スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

サンケイスポーツ盃優駿スプリント&虫歯の治療

2012-06-29 20:45:31 | 地方競馬
 南関東の3歳のスプリント王者を決定する第2回優駿スプリント
 過去のレースぶりから絶対に逃げたかったのはおそらくキョウエイロブストで,先手は奪えましたがすぐ外にチャンピオンヤマトがついていき,シャインリッジの3頭はほとんど雁行状態でレースが進みました。少し開いてゴールドキャヴィアが続き,以下はナリショーリサ,コウヨウタレイア。前半の600mは34秒1のハイペース。
 内外の2頭を振り切ったチャンピオンヤマトが直線では一旦は先頭に立ちましたが,ほとんど持ったままの手応えでゴールドキャヴィアが並び掛けてきて,あとはそのまま抜け出して2馬身差の快勝。馬群の内目からコウヨウタレイアも伸びてはきたのですが,前に追いつく脚色はなく2着。大外を追い込んだオゼキングが3着。
 優勝したゴールドキャヴィアは昨年10月に北海道でデビューし,1着,2着。暮れに船橋に転入すると3連勝しましたがその後は3連敗。ただ,戦っていた相手はこのメンバーでは違いました。わりといい手応えできながら失速するというレースを繰り返していましたので,距離短縮もよかったのでしょう。一介の早熟馬ではないということを示しましたが,活躍の場は今後も短い距離ということになるのではないかと思います。父はゴールドアリュール。伯父に2005年の佐賀記念を勝ったマルブツトップ,叔母には2007年の関東オークスクイーン賞を勝っているホワイトメロディー
 騎乗したのは大怪我からこの開催でようやく復帰となった大井の御神本[みかもと]訓史騎手で昨年11月のローレル賞以来の南関東重賞制覇。管理しているのは船橋の川島正行調教師。このレースは今年が2回目で揃って初勝利です。

 虫歯の治療はちょうど1週間後となる3月30日の金曜日。予約の時間は午前11時半。この日の午後は長者町へ行く予定でしたので,僕としてはもう少し早い時間の方がありがたかったのですが,それはほかの患者との兼ね合いもありますから仕方がありません。1週間前の予約では,希望するような時間が埋まっていてもおかしくはないわけで,むしろこの時間でも午前中に空きがあって幸運であったと解釈するべきなのでしょう。
 治療内容は,事前に受けた説明と同様に,まず虫歯の部分を削り,削ったことによって生じた隙間を埋めました。そして最後に,これは説明にはありませんでしたが,そこの部分を小型のローラーのようなもので研磨しました。この最後の作業がどのような意味なのかは僕は医学的には分からないのですが,治療を受けた感じからいえば,周囲の歯との均一性を保つような作業,要するに馴らすような作業であったように感じられました。このうち,削る作業は歯科医であるI先生自身の手によって施術され,埋める作業と研磨の作業は歯科助手によってなされました。
 何度かいっていますが,I歯科の麻酔は塗り薬で,非常に強力なもの。しかしこのときは,その麻酔薬を用いることなく一連の作業はすべて終了しました。途中,沁みるような痛みこそ感じはしましたが,耐えられないようなものではありませんでした。事後まで続く麻酔の効果を考慮に入れますと,むしろ使わないでよかったのではないかと思っています。
 実際にこのときの治療に要した時間は10分足らず。つまりそんなに難しい作業であったというわけではありません。そもそも虫歯であったとはいえ,僕自身がそれで痛みを感じていたわけではありません。というよりも,こうして定期的に検診に訪れていなければ,気付くことすらなかったような虫歯です。すなわち虫歯の段階としては,初期のものといえるのかどうかは微妙ですが,少なくともそれほど進行はしていなかったものに間違いはありません。だからいとも簡単に治療を終了することができたといえると思われ,検診を継続している意味があったといえるのではないでしょうか。
 12時少し過ぎには家に到着。午後の予定にも少しの支障も来すことはありませんでした。
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インヴァイトとウインドインハーヘア&歯間ブラシ

2012-06-28 19:01:10 | 血統
 昨晩の帝王賞ゴルトブリッツが優勝しました。基礎輸入繁殖牝馬は祖母のウインドインハーヘアです。ファミリーナンバー2-f
                         
 1991年にアイルランドで産まれた馬で,ドイツでGⅠ1勝。繁殖入り後,アメリカで3頭の産駒を産みました。この3番目の牝馬は競走馬として輸入。なかなかデビューできず,4歳の夏にようやく初出走。1000万条件だったのですがいきなり勝つと9月まで5連勝。オープン入りした翌週のスプリンターズステークスに連闘で出走してデュランダルの4着。これがこの馬の全競走成績。つまり約3ヶ月です。そしてこの牝馬こそ,ゴルトブリッツの母となったレディブロンドです。
 ウインドインハーヘアはレディブロンドを産んだ翌年はアイルランドで1頭の仔を産み,Danehillを受胎したまま輸入されました。翌年はサンデーサイレンスと交配され,誕生したのが2004年のスプリングステークスを勝ったブラックタイド。さらに翌年も同じ配合で,その馬がディープインパクトです。
 ウインドインハーヘアの半姉のインヴァイトも繁殖牝馬として輸入されていて,この馬からは2003年のNHKマイルカップを勝ったタイキシャトル産駒のウインクリューガーが輩出しました。また,インヴァイトが日本で産んだ2頭目の産駒からは,ステイゴールドを父に持ち,2006年のマーメイドステークスを勝ったソリッドプラチナムも出ています。
 相対的に牝馬の数が少なく,枝葉が一気に広がっていくのは難しそうです。ただこの短期間でこれだけの活躍馬が輩出しているのですから,間違いなく長く続いていく系統になるでしょう。

 その週の金曜日,3月23日の午前中に,歯科検診のためにI歯科へと行ってきました。
 施された内容はいつもの検診のときと同様であったのですが,この日はいつになく時間が掛かりました。つまり念入りにクリーニングされたわけです。どうも歯間の汚れの付着がそれまでよりも多かったようで,そのために時間が掛かってしまったようです。実は前回の検診と今回の検診の間は,ちょっとした事情があって歯間ブラシを使う回数がそれまでよりも減っていました。おそらくそのために普段よりも多くの汚れが残っていたのだろうと思います。逆にいえば歯間ブラシというのは,実際に有効なものであるということが確かめられたといえるでしょう。
 クリーニングは歯科助手の仕事で,それが終了するとI先生が歯のチェックをしますが,この日は虫歯を治すことを勧められました。歯科検診のために来てこれを勧められたのは前年の9月のときも同様。そのときの虫歯治療は左上の前歯でしたが,この日は右下の前歯でした。手鏡で見せてもらいましたが確かにそこの部分は変色していまして,これは何らかの色素が付着しているというものではなく,虫歯であるとのこと。この時点で何らの痛みも感じてはいませんでしたが,放置しておけば進行はするかもしれませんが回復するということがあり得ないということは道理。そこの部分を削り,削った隙間を埋めるという作業は前回のときと同様で,1回の通院で治療することが可能とのことでした。もっとも,仮にこの治療のために何回かの通院が不可避になるとしたところで,僕の方からこれを断るような理由はありません。僕が最初にI歯科を訪れた理由は,糖尿病と歯周病との間には,医学的にはっきりとした関連性があるからではありましたが,その後も定期的に検診を受けているのは,そもそも単に歯のクリーニングをするということだけを目的としているわけではなくて,このような事態も想定した上でのことであったからです。ということで,翌週の金曜日の午前中も時間を開けることが可能でしたので,その日に予約を入れて,この日は帰りました。
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農林水産大臣賞典帝王賞&新薬

