9月18日(祝・月)~3泊4日で北海道へ行く予定です。主な渡道目的は、来春廃止予定の
JR根室本線富良野⇔新得間を乗ることです。但しこの区間の内、既に2016年の台風災害で
東鹿越⇔新得間は不通となっていてバス代行輸送ですけどね。
割と大雑把な行程しか決めていないです。9月18日(祝・月)札幌すすきの泊、で
この日札幌在住の鉄道研究会OB後輩と会う予定。9月19日(火)滝川泊、
9月20日(水)富良野泊、9月21日(木)帰阪です。
9月18日(祝・月)~3泊4日で北海道へ行く予定です。主な渡道目的は、来春廃止予定の
JR根室本線富良野⇔新得間を乗ることです。但しこの区間の内、既に2016年の台風災害で
東鹿越⇔新得間は不通となっていてバス代行輸送ですけどね。
割と大雑把な行程しか決めていないです。9月18日(祝・月)札幌すすきの泊、で
この日札幌在住の鉄道研究会OB後輩と会う予定。9月19日(火)滝川泊、
9月20日(水)富良野泊、9月21日(木)帰阪です。
北海道最終日の9月8日(木)、新函館北斗⇒南千歳へ特急北斗13号に乗りました。
発車して割とすぐに大沼付近を走り、↑駒ヶ岳がキレイに見えました。
↑長万部駅に戻ってきました。ココからは来た時と違って室蘭本線を進みます。
↑有珠岳とが見えました。長万部⇒伊達紋別⇒洞爺と止まって行きます。
特急北斗13号は札幌行きですけど、苫小牧を過ぎて南千歳駅で下車しました。
南千歳駅からは一駅で新千歳空港駅です。
千歳空港からは往路と同じくピーチを利用しました。
【MM110便】
札幌(新千歳)17:30発
↓
大阪(関西) 19:45着
機内から夕焼けがキレイに見えました。
関西空港には定刻の19時45分に到着して、関西空港⇒リムジンバスにて
帰宅しました。
これで9月14日から続けてきた北海道遠征記事は終了です。
9月8日(木)、北海道遠征最終日に、札幌から特急ニセコに乗ってきて下車した
新函館北斗駅では、時間があったので函館から来た特急北斗11号を撮影しました。
北斗11号が12時34分発で、この乗車した北斗13号は1時間半後の13時50分発でした。
指定席は函館から取っていましたが、折返し時間の都合で新函館北斗駅から乗りました。
↑函館駅と函館北斗駅との間には、新幹線連絡用として「函館ライナ-」が走っています。
車両は、函館運輸所所属の733系1000番台電車ですね。
↑特急北斗13号札幌行きに乗り込みました。13時50分、定刻に発車しました。
続きます。
9月8日(木)、函館行きの臨時特急「ニセコ」は、森駅を過ぎて駒ヶ岳駅にも
運転停車して下り特急北斗9号とすれ違いました。
↑北斗9号の側面には、私が乗っていた特急ニセコ号のレインボ-カラ-が映っていますね。
↑まもなく大沼越しに駒ヶ岳の雄姿が見ることが出来ました。
終着駅は函館でしたけど、折返しの函館本線長万部~千歳線南千歳へ行く
特急に乗る関係で、一つ手前の新函館北斗駅で特急ニセコは下車しました。
ココ新函館北斗駅に降りたのは、北海道新幹線開業日の2016年3月26日以来6年ぶりです。
また、ここから新千歳空港へ向けて、南千歳駅へ戻るのですけど後日につづきます。
北海道遠征・最終日9月8日(木)、札幌駅から臨時特急「ニセコ」に乗りました。
函館本線の山線を経由して倶知安⇒長万部経由で函館行きです。
車両は、↑このノースレインボーエクスプレスです。札幌7時57分発です。
指定席が取れずに自由席にしましたけど、発車20分前ぐらいに札幌駅に
到着して、なんとか座席は確保できました。↓車内の様子です。
ハイデッカ-車両で天井斜め上から陽が差します。
↓長万部駅ではご当地キャラの「まんべくん」がお出迎えしてくれました。
↑長万部駅では11:27着、11:43発と16分停車するのでホームで撮影できました。
↑反対側のホームには、特急北斗7号札幌行きが停車していました。
↑その後は左手に噴火湾を見て、終着函館駅目指して走りました。
つづきます。
北海道遠征2日目は、幌延⇒旭川とやってきて、旭川からは富良野線に乗りました。
↑12時30分発の美瑛行きのこの普通列車に乗り込みました。
富良野線を経由して富良野へ行き、根室本線経由で滝川まで来ました。
滝川からは電車特急ライラック34号で札幌まで来て、この日の宿すすきのフレッサインに
チェックインしました。この相鉄グル-プのフレッサイン、なんとこの日が開業日でした。
