軍隊を所有していなかった。ロシア帝国に仕えていた警察の多くは、解雇されていたか、挙げ句のはてに命からがら亡命してしまっていた。

赤衛隊、革命に走る

 社会主義者は、労働者をブルジョアジーの暴力から守るために赤衛隊の設立に着手したい一方、ブルジョアジーの間では、自分たちの支持者を赤衛隊の暴力から守るための自警団〔白衛隊〕が組織され始めた。当初は、何でも武器になった。戦闘服はなく、赤か白の腕章のみで敵味方を判別した。

 1917年11月に社会主義者は、「われわれは要求する」と題する綱領を貫徹するために、ゼネストを開始した。この綱領で主に要求されたのは、8時間労働制と自治体選挙権であった。ストライキ期間中に起きた暴動では、よく死傷者が出た。社会主義者側では、交渉によって意見対立を解決するのは無理と悟り、革命によってのみ労働者の地位を向上させることができると考えるようになっていた。ロシアのボリシェヴィキが成功した武装革命も、好例となっていた。

 1918年初頭には、革命路線支持者は社会民主党内で過半数に達していた。赤衛隊は、革命によって権力を掌中にするべく準備を始め、ロシアのボリシェヴィキは、武器やその他の支援を約束した。

白衛隊は独立戦争に

 1918年初めのフィンランドにはまだ、4万人ほどのロシア兵がいた。1918年1月に、政府は、自衛隊をフィンランドの正規の軍隊にすることを決定し、国内にまだ存在しているロシア軍からフィンランドを解放するという任務を与えた。政府軍の司令官として口シアで軍務に就いていたフィンランド人将軍カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(1867~1951年)が招かれた。

 P・E・スヴィンフッヴド率いるセナーッティは、ポホヤンマー地方が政府軍によってしっかりと掌握されていたため、ヴァーサに移動した。マンネルヘイムが指揮する部隊は、1月27日にポホヤンマー地方で、ロシア軍の武装解除にとりかかった。

 同じ日に、赤衛隊の革命がヘルシンキで勃発し、革命はフィンランド南部に急速に広まった。自衛隊側の認識は、赤衛隊が合法的な政府に対する暴動を開始したため、政府軍はこの暴動を鎮める任務にあたるというものであった。

 1918年の一連の出来事については、市民戦争(kansalaissota)という呼び方もある。この呼び方は、この戦争で同じ国の国民が敵対して戦ったということに重点を置いたものである。内戦(sisallissota)という呼び方も、この出来事を表すのにふさわしい。ロシア軍やドイツ軍の介入はあったものの、この出来事はフィンランド人の内部対立によるものだったからである。

素人同士の戦争

 戦争の前線は、当初はポリ北部からタンペレ北部を経てヴィープリヘと続いていた。工業化が進んでいたフィンランド南部は農業労働者も多く、赤衛隊の重要な拠点地域であった。他方、フィンランド北部、特にポホヤンマー地方は、白衛隊の重要拠点であった。

 戦争に参加した部隊は、軍事訓練を受けていなかった。男たちは、家の作業をするために、許可なしで勝手に前線を離脱してしまうこともあった。退避することはひきょうだとみなされていた。白衛隊の味方として、ドイツからヴァーサに帰国したイェーガー(ヤーカリ)隊は、農民で構成された部隊を屈服させるために、ことさらに職業軍人らしく振る舞った。彼らの軍人的振る舞いは、普通の兵士たちにはとても滑稽にうつった。

 戦争初期、赤衛隊は、サヴォ地方とポホヤンマー地方間の線路を遮断することによって自衛隊の進攻を妨げるべく、北進しようとしていた。当初、白衛隊は、赤衛隊の攻撃を撃退するだけで満足し、イェーガー(ヤーカリ)隊の力を借りて、兵士たちの訓練を行っていた。ドイツは、白衛隊に必要な軍備を供給した。

 1918年の春が過ぎてゆき、白衛隊のより優秀な統率力とイェーガー(ヤーカリ)隊による軍事訓練の効果が、前線での状況に影響を与え始めた。決戦の舞台となったのはタンペレで、同市は4月の初めに自衛隊の手に落ちた。

 セナーッティの指導者、スヴィンフッヴドは、戦争の終結を急いで、ドイツが提供する軍事援助に頼ろうとした。いっぽう、自衛隊の司令官であるマンネルヘイムは、ここでもフィンランドにドイツ人を呼び込むことに反対した。スヴィンフッヴドの望みが叶い、ドイツ部隊はハンコ岬に上陸し、ヘルシンキヘと進んだ。ドイッ兵たちがフィンランドに来だのは、サンクトペテルブルクに脅威を与えるとともに、レーニン政府が、3月にドイツとロシアの間で締結された和平条約〔ブレスト・リトフスク条約]を守るように圧力を加えるためだった。内戦は、1918年5月の赤衛隊降伏によって終結した。もっとも悲惨なヨーロッパの内戦の一つ

 フィンランドの内戦では、合計3万7000人近くの死者が出た。これは、全国民の約1%に達した。赤衛隊は、退却の際に白衛隊の捕虜を殺害した。これに対して自衛隊は容赦なく報復をした。勝った方の白衛隊は、戦時中および戦後処理中の残虐行為を隠蔽しようとした。たとえば、赤衛隊側で戦った女性は、裁判もなく処刑され、男装をしたというだけの罪状で、処刑さした女性たちもいた。

 この内戦よりも悲惨なものは、ヨーロッパでの内戦のうち1936~1939年に起きたスペイン内戦だけだった。この内戦は、戦後も長期にわたってフィンランド国民を二分した。労働者新聞が廃刊になり、労働者組織の施設は閉鎖されたので、労働者運動は下火になった。
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未唯宇宙第三章

豊田スタジアムでライブ

 B'z ライヴ、豊田スタジアム3days⇒乃木坂にして!