2012-06-27 20:40:10 | 地方競馬
 回避した有力馬も多く,やや混戦模様となった第35回帝王賞
 大外からエスポワールシチーが出ていきましたが内からランフォルセの逃げに。これは個人的には意外でした。エスポワールシチーが2番手に控え,外の3番手にゴルトブリッツ。インに潜り込んだのがミラクルレジェンドで中にテスタマッタで外にボク。トーセンルーチェ,オオエライジンまではほぼ一団となっての追走。前半の1000mは61秒6ですから,スローペースであったといっていいかと思います。
 前を形成した馬の中からはオオエライジンが最も早く脱落。4コーナーでエスポワールシチーがランフォルセに並ぶとランフォルセも直線半ばでは一杯。これらの外に持ち出されたゴルトブリッツが鮮やかに突き抜け,3馬身半の差をつけての快勝。インを突いたテスタマッタ,大外を後方から追い上げてきたシビルウォーの2頭はかなり迫りましたがエスポワールシチーが2着を確保,テスタマッタが3着でシビルウォーは4着まで。
 優勝したゴルトブリッツは前々走のオープン,前走のアンタレスステークスと連勝できていて,3連勝。重賞は昨年のアンタレスステークスとマーキュリーカップも勝っていますが,大レースは初制覇。この路線の本当のトップは不在でしたから何ともいえない面はあるのも事実ですが,大混戦の2着争いを尻目に抜け出して勝ったわけですから,少なくともそのクラスに接近する力をつけてきていると考えていいでしょう。JRAデビューも勝てず,3歳の10月に転入した門別でようやく初勝利をあげた遅咲きの馬ですから,むしろ今後の活躍が楽しみです。父はスペシャルウィーク,叔父にディープインパクト。Gold Blitzはドイツ語で金の稲妻。
 騎乗した川田将雅[ゆうが]騎手は先月のオークス以来の大レース制覇。管理している吉田直弘調教師は昨秋のJBCスプリント以来の大レース制覇。帝王賞は共に初勝利。
                         

 合併症の抑制のほかにもうひとつ,この日にМ先生からあった話は,その主旨としては,いずれは現在よりももっと良い薬物が開発されることになるであろうという意味にしか僕には解釈できないものでした。ただ,М先生はそれがどのようなものであるのかということを具体的に示したわけではありませんでしたから,どのような意図があっての発言であったのかは,僕には理解しかねます。
 血液中の糖分が細胞内に取り込まれるために必要とされるホルモンはインスリンだけです。いい換えれば,インスリンだけが血糖値を下げることができるのです。したがって常識的に考えるならば,インスリンの代用となるような新薬が開発されるということは,あり得ないのではないかと思います。だから僕は少なくとも,М先生がそのような意味でこうしたことを述べたのではないと考えています。ただ,インスリンの種類というのはいくつかあるわけで,これまでにはなかったような種類のインスリンが開発されるという可能性は,ないとはいえないだろうと思います。また,僕の場合はインスリンの注射は強化インスリン療法といわれている,1日に4度の注射をする方法を採用しているわけですが,これをもっと簡単な方法で済ませることができるようなインスリンが開発されるということも,これは実際にこの薬物療法を行っている僕自身の希望的観測込みとなってはしまいますが,やはり可能性としては0ではないのだろうと思います。それに,インスリンというのは血糖値が高くなっているときにのみ必要なホルモン,あるいは僕の場合には薬物なのですから,もしもそれに合わせて作用するような方法が開発されたなら,これは副作用としての低血糖の発症を抑えることができるということになりますから,僕としては非常にありがたいことです。
 ただし,こうした新薬が開発されるであろうということを,М先生が,医師としてすでに得ているような何らかの根拠をもって言ったのか,それとももっと一般的な未来の予想として言ったのかも僕には分かりません。ですから僕はそれに期待しているというほどではないのですが,こうしたことばというのは,どうしても患者の胸には残ってしまうものなのです。
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ちきり賞争奪戦&合併症の抑制

2012-06-25 18:30:30 | 競輪
 強行日程でしたが地元のエースが参加した豊橋記念の決勝。並びは岡田ー山下ー堀の関東,深谷には小野,稲垣には荒木ー高橋の南関東がマークし,阿竹は単騎。
 前受けは深谷。阿竹が初手は3番手。4番手に岡田,7番手に稲垣で周回。稲垣が残り2周のホーム手前で上昇を開始すると岡田も併せるように出ていきホームでは3ラインが併走。まず岡田が前に出ると深谷は引き,バックでは稲垣が深谷に蓋。ここで阿竹が稲垣ラインの4番手に切り替えて打鐘。ようやく稲垣が発進し,阿竹まで出きって先行。岡田が5番手,深谷が8番手の一列棒状に。結果的に深谷は動けず,バックで3番手との車間を開けた阿竹が直線手前から踏み込むと外目を突き抜けて優勝。稲垣が2着に逃げ粘り,阿竹に乗るような形となった岡田が3着。
 優勝した徳島の阿竹智史選手はこれが記念競輪初優勝。単騎戦を強いられ,個人的には苦戦するのではないかと思っていたのですが,うまく立ち回りました。4番手を確保して,バックでいつでも動いていかれる態勢を整えたことが勝因。単騎で気楽に戦えるという立場が味方した面もあるのかもしれませんが,これだけのレースができるなら,今後も注目の選手になったといえるのではないでしょうか。

 アームバンドを装着してもらえましたから,採尿を終えるとすぐに食堂に向って昼食。診察の予約時間は午後2時半で,中央検査室での採血の検査が手早く終る場合には,総合内科での診察もそんなに待たされることはないというのが常であったのですが,この日は30分ほど待たなければならず,実際に診察が開始されたのは午後3時頃でした。ただ,僕はこの日は待たされることになるのではないかと事前から考えていました。というのも主治医であるМ先生のこの月での退職が決まっていまして,要するにМ先生の最後の診察日というのは,僕にだけ該当するものではなく,М先生を主治医としているすべての患者にとって同様であったからです。最後となれば今後のことに関して何らかの話がある方が普通で,その分だけ診察時間がいつもより長引くことが予想されたからです。
 実際,この日は僕の診察のときにも,М先生の方から最後にいくつかの話がありました。
 僕が入院することになったのが2009年の元旦。したがってⅠ型糖尿病を実際に発症したのはもっと前のこと。少なくとも2008年の12月には間違いなく発症していたものと思われます。糖尿病自体はⅠ型糖尿病であれⅡ型糖尿病であれ,あるいはその他のタイプであれ,不治の病であるという点で変わるところはありません。したがって,実際に問題となるのは糖尿病それ自体であるというよりは,糖尿病に伴って発症されるとされる合併症の方です。僕は今のところはそちらの方は心配しなければならないような状況には陥ってはいないわけですが,М先生の話によれば,この合併症の発症には,糖尿病を発症してからおよそ10年ほどの血糖値のコントロールがもっとも重要であるとのこと。僕はこの時点で発症してから3年半を迎えようとしていたわけで,そういう意味では最も重要といってもいい時期とのことでした。実はこの日のヘモグロビンA1cの値は7.4%と,昨年の11月の検査のときと同じ数値にまた悪化していました。この間はそれほどまで悪化しているとは思っていなかったので,この結果自体は僕には意外なものだったのですが,そういう点も含めて,注意が与えられたということだと思います。
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宝塚記念&中央検査室

