スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

続・谷津の雑感③&相違

2024-01-31 19:30:19 | NOAH
 続・谷津の雑感②の最後でいった日本でのデビュー戦の後,谷津は再びアメリカに渡っています。谷津の話だと,このときはまずニューヨークに行ったのだけれども,ニューヨークにいてもプロレスに進歩がないと考え,フロリダに移りました。
 谷津は最初にニューヨークに入ったときは,キラー・カーンと同居していたわけですが,その後もそれが続いていたのかは分かりません。谷津によればニューヨークで敷かれたレールの上を走るよりも,放浪して修行した方がプロレスラーとして成長することができるという考えがあったとのことですが,僕は専属のコーチの問題が大きかったように思います。谷津がフロリダに移ったのはヒロ・マツダを頼ったとのことですが,ニューヨークではしっかりとプロレスを教えてくれる人がいなかったので,ヒロ・マツダにそれを教わろうとしたということだったのだと思います。
 その最中にルイジアナへの遠征がありました。そこにたまたまザ・グレート・カブキが遠征に来ていて,カブキの当時の主戦場であったテキサスに誘ってもらったので,谷津はフロリダを離れてテキサスで仕事をするようになります。谷津はテキサスではカブキ,およびマジック・ドラゴンすなわちハル・薗田の3人で同居していたとのことです。この当時のカブキはすでに全日本プロレスでも人気レスラーでしたから,そういう選手と新日本のスター候補生だった谷津は一緒に仕事をし,そればかりか同居していたのです。おそらく世話になっていた面も多々あったのではないかと推測されます。
 カブキはすでに全日本での仕事も多くなっていましたから,この頃はテキサスよりも日本にいる時間の方が多いくらいでした。谷津はテキサスで,同じようにテキサスに残っていた薗田と一緒に1年ほど継続して仕事をしました。谷津は薗田とは手が合ったので,新日本よりも全日本の方が自分には合っているのかもしれないと感じたと言っています。薗田は大仁田厚,渕正信と並ぶ,全日本の三羽烏のひとりでした。

 デカルトRené Descartesとスピノザとの間にあった方法論的な差異というのは,『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』を読んだだけでは実はあまりよく分かりません。というのは,『デカルトの哲学原理』の第一部が『哲学原理Principia philosophiae』の第一部にそのまま対応しているというわけではなく,デカルトの哲学の形而上学的部分の解明であるということは『デカルトの哲学原理』の中で触れられているのですが,デカルトが示した方法をスピノザが自身の方法に修正しているということについては何も触れられていないからです。よってこのことは『デカルトの哲学原理』と『哲学原理』を読み比べなければ分からないことなのであって,もしもそうしたことをしないで『デカルトの哲学原理』だけを読めば,修正されているスピノザの方法が,そのままデカルトの方法であるというように解してしまうおそれが高くなります。なので僕はこの点については指摘しておきたかったのです。
                                   
 ここではデカルトの方法とスピノザの方法には実際には相違があるのであって,『デカルトの哲学原理』に示されているのはデカルトの方法なのではなく,デカルトの方法を修正したスピノザの方法であるということだけが理解できれば十分ですから,これ以上は深く考察をすることはしません。ただ,スピノザがデカルトの方法を修正しながらデカルトの哲学を説明しているのですから,スピノザの方法というのがどういうものであるのかということとか,スピノザがデカルトの方法が不十分であると考えたのはどこであり,またそれがなぜなのかといったことの研究には,この修正が大いに役立ちます。この修正によって,スピノザの方法がデカルトの方法といかなる点において異なっているのかということを,際立って理解することができるからです。実際にそうした研究の成果は,同じ國分功一郎の『スピノザの方法』に含まれていますから,もしもそうした相違そのものや,スピノザの方法をデカルトの方法から分かたせる地点がどこなのかといったことに興味があるのであれば,僕は『スピノザの方法』を読むことを強く推奨します。
 『デカルトの哲学原理』に関連する指摘はこれだけです。次のテーマに移ることにします。
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表彰選手&方法論

2024-01-30 19:31:09 | 競輪
 昨年の競輪の表彰選手が23日に発表されています。このブログに関連する部門だけ紹介します。
 MVPは大阪の古性優作選手。全日本選抜競輪,高松宮記念杯,寛仁親王牌とGⅠを3勝。前橋記念福井記念を制覇。MVPはグランプリの優勝選手が選出されるケースが多いのですが,昨年はGⅠ3勝の方が高く評価されました。これはこれであり得る評価だと思います。2021年以来となる2年ぶり2度目のMVPです。
 優秀選手賞は3人。まず広島の松浦悠士選手。ウィナーズカップ,サマーナイトフェスティバル,KEIRINグランプリとビッグを3勝。小松島記念を制覇。グランプリを勝っていてMVPを逃していますので当然です。2019年,2020年,2021年,2022年に続いて5年連続5度目の優秀選手賞。
 ふたり目は栃木の真杉匠選手。オールスター競輪競輪祭でGⅠを2勝。宇都宮記念を制覇。これもGⅠを2勝しているのですから当然でしょう。初表彰です。
 3人目は岐阜の山口拳矢選手。日本選手権競輪を優勝。伊東温泉の施設整備等協賛競輪名古屋記念を制覇。残りひとりのGⅠ優勝者ですから,3人になるのであれば当然です。優秀選手賞は初受賞。
 最優秀新人選手賞は岡山の太田海也選手。ヤンググランプリに優勝。競輪の出走は少なく,競技に比重を置いていなければもっと勝っている選手です。
 特別敢闘選手賞は福井の脇本雄太選手。和歌山記念,豊橋記念,武雄記念に優勝。昨年はビッグを勝つことができなかったのですが,古性が3勝したのには大きく貢献しました。脇本の力が落ちたというより,古性が強くなったという面が大きそうです。特別敢闘選手賞は初受賞。

 『スピノザー読む人の肖像』で指摘されている『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』に関する注意点はこれだけです。ただ,このことをいったのであれば,僕の方からつけ加えて注意を促しておきたいことがあります。
                                        
 かつて僕自身も指摘したように,『デカルトの哲学原理』というのはスピノザによるデカルト哲学の解説書ではあるのですが,スピノザ自身はデカルトRené Descartesの哲学のすべてを肯定していたわけではありません。このことは序文でマイエルLodewijk Meyerもそう書いている通りです。なのでこの本の中にスピノザの考え方が反映されている面があるのであって,とくに確実性certitudoとはどのようなことであるのかということを示すのにあたって,第一部の緒論の中には,デカルトだったらこのようにはいわないのではないかと思われるようなことが含まれています。スピノザは確かに慎重に,それがデカルトの哲学の中で解決することができるようになっていると読めるような書き方はしているのですが,僕は明らかにスピノザがスピノザ自身の考え方の下に,確実性について説明しているというように思えるのです。
 しかしそうはいってもデカルトの哲学の解説書なのですから,公理系の中ではデカルトが否定するnegareようなことが含まれていてはよろしくありません。スピノザもその点は念入りに考えていたものと思います。ところがスピノザは,『省察Meditationes de prima philosophia』の公理Axiomaをそのままその順序で採用するのではなく,順序に変更を加えた上に,公理の文言も削ってしまうなどの変更をしています。それがなぜかといえば,デカルトの哲学の内容を正しく説明する上で,そのようにしなければならないとスピノザが考えていたからです。これがどういうことなのであるのかといえば,デカルトはデカルトがよいと思った方法で自身の哲学を公理系として示したのですが,デカルトがよいと思ったその方法を,スピノザはよい方法であるとは思わずに,その方法には変更が加えられなければならないと判断したということなのです。つまりデカルトとスピノザとの間には,単に哲学の内容に差があったというだけではなく,何らかの定まった思想を綜合的に示す方法論の上でも差異があったのだと解さなければならないのです。
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ALSOK杯王将戦&第一部の内容