誰もいない世界で 何を考えるか

 それを考えよう。

未唯宇宙第三章

 さて第三章に取り掛かりましょう。社会を地域から見る。

 3.1「社会を見る視点」

  3.1.1「社会との接点」
  3.1.2「社会を知りたい」
  3.1.3「社会の仕組み」
  3.1.4「社会の動き」

 3.2「地域を見る」 個と全体の関係を知った上で

  3.2.1「地域にアプローチ」
  3.2.2「地域の主役」
  3.2.3「行政の役割」
  3.2.4「全体の枠組み」

 3.3「地域の役割」

  3.3.1「ハメリンナモデル」
  3.3.2「行政との関係」
  3.3.3「ユニット活動」
  3.3.4「国との関係」

 3.4「地域の循環

  3.4.1「分配から分散」
  3.4.2「静脈から発想」
  3.4.3「主体的行動」
  3.4.4「循環の連結 三つの循環」

 3.5「地域から配置」

  3.5.1「点から拡大」
  3.5.2「シェアと循環」
  3.5.3「配置で変革」
  3.5.4「平等の意識」

 3.6 コミュニティの条件」

  3.6.1「中間の場」
  3.6.2「先行するシェア」
  3.6.3「魅力で引き込む」
  3.6.4「インフルエンサー」

 3.7 地域インフラ」

  3.7.1「クライシスに対応」
  3.7.2「地域の独立」
  3.7.3「個の力を発揮」
  3.7.4「公平な分担」

 3.8「新しい地域」

  3.8.1「合意形成」
  3.8.2「知識と意識」
  3.8.3「政治形態」
  3.8.4「自由で平等な社会」
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哲学の緒論 ハイデガー

『ハイデルベルク論理学講座』より 緒論

第一節 〔一般諸学は表象の立場〕

 哲学以外のあらゆる学の場合には、対象とされるものは、表象によって直接的なものであると認められている。その表象の立場の〕ためにそういう対象は、学をこれから始めるという場合でも、あらかじめ〔出発点となりうるような〕受け入れられたものとして前提されている。また、学がそれより先に進んだ場合に必要だと見なされる規定でさえも、取り出されるのは表象からなのである。

  そうした学は、白分か扱うのはどうしてこの対象でなければいけないかという対象そのものの必然性について、みずから権利づけをする義務を免れている。数学全般、幾何学、算術、法学、医学、助物学、植物学などの学の場合には、量、空間、数、椛利・法、病気、動物、植物などがあると前提としてもかまわないことになっている。つまり、こうした対象は、表象によって現にあるものとして受け入れられているのである。

  そうした対象が存在することを疑ったり、また、量、空間や、病気、動物、植物などがそれ自体としてかつそれだけで存在しなければならないことを「概念」から証明せよ、などと要求することは、普通の人には思いもよらないことである。

  --そういった対象に関してまず手っ取り早く挙げられるのは、人がそれに付けている名前である。名前というものは〔聞けばそれと分かる〕確かなものではあるが、さしあたっては事柄の表象を与えてくれるだけのものでしかない。しかし〔対象を知るためには〕当の事柄についてのもっと詳しい規定もまた挙げられる必要がある。〔名前を挙げるのと〕同じように、そうした詳しい規定もたしかに〔いま、ここに〕直接に浮かんでいる衣象から収ってくることもできる。けれどもその場介には、すぐに難しい問題に直面することになる。つまり〔この場合に〕捉えられるべきあれこれの規定に関して、それらが対象の中に現にあるとともに、また本質的な規定でもある、ということがどちらも同じくただちに認められなくてはならない、という問題である。

  この〔現にあることと本質的にあることという二重性の〕問題について〔一方で〕形式的なことを言えば、その〔問題を解決する〕ためにこそ論理学、つまり定義や区分などについての理論があらかじめ前提されるわけである。他方、内容に関して言えば、その際には経験的な仕方で振る舞うことが認められていて、その〔ような態度をとる〕ために、〔経験的方法を取る学者は〕普遍的な対象に関する表象のなかにはたしてそのような徴表が事実として見出されるかを、ああだこうだと探すことになる。とはいえ、そうした事実なるものからしてすでに〔いったい「事実」とは何だという〕やかましい議論の的になることがあるものなのである。

第二節 〔哲学を始めることの難しさ--内容面〕

 これに対して、哲学の始まりはやっかいなものである。やっかいだと言うのは、哲学の対象というのがそもそもただちに懐疑にさらされ、論争に身を委ねなくてはならないものだからである。〔詳しく言うと、〕

 1 対象の中身に関して言えば、対象が単に表象の〔対象だと〕主張されるだけでなく、哲学の対象なのだと主張されなくてはならない時には、対象は表象のなかに求められないし、それどころか哲学の対象は認識の仕方に関しては表象と対立していて、表象することの方がむしろ哲学によって自己〔の限界〕を超えていくようにされなければならないからである。

第三節 〔哲学を始めることの難しさ--形式面〕

 2 形式に関しても、哲学の対象は同じ困難にさらされている。なぜかと言えば、哲学の対象は、哲学を始める出発点とされる以上、直接的〔無媒介的〕なものなのであるが、しかしそれはその本性から言えば、媒介されたものとして提示され、概念によって必然的なものであると認識されねばならないというあり方をもっているものだからである。そして同時に、認識の仕方と方法というのは哲学そのものの内部で考察されるわけだから、哲学の対象が認識の仕方と方法を前提するということもあってはならないことだからである。

  表象に対して表象自身のなかに、哲学の〔始まりとなるような〕まったく無規定な対象を示してやるということだけが問題であるとすれば、逃げ道をありきたりの訴えかけに求めることができるだろう。つまり、人間というものは感性的な知覚や欲求から出発するものであるとしても、すぐさまそうしたものを超え出て。自分かいまあるよりもさらに高いもの、無限の存在、無限の意志、こうしたものへの感情と予感へと駆り立てられる衝動があると感じるようになるのだ、と。

  --その際人間が抱く普遍的な関心は、次のような様々な問いのなかに示されている。魂とは何か、世界とは何か、神とは何か、--私は何を知ることができるのか、何に従って私は行為するべきなのか、私は何を望むことができるのか、等々。もっと細かいことは、宗教とその対象のことを考えてみれば分かるだろう。このようなあれこれの問いやそうした諸々の対象そのものとがただちに疑いと否定の餌食になるということはさておいて、すでに直接的な意識というものは、そしてそれ以上に宗教というものは、自分の流儀で、こういう問いに対する答えを、そしてそういう対象に関する一説を、部分的には含んではいる。しかしながらこれではあれこれの対象を哲学の内容に仕立てあげるその当の固有のものは言い表されてはいないのである。

  --それだから、対象に関するものだけに限っても、哲学の名の下に理解されている権威ある一般的な共通理解をあてにすることはできない。〔共通理解などというものにあっては〕この節で述べた、概念による必然性の認識という要求でさえ、認められてはいないのである。というのも、まさにその必然性の認識を捨て去って、哲学の対象をむしろ直接的な感情や直観に求め、そのうえ知覚のこうした直接態を理性と称してさえいるというありさまなのに、「自分には哲学がある」と勝手に思い込んでいるものはいくらでもいるからである。