2012-06-24 18:57:17 | 中央競馬
 何といってもオルフェーヴルの走りに注目が集まった第53回宝塚記念
 このメンバーならネコパンチの逃げは当然ですが,僕が予想していたよりも後ろを離してのものに。単独の2番手には掛かるのを必死に宥めるようにスマイルジャック。また水が開いてビートブラックが3番手で,その後ろにマウントシャスタとアーネストリー。ルーラーシップはやや出遅れましたが,少しずつ上昇してその後ろを確保。オルフェーヴルは後ろから5,6頭目の馬群の中。最初の1000mは58秒4で,これはさすがにハイペースですが,前の2頭を除けばミドルペースでレースは進んだといっていいでしょう。
 ビートブラックが前の2頭を交わし,その外にルーラーシップが並び掛けて直線に。まず内を突いたマウントシャスタが先頭も外からルーラーシップ。マウントシャスタが抜けたコースを後ろから通ってきたのがオルフェーヴルで,やや内寄りのコースを突きぬけて快勝。外のルーラーシップに迫ったのはやはり内目から差し込んできたショウナンマイティでしたが,これは届かず,ルーラーシップが2着でショウナンマイティは3着。
 優勝したオルフェーヴルは昨年末の有馬記念以来の大レース5勝目。今年の2戦は変な競馬をして連敗していましたが,実力的にはきわめて順当な優勝。気難しい馬であることは確かだと思いますが,これだけの実績がある馬なのですから,関係者は敬意と誇りをもってレースに臨んでほしいもの。この中間の報道ではそれが感じられず,個人的には残念に思っていましたが,馬には関係なく,オルフェーヴル自身がそれを払拭したという結果になりました。陣営も騎手もこれを機に自信を取り戻してほしいものだと思います。父はステイゴールド,母の父はメジロマックイーン。曾祖母はグランマスティーヴンスで全兄に第50回を制したドリームジャーニーで兄弟制覇。Orfevreはフランス語で金銀のかざり職人。
 騎乗した池添謙一騎手は高松宮記念以来の大レース制覇で第46回,50回に続く3年ぶりの宝塚記念3勝目。管理している池江泰寿調教師は有馬記念以来の大レース制覇で第50回以来3年ぶりの宝塚記念2勝目。

 僕がやらなければならない診察前の検査というのは採尿と採血のふたつで,通常の場合,というのはつまりこの日以前はいつも,僕は先に採尿をして後で採血をしていました。これは,採尿は自分でできるけれども採血は技師にやってもらわなければならなかったからであって,要するにその順番が回ってくるまでに長短の差はあれ待ち時間が生じるからでした。つまり僕がここで検査待ちの患者といっているのは,採血の順番を待っている患者のことであって,その他の検査のために待っている患者のことは考慮に入れていません。実際,ここは中央検査室というくらいですから,採尿と採血の検査だけをする場所ではありません。僕は入院している間に腹部エコー動脈硬化,喉のエコー心電図など,糖尿病と関係のあるものもないものも含めていくつもの検査を行いましたが,ここに列記したよっつの検査に関しては,この中央検査室で行っています。こうした検査は,それぞれに検査室があって,それらの検査室は,採血を行っている場所からみるとちょうど裏手にあたり,したがってこれらの検査を待つ患者というのは,各々の検査室の前で待機するということになります。したがって,中央検査室の受付のすぐ横で待機している患者というのは,その全員が採血の順番を待っている患者であったわけです。
 しかしこの日はそれを待っている患者がただのひとりもいなかったわけです。したがって,受付を終えてしまえばすぐに僕の採血の順番が回ってくるというのは道理です。よってこの日は,先に採血の検査を済ませてしまい,その後に横のトイレで採尿をしました。採血をする患者のすべてが採尿を行うというわけではありませんが,ここでするべき検査に関しては受付でもらう,採血の順番のための番号などが示された票に書かれています。なので採血が終ると,僕の場合は技師から必ず採尿は終っているかということを尋ねられるのが常でした。これまでは常に終っていたわけですが,この日は先に採血をしたので終っていないと答えました。すると技師は例の青いアームバンドを患部に装着してくれました。おそらくはすぐに採尿をすることができるようにとの配慮であったものと思います。
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棋聖戦&最後の診察日

2012-06-23 19:09:31 | 将棋
 自動車の街,愛知県豊田市での対局となった第83期棋聖戦五番勝負第二局。
 中村太地六段の先手。羽生善治棋聖の2手目は△8四歩で,角換り相腰掛銀に。後手が6筋の位を取る形で,手を渡し合うような局面が続き,先手が敵陣に角を打ちこむことによってその状況がはっきりと打開されました。
                         
 この角がどこまで働くかは重要で,午前中にすでに勝負を分けるポイントの局面が生じたといっていいでしょう。△6三銀はこの一手。▲6六歩とこじ開けにいきました。後手は△8六歩と突きましたが先手が無視して▲6五歩でしたので△8七歩成▲同金△7三角。▲7五歩と突きました。△同歩に▲8六銀と進出したところで昼食休憩。
                         
 ここで△6八歩と叩いたのですが,これがうまい手で,ここからは後手がリードしているのだろうと思われます。最後のところは観戦できたのですが,玉型に差があり過ぎて,検討する意欲が湧きませんでした。将棋も後手が押し切っています。
 羽生棋聖が2連勝で防衛に王手。タイトル獲得数合計81期の新記録がかかる第三局は来月5日です。

 彼岸に入って3月18日の日曜日。と妹はアパートの叔父が運転する自動車で祖母の墓参りに大和まで行ってきました。その途中,の方の寺にも寄って塔婆をもらってきました。なお,父の墓参りはこの日には行かず,翌々日となる20日の春分の日に,改めて行きました。僕は18日の祖母の墓参りには行くことができなかったのですが,20日の父の墓参りには同行しました。両日とも叔父は休みで僕は仕事がありました。ただ,父の墓がある日野公園墓地は,ちょうど父の納骨をしたときもそうだったのですが,春と夏の彼岸の最中というのは,敷地の中まで自動車が侵入して行くことができません。ただ,この規制は午後5時になると解除されますので,叔父が運転する自動車で行くという場合には,午後5時過ぎに日野公園墓地に到着するという方が便利でした。僕は20日は午後3時頃には帰宅することができましたので,こちらに関しては同行が可能になったのです。したがって母と妹,そして叔父は,18日と20日に,それぞれ別の墓参りに行ったということになります。
 その間となる19日の月曜日が,僕のみなと赤十字病院通院の日でした。この3月をもってМ先生はみなと赤十字病院を退職するということが決定していましたから,これがМ先生による最後の診察の日でした。前回はハッピーマンデーの関係で木曜日であったわけですが,また月曜日と,以前に戻ったことになります。
 この日は診察の予約時間が午後2時半でしたから,たとえバスの運行が変更になる以前であったとしても,検査をしてから帰宅し,また病院に向うということは大変です。そこで12時前に家を出まして,12時半過ぎにみなと赤十字病院の敷地内を通過するバスに乗りました。
 いつものように事前の手続きを済ませて中央検査室に向うとびっくりしました。ここは大抵は混雑していて,ひどい場合ですと備え付けの長椅子だけでは間に合わず,廊下にパイプ椅子が出され,そこで待機している患者もいたほどなのですが,この日はただひとりの患者も検査待ちをしていなかったのです。したがって受付を済ませますと,すぐに採血の順番が回ってきました。
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馬場の配慮&出血の痕跡