久しぶりに(たぶん大学生以来)富良野線と根室本線富良野⇔滝川間を乗れることが出来て
良かったです。
9月6日(火)、旭川から特急サロベツ1号で稚内駅に17時23分に到着しました。
稚内では宿泊せず、稚内17時44分発の特急「宗谷」で幌延駅まで引返して、
そこで宿泊しました。↓駅から徒歩5分ぐらいのスマートホテル幌延へ投宿しました。
9/7(水)は、幌延駅からスタートでしたが、7時32分発の特急サロベツ2号が来ません。
この日の朝方は、稚内地方がかなり強風が吹き荒れていましたから、線路に
倒木がないか等の点検で90分以上、列車運行に遅れが生じていました。
↑7時32分発車予定でしたけど、9時15分頃に発車と95分ぐらいの遅れでした。
幌延駅へ到着した↑特急サロベツ2号です。これに乗って旭川まで行きました。
↑天塩川に沿って進みます。途中の音威子府駅が、沿線の主要駅です。
以前はこの音威子府駅から分かれて天北線が、南稚内駅までオホーツク海
沿いに走っていましたが1989年5月に廃止されました。
↑稲作の北限あたりの士別駅付近です。
その後は、名寄駅、士別駅と主要駅に停車して旭川駅には90分遅れの
11時50分頃に到着しました。
つづきます。
9月6日(火)ですけど、前泊した網走から朝8時6分発の特急大雪2号で
旭川駅までやってきて、今度は稚内行きの↓特急サロベツ1号の特急券が
あったのですけど、時間もあるので12時33分発普通列車に乗りました。
↑乗り込んだ名寄行きの↑普通列車です。
HD100型1両ですからかなり満員でした。
途中、三浦綾子作「塩狩峠」で有名な↑塩狩駅にも停車しました。
はるか50年前、大学3年生の時に近くの塩狩ユースホステルに泊まったことを
思い出しました。その後、後続の特急サロベツ1号に乗り換えるべく和寒駅で
下車しました。↓和寒駅です。
ココは初めての下車でしたね。時間あるので駅前の食堂で昼食としました。
↑駅前食堂つたやさんに入りました。ラーメン食べましたけど画像撮らずです。
旭川から乗る予定だった↑特急サロベツ1号が来ました。
もちろん席は空いていました。
↑途中の一番大きい駅=名寄です。以前はココから支線が分かれていました。
↓稚内駅には定刻の17時23分に到着しました。
↑北海道最北端稚内駅です。2018年3月に来て以来4年振りですね。
↑2018年3月に来たときは、雪が残っていて駅前にあった当時は、この
ANAクラウンズホテルと言う名前のホテルに泊まりましたが、今回は
稚内では泊まらずに、また宗谷本線を引き返しました。
9月6日(火)、網走から特急大雪2号で旭川を目指していましたけど
車内の様子は、こんな感じでした。
指定席特急券を持っていましたけど、隣の席や向かい側は空いていました。
↑先頭から3列目ぐらいでしたから運転席も見えました。
↑生田原駅、丸瀬布駅と停車して行きました。↓生田原駅に停車中の普通列車
キハ40系です。ハイブリッド気動車HD100型に世代交代が進みつつありますね。
↓大雪山連邦です。特急を全線乗って旭川駅には11時50分に到着しました。
網走駅発が8時6分でしたから、3時間44分かかりましたね。
9月6日(火)、北海道遠征2日目ですけど、網走駅からスタートでした。
↑何度も降り立っている駅ですけど、朝一番に来たのは初めてだったかもです。
↑8時06分発の旭川行き特急大雪2号に乗り込みました。キハ183系ですね。
↑網走駅を出発すると、すぐ右手に網走湖が見えてきます。車窓から景色を
楽しむのが鉄道趣味の内でも、乗り鉄派の私にとって至福の時ですね。
網走を出て、10分ぐらいで↑女満別駅へ到着。ずっと昔50年くらい前、
ココでSLのⅭ58が牽く急行大雪が網走向けて出て行くところを撮影したこと
思い出していました。(通称大雪くずれ)
↑女満別駅を後にして、次は留辺蘂駅へ止まりました。懐かしい駅名が続きます。
特急ですから、もちろん止まらない駅が多いのですけど、止まる駅は全部
なにかしらの思い出がありますね。そうこうするうちに遠軽駅へ到着です。
↑遠軽駅です。今は行止まりで折返し運転をする駅の形状ですけど、1989年5月に
名寄本線が廃止されるまでは、石北本線と名寄本線の分岐する鉄道の要衝となった
駅でした。現在は、全国でも数少ない平面スイッチバック駅になっていますね。
↑もとやってきた網走方面の線路です。この後、旭川を目指して特急大雪2号は
突っ走りました。