  この意味でニュートンをはじめとするイギリス人たちは、実験自然学までも哲学と称している。だから彼らはまた静電発電機、磁気器具、空気ポンプなどを哲学的な道具と呼んでいる。そうは言っても、木や鉄などを組み合わせたものを哲学の道具と言うことはできない。そう言うことのできるものは思考だけである。

第四節 〔緒言は先取り〕

 哲学の対象は直接的なものではない。それゆえに対象の概念および哲学そのものの概念は、哲学のなかでしか掴むことができない。したがって、哲学そのものに先立って、対象ならびに哲学そのものについてまずここで述べることがあっても、それは先取りであるにすぎず、まだそれ自身として基礎づけられているようなものではない。けれどもそれだからこそまた、〔ここで述べるような先取りは、最低限の〕反論の余地のないような確実なものなのである。〔そしてそのような先取りをする〕狙いは、まだ未規定で、暫定的にとどまるが、こうと言える程度の事実的な知識を提供することにある。

第五節 〔哲学は理性の学である〕

 以上のようなわけで、哲学とはここでは理性の学であると主張される。しかもここでいう理性とは、自分自身があらゆる存在であると意識している理性のことである。

  哲学的な知以外の知はすべて、有限なものについての知、つまりは有限な知である。なぜなら、そもそもこのような知において理性は主観的な理性であるから、所与の対象をあらかじめ前提としていて、そのためにそうした対象のなかに自己自身を認識することはないからである。

  権利や義務などのような対象は、たとえ自己意識のなかに見出されるとしても、個々別々に存在している対象であって、宇宙のその他の豊かな富は、そうした対象と並んで、あるいはそれらの外に、したがってまた自己意識の外にあることになる。宗教の対象ともなれば、たしかにそれだけでもう一切のものを自己のうちに包み込んでいるとされる無限な対象である。しかし宗教の表象はいつまでも自己に忠実のままではいない。というのも、宗教にとってもやはり世界というものが無限なものの外にあくまでも自立して残り続けているからである。宗教が最高の真理として挙げるものはと言えば、計り知れず、神秘であり、そしてまた認識することもできず、与えられたものであって、もっぱら所与の外的なものという形式でのみ、区別する意識に残り続けるものだとされている。宗教において真なるものは、感情と直観、予感、表象、信心深さなるもののうちにあるのであって、思想とも結び付いてはいるものの、〔そこでは〕真理は真理の形式をとってはいない。たとえ宗教の心情は一切のものを包みこむものであるにしても、宗教というものは一般に、宗教以外の、意識と分離したそれ独自の領域を形成しているのである。

  --哲学は〔理性の学であるとともに〕また自由の学であると見なすこともできる。哲学のうちでは諸々の対象が〔互いに〕疎遠であるという性格が、したがって意識の有限性が消え失せるのだから、唯一、哲学のうちで、偶然性、自然必然性、そして外的なものへの関係というものが、したがって依存、憧れ、恐れといったものがなくなってゆく。ただ哲学のうちでのみ、理性はどこまでも自己自身のもとにあるのである。

  --同じ理由から、この学において理性はまた、主観的な理性であるという一面性さえももたない。理性は、芸術家が熟練の業をもつ場合のように、特別な才能をもつ人の所有物でもなければ、格別な神的な幸運

  --あるいは不運--の賜物でもない。哲学は自分自身を意識している理性にほかならないのであるから、その本性からして普遍的な学たりうるのである。

  また、〔ある種の〕観念論は、知の内容は自我によって措定された、自己意識の内部に閉ざされた主観的な産物であるという規定しかもたないものであるが、哲学はこうした観念論でもない。理性は自分自身が存在であると意識しているのであるから、こうした主観性、自我(この自我は自己を客観に対する一つの特殊的なものだと思い、自分の諸規定は自己のうちにあり、自己の外や自己を超えてある他のものとは区別されたものだと思っている)は揚棄されてしまっており、理性的な普遍性のうちへと沈められているのである。

第六節 〔哲学はエンチクロペディーである〕

 哲学は、その領域全部があれこれの部分のある特定の言説で叙述される場合には、「哲学的な諸学のための」エンチクロペディー〔集大成〕であるが、その各部分の分離と連関〔のあり方〕が概念の必然性に従って叙述される場合には、「哲学的な」エンチクロペディーである。

  哲学とは徹頭徹尾、理性的な知である。だから、その各部分はどれをとっても哲学的全体であり、自己自身の内部で完結した円環をなす統体性である。しかし、哲学的な理念はそうした個々の部分においては特殊な規定態のかたちを取って存在する、言いかえれば特殊な境地において存在する。

  個々の円環は自己のうちで統体性であるのだから、自分がいる境地の制限さえも突破して、それより広い領域の基礎となる。それだから全体は諸々の円環からなる一つの円環として自己を現すのであって、これらの円環のどれもが必要不可欠な契機なのである。そのために、それぞれの円環に特有な境地からなる体系が理念の全体を形成しているのであって、理念の方もまた個々の境地のどこにおいても現象してくるのである。

第七節 〔哲学は体系である〕

 哲学は本質的に言ってもエンチクロペディー〔百科全書〕である。というのも、真なるものは統体性としてしか存在することができないし、また自分の〔なかに潜在的にある〕区別を〔はっきりと〕区別し規定することによってしか、それらの区別の必然性と、そして全体の自由とは存在しえないからである。哲学はそれゆえ必然的に体系でなければならない。

  体系のないまま哲学的に思索してみても、それは学的なものとはなりえない。そのように哲学することは、それだけとって見てもせいぜい主観的な物の考え方を表現するのでしかないのだが、それに加えて内容面から見ても偶然的である。というのも内容は全体の契機としてしかその正当性をもたないし、全体を離れては無根拠の前提や主観的な確信をもつにすぎないからである。

第八節 〔学の体系は特殊的な諸原理をも含む〕

 哲学の体系とは、他の諸原理から区別された或る特定の原理をもつ一つの哲学のことであると解するならば、それは誤りである。それとは逆で、すべての特殊的な諸原理を自己のうちに含んでいるということこそ、真なる哲学の原理なのである。哲学はこうした原理を哲学そのものにあって示しているばかりでない。哲学の歴史もまた次のことを示してくれている。すなわち哲学史は、一方では、様々な姿で現れてくる諸々の哲学というかたちで、唯一の哲学を様々な形成段階において示している。そして他方では、あれこれの特殊な諸原理というものがあっても、そうした諸原理のうちのIつが体系の基礎となったのであって、それらの特殊な諸原理は同一の全体から枝分かれしたものにすぎないのだということを示しているのである。