2012-06-22 18:25:26 | NOAH
 インドの狂虎の招聘に応じて海外への渡航中,不慮の航空機事故に見舞われその一命を終えることになってしまったハル・薗田。プロレスの世界では,プロモーターが選手の派遣を要請する場合,レスラー本人に要請するのではなく,別のプロモーターにブッキングを要請するのが普通です。ですからこのときも,シンから薗田に直接的な要請があったというわけではなく,シンからプロモーターである馬場の方に選手の派遣の要請があり,それに馬場が応じたと考える方が合理的です。つまり馬場とシンは,リング上では水と油のような関係で敵対していましたが,一プロモーターとしては友好な関係にあったと考えていいでしょう。
                         
 たぶんシンからは単に選手の派遣の要請があっただけで,薗田をという指名ではなかったのだろうと思います。むしろ薗田を指名したのは馬場の方。ではなぜ馬場がこのとき薗田を指名したのかといえば,それは当時の薗田が新婚だったからです。つまりこの遠征は,新婚旅行を兼ねてのものだったといえるでしょう。レスラーは巡業が多く,新婚といえども夫婦で過ごせる時間は限られていますから,馬場はそうした配慮をしたのでしょう。ですからこの遠征には薗田の新婚の奥さんも同行していまして,共に帰らぬ人となってしまいました。本当なら馬場の配慮となるところだったのですが,このときばかりはそれがむしろ仇となってしまったのです。たぶん薗田の死をだれよりも深く悲しみ,また悔いたのは,ほかならぬ馬場であったかもしれません。
 馬場はこうした配慮を,所属レスラー以外にもしていました。シンのパートナーは上田馬之助でしたが,鶴見五郎も同じチームでした。この鶴見は一時期,出場停止という形で全日本プロレスを追放されていたのですが,鶴見のインタビューによると,実際にはこれは,鶴見を海外に派遣するための措置であったとのこと。これは馬場がその海外の団体に窓口を設けたいというプロモーターとしての意図もあったようですが,同時にこの時期の鶴見もまた新婚であり,その旅行も兼ねてという意味合いがあったと,鶴見自身が語っています。

 月が変わって3月に入り15日の木曜日は,の磯子中央病院の脳外科の診察日でした。脳外科の場合は午前中ですので,母が妹を作業所まで送るということができなくなりますので,この日は僕にその役が回ってきたことになります。妹の作業所の近くにホームセンターがありまして,僕はそこでついでの買い物をしてから帰宅。それが10時45分頃であったかと思いますが,このときにはすでに母は診察を終えて帰っていました。
 母の帰宅が早かったので,血液検査だけをしたのかと思ったのですが,脳のCTの撮影も行ったとのこと。母が小脳出血を起こしたのは一昨年の10月のこと。その後,入院中は僕も何度か撮影されたCTの画像というのを見せてもらったのですが,確かにそれには白くなっている部分があり,そこが出血を生じた部位であるということが分かりました。その白い部分というのは,僕が何度か見せてもらっている間にも徐々に小さくなっていっていました。それはつまり,出血してしまった血液が,徐々にではあるけれども引いていっていることの証拠でした。そしてその後の経過時間というのを考えますと,もうそれは完全になくなっていてもよい頃だったようなのですが,この日の検査でもまだ残っていたとのこと。ただし,だから問題であるのかといえば必ずしもそうではなかったようで,消滅はしていないのだけれども,以前に比べて広がっているかといえばそうではないとのことでした。
 母が退院してからは,僕は実際にその写真を見ているわけではありませんから,それがどの程度まで小さくなってきていて,またどの程度まで残っているのかということは具体的には分かりません。ただ,僕はこの話を聞きまして,2月に母が美容院に行ったおりに,目眩と吐き気の症状を訴え,ごく短い時間ではありましたが家で横になっていたことを連想せずにはいられませんでした。もしかしたらあのとき,非常にわずかな量ではあってもまた出血を起こしていて,その分の血液が今回の検査で撮影されていたために,それ以前より大きくなってはいないものの,この時点でも出血の痕跡が残っていたという結果が出た可能性というのも,皆無であるとはいいきれないのではないかという気がするのです。もちろんあくまでもこれは僕自身の連想にすぎないものであり,医学的な意味でそういう可能性が本当にあるのかどうかは分かりません。
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京成盃グランドマイラーズ&滞米中の体調

2012-06-20 19:18:38 | 地方競馬
 懸念された台風は関東地方を夜に通過。予定通りに第15回グランドマイラーズが開催されました。
 トーセンピングスの逃げは事前に予想していた展開のひとつ。マグニフィカが外に並ぶような位置。その後ろはこれも並ぶようにディアーウィッシュとルクレルク。前半の800mは48秒5。競り合うような形ではありましたがミドルペースの範疇と考えてよいでしょう。
 前の2頭が競り合ったまま直線に。マグニフィカが前に出ようとするたびにトーセンピングスも頑張りましたが,最後は力尽き,1馬身の差をつけてマグニフィカが優勝。トーセンピングスが2着でさらに1馬身差の3着にもディアーウィッシュと,典型的な前残りのレースとなりました。
 優勝したマグニフィカは一昨年のジャパンダートダービー以来となる久々の勝利。南関東重賞ではこれが2勝目。大レースを勝っているくらいですから持てる能力からすれば上位なのですが,それ以降は低迷していました。この春は復活の兆しを感じさせるようなレースもありましたが前走はまた大敗。しかしここで復活を遂げました。距離はおそらくこのくらいがよく,スピードを生かせる重馬場も向いたでしょう。また,揉まれたり被されたりしないような展開もよかったのだと思います。おそらく好走のためにはいくつかの条件が伴う馬で,凡走することもあるでしょうが,完全に力が衰えてしまったというわけではないことは証明された形で,また好走する可能性も当然ながらあるということになります。父はゼンノロブロイ。Magnificaはイタリア語で素晴らしい。
 騎乗した大井の的場文男騎手は昨年の戸塚記念以来の南関東重賞制覇でグランドマイラーズは初勝利。管理している船橋の川島正行調教師は第2回,6回,10回と制していて,5年ぶりの4勝目。

