スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京2歳優駿牝馬&堕天使の倫理

2012-12-31 19:09:04 | 地方競馬
 北海道から2頭,笠松から1頭が遠征してきた第36回東京2歳優駿牝馬
 逃げたい馬が何頭かいたと思いますが,最内枠ということもあり,デアカノンの逃げに。サブノハゴロモ,デイジーギャル,ケンブリッジナイス,ハニーパイ,カイカヨソウと,あまり差のない追走になりました。前半の800mは51秒1のミドルペース。
 逃げたデアカノンは向正面で後退。サブノハゴロモが先頭に立ち,デイジーギャルが2番手,ずっと外を漸進してきたカイカヨソウが3番手で直線に。向正面入口辺りでカイカヨソウは折り合いを欠いているように見えたので,少し心配していたのですが,問題なく内の2頭を捕えて先頭に。最後はロスなく内を回って直線だけ外に出したケンブリッジナイスに迫られましたが,半馬身差で優勝。ケンブリッジナイスが2着で向正面で先頭に立ったサブノハゴロモが1馬身4分の1の差で3着。
 優勝したカイカヨソウは北海道でデビュー。新馬を勝った後,北海道重賞を連勝し,前走の重賞も3着と,明らかにここでは力量上位。これが南関東転入初戦で,こういうタイプの馬がこのレースを制するのは過去にもよくあったこと。最後は詰められましたが,横綱相撲といえるレースをしてのものですから,着差以上の強さはあったと思います。無事なら来年のクラシックの主役になるでしょう。
 騎乗した大井の戸崎圭太騎手はゴールドカップに続いて今月は南関東重賞2勝。第32回34回を制していて2年ぶりの東京2歳優駿牝馬3勝目。管理することになった船橋の川島正行調教師は第29回と32回,34回を制していますので,2年ぶりの3勝目です。

 身体とは何かという観点から第二部定理一二を考察しているものとしては,佐藤拓司による『堕天使の倫理』があります。
                         
 この本はスピノザの哲学を極限の合理主義とみなし,それと極限の背徳には相通ずる点があるとして,そうした観点からスピノザの哲学を考察したもので,かなり独特の観点からの意欲作といえると思います。
 キリスト教神学には堕天使論というのがあるということを,僕はこの本を読んで初めて知り,また驚きました。したがってこの神学とスピノザの哲学との間に関する佐藤の論考については,僕は多くを語ることはできません。
 一方,この本にはスピノザとサドという副題が付されています。サドが書いた小説については,僕は学生時代のゼミで必要があり,そのときにごく一部分を読んだことがあるだけです。したがってサドの思想,これはいわゆる道徳,とくにキリスト教的道徳の徹底的な破壊といえるでしょうが,それとスピノザの哲学との関係に関しても,僕は何も評することはできません。ただ,かつて第四部定理五〇を考察したときに示したように,スピノザが示す道徳,あるいは倫理すなわちエチカというものが,一般的にそう考えられているような道徳的基準からは大きく逸脱するものであるということは,僕も確かなことだと考えています。
 この本はそれ以外にも,直接的にはスピノザの哲学とは無関係と思われるようないくつかのものとスピノザの哲学との関係について言及しています。しかしどういった場合であれ,佐藤の最終的意図がスピノザの哲学の探求にあるということは間違いありません。そして佐藤が出している様ざまな結論に関していえば,僕にはそのほとんどが肯定できるものでした。ある意味でいえば,僕のスピノザの哲学の理解に最も近似した立場から書かれたスピノザの哲学の考察書は,この本なのではないかと思えたくらいです。
 第二部定理一二の言及に関しては,佐藤は僕とは異なった視点から考察しています。したがってここでは,佐藤の道筋をそのまま踏襲するのではなく,僕の考察と関連の深い部分を中心に,これを援用していくにとどめます。
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KEIRINグランプリ&問いの変更

2012-12-30 18:56:48 | 競輪
 2012年のベストレーサーを決定する一発勝負のKEIRINグランプリ2012。今年は京王閣競輪場。並びは佐藤-山崎-成田の北日本,武田-長塚-岡田の関東,深谷-浅井の中部で村上は単騎。
 佐藤の前受けで4番手に深谷。村上が追走して7番手に武田の周回。武田の上昇は残り2周のホームから。バックで前に出ると,佐藤が車体故障を起こして失速。4番手に外の深谷内に山崎で併走となり,スローペースのまま打鐘。ここから深谷が発進していき,村上まで続いてホームで武田を叩ききっての先行。後方となった山崎も自力発進。バックに入ると3番手から村上が先捲りの形。深谷の抵抗はコーナーまでで,村上が先頭。浅井がスイッチしたのですが,山崎の後ろから成田が村上と浅井の間に入り込み,直線は3人の争いに。タイヤ差で凌いだ村上が優勝。成田が惜しい2着。外に振られた浅井は半車輪差で3着。
                         
 優勝した京都の村上義弘選手は6回目の挑戦でグランプリ初優勝。ビッグは昨年3月の日本選手権以来で9勝目。グレードレースは年頭の大宮記念以来。ここは単騎での戦いを強いられましたし,何よりここに向けての練習中に落車して骨折したとのことで,苦しいのではないかと思っていました。先行した深谷の3番手を取ったのが第一の,そして後ろを待たずにバックから仕掛けていったのが第二の勝因ということになるのでしょうが,それよりも精神面の強さを称えたいという思いが強いです。いつかはグランプリを優勝するべき選手が勝ったといえるのではないでしょうか。

 とくに「スピノザ的スピノザ」の方に顕著なのですが,田島正樹が身体の観念と身体の中に起こることの観念を現象学で説明する動機は,第二部定理一二を文字通りに読解すると不条理であるという点にあります。それが不条理であるということは僕も完全に同意します。ただ,それを現象学で説明することとの間にきちんとした架け橋があるのかといえば,僕にはそうも思えず,むしろ超論理のように感じられます。
                         