  ここでは普遍的なものと特殊的なものとはそれ本来の規定に従って区別されなければならない。普遍的なものが形式的に受け取られて特殊的なものと並べて置かれるならば、普遍的なもの自身もまた何らかの特殊的なものになってしまう。

  このように〔普遍と特殊とを並べて〕置くのは、日常生活での対象の場合を考えてみれば、不適切でまずいやり方だということがおのずと分かる。たとえば、果物を欲しがっている人であれば、サクランボやナシやブドウなどを、それはサクランボやナシやブドウであって果物ではないなどと言って受け取らないということはないだろう。--ところが哲学に関しては、人々はそのたぐいのことを許している。つまり一方では、千差万別な哲学があり、そのどれもが一つの哲学にすぎず、哲学そのものではないというのが、哲学を侮りはねつけるもっともな理由になるということを認めている。--まるでサクランボは果物ではないかのように。

  そして他方では、人々は普遍的なものを原理としている哲学を特殊的なものを原理としている哲学と並べて置いてもかまわないと思っている。それどころか、「哲学などはまったく存在しない」と放言し、そして真なるものを与えられた直接的なものとして前提し、これについてあれこれの反省を行う思想活動のために、「哲学」という名を使っているような説と並べて置くことさえも許しているのである。
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モビリティーシステムの変革を国や自治体が後押し

『モビリティ進化論』より

政府から見た導入の目的は三つ

 自動運転やモビリティーサービスなどに対する政府から見た導入の目的(論点)としては、大きく「産業・地域の振興」、「社会的課題の解決」、「既存の社会秩序の維持」の三つに分けられる。

 一つ目の産業・地域の振興では、自動運転技術を開発する自国の自動車メーカーのグローバルな競争力を高めたり、新しいモビリティーサービスの導入によって都市としての魅力・競争力を高めたりするといった「攻め」の側面が強い。二つ目の社会的課題の解決では、交通事故の減少や渋滞緩和、高齢者や低所得者など移動困難者の支援などの「積極的な守り」の側面が強い。これら二つの目的は、新たな技術やサービスの導入を促進する方向にある。

 一方、三つ目の既存の社会秩序の維持では、現状の交通秩序や社会的な安定状態をいかに維持するかという[守り]の方向である。特に、一定の安全・安心が実現されている場合にはこの力が強く働く。別の見方をすると、政府内での所轄官庁の違いに左右されるともいえる。

 日本の場合、産業・地域振興の役割は経済産業省、社会的課題解決の役割は国土交通省、現状の社会秩序維持の役割は警察庁などが中心になって担っている。これらの所轄官庁のパワーバランスにより、政策全体が左右される面がある。治安や交通秩序の面では日本は、他国と比べて相対的に安全・安心な社会環境が実現されている。新たなサービスや技術の導入によって、その安定状態を遷移させるというインセンティブが働きにくい。

 これらを念頭に置いて、各国の関連政策を見てみよう。まず、ADAS(先進運転支援システム)や自動運転に関しては、各国とも主に産業振興の観点から研究開発の助成や規制緩和、法改正などを進めている。このうち研究開発助成の観点では、欧州では年間1000億円規模、米国では年間400億円規模の公的資金が投入されている。これに対して日本は第3章で見たように、自動車産業に比較的投資余力が残っていること、自動車メーカー各社が技術的な実現の可能性を踏まえて慎重な開発姿勢を取っていることがあり、比較的限定した支援内容にとどまっている。

産業振興の観点で進む自動運転への政策支援

 一方、社会的な課題解決の側面から見ると、自動ブレーキなど一部のADAS機能は交通事故の減少に直接的な貢献があるため、実質的な搭載の義務化が進みつつある。しかし、渋滞解消の効果があるといわれるACC(アダプティブ・クルーズ・コントロール:先行車追従)などを含めた購入時の補助については、渋滞解消効果の不明確さや誤作動リスクの存在などから実現の可能性は低いといわれる。

 それでは、自動運転の場合はどうだろうか。自動運転を実現する目的が、交通死亡事故の削減よりもューザー(運転者)の快適性や利便性の向上(によるクルマという商品の魅力向上)にあるとすると、政府の立場からは産業振興以上の積極的な政策支援の目的を見いだすのが難しいといえる。

 その場合、自動運転の実現に向けて最も現実的・実質的な公的支援になり得るのは、実現の技術的難易度を下げることにつながる専用レーンの設定や、特定区域内への通常の車両の乗入規制である。この観点から、各国の既存の取り組みを整理した。

 自動運転技術が開発途上にある現状では、自動運転車向けの専用レーンや乗入規制を導入している国・都市は存在しない。既存のバス・トラックレーンや、特に相乗り型のライドシェアサービスの普及を促進する「HOV/HOTレーン」、あるいは低速の自動運転車(LSV)向けへの転用が考えられる自転車レーンなど特定の車両に対する専用レーンの設置に関しては、日本は他国に比べて極めて限定的な導入にとどまっている。

 その理由は日本の場合、幹線道路であっても車線数が他国に比べて少ないといった都市密度の高さによる地理的な制約が大きいと考えられる。これは、完全自動運転の実現(特に導入初期の限定的な導入段階)に向けてハンディを負っているともいえる。

 シンガポールなどでは、交通ラッシュ時に都市部への乗り入れに割増料金を設定する「ロードプライシング」が導入されている。また欧州や中国を中心に、大気汚染防止のための(内燃機関車の)都市部乗入規制の導入が広がりつつある。これらの規制について日本では、既存ューザーの利便性を優先する観点から消極的である。この点も、今後のモビリティーシステムの変革で後手に回りかねないリスクを含んでいる。

シェアリングサービスに対する姿勢

 一方、カーシェアリングやライドシェアリングなどのモビリティーサービスに対する姿勢はどうだろうか。日本においてカーシェアリングの普及が加速している背景として、違法駐車の取り締まり強化によるコインパーキング市場の拡大があったことは第5章で述べた。