 と妹がロサンゼルスから帰国したのはおよそ2週間後の2月24日でした。つまり僕の日本でのひとりでの生活というのも,2週間で終焉となったわけです。
 このとき母と妹が利用した航空機は,1月の祖母の納骨などの儀式に参加するためにロサンゼルスの伯母が使ったのと同じシンガポール航空の旅客機でした。この時点でもアメリカはサマータイムの期間外でしたので,必然的に母と妹の到着もそのときの伯母と同様に遅くなりました。成田空港に着いた母から家に到着を知らせる電話があったのが午後8時前。母と妹は渡米の際,行きは時間的な確実性を重視して成田エキスプレスを使いますが,帰りはバスで横浜まで戻ります。このとき,午後8時過ぎに出るバスがあるのでそれに乗るという報告を受けました。実際にそのバスに乗って帰ってきたものと思いますが,家に到着したのは午後10時前になっていました。
 帰宅したときに何か食べるものがあった方がよいということは,渡米の前から母に言われていました。したがってこの晩は僕がそれを用意はしておいたのですが,結果的には母も妹もそれには口をつけずにそのまま寝てしまいました。
 実はこの渡米中,K伯母の寺のことで連絡を取らなければならないことがあり,ロサンゼルスの伯母にはこちらから何度かメールを入れていました。その返信の中に,妹が風邪をひいているというものがあったのですが,この時点ではもう問題ありませんでした。ただ,渡米中に体調を崩したのは妹だけでなく母も同様であったようで,4日間ほど寝込んでいた時期があったとのことです。また,母と妹は渡米した際には,必ずラスベガスに何泊かの旅行に行くことを恒例としていますが,これは今回も同様で,やはり遊んできたようです。母や妹が体調を崩していたのが,具体的にいつからいつまでであったのかということは僕には分かりませんが,これでみれば,ラスベガス旅行にはそのことが支障を来すということはなかったということなのでしょう。
 行くときは伯母も一緒でしたが,帰りは問題なく母と妹だけで乗り切れたわけです。なので今後もまた,こういう機会はあるのではないかと思います。
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フレッド・アトキンス&インスリンの吸収

2012-06-19 18:31:53 | NOAH
 ジャイアント・馬場とインドの狂虎は実質的な意味でのプロレスの師匠が同じでフレッド・アトキンスというレスラー。彼については馬場が多く語っています。
                         
 馬場がアメリカに武者修行に行ったのは入門翌年の1961年7月。4ヶ月ほど西海岸にいて,その後ニューヨークに転戦。ここでアトキンスと出会いました。
 馬場はアトキンスに関して,頑固な人間ではあったけれども,弟子である自分を見下したり,あるいはレスラーとしてではなく人間として傷つけるような人ではなく,自分をトップレスラーにすることに没頭してくれたと述べています。馬場は渡米当初は,グレート・東郷をマネージャーにしていたのですが,この東郷は馬場を人間的に傷つけてしまうような行動があったようで,馬場には性格的にむしろアトキンスの方がマッチしていたのでしょう。仲間のレスラーからは,よくアトキンスのところから逃げ出さないでいると驚かれていたようですが,馬場自身は自分とアトキンスには体質的に共通するところがあって,肉体的にはとてもきつい共同生活ではあったけれども,精神的な苦痛というのはまったくなかったと回顧しています。
 1963年の3月に馬場は凱旋帰国。しかしアトキンスの方から要請があり,10月に再渡米。この当時,アメリカに武者修行に行くことは日本人レスラーのステータスのひとつ。馬場自身はもっと早く再渡米したかったらしいのですが,力道山が周囲のレスラーがやっかむだろうからと,少し遅らせたようです。
 アトキンスはカナダのオンタリオに自宅があり,渡米といっても試合がないときはここでずっと生活を共にしました。このときの特訓は前回以上のものであったようで,とくに冬の寒さも厳しく,海を泳いででも日本に帰りたいと思うくらいだったと馬場はいっていますが,たぶん馬場のプロレスラーとしての素養の多くは,このときに培われたものではないでしょうか。
 この年の12月に力道山が暴漢に刺され,一旦は快方に向かったものの腸閉塞で死亡。このため,馬場は翌年の4月に帰国することになったのですが,もしもこの事件がなければ,日本のみならず全米のプロレスの歴史も,きっと大きく違ったものとなっていたことでしょう。

 内出血したといっても,痛みがあったというわけではありません。ただ,注射をする場合には必ず自分の腹を見ることになるわけで,そのときに気付いたくらいなのです。したがって翌13日の朝の注射のときまで,これには気付いていないくらいでした。この内出血はかなり大きなものではありましたが,時間と共に引いていき,現在はその痕跡も完全に消滅しています。
 1日に4回も注射をするわけですから,たまに内出血をしてしまうということは,おそらくは避けることができないものであって,これは仕方がないといえば仕方がないことであるといえるのではないかと思います。ただ,それが好ましいことではないということは事実でしょう。その理由というのは,単にそうした跡ができてしまうからというわけではありません。
 インスリンの注射は皮下にするものですが,これは,皮下に注射することによって,その吸収を抑制するという目的があるのです。すなわちたとえば超速効型のインスリンであれば,皮下に打つことを前提としておよそ2時間から3時間後にその効果がピークを迎えるということになりますし,持続効果型であれば,同様にピークを迎えることなくおよそ24時間にわたって同じような効果が持続するということになっています。
 一方,血糖値というのは,文字通りに血液中の糖分,ブドウ糖の値です。すなわち血糖というのは血液中にある糖分なのです。もちろんインスリンというのは,そうした血糖に対して何らかの働きをなすというわけではなく,血液中の糖分が血液の中から細胞の中へと取り込まれることを補助するようなホルモンではあるのですが,これが薬物として血液中に取り込まれますと,その分だけ早くホルモンが分泌されるというのと同じ状況になります。したがって血液内にインスリンが注射されますと,皮下に注射されるよりも,早く効果を発揮するということになるのです。僕は入院直後,点滴でもインスリンを投与されていましたが,おそらくそれはそうした効果を目的としてのものであったのでしょう。したがって内出血を起こせば,そこから血液中に注射したインスリンが吸収される可能性があります,したがってこうした内出血は,あまり好ましいことであるとはいえないということになるのです。同じ意味でいえば,注射をしたときに腹部の毛細血管から出血してしまうということもおそらく避けて通ることができない道だとは思いますが,これもあまり好ましいこととはいえないのでしょう。
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高松宮記念杯&内出血

2012-06-17 18:46:22 | 競輪
 国内最北,函館競輪場で14日から争われてきた第63回高松宮記念杯競輪の決勝。並びは武田-神山の茨城栃木,深谷-山口の中部,脇本-村上の近畿,井上-合志の九州で,柏野は単騎。
 スタートは柏野が取りましたが,これは単騎なので,隊列が決まるまでには少しの時間を要しました。最終的に誘導の後ろに入ったのは武田で,引いた柏野が3番手に入り直し,4番手は深谷。6番手が脇本で8番手から井上という周回に。残り2周のホームに入るところで井上がレースを動かし武田を叩くと,脇本に合わせて深谷も発進。バックでは脇本が前に出て深谷が3番手となって打鐘でしたが,動きなおした武田が3番手のインに潜り込んで深谷と並走。ずっと外を回ることになった深谷はバックからさらに加速していきましたが,村上の牽制もあり,また脇本の掛かりもよくて叩けず。この状況を窺っていた武田が村上と脇本の間を突く形となり,直線では脇本を交わして優勝。脇本が2着に逃げ粘り,武田マークの神山が合志の急襲を僅かに凌いで3着。
                         