2024-01-29 18:54:51 | 将棋
 一昨日と昨日,島根県大田市で指された第73期王将戦七番勝負第三局。
 菅井竜也八段の先手で角道オープン向飛車角交換になった手順で後手の藤井聡太王将が左美濃に構える将棋になりました。
                                        
 第1図から先手は☗4四角☖同歩☗7八飛と動いていきました。
 これに対して☖7四歩と打ったのがうまい切り返し。仕方がない☗同銀に☖8六歩で8筋の突破を目指し,歩成が飛車に当たらないように先に逃げておく☗7五飛にはすぐにと金を作るのではなく☖5七角。
                                        
 これでと金を作るだけでなく飛車の押さえ込みも実現しそうな後手が優位に立っています。第1図で先手から動いていくのは無理で,とりあえず☗5八金左は指しておかなければいけなかったことになるでしょう。
 藤井王将が3連勝。第四局は来月7日と8日に指される予定です。

 『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の第一部が,『哲学原理Principia philosophiae』の第一部にそのまま対応していないことは,その内容からも明らかです。
 基本的に『デカルトの哲学原理』は,デカルトRené Descartesが分析的に示した事柄を,綜合的に示し直すことを目的にしています。簡単にいえばデカルトが普通の文章で著した事柄を,公理系として規定することを目指しています。ですから『デカルトの哲学原理』は基本的に『エチカ』と同様に,公理系に則して描かれているのです。これは公理系にした方が分かりやすいからだという考えをたぶんスピノザがもっていて,マイエルLodewijk Meyerもまたそれに同意していたからです。第二部はまさにそうなっていますし,第三部もそのようになっています。ただ第一部は公理系に入る前に,かなり長い緒論というのが付せられています。これはそういうものが必要であったとスピノザが考えたからなのであって,それはつまり,『哲学原理』の第一部をそのまま公理系に直すだけでは不十分であるとスピノザが考えていたということだと解することができます。そしてこの緒論は,たとえば『方法序説Discours de la méthode』で語られているようなことも分かりやすい形で示されています。
 デカルトは綜合的方法よりも分析的方法が優れていると考えていました。つまりスピノザやマイエルとは逆の考えをもっていたのです。だからデカルトは綜合的方法をまったく採用しなかったのかといえばそういうわけではなく,『省察Meditationes de prima philosophia』では綜合的方法を用いています。そこでスピノザは『省察』でデカルトが示した公理Axiomaを,順序などは変えているのですが『デカルトの哲学原理』の第一部では使用しています。このことは『デカルトの哲学原理』そのものの中で触れられていることです。ですからこういう点に注意さえすれば,この部分は『哲学原理』の第一部にそのまま対応しているわけではないということは理解できるでしょう。
 同じことはマイエルによる序文からも理解できます。そこでマイエルは,第一部というのは重点的な意味で伏せられた名称にすぎないといっています。そこに抽出されているのは,デカルトが論じている形而上学上の重要ないくつかの問題であり,かつそれだけなのです。
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いわき金杯争奪戦&『デカルトの哲学原理』第一部

2024-01-28 19:01:42 | 競輪
 いわき平記念の決勝。並びは新山‐新田‐佐藤の北日本,窓場‐神田の近畿,山田‐井上の西九州,嘉永‐伊藤の熊本。
 神田がスタートを取って窓場の前受け。3番手に山田,5番手に嘉永,7番手に新山の周回に。残り3周のバックを出ると新山が上がっていこうとしましたが,この動きをみて嘉永も上昇。コーナーに入るところで窓場と嘉永は併走のような状態になり,新山はさらにその外から。バックに入るとうまく内を突いた山田が先頭に。新山は構わず外から発進し,山田を叩いて打鐘。4番手に山田,6番手に窓場,8番手に嘉永という一列棒状に。後方になってしまった嘉永はホームから発進しましたが,これはスピードを欠きました。バックから山田が発進。番手で待ち構えていた新田も発進し,一時的に併走での争いとなりましたが,踏み勝った新田が先頭で直線に。あとは後ろを引き離していき新田が優勝。新田マークの佐藤,ホーム最後尾から間を割った伊藤,発進した山田,山田の外から捲り追い込んだ窓場で2着争い。大外の窓場が内の3人を差し切って1車身半差で2着。山田が半車輪差の3着で佐藤が8分の1車輪差の4着。伊藤が半車輪差で5着。
 優勝した福島の新田祐大選手は昨年10月の京王閣記念以来の優勝で記念競輪12勝目。いわき平記念は初優勝。このレースは新山がどういうレースをするかが注目でしたが,後ろ攻めからのかまし先行になりました。力がある選手ですが,1周半以上の先行では厳しかったです。うまく4番手を取った山田には展開は悪くなかったのですが,番手から出た新田に踏み負けることに。ここで踏み勝てたのが新田にとっては大きかったことになります。山田はうまい動きで4番手を取りましたが,もしかしたらそのときにいくらか脚力を消耗していたのかもしれません。

 『スピノザー読む人の肖像』の第1章で,『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』に関する注意点が書かれています。このことはこの本を読んだことがある人にとっては分かりきったことだといえなくもないのですが,よく考えてみると,どんな人であれその内容をよく知らないままに本を読むのであって,あまり注意せずに読み進めれば,当初の思い込みをそのまま正しいことと思い込んでしまう可能性があります。なので僕もここでその注意点をあげておきます。
                                        
 よく知られているように,『デカルトの哲学原理』は,スピノザが同居させていたライデン大学の学生であるカセアリウスJohannes CaseariusにデカルトRené Descartesの哲学を教授し,それをカセアリウスが口述筆記したものが基になっています。スピノザは自分の思想を教えるにはカセアリウスにはまだ早すぎると思ったのでデカルトの哲学を教えたのですが,そのとき,こちらはその理由はよくわかりませんが,『哲学原理Principia philosophiae』の第二部から教え始めました。この部分が『デカルトの哲学原理』の第二部に該当します。第二部が終わったのでスピノザは第三部を教え始めました。それが『デカルトの哲学原理』の第三部に該当しますが,これは始まってすぐに未完のまま終わっています。それはつまり,そこでスピノザがカセアリウスにデカルトの哲学を教えることをやめたということです。スピノザの事情だったのかカセアリウスの事情であったのかは分かりません。
 これを出版するようにスピノザに勧めたのはマイエルLodewijk Meyerです。それにあたってマイエルは,第一部もあった方がよいと考えました。スピノザもその進言に従って,二週間で第一部を書き上げました。つまり執筆の順序でいけば,『デカルトの哲学原理』は,第二部,未完の第三部,第一部となっています。このときに注意しないといけないのは,『デカルトの哲学原理』の第二部と第三部は『哲学原理』の第二部と第三部,といっても第三部は未完なのですから断定できるわけではありませんがおそらく第三部に対応しているのですが,第一部は『哲学原理』の第一部に対応しているわけではないということです。この部分は『哲学原理』より広く,デカルトの哲学の形而上学に対応しているのです。
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第三部定理三二備考&『スピノザー読む人の肖像』