 カーシェアリングの利便性を向上させるための「フリーフローティング型」や[オンデマンド型]への移行に向けては、日本は他国に比べて路上駐車の取り締まりが厳しいため不利に働く可能性が高い。夕クシー業界と競合関係にあるライドシェアリングに関しても、日本が最も規制が厳しい。ただし欧州各国も、タクシー免許の取得に一定以上のハードルがあるなど、相対的にタクシー市場が発達している国・地域ほど規制は厳しくなっている。

 ライドシェアリングに対するもう一つの観点として、移動困難者への対策がある。その取り組みは日本が最も進んでいる。日本の場合他の公共サービス提供の効率性を含めた議論として、人口30万人規模の地方都市圏において周辺部まで広がっている居住地域を都市の中心部に集約し、サービス提供の効率を上げる「コンパクトシティ構想」が政府主導で進んでいる。この政策には都市インフラ整備という観点からの公共(建設)工事の需要確保の側面もあり、2020年の東京オリンピック・パラリンピック以降の新たなインフラ投資のけん引役になる可能性が高い。

 一定以上の密度で人口集中を実現できればその交通手段としては、より輸送能力の高い公共交通機関の整備が採用される可能性がある。実際に、日本におけるコンパクトシティの先駆例として挙げられる富山市では、LRTの導入により高齢者や未成年などの交通弱者の移動需要に対応している。

 このような都市交通モードの刷新が進む都市に共通するのは、都市鉄道・バス・タクシーなどの公共交通を一手に担う民間の交通事業者(多くは私鉄事業者)が存在していることである。富山市の場合も、富山地方鉄道がLRTの導入・運用において大きな役割を果たしている。一方、富山市においてLRT導入後も自家用車の台数は減っておらず、公共交通(モビリティーサービス)と自家用車は共存する可能性が高い。

 日本以外の国でも、数十万人規模(中国では数百万人規模)の中規模都市の再構築が大きな社会的課題になりつつある(図9-4)。米国では2015年から、連邦政府(運輸省)主導で「Smart City Challenge」というコンテスト方式で次世代交通システムを含めた新たな都市計画を進める動きがある。また米国の場合は、交通弱者対策が高齢者だけでなく、経済的な理由から自家用車の保有が難しい貧困層も対象になっていることが特徴の一つであろう。

 これに対して欧州では、現状の都市圏が過去からの城塞都市として発展してきたという歴史的背景がある。その中で既存の公共交通網の整備が進んでいることなとがら、新たな公共交通インフラやモビリティーサービスの導入よりも、既存の複数の公共交通機関をつなぐ「マルチモーダル型」のサービスを拡張する取り組みが多くなっている。

モビリティーシステムの進化例:マルチモーダル型サービス

 ここからは、特に欧州を中心にモビリティーシステムの進化形として普及が進みつつある「マルチモーダル型サービス(MaaS : Mobility as a Service)」について考察する。

 マルチモーダル型サービスとは、鉄道やバス、航空便などの公共交通機関に加え、レンタカーやレンタサイクル、もしくは最近ではカーシェアやライドシェアなどのシェアリング系サービスも含めて、複数の交通手段(モード)をューザー視点で出発地点(現在地)から目的地までの最適な経路探索や駅などの経路上の情報提供をするサービスを示す。日本における代表例は、ナビタイムや「Google map」上での経路探索機能になろう。欧米では経路比較にとどまらず、経路上の各交通手段の予約や決済までを一度に実行できるプラットフォーム型サービスが、MaaSとして普及しつつある。

 MaaSの導入で先行する欧州

  特に欧州においてMaaSサービスが普及している背景には、これまでに触れたように既存の公共交通機関が都市部を中心に既に整備されていることに加えて、各自治体の交通局が都市内の公共交通機関を運営していることが挙げられる。

  例えば、欧州における代表的なMaaSサービスの例であるウィーンにおいて提供されている「SMILE (Smart Mobility Info and Ticketing System Leading the Way for Effective E-Mobility Service)」プロジェクトにおいては2014年に行政が中心となり、電車やバス、レンタカー、レンタサイクル、カーシェア、自家用車、自転車、徒歩など幅広い交通モードを取りまとめた経路比較から予約・決裁までを単一のサービスプラットフォームで実現することを目指し、関連企業を幅広く巻き込んだ形でサービス開発を行っている。最終的にウィーン市交通局が、スマホ向けアプリを開発してサービス展開を進めている。

  結果として、ウィーンでは公共交通の利用者割合が29%から39%まで増加する一方で、自家用車の利用は40%から27%まで減少するなど大幅なモーダルシフトに成功している。一方で、各交通機関が民営化されていることが多い日本の場合には、特に予約や決済機能は各交通機関が自社サービスとして囲い込むことが多い。経路探索では優れたサービスが多いものの、MaaSと呼べるレベルまで統合化されているものはほとんど存在しないのが実情である。

 鉄道会社主導のサービス

  欧州におけるもう一つの大きなトレンドとしては、鉄道会社によるマルチモーダルサービス実現に向けた動きが挙げられる。この分野で特に先行しているのがドイツ最大の鉄道事業者であるDeutsche Bahn(DB)である。

  DBは自社を鉄道オペレーション企業ではなく、“Mobility Manager”と定義するビジョンを掲げ、駅間の移動手段の提供からDoor-to-Doorでの統合された交通サービスの提供へとそのサービス領域を広げようとしている。そのために、鉄道サービス以外にもカーシェアやレンタカー、レンタサイクルの運営、駅で航空券やタクシーの予約・チェックインができるサービスなど幅広い交通関連サービスを手掛けている。

  さらに、このようなマルチモーダルサービスの展開を加速するために、DBはドイツ政府とも連携してBeMobilityという異業種連携のためのコンソーシアムのリーダーとして運営を担っている。このコンソーシアムでは、特に自動車、公共交通機関、エネルギーの3領域において、オープンイノベーションにより新たなモビリティーサービスを生み出すための検討・実証を進めている。

  このような動きは、JR東日本が2017年9月にモビリティー変革のためのコンソーシアムを立ち上げるなど、日本においても徐々に広がりを見せ始めている。マルチモーダル化による交通サービスの利便性向上は、今後の大きなトレンドとなるだろう。

世界主要都市における交通システムの実力

 公共交通を中心としたマルチモーダル型交通システムを都市交通システムの理想形として見たときに、世界の各都市はどのようなレベルにあるのだろうか。この観点からADLでは、公共交通事業者の国際機関であるUTTP(Union Internationale des Transports Publics)と共同で、“The Future of Urban Mobility study”を実施し、世界の主要都市の交通システムのレベルを定期的に評価している。このスタディーでは、世界の84都市の都市交通システムを「成熟度(11項目)」と「機能性(8項目)」から総合的に評価を行っている。