 優勝した茨城の武田豊樹選手は前回出走の西武園記念からの連続優勝。ビッグは2月の東王座戦以来となる9勝目で,GⅠは2009年のオールスター以来の3勝目。高松宮記念杯は初優勝。最近はたまに強引と思えるようなレースをすることもあるのですが,ここは落ち着いて位置を取ることができたのが最大の勝因でしょう。脇本と深谷の先行争いがあるとみて,最有力候補と思っていましたが,井上より前に位置できましたから,僕が予想していたほどの先行争いとはならなかったのですが,最良の番手で運行できたといえるのではないかと思います。
 2着でしたが脇本も強かったと思います。近いうちにビッグに手が届くのではないでしょうか。

 ロサンゼルスの伯母のクレジットカードから手数料を支払うという形でESTAの申請も完了しましたので,母と妹の渡米は事前の予定通りになされました。したがって2月9日からは,母と妹が不在の生活が始まったわけです。
 母と妹は,以前は年に1度は渡米していたわけですから,こうした生活というのはそれまでにもありました。ただ,前回の渡米がまだ父の最期を迎える前であったということは,それまでの渡米中は,僕と父とのふたりでの生活であったということです。いい換えれば父の死があって以降は,初となる母と妹の渡米ですから,今回は僕ひとりでの日本での生活というパターンになったわけで,これは初めてでした。よって当然ながら,一切の家事というのを僕がひとりでこなすという状況になったわけです。それ以前も,食事の支度などは,父がやることがなかったわけではありませんが,僕もやっていたわけで,この方面ではそれまでとあまり変わるところはありませんでした。ただ,洗濯とかゴミ出しなどは父がしていましたから,その分だけ負担が増えたといえば増えたことになります。ただ,僕ひとり分だけの洗濯でしたから,毎日やらなければならなかったというわけでもなく,とくに大変であったというわけではありません。そもそも父の死後,母が入院している間は,僕と妹のふたりで生活していたわけで,その間は僕のことだけでなく妹のこともやらなければならなかったわけですから,むしろそのときと比べたら楽であったということができるかと思います。
 そしてこの渡米の間,とりたてて問題となるようなことは起こりませんでした。ただ,2月12日の日曜日に,夕食前のインスリン注射をした後,注射器を抜くと,針がやけに大きく曲がっていました。そのときはとくに痛みもなく,ずいぶんと曲がったなと思ったくらいであまり気にも留めなかったのですが,翌日になってその注射した部分を見てみますと,ひどく内出血していました。注射の打ち方に関しては,入院中に薬剤師から注意があって,それでも内出血することはそれまでにもあったのですが,このときほど大きな跡が残ったのは初めてでした。たぶん力が入り過ぎ,針が曲がってしまい,そこから出血したのだろうと思います。
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順位戦展望&クレジットカード

2012-06-15 18:43:58 | 将棋トピック
 第70期名人戦は一昨日までの第六局を制した森内俊之名人が4勝2敗で防衛。羽生善治二冠が今期もA級で戦うことになりました。例年同様,クラス別に展望しておきます。
 A級は昨日のオープニングカードで佐藤康光王将が高橋道雄九段を降してスタート。今期こそは渡辺明竜王に期待したいです。僕は現在の将棋界の第一人者は渡辺竜王であるという考えですが,衆目の一致した見解とはいえないかと思います。挑戦して名人を奪取し,僕の考えが正しいことを証明してほしいという願望込みの予想です。深浦康市九段の残留がなるかどうかも個人的関心のひとつです。
 B級1組は昨日が初戦。ここは年齢の若いふたり,阿久津主税七段と広瀬章人七段に期待。初戦は明暗を分ける形になりましたが,ここは局数も多く,先の長い戦いです。前々期に降級した佐藤王将はあっさりとA級に復帰,前期に降級した藤井猛九段は連続降級。丸山忠久九段の現在の力はこの両者の中間に位置すると思いますので,丸山九段がどういった成績を残すかは,現在のA級とB級1組のレベル差の指標となるように思われ,その点にも注目しています。
 B級2組は21日が開幕。戸辺誠六段,佐藤天彦七段,豊島将之七段が期待の棋士で,3人のうち2人は難しいかもしれませんが,1人は上がってほしいものです。
 C級1組は12日に初戦を消化。ここは若手強豪が揃った屈指の激戦区。中でも稲葉陽六段と中村太地六段の名前をあげておくことにしましょう。
 C級2組は19日に開幕。前期は全勝が3人出たため,1敗で昇級を逃した菅井竜也五段が大本命でしょう。個人的に注目しているのはフリークラスを脱してきた伊藤真吾四段です。

 前回のESTAの申請も僕が代行したわけですから,僕にとっては2度めのことであり,初体験ではありません。前回と同様にアメリカ大使館のホームページに行って,試しにと妹のそれまでの登録番号を入力してみましたが,確かに両方とも期限が切れていると表示されました。なので新たに申請しようとしたのですが,ここで問題が生じました。
 前にESTAを申請したとき,これは無料でした。ところが今回は手数料が必要だったのです。いい換えれば,ESTAの申請には手数料が必須となっていて,それ以前に申請されたESTAに関しては,おそらくすべてが失効していたのだろうと思います。たぶん母と妹のESTAが失効していたのも,無料の時代に申請されたものであったからで,有効期限が切れてしまったということではなかったのだろうと思います。
 手数料自体は高額なものではありません。そもそも渡米するには渡航費用が必要なわけで,それを支払える人にとっては困ってしまうような金額ではありません。だからそれは問題ではありませんでした。では何が問題となったのかといえば,その支払いは指定されたカードで行わなければならないということでした。
 実は母はクレジットカードを持っていませんでした。もちろん妹にもありません。そして僕は,真っ当な社会生活という観点からいうなら,かなり早い段階でドロップアウトした身ですので,クレジットカードは作れずにいたのです。つまり僕も母も,電子マネーは使っている,とくに僕は毎日のように使用していますが,クレジットカードに関しては持っていなかったのです。したがってこの手数料は,金額としてはまったく問題とはならなかったのですが,この時点では支払うことが不可能でした。
 母は,この機に自分でクレジットカードを作ることにしたようですが,作るのに時間が必要で,渡米までに間に合いそうにありませんでした。仕方がないのでこのときは,ロサンゼルスの伯母のカード番号をメールで教えてもらい,そこから支払いました。必要な情報を入力さえすれば,渡航する人間やESTAの申請者のクレジットカードではなくても,支払いが可能だったからです。日本でもクレジットカードは,僕のように持っていない人の方が少ない時代なのかもしれませんが,いかにアメリカがカード社会であるかということをこの件では痛感させられました。
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日刊スポーツ賞北海道スプリントカップ&ESTAの申請