 ただ,田島がこれについて考えるときに,身体の中に起こることが何であるのかと問うても,確実な答えは得られないであろうということをよく理解していたということは間違いないと思います。むしろ問われるべき事柄は,その中に何かが起こるとされている身体とは何であるかということであるということも,やはり田島はよく理解していたというべきでしょう。
 もちろん僕はそれを超論理のような仕方で解決しようとは思いません。というか,そのような仕方でこの問いに答えたとしても,それは本当に問題が解決したということにはならないと僕には思えます。また,『エチカ』のことは『エチカ』に訴えて考えるというのは,僕が一貫して採用している方法ですから,僕自身の方法論としてもそれはそぐわないということになります。
 第二部定理一二の新しい意味については,田島も当然ながら成立すると認めています。したがって問いのたて方は僕の考察でも田島の問い掛けと同じになります。すなわち,自分の身体の中に起こることを人間の精神が知覚するといわれるときに,知覚される身体の中に起こることが具体的に何を意味するのかを問うことから,その中に何かが起こるとされている身体とは具体的にどのような意味を有するものとして把握されるべきであるのかというように,これまでの問いから新しい問いへと変換されるということになります。
 第二部定理一二の新しい意味を発見した,というかそれを受容するようになったということは,この定理の問題を解消するために僕にとって大きなことではありました。しかし,この問いの変更は,同じように問題を解消するにあたって,さらに決定的なものであったといえます。
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農林水産大臣賞典東京大賞典&ヒント

2012-12-29 18:59:33 | 地方競馬
 2012年を締め括るGⅠ,第58回東京大賞典
 フリオーソとエスポワールシチーとトランセンド。この3頭はどれにも逃げる可能性があると思っていました。エスポワールシチーは発馬で躓き,トランセンドは今日もダッシュがつかなかったのでフリオーソが逃げることに。モエレビクトリーとナムラタイタンが追い掛け,ハタノヴァンクールが好位のインに収まり,ローマンレジェンドが外。ワンダーアキュートはこれらを見る位置から。前半の1000mは62秒1でミドルペース。
 モエレビクトリーは向正面ではついていかれなくなり脱落。ナムラタイタンの外にローマンレジェンドが並び掛けて直線。ここからローマンレジェンドが抜け出しを図ろうとしたところ,外から襲いかかったのがワンダーアキュート。ワンダーアキュートの方が勢いよく見えたので,これは交わすのではないかと思ったのですが,並ばれてからローマンレジェンドがしぶとく伸び返し,最後は半馬身の差をつけて優勝。ワンダーアキュートは力尽き,内からじわじわと脚を伸ばしたハタノヴァンクールがアタマ差だけ捕えて2着。ワンダーアキュートは3着。
 優勝したローマンレジェンドは前々走のみやこステークスまで6連勝。初の大レース挑戦となった前走は4着でしたが,これはまずまずの結果といえるもので,上積みも見込めますからここはチャンスと考えていました。見事にそれを掴んで重賞3勝目が大レース初制覇。ただ,馬場状態の関係もあるのでしょうが,時計がおそろしく平凡で,このレースはそう高く評価できないようには思います。能力が高いのは間違いないところで,来年以降はこの路線の主役を務めていくことになるでしょう。父はスペシャルウィーク。半姉に一昨年のレパードステークスとクイーン賞,昨年のレディスプレリュードJBCレディスクラシック,今年はマリーンカップ,レディスプレリュード,JBCレディスクラシックと重賞を7勝しているミラクルレジェンド
 騎乗した岩田康誠[やすなり]騎手は今月は香港スプリントを制していて大レース2勝。国内では先月のジャパンカップ以来。東京大賞典は初勝利。管理している藤原英昭調教師は10月の天皇賞以来の大レース制覇。第55回以来3年ぶりの東京大賞典2勝目。

 今回の考察において,この点と最も関連があると思われるのは,第二部定理九系における原因と結果の措定です。
 僕はそこで,ある観念の対象ideatumというものがないのであれば,その対象の中には何事も生じ得ないという意味のことを述べました。これはそれ自体で明らかでしょう。そこでこの第二部定理九系から第二部定理一二が導かれるのであれば,人間の精神の本性を構成する観念の対象,ここでは再びこれを第二部定理一三に依拠してその人間の身体ということにしますが,その身体がなければ身体の中に何かが起こるということはあり得ないということになります。これもまたきわめて当然であるといえます。
 これがきわめて当然なので,僕は以前に人間身体の中に起こることというのは何かということを考える場合に,まず身体が存在するということを前提とした上で,その中に何事かが起こるという枠組みの中にいました。そして確かに人間の身体というものを現実的に実在するひとつの形相的有として,その中に何かが起こるということを考えるのであれば,それで構わないわけです。ところが,現実的に存在する人間が自分の身体の中に起こることを認識するということを考える場合,実はこの枠組みの中で考えても結論を得ることはできないということに気付いたのです。『スピノザという暗号』の中で田島正樹が示していることが僕にとってのヒントとなったということは,具体的にいえば僕がそれに気が付くことができたということなのです。
                         
 第二部定理一九が示していることは,現実的に存在する人間は,自分の身体が外部の物体によって刺激されることの観念を通じてのみ,自分の身体を認識する,この場合は知覚と概念をきちんと分節した場合には,知覚するということです。つまり,人間の精神のうちにまず自分の身体の観念があって,その前提のもとに自分の身体の中に起こることが知覚されるというのではありません。むしろ,自分の身体の観念の方が,自分の身体の中に起こることの観念を通して認識されているのです。田島がシニフィエとシニフィアンをもちだすとき,間違いなくこのことがその念頭にあったものと思われます。
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棋王戦&田島正樹の主張

