未唯への手紙
未唯への手紙
観念論--ヘーゲルによる哲学の終わり
『教養大事典』より
観念論
ヘーゲルは、人間の意識がいかに発達し、それがどのように芸術、歴史、宗教などに表れているか、そのすべてを説明できる体系を作った。
観念論は、経験の有無にかかわらず存在する「絶対者」「全体」といった観念に基づいている。ロマン主義哲学に続き、ヘーゲルはドイツ観念論に包括的な思考の体系をもたらした。
現象学
弁証法はテーゼ(命題)から、それと矛盾するアンチテーゼ(否定)へ、さらにそれらを本質的に統合したジンテーゼ(否定の否定)に展開して完結する。シェリングはそのようなプロセスとして、弁証法をすでに理解していた。しかし、意識の過程を説明するための包括的な手法にまで弁証法を高めたのはヘーゲルである。
ヘーゲルは、1807年の著作『精神現象学』のなかで、絶えず更新される弁証法的プロセスとして、精神の本質と展開を考察した。そこでは、思考する主体は常に自身を越えて進化していく。原初的な姿(現象)から芸術、宗教、歴史のなかに現れる精神まで、異なる認識レベルの精神が様々な形態で現れる。ヘーゲルは、進行する弁証法的プロセスが最終的に統合されたものを「絶対精神」と呼んだ。
主人と奴隷の弁証法
ヘーゲルは、歴史の発展と権力のバランスを、弁証法を用いて分析した。人が自己の承認を獲得するために戦うとき、勝者は主人となり、敗者は奴隷となる。もし奴隷が自分の役割を受け入れれば、主人は労働を強制することができる。しかし、それは主人が奴隷に依存することにもなる。奴隷が自分の実力と身分に気づけば、権力のバランスを逆転し得ることになる。このようにして奴隷は、主人と同等の立場であると主張することができる。
ここでは命題(承認への欲望)、否定(死または奴隷)、否定の否定(主人の打倒と平等の承認)という展開で弁証法が使われている。
歴史の精神
ヘーゲルは、歴史上のすべての発展の裏に絶対精神があると述べた。絶対精神はすべての観念のなかの最高のもので、最終的に実現すべきものとされている。ヘーゲルは、1812年から1816年の間に、この精神の姿を明らかにするために『大論理学』を著した。ヘーゲルの理論は、すべての事象を説明し、合理的に解釈する総合的な体系だといえる。
美について
ヘーゲルは、1820年から1829年にかけて行った「美学講義」において、芸術のなかに表されている観念に取り組んだ。ここでも彼は、芸術の歴史を弁証法的なプロセスとして捉えている。まず、観念は芸術のなかで真の表現を目指しているがまだ見つかっていない状態がある。次に、古典的な芸術の形態がある。ここでは観念は調和し、外部へ向けて表現されている。最後に、ロマンティックな芸術の形態がある。ここでは観念は個々の表現を超え、普遍的な精神性をもつようになる。
この時点で、観念が芸術を通じて表現されることはなくなる。ヘ一ゲルは、彼の理論がすべてを達成しており、もう目指すものはないと信じた。このようにして彼は自分の理論を「哲学の終わり」と見なした。
分析哲学と言語哲学
20世紀に哲学者らは、数学と論理学に影響を受け、より分析的なやり方で言語へのアプローチを試みた。
言語はどのように機能するか、その限界は何か、どうすれば内容が真実かどうかを検証できるか。
分析哲学の基礎を築いたのはドイツ語圏の国々だ。1879年、論理学者ゴットロープ・フレーゲは自著『概念記法』で、固有名詞や文、概念を表す表現など各種の機能を初めて明らかにした。そして、それらを真の価値(論理的価値)と関連づけようと試みた。フレーゲは正式な記号論理に基づいた理想の言語を作るためには、数学と論理学の手法が役立つと考えた。
論理的言語
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、分析的言語哲学の第2の創始者といわれる。彼の最初の画期的な著作『論理哲学論考』はケンブリッジ大学在学中に完成し、1921年に出版された。