2012-06-14 20:24:30 | 地方競馬
 JRA勢に地元勢がどこまで抵抗できるかが焦点であった第16回北海道スプリントカップ
 内枠勢の出足があまりよくなく,ばらばらといった感じの発走に。向正面でグレンチェックが先頭に立ち,この馬の逃げではありましたが,外の2番手を追走していたサマーウインドが,3コーナーでは早くも先頭に立ちました。佐賀のガルホームがこれに続き,上位人気に推されたJRAの3頭はその後ろから。
 直線に入ると一旦は完全に抜けたサマーウインドにまず最内からセレスハントが襲い掛かりこれが先頭に。結局そのまま抜け出し,2馬身半の差をつけての快勝。馬群の中を縫うように抜けてきたタイセイレジェンドと,大外を伸びたトウショウカズンの2頭もサマーウインドを交わし,タイセイレジェンドが2着でトウショウカズンが3着。
 優勝したセレスハントは重賞は昨年の東京スプリント以来となる3勝目。昨年10月にはオープンを勝っています。あまり安定して力を発揮できるタイプではありませんが,能力はここでは上位で,優勝候補の1頭と考えていました。最近のレースに比べると,やや相手関係は楽になっていたという印象はありますが,予想外の差をつけての楽勝でした。マックスの力を発揮すればこれくらいは走るということなのでしょうが,これからもずっとその力を出せるかどうかは微妙な面があるのではないでしょうか。
 騎乗した岩田康誠[やすなり]騎手,管理している松永幹夫調教師にとっては北海道スプリントカップ初勝利。

 これはご存知の方も多いでしょうが,アメリカはアルカイダによるテロ攻撃を受けた後,外国人の入国をそれまでよりも厳しくしました。現在は渡米する場合,これは日本人に限らずすべての外国人が,ESTAという入国許可証のごときものを事前に入手しておかなければなりません。いつからそうなったのかということは定かではありませんが,少なくとも母と妹の前回の渡米の時点ではこれはもう必要になっていました。ESTA自体はアメリカ大使館のホームページから簡単に申請し,ほぼ入手することも可能なものですが,母はネットはやりません。したがって前回のときのESTAは,僕が代行して申請したものでした。正確にいいますと,ESTAは渡米するたびに必要となるものではなく,登録番号さえ残しておけば継続して使用できるものですから,僕が実際に母と妹のESTAを申請したのは,前回の渡米にあたってではなく,もっと前だったのではないかと思います。
 母は航空機の予約にも当然ながらネットは使いません。そこでこうした場合には,決まった旅行代理店に行きます。今回の渡米の場合,行きのチケットはロサンゼルスの伯母が自分の帰国に合わせて一緒に買いましたから不要だったのですが,帰りのチケットに関しては自分で買わなければなりません。そしてそれを買いに行ったときに,母と妹のESTAの期限が切れているということを旅行代理店の担当者の方に告げられたそうです。なので,それを新しく申請し直してほしいと,今度は僕が母から頼まれることになりました。これは今年に入ってからの出来事でしたが,まだ伯母の来日する前のこと。そして僕はそのときに,伯母の帰国に合わせて母と妹が渡米する予定であるということを知らされたのです。実際にはESTAを申請しなければ渡米すること自体は不可能ではありましたが,航空機のチケットの方は,少なくとも帰国の便についてはすでに入手していたわけですから,これは前回にも記した通り,事後報告ということで正しいだろうと思います。
 僕は別に母が渡米することに反対する気持ちは少しもありません。だから母の頼みもすぐに引き受けることにしました。
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農林水産大臣賞典関東オークス&渡米の目的

2012-06-13 20:41:54 | 地方競馬
 今年の3歳ダート女王を決する第48回関東オークス
                         
 好発はエイシンキンチェムでしたが最内からリカチャンスが先手を主張するとこれに譲りました。外からサトノジョリーが追い上げて2番手。インの3番手にエイシンキンチェム。かなり速いペースであったと考えてよいでしょう。シラヤマヒメ,コテキタイ,マシュマロと続いてアスカリーブルは中団から。ショコラヴェリーヌを挟んで人気のオールドパサデナでしたが,この馬はほとんど動けずに終わりました。
 3コーナー手前付近でサトノジョリーが早くもリカチャンスを交わして先頭に。リカチャンスは一杯でシラヤマヒメは追ってはきたものの前に届くような脚色ではありません。直線入口では3番手まで上昇していたアスカリーブルがそれを捕えると先頭に迫り,サトノジョリーも交わして1馬身半の差をつけて快勝。サトノジョリーが2着でシラヤマヒメが3着。
 優勝したアスカリーブルは前走の東京プリンセス賞に続く連勝で重賞制覇。地方馬では実力最上位であったことは明白で,JRA勢との力関係がどうかというのが焦点でした。とても強力といえる馬の参戦がなかったのは事実ですが,牡馬相手のオープン入着馬を2着に降しての優勝ですから,少なくともこの馬自身,例年の南関東牝馬クラシックの勝ち馬よりは高いレベルにあるのは間違いないのではないでしょうか。牝馬路線は充実していますから,無事なら今後も活躍し続けるでしょうし,また重賞を勝つ勝つチャンスがある馬だと思います。父は1999年のセントライト記念を勝ったブラックタキシード。Libreはイタリア語で天秤座産まれ。
 騎乗した川崎の今野忠成騎手は先月の大井で南関東重賞連勝。関東オークスは初勝利。管理している船橋の川島正行調教師にとっても関東オークス初勝利となりました。

 がこの渡米を決断したのは,昨年末の伯母の緊急帰国の原因となった,伯母の姑を見舞うことでした。僕はロサンゼルスには行ったことがありませんから,この姑のことは知りませんが,母と妹は何度も渡米していましたから,会ったことがあります。というか,この姑は夫は亡くしていて,高齢ということもあり,伯母の家で同居していたのですから,渡米した際には必ず会う人のうちのひとりだったということになります。
 昨年末に一時的に入院した後,退院はしたものの,家には戻らず,日本でいう老人ホームのようなところに入所しているとのことです。伯母の夫には姉妹があり,日常的な世話はその姉妹がやっているとのことですが,この姉妹もまた母と妹には顔馴染みの存在で,母は自分が行くことで,その負担が少しは軽減できるかもしれないと考えていたようです。また,姑も危機的な状態にあるというわけではありませんが,何が起こるかは分かりませんし,母自身もこれからそうもたびたび渡米することができるかどうか分かりません。なので今のうちに少なくとももう1度はこの姑に会っておきたいという気持ちも強かったようです。
 もちろんこの渡米は,伯母が来日してから決定したというものではありません。実際,伯母は帰りの航空機のチケットに関しては,母と妹の分も合わせて3枚を予約してましたから,まだ来日する前から決まっていたということになります。実は僕自身は事後報告のような形でこの渡米を知らされましたので,はっきりとこれがいつ決められたのかということは分からないのですが,上述したような目的からして,前回の伯母の帰国後,すなわち昨年の12月の終わり頃から,今回の伯母の来日前の1月の中頃までには,はっきりと決まっていたということになります。なお,この渡米は伯母と一緒ですが,母と妹が帰国する際には伯母が同行するというわけではありません。ですからその分のチケットに関しては,母自身が予約しました。つまり母は,妹とふたりきりでも問題なく帰国することができると考えていたということになり,この点からも母の自分自身に対する自信がいかに回復していたのかということが分かるのではないかと思います。
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竜王戦展望&母と妹の渡米