 その評価によると、地域別では公共交通の整備とマルチモーダル化で先行する欧州の各都市が現時点で最も成熟しており、機能性の観点でも優位性を持っている。一方で、先進国の中でも乗用車中心の交通システムとなっている北米の各都市は全体的に低評価となった。

 これに対して、中南米やアジア太平洋地域の都市が比較的高評価となっているのは、これらの国の多くがかつて欧州諸国の植民地であり、都市交通システムの設計にも欧州の思想やシステムの影響を強く受けていることが考えられる。都市別にみると香港が最上位であり、これにストックホルム、アムステルダム、コペンハーゲン、ウィーンが続く。

 評価が上位になった都市の交通システムに共通する特徴としては、交通量における公共交通や徒歩、自転車の利用率が大きく、かつ各交通機関のネットワーク化が進んでいる点である。一方で、全体の評点としては上位になった都市であっても満点からは遠い水準にあり、統合的なマルチモーダル交通の実現には課題が多く残っている。
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未唯宇宙3.8

3.8 新しい地域
 ・市民コミュニティを活かすために、グローバルを含めて、変えていく。そのために、コミュニティにサファイア機能を配置する。環境社会では、消費者から生活者意識のライフスタイルのマーケティングを支援する。市民を活かす合意形成と専門家の活用で展開を可能にする。税金、雇用、社会保障を地域から変えていく。
 ・コミュニティを活性化
 ・個人が覚醒するのに何が必要か
 ・合意形成は単純な多数決ではない
 ・循環社会に必要なもの
 ・「内なる世界」が生まれた

3.8.1 市民の合意形成
 ・地域組織は、利権争いではなく、身近な単位で雇用を生み出し、社会保障を決めるものです。人が多ければ助かるネット型社会を生み出す。市民はゲーム化ツールからコミュニティでの事例を共有した生涯学習で分化を図る。その上で、税金、雇用、社会保障を変えていく。
 ・フェースブックのコンテンツ
 ・生涯学習に存亡を掛ける

3.8.1-1 地域社会
 ・国の効率の悪い、社会保障の体系から脱して、地方へ税源を移譲する。地方のインフラ構築を市民参画型にして、グリーン・コンシューマで自立させる。企業のあり方を地域に根差したものに変えていく。それで、コミュニティを支援する経済を目指す。

3.8.1-1.1 地域で連帯
 ・キューバの医療・保健支援
 ・クラウドが変える世界
 ・フリーライダー(タダ乗り)という考え方
 ・社会保障の連帯精神

3.8.1-1.2 配置と循環
 ・フリーターの数は?
 ・地域分散型ネットワーク社会

3.8.1-1.3 グリーン雇用
 ・EUの雇用政策
 ・社会保障をコミュニティで吸収
 ・税金の仕組み・・・社会を変えるのに税金は重要
 ・豊田市のスマート・グリッドで100億円

3.8.1-1.4 シェアリング経済
 ・世界のシェアリングエコノミーをリードする2大企業
 ・シェアリングエコノミーとは何か
 ・ギリシャの社会インフラ
 ・行き詰まる社会保障
 ・使うことに特化したクラウド
 ・社会の未来のための努力、リスク、リターン
 ・地域におけるクラウドコンピューティングの活用

3.8.1-2 市民参画
 ・システムとして、使う人が積み上げていくようなやり方になっていく。個人の考え・生活を活かして、結論をつけていく。組織の中の役割からの行動ではなく、生まれてきた理由からの行動の方が充実感は高い。核を持たないネット型の構成で、個人の意見をグローバルの発信する。個人の意思をカタチにする。

3.8.1-2.1 いい町、いい社会
 ・いい町、いい社会を実現

3.8.1-2.2 核を持たない構成
 ・カリスマを求める・・・核を持たない構成

3.8.1-2.3 意見が存在証明
 ・「コミュニティの憩いの場」新店舗構想
 ・乃木坂に嵌っている
 ・人間の進化

3.8.1-2.4 意思をまとめる
 ・エコに対する、日本の価値判断がおかしい
 ・根源から考えると、いかに個人を活性化するかになる

3.8.1-3 意思決定
 ・ゲーム化からコミュニティ化するためには、バーチャルコミュニティを作り、スマホ環境で、LINEのように、グループ参画でコラボすることで、皆の状況を理解する。その信頼関係で、自由に意見を出していく。そのフロー的なコミュニケーションから、行動のためにストックしたものを提案する。

3.8.1-3.1 ゲームから進化
 ・あせりと強迫観念が人間関係に負担
 ・サファイアシステムで、ゲーム化からコミュニティ化の素地

3.8.1-3.2 ユニットで意思
 ・地域コミュニティの環境を作る
 ・地域包括支援センターのネットワーク構築

3.8.1-3.3 思いを伝播
 ・『ウェブはグループで進化する』
 ・ソーシャルプルーフの重要性
 ・より深刻な「置き去り層」
 ・個性と集団性の間で揺れている

3.8.1-3.4 意思から行動
 ・妥協と納得
 ・次期ネットとマーケティング
 ・自由な論議とルール遵守の両立は、大変難しい

3.8.1-4 生涯学習
 ・会議映像、事例ライブラリ、セミナーなどをU-Stream、YouTubeで展開する。各グループ間でのコミュニケーションに利用し、個人の教育に活用。ソーシャルネットを活用して、電子黒板での教育、遠隔医療などのも活用して、生涯学習のe-ラーニングでグループ間のライブラリ共有。

3.8.1-4.1 公民館
 ・『公民館必携』

3.8.1-4.2 DNAで伝播
 ・習いたいモノ、人がいない
 ・超民主主義

3.8.1-4.3 ネット放送の活用
 ・ソーシャルメディアの活用

3.8.1-4.4 e-ラーニング
 ・コンテンツをシェアさせる

3.8.2 活性化ツール開発
 ・市民コミュニティに店舗コミュニティの機能を移植する。ベースはサファイア機能です。地域ポータルでメッセージ共有機能、市民の集合知からなるライブラリ機能、市民間のコラボ機能をソーシャルウェブで展開する。合わせて、発信機能で行政への提案を行えるようにする。
 ・集合知で地域ライブラリ

3.8.2-1 コミュニティ
 ・コミュニティ・ミーティングでコラボレーション・クラウドを活用して、アイデア展開して、ライブラリに保有する。人とグループと組織の適合を図る。コラボレーション文化は民主主義の基本です。決定の仕方も多数決とか、全員一意とかではなく、全員が生きる形をとる。ネットとリアルの場でコラボ環境を作り出していく。