2012-12-27 19:05:05 | 将棋
 郷田真隆棋王への挑戦者を決定する第38期棋王戦挑戦者決定戦変則二番勝負の第一局は昨日の対局でした。対戦成績はトーナメントを勝ち上がった渡辺明竜王が22勝,敗者復活を果たした羽生善治三冠が19勝。
 振駒で羽生三冠が先手となり相矢倉。先手が銀損の攻め。このあたりは前例通りで,先手が新手を放って未知の戦いに突入しました。
                         
 7七で角の交換が行われた局面で,ここが勝敗を分けるポイントになったようです。実戦は△3三歩と打ったのですが,△8六歩▲同歩としてから△3三歩としなければいけなかったとのこと。このタイミングでないとこの突き捨ては入らず,後手のカウンターが効果を発揮しない将棋になったようです。
 とはいえ,突き捨てれば先手が入手した一歩で有効な手を指す可能性もあるということを視野に入れたならば,第1図で単に△3三歩と受けるべきなのか,突き捨てを入れてから受けるべきなのかは,かなりの時間を要しても読み切れそうもありません。実際に指してみなければ分からないというのが常識的な結論だと思えます。そういう意味では,終盤でも秒読みでもないのですが,後手にとって指運がなかったといえるような負け方であったような気がします。
 羽生三冠が勝利しましたので挑戦権の行方は第二局に持ち越し。年明け7日に再戦です。

 『スピノザという暗号』の中で田島正樹は,人間の精神を構成する観念の対象とはシニフィアンのことであり,人間の精神を構成する個々の観念はそのシニフィエであって,そのゆえに人間の精神がまさに人間の精神なるものとして成立するという場合には,このシニフィアンの総体が考慮されていなければならないという意味のことを主張しています。
                         
 僕の小脳出血からリハビリを開始できるまでに至ったとき,僕は母の身体機能の回復に関しては割合と楽観視していました。それはスピノザ哲学における身体の可塑性という考え方があったからです。その身体の可塑性について言及するときに触れた「スピノザ的スピノザ」という論文でも田島は,僕にはほぼ同様の意味に読解可能なことを主張しています。したがってこれは田島の一貫した考え方であるといえるでしょう。
                         
 シニフィアンとシニフィエ,あるいは「スピノザ的スピノザ」の方に出現しているノエシスといった語は,現象学のいわば専門用語です。僕はソシュールは読んだことがあるという程度で,その哲学的成果に関して十分な知識を有してはいません。ですから田島がここでスピノザの哲学を現象学の用語で説明することの是非というものがまず判断できませんし,また仮にそれが是であったとして,この説明の仕方自体が妥当なものであるのかどうかということに関してはなおさら結論付けられません。なので僕はその方面からはここでは一切の言及を回避します。
 ただ,この考え方が,第二部定理一二の解釈に関して,僕にひとつの大きなヒントになったということは事実なのです。というのも,確かに身体の中に起こることというのは何であるかを問うためには,その中に何かが起こるとされている身体そのものがどういったものであるのかということ,もっと正確にいうならその身体というものがスピノザの哲学の中においてどのようなものとして位置付けられているのかということの考察が不可避であるということに気付かせてくれたからです。そして僕はこの田島の言及はまず,『エチカ』でいえば第二部定理一九に該当するものと理解し,これもまた大きなヒントになったのです。
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農林水産大臣賞典兵庫ゴールドトロフィー&スピノザという暗号

2012-12-26 18:42:26 | 地方競馬
 今年もJRA勢が軒並み重いハンデを課せられた第12回兵庫ゴールドトロフィー
 先手を奪ったのはティアップワイルドで,コスモワッチミーが外に並びました。内にスーニ,外がセイクリムズンでダイショウジェット,オオエライジンという並び。この距離では異例といえるくらいのスローペース。
 向正面でオオエライジンが外を進出。ただ,コーナーも外を回ることになり,4コーナーでは2番手まで上がったものの大外へ。楽な逃げだったティアップワイルドはまだ余力があり,直線は後ろを離していって3馬身半差で快勝。直線で瞬発力を発揮したダイショウジェットが2着。力尽きたオオエライジンは1馬身4分の1の差で3着。
 優勝したティアップワイルドはこれまでオープンでは4勝していましたが重賞は初制覇。そのオープン4勝と重賞での2着2回はいずれも1200mで,典型的なスプリンター。ここはスローペースで逃げられたこともあり,距離延長を克服しました。休養明けを除けば1200mではほとんど崩れていない馬ですから,また重賞を勝つというシーンもあるのではないかと思います。母のはとこに1999年のTCK女王盃を勝ったケープリズバーン
 騎乗した石橋脩騎手,管理している西浦勝一調教師は兵庫ゴールドトロフィー初勝利。

 まず最初に,田島俊樹が『スピノザという暗号』の中で表明している見解を紹介します。
                         
 この本はその題名が僕には非常に魅力的なものに感じられ,そのゆえに読むのもとても楽しみにしていました。しかし実際に読んでみますと,これは僕が事前に想像していたのとは全面的に異なる内容をもつものでした。
 スピノザは自身の哲学的見解,また宗教的見解や政治的見解というものについて,それをだれにでも明らかになるような形としては表明せず,むしろ二重言語とでもいうべきものを駆使することによって,理解できる人にだけ伝えるような方法を採用したという考え方があります。僕は田島の著書の題名をみて,そうした観点からスピノザの哲学,あるいは哲学には限らずとも,ある考え方を読解するような研究書ではないかと想像したのです。しかしこれは僕の思い込みにすぎませんで,この本はそういった内容のものではありませんでした。もちろん僕の勝手な思い込みですから,それが裏切られるような結果となっても大して驚きはしません。ただ,この本は本質的にはスピノザの思想について研究した書物ですらないということは,僕にも意外でした。田島がこの著書で示したかったことは,自分自身の哲学的見解であって,スピノザの哲学はそのために利用されている,これは悪い意味でいっているのではなくて文字通りに利用されているだけです。
 この著書における田島の見解に関しては,僕は大きくふたつの点で疑問を感じます。ただそのうちのひとつは,田島の哲学がスピノザの哲学と乖離していくその分岐点に関わるもので,僕は田島自身の哲学に関してはそれを云々するつもりはありませんのでこれについてはこれ以上は言及しません。もうひとつは人間の精神mens humanaのうちにある十全な観念idea adaequataと混乱した観念idea inadaequataとの関係であって,これは福居純の『スピノザ『エチカ』の研究』が依拠したという,ドゥルーズGille Deleuzeの読解と関連します。僕の理解では田島の読解はドゥルーズよりなお先鋭的なのであって,たぶん福居はこの見解は否定することになるのだろうと僕は理解します。しかしこれについてはいずれテーマとして設定して考察することにします。
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ひろしまピースカップ&大きくなった課題