2024-01-27 19:09:35 | 哲学
 第三部定理三二備考の冒頭部分というのは,次のようになっています。
                                   
 「このようにして,人間の本性は一般に,不幸な者を憐れみ幸福な者をねたむようにできていること,しかも(前定理により)他人の所有していると彼らの表象するものを彼らがより多く愛するに従ってそれだけ大なる憎しみをもってねたむということが分かる」。
 前定理といわれているのは第三部定理三二のことです。
 この部分ではねたみinvidiaが憎しみodiumと関連付けられていますが,第三部諸感情の定義二三にあるように,ねたみは憎しみの一種なので,それが憎しみと関連付けて説明されることに不自然なところはないと解さなければなりません。すなわち僕たちの現実的本性actualis essentiaは一般的に,幸福な人間,とくに自分が手に入れていないような幸福を手に入れている人間のことを憎むようにできているということになります。ただしここで幸福といわれているのは,他人をねたむ人間からみたときの幸福なのであって,ねたまれる人間からみられる幸福ではありません。つまり,Aという人間がBという人間が入手していない何かを入手しているからといって,Aは必ずしも幸福であるとは断定できませんが,BがそれによってAは幸福であると表象するimaginariのであれば,BはAのことをねたむ,あるいは同じことですが憎むのです。
 一方,憐れみは憐憫commiseratioのことであり,第三部諸感情の定義一八は,憐れまれる人の観念ideaを伴った悲しみtristitiaと読むこともでき,その限りでは第三部諸感情の定義七によりこれも憎しみの一種です。ただし,実際には憐憫は悲しみの一種ではあっても憎しみの一種ではありません。この定義Definitioでいえば,僕たちが一般的に憎むのは害悪を与えたものに対してなのであって,そうした害悪を与えられたと表象する他人,つまり憐れまれる人に対してではないからです。

 9月27日,水曜日。この日に1冊の本を読み終えました。國分功一郎の『スピノザー読む人の肖像』という本です。2022年10月22日に岩波新書から発刊されたもので,僕が読んだのは同年12月5日に出た第2刷です。売れ行きがあったので増刷されたということで,内容に変化があるわけではありません。
 國分の本を読むのは3冊目です。最初に読んだのが『スピノザの方法』で,これは専門書といえる内容です。次に読んだのは『はじめてのスピノザ』で,これは入門書でした。この本はどちらかといえば『はじめてのスピノザ』の方に近い内容ですが,入門書といえるようなレベルは少し超えていると思います。ただ,『スピノザの方法』を読みこなすためには一定程度以上のスピノザの哲学に対する知識が要求されるのに対し,この『スピノザー読む人の肖像』は,そこまでの知識を要求されているわけではありません。むしろ入門書程度の知識があれば十分に読みこなすことができるでしょう。そういう意味でいえば,『はじめてのスピノザ』でスピノザについて基礎的な知識を得た人が,さらにステップアップするために『スピノザー読む人の肖像』も読むということが念頭に置かれているような気がします。入門書を書いたのと同じ人がそこからステップアップすることができる本を書いているわけですから,この順番で読んでいけばすんなりと國分のいわんとしていることが入ってくるのではないかと思います。なので『はじめてのスピノザ』を読んだという人に対しては,強く推奨したい本です。
 序章を除くと7章からなっていて,それぞれの章にスピノザの書物が割り当てられています。第一章が『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』,第二章が『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』と『短論文Korte Verhandeling van God / de Mensch en deszelfs Welstand』,第三章が『エチカ』の第一部,第四章が『エチカ』の第二部と第三部,第五章が『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』,第六章が『エチカ』の第四部と第五部,第七章が『ヘブライ語文法綱要Compendium grammatices linguae hebraeae』と『国家論Tractatus Politicus』です。スピノザの人生について何も語られていないかというとそういうわけではなく,これらが書かれた当時の状況なども織り込まれています。
 明日からは僕が気になったところを考察していきます。
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罪の意識&2023年9月の通院

2024-01-26 19:43:38 | 歌・小説
 『ドストエフスキー 黒い言葉』では,かつて僕が小説の中に入ることというテーマで読解しようとしたことと関連することがいわれています。
                                        
 亀山郁夫によれば,ドストエフスキーは処女作の『貧しき人びと』から『虐げられた人びと』に至るまでは,物語の作り手として物語の外部に立っていました。『貧しき人びと』は手紙のやり取りがそのまま小説になっています。また『虐げられた人びと』は主人公が作家であって,その意味ではドストエフスキーに近いということはできますが,この作家はかつて僕がいったように無能な作家なのであって,ドストエフスキーが自己投影しているような作家ではありません。
 ところが次の『死の家の記録』およびその次の『地下室の手記』になると,ドストエフスキーは積極的に作家としての私という存在を小説の内部に組み入れるようになったのだと亀山はいいます。とくに『死の家の記録』というのはかなり変わった小説構造をもっています。この小説には主人公がいて,ゴリャンチコフといいます。このゴリャンチコフが小説の第一部では自ら語る形式を採用しているのですが,第二部に入ると,小説の語り手としての役割を放棄し,作者であるドストエフスキーに譲るような形式となっています。この小説は監獄の中の出来事の一部始終であって,基本的にドストエフスキーが監獄で体験したことがベースとなっていますから,このこと自体は不自然ではありません。むしろドストエフスキーは小説という形態を採用せず,単に自身の手記ととしてこれを書くということもできたからです。ドストエフスキーが小説として書いたのは,この中には実際には創作が混在しているからですが,書き連ねていくうちに,それでは収まりがつかないようになったのではないかと推測されます。
 亀山はこれを,書いているうちにドストエフスキーに罪の意識が顕在化してきたからだというようにみています。そしてそれは,ゴリャンチコフが自身の罪に対して罪の意識を感じていないことから明らかだといっています。ゴリャンチコフは妻を殺したことで服役したのですが,そうした罪の意識は,その罪を犯していないドストエフスキー自身にはなかったからです。