3.8.2-1.1 クラウド活用
 ・市民の意識付けのために公共哲学を採用

3.8.2-1.2 皆で考える場
 ・皆で考えることの意味
 ・相手は理解できない
 ・中国はGoogleのない世界

3.8.2-1.3 存在証明
 ・いじめ・不登校・引きこもりを巡るコラボレーション
 ・コミュニテイ心理学の基本的発想
 ・個人の活性化は自分の中でできること
 ・人間は不完全な存在

3.8.2-1.4 配置のあり方
 ・「協創力」と民主主義のあり方を変えていく
 ・「原発で熟議」は間違い・・・個人の活性化をどう進めるか
 ・GmL(Global meets Local)と表現

3.8.2-2 メッセージ交換
 ・市民ポータルにインターネット技術を活用して、個人プロファイルに応じた情報をプッシュする。イベント通知を空き時間を考慮して送付し、お互いに市民状況を把握できるようにして、行動を促し、参加メンバーブログを表示して、コミュニティからメッセージを送付する。

3.8.2-2.1 プロファイル
 ・グーグルからの支援。グローバルの矛盾が拡大している米国からの動き

3.8.2-2.2 プッシュ型
 ・ポータルはプッシュするツール

3.8.2-2.3 状況把握
 ・SNSをマーケティングに利用
 ・クチコミサイト
 ・クラウドへの拘りが社会につながる

3.8.2-2.4 モバメ
 ・エコットのシステム・・・FBのページ機能
 ・音声とデータの本当の融合
 ・電話と通信・・・音声も武器に

3.8.2-3 ポータル装備
 ・店舗でのアンケート機能で考える。ポータルに対して、遡り・伝達ループとの接続を図る。お客様メッセージを要望と捉え、テーマ化して、課題解決をはかり、LL(スタッフ)とL(店舗)、G(本社)とGG(メーカー)の多階層をつなげる技術で、企業・行政・NPOへの提案にする。

3.8.2-3.1 遡りと伝達のループ
 ・学識経験者がしばしば委員長を務める
 ・社会編としては、迫力不足だけど、シナリオとしては、この程度
 ・「新しい公共」は古い

3.8.2-3.2 市民の近傍化
 ・近隣コミュニティ
 ・個人の近傍化の概念
 ・口は災いの元 失言の哲学 ウィトゲンシュタイン・・・個人の近傍化として捉える
 ・市民社会の異議申し立ての場

3.8.2-3.3 三段階ロジック
 ・ローカルのローカル、グローバルのグローバルは三段ループ
 ・市民参画

3.8.2-3.4 ステップ理論
 ・依存する枠組みを外から与えられない
 ・情報共有の力
 ・新LmG(Local meets Global)
 ・地域のDNAは個人で、国のDNAではない

3.8.2-4 コンテンツ配布
 ・集合知を含む、映像、コンテンツを集約し、活用する。環境問題の事例等を検索できるようする。コミュニティ活動での決定事項・経緯を展開し、新規参加への支援を行えるようにする。コミュニティ全体のナレッジ化と市民とのつながりから、さまざまな要望が把握できる。要望をノウハウとつなげる。

3.8.2-4.1 集合知

3.8.2-4.2 事例展開

3.8.2-4.3 決定事項の徹底
 ・支援の連鎖

3.8.2-4.4 活動経過表示
 ・今のままでは困るという、市民から始めよう
 ・ローカルを主体とする支援の連鎖

3.8.3 政治形態の変革
 ・合意形成のやり方は民主主義の根幹です。多数決の論理から脱却して、情報共有による合意形成がグループでの行動を可能にする。目的型グループで多様なテーマを実現していく。ネットで市民の専門性を引き出すカタチになる。サファイア事務局の政治活動も視野に入れる。
 ・合意形成が変わる
 ・フィンランドの合意形成

3.8.3-1 市民間のコラボ
 ・SNSを活用して、提案を作成して、市民にアピールし、合意形成を図る。多数決の論理から脱却して、情報共有での合意形成とする。直接民主制をバーチャルの場に設定して、コラボで各自の行動を決める。個人を生かして、市民エネルギーを最大にする。

3.8.3-1.1 多数決論理の欠陥
 ・言葉のハンドリング

3.8.3-1.2 新しい合意形成
 ・ゲームからコミュニティ化に持っていく
 ・ゲーム化からコミュニティ化を内なる世界で考えた
 ・コミュニティ化
 ・意識と知識からコミュニティを考えた
 ・老人ホームのシステム化もゲーム化から入る

3.8.3-1.3 意見のグループ
 ・まちづくり・・・近年は柔らかい感じが受けてか、ひらがなの「まちづくり」が多く用いられる
 ・ローカルに必要な支援される心
 ・市民ジャーナリズム
 ・重要なのは「市民エネルギー」
 ・新しい公共は英国の官民協働の考え方の影響

3.8.3-1.4 市民エネルギー
 ・合意形成・・・集団の参加者が共通の理解をもち、事業等を行うことについて了解しあうこと
 ・合意形成は難しい
 ・合理的で迅速な意思決定システム
 ・積から和へのグループでの合意形成

3.8.3-2 ユニット活動
 ・危機感から市民へ提案するのが、専門家の役割です。市民状況カルテとして、メンバーの目的、到達点などを把握して、その市民に合った提案を行い、市民の信頼を得る。信頼関係を拡大していく。他の専門家と連携する。

3.8.3-2.1 危機感の一致
 ・サファイア事務局
 ・サファイア事務局でまとめる

3.8.3-2.2 テーマ単位
 ・専門家への業務委託やSNSも使おう
 ・地震情報の伝わり方

3.8.3-2.3 目的意識

3.8.3-2.4 専門家と連携

3.8.3-3 テーマ別政党
 ・市民同士の柔らかいつながりをつくり、他のグループと連携して、目的型グループを作成する。若者はネットで参画する。市民およびコミュニティはさまざまな発信をネット上で行っている。情報共有し、柔らかいつながりの行動が可能になる。

3.8.3-3.1 価値観を共有
 ・合意形成の四つの原則
 ・「足るを知る」価値観が必要
 ・しあわせループは同一価値観のグループ
 ・ネット世代は孤独で、先行きが見えない
 ・特異点は価値観の違い
 ・日本の集団性と自分で考える哲学