2012-12-25 18:45:11 | 競輪
 2012年最後の記念競輪となった広島記念は昨日が決勝。並びは上原ー為田の長野,後閑ー芦沢の関東に大竹,山賀ー萩原の南関東,村上ー山口の近畿中部。
 スタートは山賀が取ってそのまま前受け。村上が3番手,上原が5番手,後閑が7番手で周回。残り2周のホームからまず上原が上昇し,村上がスイッチ。バックに入るところで上原が山賀を叩いてスローに落とすと打鐘で後閑が叩き,ホームから後閑の先行に。村上が続こうとしましたが,上原がインで粘り,4番手は取り合い。引いた山賀はバック手前から発進。捲ろうかというところで芦沢も番手から出て,両者の争いとなり,スピードよく飲み込んだ山賀が優勝。芦沢が4分の1車輪差で2着。山賀に続いた萩原が1車輪差の3着。
 優勝した千葉の山賀雅仁選手は2009年8月の富山記念以来となる記念競輪2勝目。後閑と村上は本質的には先行選手ではなく,もうひとりの上原よりは力量上位。こう考えればチャンス到来といえるメンバー構成で,それをうまくものにしました。ただ,記念競輪の決勝がこういったメンバーで争われるということはそう多くはない筈で,トップクラスとはまだ脚力の差がある現状ですから,また記念競輪を勝つためには,地力を強化する必要があるのではないでしょうか。

 この予測からして,第二部定理一二でいわれている人間の精神mens humanaの本性essentiaを構成している観念の対象ideatum,それは要するに第二部定理一三によってその人間の身体corpusのことですが,その身体の中に起こることとは具体的に何を意味しているのか,あるいはもっと正確にいうなら,そのようにいうことでスピノザは具体的にどんな事柄を意味しようとしていたのかという課題は,相変らず継続するということになります。さらにいうならこの課題は,この部分だけをとっていうのであれば,以前にまして解決が難しくなった課題として残されたとさえいえるでしょう。
 もしも第二部定理一二でいわれている事柄が,以前のように人間の精神のうちにある十全な観念idea adaequataについての言及であったとしてみましょう。第二部定理三八系第二部定理四二により,僕たちは真理veritasと虚偽falsitasとを分つことが現実的に可能です。いい換えれば僕たちの精神を構成するある観念について,それを吟味さえすれば,十全な観念と混乱した観念idea inadaequataとに区別することができます。よってこの観点からこの課題を考える場合には,人間が自分の身体の中に起こるどんな事柄を十全に認識するのか,あるいは認識しているのかという地点から,推論を進めていくことが可能であるということになります。
 ところが第二部定理一二の新しい意味は,むしろ人間の精神のうちにある混乱した観念についての言及を含む,というかそれに限定されます。いい換えるなら,僕たちが自分の身体の中に起こっていると認識する事柄のすべてが,この課題の対象となっているのです。これでみれば一見して明らかですが,第二部定理一二の新しい意味を受け入れた上でこの課題に立ち向かうという場合には,課題自体がより大きくなっているといえるのです。
 前回,十全な観念として考えた場合にも僕はこれについて思わしい解答を得ることはできませんでした。ならば課題が大きくなったのですから,今回の場合はなおさらです。つまりこの課題自体には答えられないのですが,課題に対する構え方が,以前とは変化しています。僕の手に負えなかったこの課題にヒントを与えてくれたものがふたつありますので,順に紹介していきます。
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農林水産大臣賞典名古屋グランプリ&予測

2012-12-24 19:03:49 | 地方競馬
 グリーンチャンネルの中央競馬中継内で生放映された第12回名古屋グランプリ
 最初はエーシンモアオバーの逃げになりましたが,1周目の向正面でトリップが交わして先頭に立ちました。スローペースということもあり,密集してのレースで,キングスエンブレム,クラシカルノヴァ,ニシノファイター,オースミイチバン,ナムラダイキチと,あまり離れず追走。
 2周目の3コーナー手前からペースアップしたようで,キングスエンブレムは脱落。さらにトリップも一杯に。エーシンモアオバーが先頭に立ち,外からクラシカルノヴァが追っていき,直線はこの2頭の争い。最後までしぶとく抜かせなかったエーシンモアオバーが半馬身差のレコードタイムで優勝。クラシカルノヴァが2着。3着はそこから9馬身離れ,ナムラダイキチとの叩き合いを制したオースミイチバン。
 優勝したエーシンモアオバーはこれまでオープンで5勝,重賞では2回の2着が最高で,これが重賞初制覇。正直にいってややとうが立ったといえる馬で,今日はメンバーに恵まれたといえる面が大だと思います。年が明ければ7歳で,大きな上積みも考えづらく,今後の活躍も出走メンバー次第ということになってくるのではないでしょうか。父はマンハッタンカフェ
 騎乗した愛知の岡部誠騎手,管理している沖芳夫調教師は共に名古屋グランプリ初勝利です。