 9月23日,土曜日。午後2時20分にお寺の奥さんから電話がありました。これは翌日の彼岸会の連絡でした。
 9月24日,日曜日。彼岸会の当日でしたので,お寺に行きました。
 9月25日,月曜日。内分泌科の通院の日でした。
 病院に到着したのは午後2時25分でした。この日は中央検査室で僕の前に採血を待っている患者が11人もいました。これくらいの時間に行きますとだれも待っていないというケースもあるくらいですからこれは異例です。どうも,順番を表示する機器に故障が生じていたようで,その影響で採血ができないという時間帯があったため,その間に採血を待っていた患者が滞留してしまったようです。当然のようにまず採尿をしてそれから注射針の処理,そして採血という順番にしましたが,診察の予約は午後3時でしたので,僕の採血が終わったらもうその時刻が迫っていました。いつもは缶コーヒーでも飲んでゆっくりしているのですが,この日はそのまま内分泌科の受付に向かいました。
 診察が始まったのは午後3時半でした。これは僕の前に診察を待っていた患者が多かったというよりも,採血の終了が診察開始時刻の直前になってしまったので,その結果が出るのにいくらかの時間を要したという影響が大きかったように思います。
 HbA1cは6.7%でした。8月の通院のときよりも低下していたことになります。インスリンの注射量については何も変更していませんから,やはり気候の影響が大きかったように思います。低血糖は全体の4.3%で,これはやや多めです。最も割合が多かったのが朝食前だったこともあり,また持続効果型のインスリンであるトレシーバの注射量を1単位減じることになりました。7月に12単位から11単位にしていますので,この日の夜からは10単位,0.1㎎にしたことになります。
 ほかに出ていた異常はひとつで,アルブミンです。下限の4.1g/㎗を下回る3.9g./㎗です。8月は異常がありませんでしたが,7月以来またこの異常が出たことになります。
 薬局に寄って帰りました。インスリンも注射針も在庫がありました。帰宅したのは午後4時45分でした。
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NARグランプリ&旅行

2024-01-25 19:04:10 | 地方競馬
 昨年のNARグランプリが16日に発表されました。競走馬部門の中でこのブログで取り扱っているものだけを紹介します。
                                   
 年度代表馬は兵庫のイグナイターさきたま杯JBCスプリントに優勝。ほかに高知と兵庫の重賞を1勝ずつ。やはり大レースを勝ったミックファイアとの争いですが,ほかに重賞を勝っていたということが決め手になったと思います。部門別では4歳以上最優秀牡馬と最優秀短距離馬。一昨年も年度代表馬に選出されていて2年連続の受賞。
 2歳最優秀牡馬は北海道のサントノーレ鎌倉記念を優勝。評価の決め手は全日本2歳優駿で3着に入ったことだと思います。現在は大井に転入しています。
 2歳最優秀牝馬は北海道のモズミギカタアガリエーデルワイス賞を優勝。エーデルワイス賞は2歳牝馬限定のダートの唯一の重賞で,北海道所属馬が勝つケースも多く,勝つとそのまま自動的に代表馬に選出されるというケースがほとんど。昨年も過去の例に準じたという形になりました。残念ながら競走馬登録はすでに抹消されています。
 3歳最優秀牡馬は大井のミックファイア羽田盃,東京ダービー,ジャパンダートダービーに優勝し,秋に岩手の重賞を制覇。この部門はこの馬以外にはいません。秋の2戦が春ほど力を見せていないように感じられる点は危惧されます。
 3歳最優秀牝馬は船橋のメイドイットマム桜花賞ロジータ記念を優勝。関東オークスも3着とハナ差の4着ですから順当なところ。古馬相手の初戦となった東京シンデレラマイルで0.5秒差だったとはいえ,6着に負けているのは気になります。一昨年の2歳最優秀牝馬で2年連続の選出。
 最優秀ターフ馬は該当馬なし。
 ダートグレード競走特別賞馬はJRAのウシュバテソーロ川崎記念,ドバイワールドカップ,日本テレビ盃,東京大賞典に優勝。この馬は昨年はJRAでは走っていませんから選ばれて当然でしょう。
 特別表彰馬に大井のマンダリンヒーロー。この馬は昨年は6戦して2着が5回と1勝もしていません。サンタアニタダービーで2着になり,ケンタッキーダービーまで駒を進めたのは地方所属馬としては快挙といえますが,1勝もしていない馬が表彰されるのはどうなのかとも思います。

 9月8日,金曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。この日は横浜に台風が接近していました。午前中は激しい降雨がありましたが,妹を迎えに行く時間帯には雨風共に弱まっていました。雨の中の送迎は大変なのですが,それでも恵まれた方だと思います。
 9月9日,土曜日。午後8時10分にピアノの先生から電話がありました。翌日のピアノのレッスンの開始時刻の通達でした。
 9月10日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。午後4時半の開始でした。
 9月11日,月曜日。妹を通所施設へ送りました。
 9月22日,金曜日。妹は通所施設の旅行でした。通所施設の日帰り旅行は年に1度,9月に行われることになっています。ただ,新型コロナウイルスの影響でこのところはずっと中止になっていましたので,これが4年ぶりの旅行だったことになります。午前中に箱根園の水族館を見学。その後,小田原にあるかまぼこの里というところで食事という旅程でした。通所施設での解散は午後4時です。僕はこの日は妹を迎えに行っていませんが,利用者を迎えに行く人は,この日はこの時間以降だったことになります。妹はグループホームに入所していますが,グループホームからここに通所しているのであって,その送迎というのがあります。同様に家から通っている人たちがいる,というかグループホームと通所施設を行き来している利用者の方が少数ですから,家に帰るという人の方が多いので,それなりの数の保護者が影響を受けたということになります。なお,利用者の数が多いですから,この旅行は全員が同時に行くというわけではありません。利用者を2つのグループに分け,それぞれのグループが別の日に旅行に行きます。旅程は同じで,妹のグループの旅行がこの日だったということです。残ったグループは通常の作業を施設で行います。その場合は午後3時が終業ですから,迎えに行く場合にはその時間になります。僕は旅行の日は以前から迎えに行かないことにしていますので,午後3時以外に迎えに行ったのはただ1度,大雪が予想されているので早めに迎えに来てほしいと言われて午後2時に迎えに行ったケース以外にはありません。
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東京中日スポーツ賞金盃&休診

2024-01-24 18:58:28 | 地方競馬
 第68回金盃
 マンガンは発馬が悪く2馬身の不利。駆け引きはありましたがマテリアルガールの逃げになってランリョウオーが2番手。発馬後の3コーナーにかけて追い上げていったアンタンスルフレが3番手に上がり,好発を決めたアルサトワがミヤギザオウと並んで4番手。2馬身差でセイカメテオポリス。3馬身差でヴェルテックスとカイル。6馬身差でゴーストとドスハーツ。6馬身差でトーセンブル。2馬身差でカネコメノボル。コスモポポラリタが1馬身差で続き,2馬身差の最後尾にマンガンとエイシンピストンという隊列で1周目の正面へ。最初の1000mは64秒5のミドルペース。
 2周目の向正面に入ってからセイカメテオポリスが漸進。それにランリョウオーが対応したので,3コーナーではこの2頭がマテリアルガールの前に出て,マテリアルガールは後退。この2頭が並びながら一旦は後ろとの差を広げ,3馬身差の3番手にミヤギザオウでその後ろにヴェルテックスとカイル。直線に入るところでコーナーワークで前に出たランリョウオーがセイカメテオポリスよりも手応えがよさそうだったのですが,セイカメテオポリスは直線でもじわじわと伸び,並んだところでフィニッシュ。粘ったランリョウオーが優勝でセイカメテオポリスがアタマ差の2着。3番手から前の2頭の間を突こうとしたミヤギザオウは,最後は突き放されて2馬身半差の3着。
                                 
