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「複雑性」という言葉は、後からつけた名称です

未唯へ。今日は電車で豊田市まで行って、歩いて帰るルートにしました。伏見で降り損なったので、「本山」で乗り換えて、「八事」に出ました。「八事」で「赤池」まで乗って、「豊田市」行きに乗換ました。

電車を4本乗り継いで、30分遅れで、豊田市に到着です。本当に何も考えていない。けど、どうにかなるもんですね。目の前の「偶然」に乗ると、何か、新しいものに出会う予感だけはしています。

電車に乗りながら、民社党の予算について考えていました。収入40兆円に対して、支出80兆~90兆円をどうするつもりなのか。民社党のやり方を見ていると、一方的になっている気がします。

「複雑性」の考え方をしないと、今の民社党のやり方ではダメになります。本来、味方にすべき「地方自治」と軋轢を生じています。グローバルがローカルを支援するためには、「複雑性」の考え方が必要です。政策を徐々に実施しながら、人の心を変えていきます。そのためには、キャッチボールの姿勢が必要です。それと、全部をやるのではなく、部分部分を積み上げていきます。

「複雑性」と言っても、私の場合は、理論を知ってから、実践したのではありません。東富士で実施したことがベースです。

多様な技術者に、どのようにサポートしていくのかを考えました。私のミッションを技術者を支援することとしたが、彼らは専門領域を持っています。専門知識で助けるわけにはいきません。

彼らが「考える」環境を作り出すことにしました。マッキントッシュとUNIXサーバと光ネットワークをインフラとして用意して、彼らに合った、各種ソフトを使えるようにしました。

データ整理のために、μ空間(データを諸元で空間に埋め込む)を配置して、技術者と一緒になって、問題解決をしました。一つできると、その結果を同様なニーズを持っている人に展開しました。

つまり、仕掛けて、行動してもらって、その反応に対応する、と同時に、その事例を他の技術者に拡大していった。全体として、何ができるかが分かってきたところで、システム化して、定着させました。名前が付けずに、このプロセスを実施していた。

名古屋に来てから、エドガール・モランの『複雑性とは何か』という社会学の本を県図書館で借りてきた。私のプロセスは「複雑性」のアプローチそのものでした。これは核心をついていた。
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