 これでスピノザが,人間が自分の身体の中に起こることのすべてを,混乱して認識するのだとしても,意識化することが可能であると考えていることは明らかになりました。これに対して,実際にそんなことは不可能であるといい立ててもそれは無意味です。なぜならこの主張は,スピノザの見解に誤りがあるということは示していますが,その論理のどこに欠陥があるのかということをまったく指摘していないからです。
 しかしそれとは別に僕はこうも思うのです。人間が自分自身に関して反省的に考えてみた場合に,不条理であると思われる事柄をわざわざ主張するのですから,これを主張するときのスピノザには,何らかの確信があったのではないだろうかと。
 たとえば第二部定理一三備考の一文というのは,常識からはあまりに外れたものです。だれも石鹸に精神があるとか,三角形に精神があるなどということは認めないだろうと考えられるからです。しかしスピノザは,精神そのものを常識とは異なって考えていたのでした。スピノザによれば精神とは,ある機能自体を示すのではありません。何らかの事物が形相的に実在するならばその客観的有すなわち観念も思惟の様態として実在します。そしてこれらは合一しているのであって,この合一という事態を重視した上でその客観的有についてはそれを精神であるとしたわけです。だからスピノザはすべてのものに精神がある,あるいはすべてのものが精神を有するという,一見すれば突拍子もないようなことを主張できたのです。つまりこれを主張するときのスピノザには,このような論理体系におけるはっきりとした確信があったのだといえるでしょう。
 僕の予測では,この第二部定理一三備考の一文と同じことが,第二部定理一二の場合にもあるのではないかと思うのです。すなわち,人間が自分の身体の中に起こることを悉く意識することができるとスピノザが主張するとき,やはり何らかの論理構成として,スピノザはある確信をもってそのように主張したのだろうと思うのです。あくまでも予測ですが,僕はそれがどういったものであるのかを確かめたいのです。
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有馬記念&平行論からの帰結

2012-12-23 18:28:42 | 中央競馬
 2012年の中央競馬を締め括る大レース,第57回有馬記念。ミルコ・デムーロ騎手が急病のため,エイシンフラッシュは三浦皇成騎手に変更。
 ゲート内で立ち上がったルーラーシップが大きく出遅れ。ゴールドシップはダッシュがつかず,馬群から置かれました。先手を奪ったのはアーネストリー。ビートブラック,ルルーシュ,ローズキングダムと先行。内にスカイディグニティ,外にダイワファルコンが追走し,中団は内にエイシンフラッシュ,あとオーシャンブルー,ダークシャドウ,トゥザグローリーといったところ。ルーラーシップは徐々に追い上げ,1周目の直線ではゴールドシップが最後尾となりました。ミドルペース。
 ゴールドシップは向正面の半ばから進出開始。騎手の手の動きのわりにあまり前まではとりつけなかったので,ピンチかと思いつつ観戦していました。直線に入ってまず抜けたのは最内を通ってきたエイシンフラッシュ。しかしゴールドシップは外から伸び続け,意外なほどに楽に捕まえると最後は流すような余裕の勝利。馬群を割って伸びた伏兵のオーシャンブルーが1馬身半差で2着。大外に出して伸びたルーラーシップがクビ差で3着。
 優勝したゴールドシップ菊花賞に続く大レース3勝目。秋2戦の内容が異常に強かったので,最有力候補と考えていました。持ち味である持続的な末脚を発揮しての勝利で,こういうタイプの馬は大きく崩れることは考えにくく,来年も日本を代表する1頭として活躍し続けてくれるだろうと思います。父はステイゴールド,母の父はメジロマックイーン星旗風玲の分枝。
 騎乗した内田博幸騎手はJBCスプリント以来の大レース制覇で有馬記念は初勝利。管理している須貝尚介調教師は阪神ジュベナイルフィリーズに続いて今月は大レース2勝。有馬記念は初勝利。

 第二部定理四三というのは人間の精神のうちにある十全な観念についての言及です。これに対して第二部定理一二第二部定理一二の新しい意味により,混乱した観念についての言及です。つまりそれだけの相違があるということになります。しかしこの相違は今の課題に関しては問題とはなりません。
 第二部定理四三のスピノザによる論証は,ある人間の精神の本性を構成する限りでXの観念が神のうちで十全であるなら,Xの観念の観念もその人間の精神の本性を構成する限りで神のうちで十全であるということを主要な根拠としています。第二部定理一一の具体的意味でみれば,これは第二の場合に関係することが分かります。しかし,第二の場合にこのことが妥当であるなら,第一の場合にも第三の場合にも妥当であると考えなければなりません。ごく簡単にいうならこれはふたつの平行論のうち,思惟属性内の平行論に関する言及であり,この平行論はあらゆる観念に関して一般的に妥当しなければならないからです。
 たとえば,ある人間の精神の本性を構成する限りで神のうちにXの観念があるとします。この観念はその人間の精神のうちでは十全な観念であるか混乱した観念であるか不明です。しかし第二部定理七系の意味により,いかなる意味においても神のうちで混乱した観念であるということはありません。むしろ何らかの仕方で説明される限り,神のうちで必ず十全です。よってある人間の精神の本性を構成する限りでXの観念が神のうちで十全である場合にXの観念の観念もその人間の精神の本性を構成する限りでの神のうちで十全であるなら,ある人間の精神の本性を構成する限りで神のうちにXの観念がある場合にも,Xの観念の観念がその人間の精神の本性を構成する限りで神のうちにあるということになり,それらは何らかの仕方で説明される限り,神のうちで十全であるということになるからです。
 なお,おそらくこのことは,第二部定理三六を利用すれば,もっと簡潔な仕方で論証ができるものと思います。ただ僕自身はこの定理についてもいくらかの疑問を有していますから,それに依拠した説明はしなかったまでです。
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農林水産省賞典中山大障害&無意識の意識化

