未唯への手紙
未唯への手紙
大きなものを動かすには、「偶然」が必要
未唯へ。今日は電車で帰りました。混んでいて、立ちっぱなしです。ふだん、高速バスで座って、寝てくる身にはつらいものがあります。豊田市から家まで、40分ぐらい、歩く予定でしたが、「疲れ」を理由にバスにしました。なかなか、予定通りにはいきませんね。
MIZさんの発表用資料の相談を受けている時に、「偶然」のすごさをあらためて、感じました。大きなものを動かすには、「偶然」が必要だということです。自分の勝手なシナリオだと、現実は逆に動きます。スケジュール管理主体だと、余分な人ばかり増えて、ありきたりのことしかできません。変えられません。
「偶然」を使えば、動き出します。社会現象は「複雑性」に支配されています。複雑なものの連鎖を見ることです。変化は常に、周辺に存在します。小さな動きから、大きな動きになる時に、「偶然」が関与します。起こった後には「偶然」=「必然」として、扱われます。
最大の偶然は「生まれてきたこと」とMIZさんに述べたけど、あまりピンときていません。これだけの「偶然」が意思もなく、起こりうるはずがありません。これが、中学生の時に、私を襲ったトラウマです。そのまま、背負いこんでやってきました。
「生まれてきたこと」の理由を求めて、真理探究としての「数学」、「歴史」「社会」を見てきました。そこから生まれたのが、サファイア循環です。
NHKの爆笑問題の番組で、『<私>探し~哲学・永井均』をやっていました。その時のテーマが同じでした。
<なぜ 私は存在するのか?> ふと 気になったこと ありませんか? このあまりに素朴で、あまりに根源的な問いに、50年以上、挑みつづける哲学者がいる。「私は何か?」を徹底的に考え,注目を集める,日本を代表する哲学者。
「永井均という名前だった。今もそうですが。そいつが,何で僕なんだと。ほかのやつは、僕じょないって、全然違いますね。殴られても,痛くもかゆくもない。こいつだけが痛くて,こいつの目からだけ、世界が見えていて,それで、まあ、これだけ体が動かせて」
哲学者ならば、こんな風に、皆が聞いてくれます。私も数学ではなく、哲学にすれば、よかった。番組自体は「こころ」がどこにあるかに脱線していました。こころの場所は私には見えています。それは私の中と、宇宙の端に並んでいる。同一の点として存在する。
MIZさんの発表用資料の相談を受けている時に、「偶然」のすごさをあらためて、感じました。大きなものを動かすには、「偶然」が必要だということです。自分の勝手なシナリオだと、現実は逆に動きます。スケジュール管理主体だと、余分な人ばかり増えて、ありきたりのことしかできません。変えられません。
「偶然」を使えば、動き出します。社会現象は「複雑性」に支配されています。複雑なものの連鎖を見ることです。変化は常に、周辺に存在します。小さな動きから、大きな動きになる時に、「偶然」が関与します。起こった後には「偶然」=「必然」として、扱われます。
最大の偶然は「生まれてきたこと」とMIZさんに述べたけど、あまりピンときていません。これだけの「偶然」が意思もなく、起こりうるはずがありません。これが、中学生の時に、私を襲ったトラウマです。そのまま、背負いこんでやってきました。
「生まれてきたこと」の理由を求めて、真理探究としての「数学」、「歴史」「社会」を見てきました。そこから生まれたのが、サファイア循環です。
NHKの爆笑問題の番組で、『<私>探し~哲学・永井均』をやっていました。その時のテーマが同じでした。
<なぜ 私は存在するのか?> ふと 気になったこと ありませんか? このあまりに素朴で、あまりに根源的な問いに、50年以上、挑みつづける哲学者がいる。「私は何か?」を徹底的に考え,注目を集める,日本を代表する哲学者。
「永井均という名前だった。今もそうですが。そいつが,何で僕なんだと。ほかのやつは、僕じょないって、全然違いますね。殴られても,痛くもかゆくもない。こいつだけが痛くて,こいつの目からだけ、世界が見えていて,それで、まあ、これだけ体が動かせて」
哲学者ならば、こんな風に、皆が聞いてくれます。私も数学ではなく、哲学にすれば、よかった。番組自体は「こころ」がどこにあるかに脱線していました。こころの場所は私には見えています。それは私の中と、宇宙の端に並んでいる。同一の点として存在する。
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