『論考』は、世界を現実として捉え、それを言語で説明している。この言語による説明は合理的な文である。よってウィトゲンシュタインは、すべての不合理な文は世界に関するどんな命題にもあてはまらないと結論づけた。
不明瞭、あるいは不合理な文はすべて、結果として存在しない。人はそのようなことを話す必要はなく、沈黙を保つべきだという。
いわゆるウィーン学派のメンバーであるモ一リッツ・シュリック、ルドルフ・カルナップ、タルト・ゲーデル、オットー・ノイラートらは、ウィトゲンシュタインの『論考』にたちまち衝撃を受けた。小学校で教師をしていたウィトゲンシュタインは、すべての哲学的問題を解決したと思っていたが、この学派のメンバーとともに自分の理論について論じ合うようになった。その結果、意義深い急進的な思想が現れ、科学者は実証可能な命題を使った経験的観察の追求を強いられるようになった。
彼らは、その命題がすべての真の思想の根幹をなすと考えていた。
日常的に話される言葉
第二次世界大戦後、言語哲学のなかで方向転換が起こった。ジョン・ラングショー・オースティンとジョン・ロジャース・サールによる言語行為論では、理想的な真の言語にのっとって推測するのではなく、むしろ個人の日常の会話と行為から推論した。
それ以来、数多くの哲学者が、特に英語圏において、この概念を使うようになった。その一方で、概念の抽象的な実体はほとんど強調されることがなかった。これらの哲学者は、概念が使用される範囲の外で真の価値と認められることを疑っていた。言語分析のアプローチによると、哲学者は今日まで、偽のあるいは誤った問題を扱ってきたことになる。世界のなかで方向を見失わないためには、言語がどのように使われるかを詳しく調べなくてはならない。それでようやく、矛盾や結果として生じた問題が解決され得ることになるのだ。
観念論
ヘーゲルは、人間の意識がいかに発達し、それがどのように芸術、歴史、宗教などに表れているか、そのすべてを説明できる体系を作った。
観念論は、経験の有無にかかわらず存在する「絶対者」「全体」といった観念に基づいている。ロマン主義哲学に続き、ヘーゲルはドイツ観念論に包括的な思考の体系をもたらした。
現象学
弁証法はテーゼ(命題)から、それと矛盾するアンチテーゼ(否定)へ、さらにそれらを本質的に統合したジンテーゼ(否定の否定)に展開して完結する。シェリングはそのようなプロセスとして、弁証法をすでに理解していた。しかし、意識の過程を説明するための包括的な手法にまで弁証法を高めたのはヘーゲルである。
ヘーゲルは、1807年の著作『精神現象学』のなかで、絶えず更新される弁証法的プロセスとして、精神の本質と展開を考察した。そこでは、思考する主体は常に自身を越えて進化していく。原初的な姿(現象)から芸術、宗教、歴史のなかに現れる精神まで、異なる認識レベルの精神が様々な形態で現れる。ヘーゲルは、進行する弁証法的プロセスが最終的に統合されたものを「絶対精神」と呼んだ。
主人と奴隷の弁証法
ヘーゲルは、歴史の発展と権力のバランスを、弁証法を用いて分析した。人が自己の承認を獲得するために戦うとき、勝者は主人となり、敗者は奴隷となる。もし奴隷が自分の役割を受け入れれば、主人は労働を強制することができる。しかし、それは主人が奴隷に依存することにもなる。奴隷が自分の実力と身分に気づけば、権力のバランスを逆転し得ることになる。このようにして奴隷は、主人と同等の立場であると主張することができる。
ここでは命題(承認への欲望)、否定(死または奴隷)、否定の否定(主人の打倒と平等の承認)という展開で弁証法が使われている。
歴史の精神