2012-12-22 19:33:26 | 中央競馬
 除外馬も出てフルゲートとなったもののナリタシャトルが競走除外となり,15頭で争われた第135回中山大障害
 先手を奪ったのはセクシイスイートで前半は後ろを少し離しました。スプリングゲントが2番手でマーベラスカイザーとトウシンボルト。注目のマジェスティバイオは中団より後ろで,これはいつものポジション。
 アクシデントもなく,あまり馬順も変わらず後半戦に。スプリングゲントとマーベラスカイザーでセクシイスイートを追い掛けていき,トウシンボルトは後退。マジェスティバイオも漸進していきました。セクシイスイートは3コーナーでは一杯になり,一旦はスプリングゲントが先頭に立ったものの,外のマーベラスカイザーの手応えがよく,直線に入るとすぐに先頭に立ち,スプリングゲントは一杯に。マジェスティバイオと,好位でそれを待って一足先に上昇してきたバアゼルリバーの2頭が外から追ってきたものの,時すでに遅く,マーベラスカイザーが3馬身差で優勝。先んじたバアゼルリバーが2着でマジェスティバイオは4分の3馬身差で3着。
 優勝したマーベラスカイザーは昨年10月に障害初戦を勝利。4月に2勝目をあげた後,5月に重賞に挑戦して3着。そこから先月まで休み,復帰戦のオープンは3着でした。これまですべて3着以内と安定した成績を残していますが,中山はこれが初めてで,そこが最も憂慮されたところ。しかしその課題を克服し,初重賞制覇を大レースで達成しました。年が明けてやっと5歳という,障害では若い馬ですから,この後の活躍も大いに期待されるところです。父はマーベラスサンデー。祖母の兄に名種牡馬でアグネスワールドの父のDanzig
 騎乗した熊沢重文騎手は2005年の阪神ジュベナイルフィリーズ以来の大レース制覇で,障害の大レースはこれが初勝利。平地と障害の両方の大レースを制覇する騎手というのは,今後は現れないのではないかと思います。管理している柴田政見調教師はこれが大レース初勝利です。

 意識と無意識の関係を前提とした上で第二部定理一二の新しい意味を理解しようとする場合,以下に示すような考え方が可能であることになります。
 人間の精神のうちには,自分の身体の中に起こることの混乱した観念があるのですが,これはその人間の精神の無意識の領域に関する言及です。僕たちはその無意識のすべてを意識するというわけではありません。いい換えれば,僕たちは自分の精神のうちにある観念に関して,そのすべての観念の観念というものを有するというわけではありません。したがって,意識というレベルで反省するならば,確かに第二部定理一二の新しい意味が述べている事柄は不条理に思えるかもしれませんが,それはまさにそれを意識のレベルにおいて反省しているという点から生じているのであって,実際には僕たちが意識していないようなレベル,すなわち無意識のレベルにおいては,自分の身体の中に起こることについて,僕たちの精神のうちにはそのすべての観念があるのだという考え方です。
 確かにこのように考えるなら,僕が抱いているような疑問というのが解決されるということは間違いありません。しかしこの解決法というのは,大きな難点があると僕は考えています。というのはこの主張は,単に第二部定理一二について考察する場合には妥当するでしょうが,『エチカ』のほかの部分との関連を重視するならば,むしろ齟齬を来していると思うからです。
 たとえば第二部定理四三証明です。ここでスピノザが主張していることを,僕は,自分の精神のうちにXの観念があるならば,その精神のうちにはXの観念の観念もあるというように理解します。そしてこれは単に必要条件だけを意味しているわけではなくて,Xの観念の観念がある人間の精神のうちにあるという場合の,十分条件を示していると理解します。いい換えればスピノザは,自分の精神のうちにある無意識の領域は,必然的に意識化できるようなものであるということを認めていると思うのです。今は実際に人間にとってそれが可能であるのかどうかは問題ではありません。スピノザがそういった論理を組み立てているという点が重要なのです。
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佐藤昭雄&スピノザとフロイト

2012-12-21 18:39:54 | NOAH
 ハル・薗田は三沢にとってよき先輩であったわけですが,三沢自身が若手時代に世話になった先輩として名前を挙げている選手には,佐藤昭雄もいます。
                         
 佐藤は僕のプロレスキャリアが始まった頃は中堅選手。ソバットを得意にしていて,アジアタッグの王者にもなっていますが,プロレスラーとしてそれ以上のイメージは僕にはありません。ただ,今から思えばこの当時の全日本の中堅選手は泥臭さを感じさせる選手ばかりだったのですが,国際プロレスから移籍してきたマイティ・井上とこの佐藤には,洗練された面があったようにも思えます。
 これがちょうど三沢の若手時代に該当しますが,この頃,佐藤は前座の試合のマッチメークを任されていたそうです。ということはおそらく馬場からも信頼されていたということでしょう。こうした関係から佐藤は試合に関するアドバイスをすることも多かったようです。そして三沢によれば,佐藤は若手にも自由にやりたいプロレスをやることを許してくれたとのこと。三沢は若手時代は先輩の越中との対戦が多く,これは当時の全日本プロレスの前座の花形といっていいカードだったのですが,このカードが花形になったのは,華麗な空中戦が展開されたからです。選手によっては若手がこうした試合をすることを快く思わない場合もあったようですが,佐藤はそれを許し,そのおかげで三沢は頭角を現すことができたので,お世話になった先輩として名前を挙げているものと思われます。
 佐藤は後に全日本プロレスを退社し,WWFに移籍しました。といってもこれは選手として移籍したというわけではなく,フロントとして入団したものです。佐藤自身,プロレスラーとしては大きな花を咲かせることはできなかったといっていいのではないかと思うのですが,ブレーンとしての才覚は高いものがあったのでしょう。おそらく馬場はそれを見抜いていたから,佐藤に前座を任せていたものと思います。そういう意味でいえば馬場には,単にレスラーとして選手を評価するだけでなく,人間としての力を見抜く才能もあったといえるのではないでしょうか。

