スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

いわき金杯争奪戦&『デカルトの哲学原理』第一部

2024-01-28 19:01:42 | 競輪
 いわき平記念の決勝。並びは新山‐新田‐佐藤の北日本,窓場‐神田の近畿,山田‐井上の西九州,嘉永‐伊藤の熊本。
 神田がスタートを取って窓場の前受け。3番手に山田,5番手に嘉永,7番手に新山の周回に。残り3周のバックを出ると新山が上がっていこうとしましたが,この動きをみて嘉永も上昇。コーナーに入るところで窓場と嘉永は併走のような状態になり,新山はさらにその外から。バックに入るとうまく内を突いた山田が先頭に。新山は構わず外から発進し,山田を叩いて打鐘。4番手に山田,6番手に窓場,8番手に嘉永という一列棒状に。後方になってしまった嘉永はホームから発進しましたが,これはスピードを欠きました。バックから山田が発進。番手で待ち構えていた新田も発進し,一時的に併走での争いとなりましたが,踏み勝った新田が先頭で直線に。あとは後ろを引き離していき新田が優勝。新田マークの佐藤,ホーム最後尾から間を割った伊藤,発進した山田,山田の外から捲り追い込んだ窓場で2着争い。大外の窓場が内の3人を差し切って1車身半差で2着。山田が半車輪差の3着で佐藤が8分の1車輪差の4着。伊藤が半車輪差で5着。
 優勝した福島の新田祐大選手は昨年10月の京王閣記念以来の優勝で記念競輪12勝目。いわき平記念は初優勝。このレースは新山がどういうレースをするかが注目でしたが,後ろ攻めからのかまし先行になりました。力がある選手ですが,1周半以上の先行では厳しかったです。うまく4番手を取った山田には展開は悪くなかったのですが,番手から出た新田に踏み負けることに。ここで踏み勝てたのが新田にとっては大きかったことになります。山田はうまい動きで4番手を取りましたが,もしかしたらそのときにいくらか脚力を消耗していたのかもしれません。

 『スピノザー読む人の肖像』の第1章で,『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』に関する注意点が書かれています。このことはこの本を読んだことがある人にとっては分かりきったことだといえなくもないのですが,よく考えてみると,どんな人であれその内容をよく知らないままに本を読むのであって,あまり注意せずに読み進めれば,当初の思い込みをそのまま正しいことと思い込んでしまう可能性があります。なので僕もここでその注意点をあげておきます。
                                        
 よく知られているように,『デカルトの哲学原理』は,スピノザが同居させていたライデン大学の学生であるカセアリウスJohannes CaseariusにデカルトRené Descartesの哲学を教授し,それをカセアリウスが口述筆記したものが基になっています。スピノザは自分の思想を教えるにはカセアリウスにはまだ早すぎると思ったのでデカルトの哲学を教えたのですが,そのとき,こちらはその理由はよくわかりませんが,『哲学原理Principia philosophiae』の第二部から教え始めました。この部分が『デカルトの哲学原理』の第二部に該当します。第二部が終わったのでスピノザは第三部を教え始めました。それが『デカルトの哲学原理』の第三部に該当しますが,これは始まってすぐに未完のまま終わっています。それはつまり,そこでスピノザがカセアリウスにデカルトの哲学を教えることをやめたということです。スピノザの事情だったのかカセアリウスの事情であったのかは分かりません。
 これを出版するようにスピノザに勧めたのはマイエルLodewijk Meyerです。それにあたってマイエルは,第一部もあった方がよいと考えました。スピノザもその進言に従って,二週間で第一部を書き上げました。つまり執筆の順序でいけば,『デカルトの哲学原理』は,第二部,未完の第三部,第一部となっています。このときに注意しないといけないのは,『デカルトの哲学原理』の第二部と第三部は『哲学原理』の第二部と第三部,といっても第三部は未完なのですから断定できるわけではありませんがおそらく第三部に対応しているのですが,第一部は『哲学原理』の第一部に対応しているわけではないということです。この部分は『哲学原理』より広く,デカルトの哲学の形而上学に対応しているのです。
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