ヘーゲルは、歴史上のすべての発展の裏に絶対精神があると述べた。絶対精神はすべての観念のなかの最高のもので、最終的に実現すべきものとされている。ヘーゲルは、1812年から1816年の間に、この精神の姿を明らかにするために『大論理学』を著した。ヘーゲルの理論は、すべての事象を説明し、合理的に解釈する総合的な体系だといえる。
美について
ヘーゲルは、1820年から1829年にかけて行った「美学講義」において、芸術のなかに表されている観念に取り組んだ。ここでも彼は、芸術の歴史を弁証法的なプロセスとして捉えている。まず、観念は芸術のなかで真の表現を目指しているがまだ見つかっていない状態がある。次に、古典的な芸術の形態がある。ここでは観念は調和し、外部へ向けて表現されている。最後に、ロマンティックな芸術の形態がある。ここでは観念は個々の表現を超え、普遍的な精神性をもつようになる。
この時点で、観念が芸術を通じて表現されることはなくなる。ヘ一ゲルは、彼の理論がすべてを達成しており、もう目指すものはないと信じた。このようにして彼は自分の理論を「哲学の終わり」と見なした。
分析哲学と言語哲学
20世紀に哲学者らは、数学と論理学に影響を受け、より分析的なやり方で言語へのアプローチを試みた。
言語はどのように機能するか、その限界は何か、どうすれば内容が真実かどうかを検証できるか。
分析哲学の基礎を築いたのはドイツ語圏の国々だ。1879年、論理学者ゴットロープ・フレーゲは自著『概念記法』で、固有名詞や文、概念を表す表現など各種の機能を初めて明らかにした。そして、それらを真の価値(論理的価値)と関連づけようと試みた。フレーゲは正式な記号論理に基づいた理想の言語を作るためには、数学と論理学の手法が役立つと考えた。
論理的言語
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、分析的言語哲学の第2の創始者といわれる。彼の最初の画期的な著作『論理哲学論考』はケンブリッジ大学在学中に完成し、1921年に出版された。
『論考』は、世界を現実として捉え、それを言語で説明している。この言語による説明は合理的な文である。よってウィトゲンシュタインは、すべての不合理な文は世界に関するどんな命題にもあてはまらないと結論づけた。
不明瞭、あるいは不合理な文はすべて、結果として存在しない。人はそのようなことを話す必要はなく、沈黙を保つべきだという。
いわゆるウィーン学派のメンバーであるモ一リッツ・シュリック、ルドルフ・カルナップ、タルト・ゲーデル、オットー・ノイラートらは、ウィトゲンシュタインの『論考』にたちまち衝撃を受けた。小学校で教師をしていたウィトゲンシュタインは、すべての哲学的問題を解決したと思っていたが、この学派のメンバーとともに自分の理論について論じ合うようになった。その結果、意義深い急進的な思想が現れ、科学者は実証可能な命題を使った経験的観察の追求を強いられるようになった。
彼らは、その命題がすべての真の思想の根幹をなすと考えていた。
日常的に話される言葉
第二次世界大戦後、言語哲学のなかで方向転換が起こった。ジョン・ラングショー・オースティンとジョン・ロジャース・サールによる言語行為論では、理想的な真の言語にのっとって推測するのではなく、むしろ個人の日常の会話と行為から推論した。
それ以来、数多くの哲学者が、特に英語圏において、この概念を使うようになった。その一方で、概念の抽象的な実体はほとんど強調されることがなかった。これらの哲学者は、概念が使用される範囲の外で真の価値と認められることを疑っていた。言語分析のアプローチによると、哲学者は今日まで、偽のあるいは誤った問題を扱ってきたことになる。世界のなかで方向を見失わないためには、言語がどのように使われるかを詳しく調べなくてはならない。それでようやく、矛盾や結果として生じた問題が解決され得ることになるのだ。
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