 哲学として,あるいは形而上学的に,無意識の領域をこれほどまでに顕在化させたのは,スピノザが初めてであったといえると僕は思います。第二部定理一三備考にあるように,スピノザの哲学ではあらゆる形相的有が精神を有するということになっていて,したがってこの場合の無意識も,厳密にはそういった精神に属するような無意識であると考えるべきでしょう。ただ,『エチカ』第二部を通してスピノザが目指したのは,人間の精神の本性の解明であったといえますから,この場合には人間の無意識の領域を顕在化させたと考えるだけでも十分だと思います。
 実際に,このことの意義は,現在の考察とは関係なく,過小に評価することはできません。人間の精神の無意識の領域を,最初に科学の対象にしたのはフロイトであったと僕は理解しています。そのフロイトは,スピノザ生誕300年記念論集に寄稿をしていて,そこで自身がスピノザの哲学の成果に格別に高い敬意を払っているという主旨のことを述べています。また,あるスピノザ研究者に対する手紙の中では,自身の精神分析学というものが,スピノザの学説に負っているという点について,それを率直に認めています。
 ただし,実際にフロイトは自身の学説を発表する中では,スピノザの名前にはほとんど触れることはありませんでした。その理由についてもフロイトは述べています。フロイトの精神分析学というのは自然科学です。それは哲学や形而上学ではないのはもちろん,たとえば心理学のような社会科学でもなく,医学や生理学と共通するような自然科学なのです。あるいはその分野を開拓したのがフロイト自身であったということを考慮に入れるなら,フロイトは自身の精神分析学を,そうしたものとして確立することを目指していました。このためにフロイトにとっては,哲学的側面からの自身の学説の正当化は不要だったのです。フロイトはそこまでしかいっていませんが,あるいはむしろ誤解を誘発するような邪魔なものであったかもしれません。
                         
 現在の考察には無関係なのでこの話題はこれくらいにしておきます。フロイトとスピノザの研究は,ヨベルの『スピノザ 異端の系譜Spinoza and Other Heretics : The Marrano of reason』で詳しく探求されていますので,興味があるならそれをお読みすることを勧めます。
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農林水産大臣賞典全日本2歳優駿&意識と無意識

2012-12-19 20:41:13 | 地方競馬
 ナイター開催となったので20時10分の発走になった第63回全日本2歳優駿
                         
 ゲート内でも暴れていたアメイジアが,発走後に右に大きくよれ,騎手がバランスを崩して落馬。先手を奪ったのはサマリーズで2番手がキタサンオーゴン。その後ろは外がタプロームで内がジェネラルグラント。さらにドコフクカゼまでは集団。前半の800mは50秒9で,これはスローペースといっていいくらいのミドルペース。
 向正面でアップトゥデイトが外を進出。残り800mから一気にペースアップし,空馬に絡まれた影響もあったかもしれませんが,3コーナーからサマリーズが後続との差を広げていきました。結果的にはむしろこれがプラスとなり,直線はその空馬と併せるような形となったサマリーズが3馬身差で逃げ切って優勝。内目でそつのないレースをしたジェネラルグラントが2着。直線はジェネラルグラントと外のアウトジェネラルの間を割って伸びたアップトゥデイトが4分の3馬身差で3着。
 優勝したサマリーズは10月に芝でデビューし4着。その後はダートに矛先を改め,未勝利,500万特別を連勝していました。前走はかなり後ろから差し切ってのもので,逃げるとは意外。ただ,連勝は1200と1400でしたから,スピード能力はここでは上だったよう。レース展開でいえば恵まれた部分があったとは思いますが,後ろを離していますので,今後の活躍も十分に期待できそう。ただ,距離が延びるのはプラスにはならないようにも思えます。Someriesはイギリスの牧場の名前のようです。
                         
 騎乗した藤岡佑介騎手は一昨年のJBCスプリント以来の大レース2勝目。管理している父の藤岡健一調教師は大レース初勝利となりました。

 これを考えるためにはまず,スピノザの哲学,なかんずく『エチカ』における意識と無意識の問題に注意を払っておかなければなりません。
 Aの精神のうちにXの観念があるということ,いい換えればAの精神の本性を構成すると説明される限りで神のうちにXの観念があるということ,これがAがXを認識するということの意味です。しかしこのことのうちには,Aがそれに関して自覚的であるということが含まれているわけではありません。以前にスピノザの哲学の認識論について考察したときに,精神というのは一種の自動機械なのであって,認識というのは主体によるある作用ないしは操作ではないということを,ひとつの特徴として提示しました。そしてそれと同様に,この認識作用というのは,それ自体が主体によって意識化されているというものではないということも,やはりスピノザの哲学の認識論の,大きな特徴のひとつであるといえると僕は思います。
 つまり,AのうちにXの観念があるということ,いい換えればAがXを認識するということは,AがXを意識するという意味ではありません。僕がこれをAの精神の本性を構成すると説明される限りで神のうちにXの観念があるといったのは,これを第二部定理一一の具体的意味と関連付けるためです。要するにAがXを認識するということが,AがXを意識するという意味ではないということは,この場合のXの観念が十全な観念であろうと混乱した観念であろうと,同じように妥当するということです。
 ではこのことが具体的に何を意味しているのかといえば,それはAの精神の無意識を表しているということになります。一方,それではAの精神の意識の領域はどのように表現されるのかといえば,それはAの精神のうちにXの観念の観念があるという場合になります。いい換えれば,Aの精神の本性を構成すると説明される限りでXの観念の観念が神のうちにあるという場合に,初めてAはXを意識するということになるのです。
 一般に精神が事物を認識するということは,精神がその事物を観念として意識すると理解されがちです。しかし『エチカ』においてはこの常識は通用しないのです。
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椿賞争奪戦&拭えない疑問