2012-06-11 18:43:12 | 将棋トピック
 今期の竜王戦は決勝トーナメントの出場者が7日に決定。すでにトーナメント表も完成していますので,例年と同様に今年も展望することにします。
 まず左の山ですが,ここは端に並んだ1組の3人が手厚そうです。それ以外の若手3人のだれが勝ち上がっても,これを3タテしなければ決勝には進めないわけで,もちろん可能性がないわけではありませんが,きわめて困難ではないかと思えます。決勝トーナメントのシステムが現行制度に代わって以降,竜王戦ドリームの実現は以前よりもさらに困難になったといえるのではないでしょうか。
 一方の右の山ですが,こちらは混戦必至で,挑戦者決定戦に進出するチャンスがだれにも均等にあるのではないかと思われます。それだけ実力差がないと思えるような面白い組み合わせとなりました。
 タイトルホルダー不在のトーナメントで,挑戦者の予想はきわめて困難ですが,今年は若手の挑戦に期待したいです。ということで豊島将之七段,佐藤天彦七段の名前をあげておきましょう。渡辺明竜王にとっては初めてとなる,年下の相手とのタイトル戦というのを見てみたいという願望込みの予想ではあります。

 2月7日の火曜日は,妹のこども医療センター遺伝科の予約が入っていました。母の吐き気と目眩の症状は,本当にごく一過性のものでしたから,この日も母が連れて行っています。このところの慣例となっていますが,この日は妹は作業所は休みました。内容はいつもと同様の診察で,要するに癲癇の発作を抑制するための薬を処方してもらう目的でした。それ以外に変わったことはなく,ふたりが帰宅したのは午後5時半前くらい。この日は僕はまた長者町に行っていましたが,午後3時半くらいには帰宅していましたから,僕の方がずっと先に帰ってふたりを待っていたということになります。母は出掛ける前に夕食の下ごしらえをしていったようで,この日はカレーライスを食べました。基本的に調味料としてのカレールーというのは熱量が大きいですから,僕は現在はカレーはほとんど食べませんが,こういった場合には仕方ありません。
 その2日後,2月9日の木曜日が,伯母がロサンゼルスへ帰国する日でした。前回の来日時は緊急帰国という形になったわけですが,今回は事前の予定通り,来日前に予約しておいた航空機を利用してのものでした。ただ,これは単に伯母がロサンゼルスに帰国したというだけのことではありません。というのは,これに合わせて,母と妹が一緒にロサンゼルスへと飛び立っていったからです。
 前回の母と妹の渡米は,まだの生前,横行結腸癌であるという診断を受ける直前のことでした。したがっておよそ3年ぶりということになります。それ以前は年に1回くらいはロサンゼルスまで行っていましたから,そういう観点からすれば,久しぶりの渡米であるということになるでしょう。と同時に,これは母の小脳出血が,そこまで順調に回復してきたということの証であるといえるのではないでしょうか。渡米することに関して,母が磯子中央病院の主治医に相談したのかどうかということは僕は知りません。ただ,少なくとも母自身は,渡米しても自分の身体は大丈夫であろうと判断したということになりますから,単に母が肉体的に回復してきたというだけでなく,自分の体力についての自信のようなもの,いい換えれば精神的な面においても,顕著に回復してきたということの証明にはなるだろうと思います。
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花月園メモリアルin川崎&目眩と吐き気

2012-06-10 18:44:28 | 競輪
 今年度は川崎競輪場での施行となった花月園メモリアルの決勝。やや変則的な並びとなり,群馬の矢口に萩原-梶山の西日本,埼玉の阿部には山田-佐藤の北日本,栗田ー細川ー成田で南関東。
 萩原が誘導を追い掛けていき矢口の前受け。山田も外を上がっていきましたが,うまく萩原を内から追った栗田が中団を確保。山田は引いて阿部が後方での周回。残り2周のホームに入るあたりから阿部が上がっていくと栗田も併せてみっつのラインがホームでは並ぶ形に。外の阿部が前に出て,栗田が中団を確保,引いた矢口が7番手と,バックでは前後が入れ替わりそのまま打鐘。阿部はそのまま思いきって発進。バックから矢口も捲っていきましたが,それを待たずに発進した栗田のスピードがよく,捲りきると後は独走となり優勝。番手の細川,これに絡んだ山田,大外を追い込んだ矢口による2着争いは,山田が制し,3着は細川。
 優勝した静岡の栗田雅也選手は2009年の観音寺記念以来となるGⅢ2勝目。来週がGⅠですのでここは有力選手が少なく,決勝メンバーの中では今回の調子もよさそうで,優勝候補の筆頭と考えていました。周回中からうまく中団を取り,その位置をさほど脚を使うことなく維持できましたし,当面のライバルと考えられた矢口を後方に置くことができましたので,このあたりのうまさが最大の勝因といえそう。阿部の番手の山田の横を通り過ぎた時点で,ほぼ優勝は確定的であったといえるでしょう。

 後で聞いた話ですが,このときは美容院で身体に変調を来したのですが,立っているのもままならないくらいの強い異変だったようです。美容院は根岸駅の近辺で,十分に歩いて帰ってくることができるだけの距離です。ただ妹も一緒ですから,この場合は定期券を使ってバスで行ってバスで帰ってくるのが通常。この日もバスで行ったわけですが,帰りはこうした状況でしたから,タクシーを利用したそうです。根岸駅にはバスターミナルに隣接してタクシー乗り場もありますので,タクシーを捕まえるのにはそうも苦労しないのですが,美容院から根岸駅まで移動するのも一苦労で,妹も肩につかまってやっとこ歩くことができたとのことでした。
                         
 しかしこのとき僕を不安にさせたのは,横になっていた母が訴えた症状でした。それが目眩がして吐き気も催すというものだったのです。これはまさに2年前に母が脳内出血を起こしたときと同じでした。だから僕はまた同じことが起こったのではないかと心配になり,すぐに病院に行った方がよいのではないかと思ったのですが,母にはその気がないようでした。ことばでいえばそれは目眩と吐き気で,同じではあったのですが,それを体感したのは母であって僕ではありません。だからそれが具体的にどんな目眩であり,どんな吐き気であるのかということを,僕自身が体感として知っているというわけではありません。だからことばは同じでも,母にとっては異なったものであるのかもしれません。したがって不安は拭えませんでしたが,少しだけ様子を見ることにしたのです。
 30分後くらいでしょうか,母がこの状態ではさしあたって夕食のことを考えておかなければなりません。母は食べられないかもしれませんが,僕や妹には必要だからです。そこで妹に何がよいかと尋ねてみたのですが,そこに母が入ってきまして,自分で作ると言い出しました。横になっていたら症状が改善されたというのです。僕は驚きましたが,実際に母は夕食の支度を始めました。そして何の問題もなく作り終え,自分自身も普段と同様に食べたのです。
 結果的にいえばこの症状はこの短い時間の一過性のものでした。その後も現在まで,母はこの症状に襲われていません。
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