 優勝したランリョウオーブリリアントカップ以来の勝利で南関東重賞5勝目。大井の長距離戦というのは勝ち馬がどういうレースをするのかによって結果が大きく異なってしまう面があるのですが,このレースはわりと前に位置していた有力馬がそのまま競り合っての決着となりましたので,伏兵が食い込んでくることにはなりませんでした。ランリョウオーは最近は1600mの南関東重賞でも2着に入っていたりしたのですが,重要なのはスムーズに走れるかどうかという点で,そういう走りがしやすい分,長距離では実績を残しているということなのだと思います。ですから本来的な距離適性は2000m前後なのかもしれません。母の父はシンボリクリスエス。祖母はファビラスラフイン
 騎乗した船橋の本橋孝太騎手はロジータ記念以来の南関東重賞34勝目。金盃は初勝利。管理している浦和の小久保智調教師は南関東重賞65勝目。第67回からの連覇で金盃2勝目。

 薬局に寄って帰りました。インスリン注射針も在庫が揃っていました。帰宅したのは午後4時20分でした。
 8月17日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 8月18日,金曜日。午前中にО眼科に行って,目薬の処方箋を出してもらいました。いつもは通所施設からの帰りにそのままО眼科に行くのですが,О眼科は木曜日は休診です。なのでこのときは金曜日に行きました。午後は妹の歯科検診がありましたので,みなと赤十字病院まで妹を連れて行きました。
 8月19日,土曜日。妹を通所施設に送りました。この日が土曜レクリエーションになっていたからです。このときは事前に予定を把握していたのですが,僕の都合でこのような日程にせざるを得ませんでした。ですからこのときは事前にグループホームに予定を提出した段階でこのような予定となっていたのであって,土曜レクリエーションに妹を参加させるために予定を組み替えたというわけではありません。
 8月25日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 8月27日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。前日までにピアノの先生からの電話での連絡がありませんでしたので,事前に予定されていた午後6時からの開始になるかと思っていましたが,当日になって連絡が入り,午後5時半の開始となりました。
 8月28日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 9月2日,土曜日。総講がありましたのでお寺に行きました。妹はこの日も土曜レクリエーションでした。この日はボーリングをやったそうです。ボーリングといってもボーリング場に行くわけではなく,通所施設内で行うレクリエーションですから,実際にはボーリングのようなゲームといった方が正しいかもしれません。
 9月4日,月曜日。О眼科で眼科検診を受けました。この日は網膜症の検査をしただけです。変化は生じていませんでした。
 9月6日,水曜日。郵便局で妹の福祉乗車券を購入しました。この福祉乗車券は10月1日から今年の9月30日までのものです。10月1日にならないと使用できませんので,それまではこれまでのものの使用を継続することになります。
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岡田美術館杯女流名人戦&2023年8月の通院

2024-01-23 19:22:44 | 将棋
 21日に出雲文化伝承館で指された第50期女流名人戦五番勝負第二局。
 福間香奈女流四冠の先手で中飛車。後手の西山朋佳女流名人が向飛車。先手が左玉にすると後手は三間飛車に振り直し,対して袖飛車にした先手が3筋から早い段階で仕掛けていくという珍しい将棋に。
                                        
 ここで後手は☖4四歩と突きました。☗同銀なら飛車交換,☗同角なら☖4五歩で銀を押さえ込む狙い。
 先手は☗3三歩と打ちました。☖同桂に☗4四銀。☖4五桂に☗3三銀不成としました。☖3七歩☗同桂☖同桂成☗同飛で飛車取りが残っているので☖7二飛。
                                        
 ☗3三歩が鋭い切り返しで,第2図となっては飛車を僻地に追いやった先手の有利がはっきりしました。第1図は☖3三歩と受けるほかなかったようです。この将棋の後手の序盤は角道を止めないための工夫だったと思いますが,それもあまりうまくいっていなかったのかもしれません。
 福間女流四冠が連勝。第三局は来月4日に指される予定です。

 8月13日,日曜日。この日は総講です。またお寺に行きました。
 8月14日,月曜日。内分泌科の通院の日でした。
 病院に到着したのは午後2時20分でした。いつものようにまずは保険証確認をしましたが,7月6日に新しい保険証が送付されてきたため,保険証が7月の通院のときのものとは違っていました。この関係で保険証確認を担当する職員がこの保険証のコピーを撮りました。
 中央検査室で僕の前に採血を待っている患者はふたりでした。なので先に採尿をして,注射針の処理も済ませた後で,採血をしました。
 診察が始まったのは午後3時15分でした。HbA1cは6.8%でした。7月よりも高くなっていたことになります。僕の血糖値は気温の影響を最も受けやすく,この時期は最も暑い時期に該当しますから,血糖値は下がる筈なのですが,計測している血糖値は例年の夏場に比べれば高くなっていました。ですからHbA1cもきっと上がるだろうと予期していましたので,上昇自体は僕の想定していた通りです。ただ,僕が思っていたほどは高くならなかったのも事実です。僕のHbA1cは7%前後であればとくに問題はないとされていますので,何か処置を施さなければならないという状況ではありませんでした。よってこの日は注射するインスリンの量を変更することはしていません。
 この日はこれ以外には何も異常が検出されていませんでした。このところはずっとアルブミンが下限値を下回るということが続いていましたので,何も異常がなかったというのは2022年10月の通院のとき以来になります。低血糖も含めればその前月以来です。
 お盆の真っただ中であったからかもしれませんが,この日の病院はとても空いていました。僕は診察が終われば会計に向かい,このときに会計の番号札を渡されます。この番号札にバーコードが印刷されていて,番号が表示されるとそのバーコードを機械に読み取らせることによって支払いができるようになるという仕組みです。このときもらった番号札は703だったのですが,もらった時点で701まで会計ができる状況になっていました。703だと普通は670とか680で,650くらいの場合もあります。
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ALSOK杯王将戦&御講

2024-01-22 19:06:24 | 将棋
 一昨日と昨日,佐賀県三養基郡上峰町で指された第73期王将戦七番勝負第二局。
 藤井聡太王将の先手で後手の菅井竜也八段のノーマル三間飛車。先手の居飛車穴熊に後手のダイヤモンド美濃という戦型になりました。
                                        
 この将棋は第1図で☖4五桂と跳ねたのが敗着で,☖7四同銀と取らなければいけなかったようです。取らなければいけないと後手は分かっていたようなのですが,桂馬を跳ねてしまったという感想が残っています。たぶんほかの変化で桂馬を跳ねる手が成立ケースがあって,脳内が混乱してしまったということなのでしょう。珍しいケースの敗着だったと思います。
 藤井王将が連勝。第三局は27日と28日に指される予定です。