3.8.3-3.2 バーチャルネット
 ・携帯電話の普及率が6年間で900%も伸びた理由
 ・民主的な合意形成

3.8.3-3.3 チーム連携
 ・映画「ソーシャルネットワーク」

3.8.3-3.4 海賊党
 ・Facebookによるエコシステム
 ・Facebookによるレコメンド
 ・自然発生した地域コミュニティに対する、意識付けがサファイアの役割

3.8.3-4 循環事務局
 ・有権者は無思慮で投票してきた。意思表示として、投票しない行動でやってきた。コミュニティの意思を政治に反映させる、サファイア事務局を作り出すと同時に、地域への財源・権限移譲を国に求める。選挙以外に、動員の革命で意思表示する。

3.8.3-4.1 投票行動を変革
 ・政治への文句をテレビに向かって言う人

3.8.3-4.2 テーマに意思表示
 ・政治学と行動
 ・不確実性と複雑性が渦巻くなかでの勇気ある政治

3.8.3-4.3 ユニット政党
 ・サファイア事務局

3.8.3-4.4 動員の革命

3.8.4 平等社会をめざす
 ・消費者から生活者に変わることで、周辺の環境を変えていく。企業へ物申すマスメディア、マーケティングを変え、シェアでローエネルギー・ローコストのライフスタイルで既存の組織に対抗させる。そのたえに、コミュニティ内を自己組織化させて、格差をなくす。
 ・自由と平等のトレードオフの解決 
 ・生活者からの発想

3.8.4-1 生活者意識
 ・エネルギー源は生活の仕方を変えること。コマーシャリズムには乗らずに、生きていくためにはどうするかを考えていく。シェアで生き抜く覚悟を決めて、自分なりの快適さを確保すると同時に、地域では、ローエネルギーで生活できるように、ライフスタイルを変えていく。

3.8.4-1.1 シェアで生き抜く
 ・エコ商品からシェアへ
 ・エネルギーは35年までに4割増。必要な経費は3100兆円。なぜ、生活を変えないのか
 ・シェアする考え方が社会の主流
 ・シェアする世界
 ・スマートグリッドはシェアする世界
 ・環境問題とシェアとの関係
 ・共有(シェア)という解決策
 ・新しいビジネス形態として、シェアする時代
 ・新しい社会のキーワードとして、シェアということ
 ・電気自動車でシェアすることで儲ける
 ・買い換えからメンテを主体

3.8.4-1.2 新しい快適さ
 ・シェアという価値観・・・ルームシェア
 ・ローコスト・ローエネルギーを横軸に
 ・ローコスト・ローエネルギーを具体的にする
 ・社会との接点は、仕事と図書館 

3.8.4-1.3 ローエネルギー
 ・シェアがシェアを生み出す
 ・日本の人口は28万人減った。その内に、100万人単位で減っていく

3.8.4-1.4 ライフスタイル
 ・ショッピングモールは消費文化そのもの
 ・モノの豊かさより心の豊かさ
 ・環境社会の解決方法・・・生活を変える
 ・食べて、飲む文化

3.8.4-2 多様性を生かす
 ・皆が考えられるコミュニティをつくり、市民意識をつなげる。既存の組織に対しては、個人を生かした多様性で対応する。ローカルから始まる、新しい循環で考え、行動する。既存組織に対抗する仕組みを作ると同時に、取り込む余地を準備する。

3.8.4-2.1 考える存在
 ・ローカルが多様だということ
 ・一つでやらない。多様性を生かす
 ・新自由主義とコミュニティ
 ・多文化社会での危機とコミュニケーション・・・価値観が同一のコミュニティ

3.8.4-2.2 多様性を活かす
 ・市民参加の行政学
 ・地域のことは地域で生み出す

3.8.4-2.3 配置と循環
 ・これからの日本のシェアの話をしよう
 ・個々が全体を考える権利を持つ
 ・新しい循環
 ・人道主義コミュニティ
 ・全体のコーディネーター・・・コーディネーターの存在
 ・地域再生の合い言葉は、多心型・多極分散型、危機的状況にも対応できる適応能力
 ・日本人は、価値観の転換を!

3.8.4-2.4 組織を組替え
 ・「全体主義的民主主義」への漂流を防ぐ
 ・現代政治論・・・民主主義はいい加減
 ・水平的でグローバルなネットワーク
 ・民主主義の危機

3.8.4-3 シェアする
 ・地域でエネルギー共有することから、生活者として共有を図る。企業にも変質を求め、シェアマーケティングを実現する。マスメディアに対するメディアとか、エネルギー共有で有効活用していく。クラウド側に保有することで、様々な活用が可能になる。
  
3.8.4-3.1 使うことに徹する
 ・家庭そのものをシェア
 ・家庭のシェア社会に必要なこと 
 ・孤独な人に民主主義はつけ込む
 ・生活者意識

3.8.4-3.2 マーケティング変革
 ・消費者行動が考えなくなっている

3.8.4-3.3 メディア変革
 ・図書館はシェア社会を先行
 ・ジャーナリズムの進化する生態系
 ・ナチとラジオ
 ・マスメディアにおけるプルとプッシュ
 ・マスメディアヘのネットメディアの取り込み
 ・皆がジャーナリストという時代

3.8.4-3.4 平等なエネルギー
 ・マーケティングの変化
 ・新世紀PR・宣伝の時代 分配を生み出す仕組み

3.8.4-4 新しい平等意識
 ・生活者中心のマーケティングで、メリットと必然性を明確にする。地域の将来性を明確にすると同時に、付加価値をつけて、自然に拡がる仕組みをにしていく。ソーシャルウェブの自己組織化で、市民がまとまり、変わることで、売ること主体の企業に圧力を掛けていく。個人を活かして、格差をなくす。○

3.8.4-4.1 生活者の行動
 ・消費者行動 拡張自己
 ・カーシェアリングの付加価値
 ・シェアに付加価値をつける

3.8.4-4.2 地域の政治形態
 ・インターネットはどのような政治形態をつくるか・・・核をもたない、新しい政治形態
 ・実り豊かなシェア
 ・社会編にコミュニティから社会を変えるシナリオを追加

3.8.4-4.3 共有で自己組織化
 ・共産国家は子どもを支配したがる。地域コミュニティで育てる
 ・内なる世界の社会はサファイア社会

3.8.4-4.4 平等を徹底
 ・日本人が平等を好まない
 ・エネルギーでは格差を助長する
 ・サファイア循環の先の姿
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