 8月2日,水曜日。お寺の奥さんから電話がありました。僕が席主となる御講の日時が正式に決定されたとのことでした。
 8月3日,木曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。
 8月4日,金曜日。妹の本牧脳神経外科の通院でした。この日は診察の後に採血をしました。
 8月6日,日曜日。妹をグループホームに送りました。
 8月10日,木曜日。御講でした。御講と総講は,やることはほぼ同じです。最大の違いは総講は席主というのはなく,お寺で主催するものであり,したがって月に決まった日に必ず行われます。これに対して御講はこの日の僕のような席主がお寺に依頼して開催するというものなので,月に何回あるのかということが,決まっているというわけではありません。ただし1度もないということはほぼありません。住職の読経があって,その後に講話があるという内容は同じです。ただ,読経の途中には言上といわれる,いわば請願があって,この請願が総講のときは御講のときよりも多くなりますので,相対的な時間は総講の方が御講よりも長くなります。たぶんそのためだと思いますが,総講は午前6時半の場合を除けば午前10時半に開始されますが,御講は午前11時に開始されるのが通例です。終了時間は同じくらいになりますので,総講の方が30分ほど長くなると理解して間違いありません。また,御講をお寺に依頼する席主というのは当然ながらこのお寺の檀家ということになりますが,檀家がお寺に依頼して実行するものですから,本来的にはその檀家の家で催されるものです。まだ祖母,熱心な信者であった僕の父の母が生きていた頃は,僕の家でもこの御講が行われるということがたびたびありました。ただこの場合は住職を家に迎えるということになりますから,準備などは大変です。そのために現在の御講は,そのほとんどがお寺で行われています。つまり僕がこの日に御講をお寺で行ったのは,異例であったわけではありません。お寺でやれば準備はすべてお寺でやってくれます。なので僕が準備のために早く行く必要があるというわけでもなく,午前11時の開始でしたから,その15分前くらいにお寺に到着していれば十分でした。
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桜花賞・海老澤清杯&Kさんとの電話

2024-01-21 19:27:15 | 競輪
 川崎記念の決勝。並びは深谷‐郡司‐松谷‐堀内‐福田の南関東,清水‐松浦の中国に恩田で稲川は単騎。
 郡司がスタートを取りに行きましたが,内から松浦が追い上げ返して誘導の後ろに。清水の前受けとなり,4番手に稲川,5番手に深谷で周回。残り2周のホームの入口から深谷が発進。そのまま清水を叩いて先行態勢。福田は続くことができませんでした。清水は3番手まで引いて松谷の内で粘って競り合い。この競り合いは残り1周のバックまで続きましたが,清水が奪い,3番手が清水で4番手が松浦という隊列に。無風だった郡司は深谷との車間を開け,直線で踏み込んで優勝。マークになった清水が4分の3車身差の2着で清水の内に進路を取った松浦が4分の1車輪差で3着。
 優勝した神奈川の郡司浩平選手は前回出走の岸和田のFⅠの完全優勝に続いての優勝。記念競輪は昨年9月の松阪記念以来の19勝目。川崎記念は2017年,2019年,2021年,2022年と優勝。開催されていない年もありますので,4連覇での5勝目。ほかに2021年の全日本選抜競輪も当地で優勝。このレースは南関東ラインがあまりに手厚く,ほかの選手がどのように対抗するのかというレース。清水の選択は3番手での競りで,うまく位置を奪うことはできたのですが,奪うまでに時間が掛かってしまいましたので,郡司を差すだけの余裕は残っていませんでした。郡司にとっては楽な優勝だったのではないかと思います。

 7月29日,土曜日。妹の土曜レクリエーションの日でした。
 7月30日,日曜日。米の残量が少なくなってきましたので,Kさんに電話をして送ってもらうように依頼しました。この電話のときに,福江島に住んでいる叔父の話になりました。以前に説明したように,叔父は福江島で癌が発見され,抗癌剤の治療を受けています。このことはそのときにもいったように,叔父本人から僕に伝えられたわけではなく,叔父の娘,つまり僕からみたら死んだ従妹の以前の夫から伝えられたものです。これはおそらく叔父が僕やロサンゼルスの伯母には秘匿しておきたいがために,ほかに頼れる人に連絡したからだと思います。Kさんは叔父にとって頼れる人のひとりでしたから,叔父が癌になって抗癌剤の治療を受けているということは知っていました。Kさんが僕の家を訪ねてきたのは2019年の12月のことで,僕の家から福江島の叔父にも会いに行きました。Kさんはその翌年にも叔父に会いにいったそうなのですが,その時点ではすでに具合が悪そうだったとのことです。Kさんはその後に叔父が抗癌剤の治療に入っていることを伝えられ,そのときに一身上のことについてはすべて弁護士に任せているといわれたのですが,それ以降は叔父から何の連絡もないとのことでした。僕の家にも叔父,あるいはその弁護士から何かを伝えられているわけではありませんから,それ以上のことをKさんに伝えることはできませんでした。いずれにせよ,僕のところにもKさんのところにも連絡がないというのは,叔父の希望が反映されたものであるということは間違いありませんから,そのままでよいのだろうと思っています。というか,こちらからは連絡を取ろうにも取ることができない状態になってしまっていますので,そうするほかないというのが本当のところでもあります。
 Kさんは秋田市に住んでいるのですが,この少し前に秋田は大雨の影響で甚大な被害が出ているというニュースが伝えられていましたので,その点について尋ねましたが,Kさんが住んでいるところは秋田市といっても市内の中心部ではなく,何か生活に支障を来してしまうような被害が出てはいないとのことでした。
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優越性の否定&妹の健康診断

2024-01-20 18:58:51 | 哲学
 第四部序言で,スピノザは完全性perfectioを人間の本性の型と関連付けた後で,ひとつだけ注意を与えています。この注意で第四部序言はそのすべてを終えます。
                                   
 スピノザは完全性を実在性realitasと等置します。実在性というのはpotentiaという観点からみた本性essentiaのことを意味しますので,スピノザにとってあるものの完全性というのは,そのものがある仕方で存在しまた作用する限りにおいて,そのものの本性のことを意味します。いい換えれば,ある事物の完全性とその事物の現実的本性actualis essentiaは同一のものであるとスピノザは解します。
 このときスピノザは,それを持続duratioと関連させては考えません。つまり,あるものが別のものと比べたときに,より長い時間にわたって現実的に存在したからといって,その事物が別の事物よりも完全であったというようには認めません。これは,スピノザが事物の完全性と事物の現実的本性を等置していることからの,必然的な帰結であるといえます。なぜなら,事物の持続,すなわちその事物がどれだけの間にわたって現実的に存在するのかということは,その事物の現実的本性に含まれているわけではないからです。むしろ第三部定理四にあるように,現実的に存在する事物はほかの事物によって滅ぼされる,あるいは同じことですが持続を停止させられるのであって,それ自身の現実的本性によって持続を停止するわけではないのです。
 第三部定理七にあるように,現実的に存在する事物は,より完全であるといわれようとより不完全といわれようと,同じようにそれ自身の現実的存在に固執するperseverareコナトゥスconatusを有します。そしてその存在existentiaに固執する力は,より完全であるといわれる事物であろうとより不完全といわれる事物であろうと,存在を開始するときから存在が終焉するまで同等です。いい換えればこの点においてはすべてのものが同等といわれなければなりません。
 このことはスピノザがある事物がほかの事物に対して優越的であるということを否定するnegareことと関連します。人間であろうと馬であろうとあるいは三角形であろうと,現実的に存在するなら各々の力でその現実的存在に固執するのですから,あるものがほかのものに対して優越的にeminenter完全であるということはできないのです。

 僕は右下と左下の歯には被せ物をしています。このうち,右下の歯に関しては,被せ物をした部分が浮き上がってきているように以前から感じていました。しかし僕が感じていたように,そこの部分が浮き上がっていたわけではなく手前の部分が沈んできていたために,僕には相対的に被せ物をしている部分が浮き上がってきているように感じられていたのです。
 7月22日,土曜日。この日は妹のグループホームがある地区の盆踊りがありました。盆踊りは開催されたようですが,妹を含めた利用者は参加しなかったとのことです。
 7月27日,木曜日。この日はふたつの郵便物がありました。ひとつは妹の重度障害者医療証です。これはこの年の8月1日から利用するようになるもので,期限は来年の9月30日までとなっています。もうひとつは妹が通所施設で受けた健康診断の結果です。要精密検査となっていました。
 異常とされていたのは3点です。まず脂質検査で,LDLコレステロールが非常に低いとされていました。しかし下限値が60㎎/㎗のところ,58㎎/㎗ですから,非常に低いといわれるほどではないと思えます。数値自体も前々回より前回,前回より今回と改善してきています。
 ふたつめは貧血です。血色素量が12.1g/㎗のところ10.8g/㎗ですからとても低いです。これは以前に服用していた鉄剤を,みはりいぼ痔に悪影響だから取り止めた影響です。これはまた服用を始める可能性があります。
 最後に肝機能です。γ-GTの上限値が50U/Lのところ,78U/Lとなっていました。ただしこの点に関しては,わずかに異常を示しているけれども,とくに問題はないとの所見でした。つまり精密検査を必要とするのは,脂質と貧血ですが,脂質は僕の判断で,精密検査までする必要はないいだろうとしました。一方,貧血については,本牧脳神経外科でも血液検査を受けることがありますから,そのときに医師から指摘されることがあります。なので精密検査を受けるのではなく,本牧脳神経外科の医師にまた指摘されたときに,相談することにしました。ですからこのような結果が報告されましたが,妹は精密検査自体は受けていません。
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報知グランプリカップ&マイナンバーカード

2024-01-19 19:06:19 | 地方競馬
 ダイオライト記念トライアルの昨晩の第60回報知グランプリカップ。リッカルドが後ろ脚の歩行のバランスを欠いたために競走除外になって9頭。
 ヒーローコールも逃げる姿勢を見せましたが,外のエルデュクラージュの方がハナへ。マッドルーレットが2番手で追い3番手にギガキング。ヒーローコールとジョエルが並んで続き,6番手にロードレガリス,7番手にスワーヴアラミス,8番手にスーパーフェザー,最後尾にリベイクフルシティという隊列で発馬後の正面を通過。この時点では一団でしたが,向正面に入るとエルデュクラージュのリードが1馬身半ほどになり,3番手のギガキングと単独の4番手になったヒーローコールとの差が4馬身くらいに。その後ろはロードレガリスがジョエルの前に出ました。最初の800mは50秒2のミドルペース。
 3コーナーでエルデュクラージュのリードが3馬身くらいまで広がりました。マッドルーレットとギガキングは必死に追い掛け,その後ろは内がヒーローコールで外がロードレガリスとスワーヴアラミス。直線に入るところでもエルデュクラージュの手応えは楽。そのまま後続を寄せ付けずに楽に逃げ切って優勝。内から差し込んだヒーローコールがマッドルーレットの前に出ると,マッドルーレットとその外から追っていたギガキングは苦しくなり,この2頭の外からロードレガリスとスワーヴアラミスが追い上げて2着争い。制した内のヒーローコールが2馬身差の2着。スワーヴアラミスが1馬身半差の2着でロードレガリスが1馬身半差の4着。
                                   
 優勝したエルデュクラージュは昨年の報知オールスターカップ以来の勝利で南関東重賞2勝目。その後は6戦して2度の4着が最高着順であったために人気を落としていましたが,一昨年の川崎記念で2着になったほどの能力があるので,僕は優勝候補の一角という見方でした。このレースは楽なペースで逃げることができたのが大きいですが,単に展開の利だけで勝ったわけではなく,それだけの能力があるとみるべきでしょう。10歳ですから多くを期待することは酷ですし,厳寒期が適しているということもありそうなので,これが最後の勝利となる可能性もそれなりにあるかとは思います。父はクロフネ。Ailes du Courageはフランス語で勇敢な翼。
 騎乗した大井の矢野貴之騎手はゴールドカップ以来の南関東重賞37勝目。第54回以来となる6年ぶりの報知グランプリカップ2勝目。管理している船橋の川島正一調教師は南関東重賞32勝目。第51回,52回に続く8年ぶりの報知グランプリカップ3勝目。

 7月12日,水曜日。午後8時45分にピアノの先生から電話がありました。16日に予定されていた妹のピアノのレッスンの開始時刻を通達されると共に,このときの電話で8月に行うレッスンの日を決めました。レッスンをいつ行うかということは,レッスンの当日に翌月の予定を決めるというのが習慣になっていますので,このような仕方で翌月のレッスンの日付を決定するというのは異例です。
 7月13日,木曜日。総講の日でしたのでお寺に行ったのですが,この日は夏季参詣中のため,総講は朝参詣となっていて,僕は参加することができませんでした。何度かいっていることですが,僕がお寺に行くのは会堂にある両親および祖父母の墓参りが主目的ですので,総講に参加できないならできないで何も問題はありません。かえって帰るのが早くなるだけです。
 7月14日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 7月16日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。午後4時からでした。
 7月17日,月曜日。妹をグループホームに送りました。この日は祝日ですから,朝に通所施設へ送っていったのではなく,午後にグループホームに送りました。
 7月19日,水曜日。僕の歯科検診の予約を入れました。僕は歯科検診の予約はできるだけI歯科に赴いて入れるようにしています。電話で入れてもいいのですが,I歯科で予約を入れれば,診察券に日時をI歯科の受付で記入してもらえるからです。I歯科は根岸駅の近くですから,赴くこと自体が僕の負担になるということはありません。根岸駅周辺には日常的に行くからです。
 7月20日,木曜日。磯子区役所へ行きました。マイナンバーカードを受け取るためです。予約を入れていたこともありますが,受け取るための手続きにはそれほど時間を要しませんでした。
 7月21日,金曜日。19日に予約を入れた歯科検診でI歯科に行きました。施術はいつものようにクリーニングだけでした。ただ,右下の被せ物がしてある歯の手前が沈んできているために,隙間ができてゴミが溜まりやすくなっていると指摘されました。このことに関しては,僕は以前から感じていることがありました。
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日刊ゲンダイ賞ブルーバードカップ&2023年7月の通院

2024-01-18 19:03:38 | 地方競馬
 昨晩の第50回ブルーバードカップ
 発馬後の動向からカプセルは逃げたかったようですが,譲らなった内のエコロガイアの逃げとなり,カプセルは2番手。3番手にバハマフレイバーで各々の差は半馬身ほど。4番手以下はキタノヒーロー,アンモシエラ,バロンドール,ウルトラノホシという順になりここまでは一団。ブラックバトラーとソレナの2頭は大きく離されました。最初の800mは49秒2のハイペース。
 3コーナー付近からバハマフレイバーが苦しくなって後退。外からバロンドールが追い上げてきて2番手に上がり,カプセルも後退。その後ろからアンモシエラとウルトラノホシが並んで追ってきました。直線に入るとまずエコロガイアとバロンドールの競り合い。そこに外からアンモシエラが迫ってきて3頭の優勝争い。差し切った外のアンモシエラが優勝。逃げ粘ったエコロガイアがクビ差の2着で競り負けたバロンドールがハナ差で3着。勝ち馬の外から並んで追い上げたウルトラノホシは直線の入口で躓いてしまい,立て直して追ってきたものの4分の3馬身差で4着。
 優勝したアンモシエラは重賞初制覇。このレースはJRAで1勝クラスを勝った3頭に,地方馬がどこまで対抗できるかという一戦。JRAの3頭が大接戦で上位を独占し,地方馬では最有力と思えたウルトラノホシが不利があって差のないところまで追い上げましたので,概ね順当な決着といえるでしょう。たまたま着順がこうなっただけで,各々の能力差はさほどないのだと思います。アンモシエラは牝馬ですので,これからどのような路線を歩むのか分かりませんが,体重が減っていて,見た目も僕には細く映りましたので,一息入れる方がよいように思います。母の父がゴールドアリュールで祖母の父がタニノギムレット。祖母の12歳上の半姉がトゥザヴィクトリー。Ammothyellaはギリシア語で砂嵐。
 第50回となっていますが,2005年まで南関東重賞で行われていたものが重賞になったもの。騎乗した坂井瑠星騎手と管理している松永幹夫調教師は初勝利になります。

 午後は内分泌科の通院でした。
 病院に到着したのは午後2時20分でした。中央検査室で採血を待っている患者が6人もいました。というわけで,先に採尿を済ませ,注射針の処理をしてから採血になりました。
 診察が開始になったのは午後3時10分でした。HbA1cは6.7%と,6月の通院のときよりもかなり下がっていました。これは気候の影響で,もう暑いという日もしばしばになっていたからでもありますが,低血糖の頻度も増えていたからです。このときは全体の5.1%が低血糖だったのですが,それはすべて就寝前か朝食前に集中していました。これらの時間帯に低血糖が多くなるのは,僕の場合は夕食前に注射している持続効果型のインスリンであるトレシーバの効果が出すぎているためです。なので,トレシーバの注射量を1単位減ずるという措置を講じることになりました。前日までは12単位の注射をしていましたので,この日の夜からは11単位になったということです。11単位というのは量でいえば0.11㎎になります。
                                   
 この日はふたつの異常が出ていました。ひとつはアルブミンで,下限値である4.1g/㎗を下回る4.0g/㎗でした。これは6月にも出ていましたし,このところずっと出続けている異常です。もうひとつが総コレステロールで,下限値である150㎎/㎗を下回る146㎎/㎗でした。この異常が出たのは,2022年8月以来のことでした。
 僕は通院が月曜日で,月曜日は週刊競馬ブックの発売日です。院内にコンビニエンスストアができてからは僕はそこで週刊競馬ブックを購入するのが通院の日の習わしになっていたのですが,この日はなぜか発売していませんでした。ですからこの日の週刊競馬ブックは帰りに別のコンビニエンスストアに寄って買いました。もちろん薬局にも寄ってから帰りました。この日はインスリンも注射針も処方されたすべてを入手することができました。帰宅したのは午後4時40分でした。前述したように途中でコンビニエンスストアに寄っていますので,病院から家に戻るまでにはいつもよりも時間を要しています。つまり,本来ならもう少し早い時間に帰宅できた筈です。
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奥さんの真意&送迎

2024-01-17 19:08:46 | 歌・小説
 Kがお嬢さんを好きになったことは,先生にとっては成功体験でした。しかしそれは成功体験であったと同時に悲劇でもありました。先生はお嬢さんに性的魅力を感じているのに,性的交渉をするということはできなくなってしまったからです。先生は自分のお嬢さんに対する恋は神聖な恋であったと振り返り,神聖さと性欲を対極的なものとしてそのようにいっているのですが,実際に先生のお嬢さんに対する恋が神聖な恋になったのは,Kが介在していたからだと解する方がよいように思えます。そもそも神聖な恋という形容は,先生の恋よりもKの恋にとって適切な形容であって,先生はそうしたKの恋のあり方を模倣しただけであるといった方が的確でしょう。
                                          
 こうした事情をお嬢さん,後の奥さんは知らなかったわけです。いい換えれば,なぜ先生が自分と性的交渉をもとうとしないのかということを,奥さんは知らなかったのです。そしてそうであったとすれば,上の八で私に対して子どもでもあると好い,といった奥さんのことばには,それとは別の意味があったとみなせるのではないでしょうか。
 奥さんはこのとき,私に対して子どもがあるといい,つまり子どもが欲しいと言ったのです。でも状況として先生は奥さんと性的交渉をもとうとしていませんでした。したがって実はこのことばは私に向けられたものではなく,それを聞いているであろう先生に向けられたもので,先生に対して子どもが欲しい,率直にいえば先生と性的交渉がしたいと言ったのです。実際にそのことばに対しては私ではなく先生が答えているのですから,たぶん先生はその真意を汲み取っているのです。汲み取った上で,わざと「一人貰って遣ろうか」と答えたのです。
 奥さんは貰った子どもでは意味がないという主旨のことをいいます。奥さんの真意は子どもを産むことにあるのではないのですから当然でしょう。これに対して天罰だから子どもはできないと先生は答えています。これは天罰だから自分は奥さんと性的交渉がもてないという意味なのです。

 疑問に感じる方がいらっしゃるかもしれないので,簡単に説明しておきましょう。
 僕は依頼を受けましたので,現在の送迎は,迎えはほとんどが通所施設で,送っていく場合は通所施設とグループホームが半々になっています。どちらの場合も,家から行くという場合は,バスで上大岡駅まで行って,そこで別のバスに乗り換えます。通所施設に行く場合は市営バスを使い,僕は市営バスの定期券を持っていますので,これまでは通所施設に送っていました。グループホームに行く場合は,神奈川中央交通のバスもありますが,上大岡駅で降車したところから乗り場までの距離の関係で,京浜急行のバスを使います。迎えに行くときは僕ひとりで,送っていくときは妹も一緒です。逆に帰りは,迎えに行くときは妹が一緒で送っていくときは僕ひとりになります。
 上大岡でマイナンバーカードを交付してもらう場合,妹と一緒のときに行くということは考えられません。これはいつも以上の移動をしなければならないことになり,妹にとって大変ですし,妹を連れていく僕にとっても大変だからです。したがって,妹を迎えに行った帰りとか,妹を送っていく中途で交付してもらうことはできません。次に,妹を迎えに行く中途は僕ひとりですが,このときに交付してもらうとすると,交付にどれだけの時間が掛かるか分かりません。したがって,妹を迎えに行く時間に間に合わないということがあり得ます。よってこのときも交付してもらうということはできないのです。
 ですから,交付してもらうとすれば,妹を通所施設なりグループホームに送っていった帰りということになります。このときは僕ひとりですし,あとは帰るだけですから時間を心配する必要もありません。ただ,交付は予約が必要ですから,予約する時間を設定しておかなければなりません。送迎に掛かる時間はある程度は決まっていますが,何かアクシデントが生じるとその予約時間に間に合わないことがあり得ます。グループホームや通所施設で何らかの話があることもありますし,バスで送った後,バスで戻った上大岡ですから,バスの運行に遅れが生じるということもあるでしょう。
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