2012-12-17 18:55:59 | 競輪
 東日本では今年の最後の記念競輪となる伊東温泉記念の決勝。並びは飯野ー内藤の北日本,矢野-長塚の栃木茨城,阿竹ー筒井の中四国,園田-小岩の九州で,新田が単騎。
 スタートは阿竹が取って前受け。新田が3番手で園田が4番手,6番手が矢野で8番手に飯野で周回。残り3周のバックで飯野が上昇すると矢野がすかさずスイッチし,ホームでは矢野が飯野を叩いて前に。バックで阿竹が仕掛けていくと矢野も発進し,打鐘から先行争いかと思われましたが,3番手を確保した飯野が阿竹をブロックし,阿竹は外に浮いて矢野の先行に。園田はインをするすると上昇。しかしバックから新田が捲っていく方が早く,これに長塚が番手から応戦。結果的に長塚が新田を前に出させず,そのまま優勝。長塚に続いた新田が2着。長塚の後ろから飯野が3着。
 優勝した茨城の長塚智広選手は10月の向日町記念以来となる記念競輪級7勝目。当地は初制覇。競輪グランプリ出場が決定していて,怪我が最も怖いところですが,出走してきました。そうなると力が上ですし,さらによい目標を得ましたので,順当な勝利とはいえるでしょう。矢野が組み立てを失敗するのが最悪のケースでしたが,そうなるどころかうまく先行した時点で,すでに優勝をその掌中に半分以上は手に入れていたといっていいでしょう。

 第二部定理一二の新しい意味をめぐる考察は,ひとまずはこれで終了します。
 この意味が見出されることによって,僕が抱えていた第二部定理一二の問題はどのようになったでしょうか。結論からいえば,それは,その問題がもっている重みは軽減されたけれども,完全に解消されるには至っていないのです。
 もしもかつての第二部定理一二の意味でこの定理を理解するならば,人間は自分の身体の中に起こる事柄のすべてを十全に認識しなければならないということになります。しかし経験的に考えて,これをいうのは不条理ではないだろうかという疑問が,僕が最初にこの定理に抱いたことでした。それが今や,人間は自分の身体の中に起こることを認識はするけれども,しかしそれは十全な認識ではないということになったわけです。この点で,確かに当初の疑問の重みは軽減しています。
 しかし一方で,第二部定理一二の新しい意味の中には,たとえそれが混乱した認識なのではあったとしても,人間は自分の身体の中に起こることについては,それをことごとく認識する,いい換えれば自分の身体の中に起こるすべてのことの観念があるということはまだ含まれています。しかるに,たとえそれを混乱した観念であると結論しても,やはり経験的に考えれば,これをいうのは不条理なのではないだろうかという疑問を,僕は完全には拭いきれません。少なくとも僕自身について反省的に考えてみた場合に,僕の身体の中で生じているすべてのことを認識しているかと問われたならば,僕はその問いに対して肯定的な解答を与える気にはなれないのです。そしておそらく,このように考える人がほとんどなのではないだろうかと僕には思えるのです。
 したがって,第二部定理一二の意味からは,人間が十全に認識する自分の身体の中に起こることとは,具体的には何であるのかという疑問が生じできたのですが,それが混乱した認識であるとされても,同じ問いはやはり僕の中から自然と噴出してくるのです。そこでここからは,この問いに関連した考察を開始するということにします。人間が認識する,自分の身体の中に起こることを,具体的にはどう理解すればよいのでしょうか。
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朝日杯フューチュリティステークス&正当性

2012-12-16 18:36:12 | 中央競馬
 3戦3勝のコディーノの走りに注目が集中した第64回朝日杯フューチュリティステークス
 まずマイネルエテルネルが先手を奪い,クラウンレガーロ,エーシントップ,ロゴタイプの3頭が追う形。内にネオウィズダムで外にフラムドグロワール。コディーノはその後ろでノウレッジがほぼ同じ位置。ただ,隊列があまり定まらず,3コーナー付近で最終的には内からネオウィズダムが先頭に出ました。前半の800mは45秒4で,これは超ハイペースでしょう。
 コディーノはこのペースでも少し折り合いを欠いたのだと思いますが,3コーナーを回るところでは外に出て,1頭だけじっとしていたロゴタイプの外へ。前の6頭ほどが雁行状態で直線に。内の各馬は一杯で,ロゴタイプが自然と先頭に。コディーノが外から追ってレースは2頭の一騎打ちに。最後までしぶとく抜かせなかったロゴタイプがクビ差で優勝。コディーノは2着。2馬身半差の3着には馬群を縫うようにして追い込んだゴットフリート。
 優勝したロゴタイプは6月の新馬を勝った後,函館2歳ステークスが4着,オープン3着を挟んで札幌2歳ステークスは2着馬の4着。前走は自己条件をレコードタイムで優勝。ここもレースレコードで,早い時計を得意とするタイプなのでしょうし,かなりごちゃついたレースで,豊富なキャリアも生きた格好。たぶんマイラーだろうと思いますが,もう少し距離が延びても対応はできるものと思います。父は2003年と2007年の中山記念,2003年と2005年のマイラーズカップを勝ったローエングリン,祖母に1993年のローズステークスを勝ったスターバレリーナ
 騎乗したイタリアのミルコ・デムーロ騎手は天皇賞〈秋〉以来の日本での大レース制覇で,第62回以来2年ぶりの朝日杯フューチュリティステークス2勝目。管理している田中剛調教師は春の中山グランドジャンプ以来の大レース制覇で,平地の大レースはこれが初勝利。

 第二部定理九の読解に関して,『スピノザ『エチカ』の研究』における福居純によるものと,今回の僕の考察によるものとで,どちらにより正当性があるといえるのかと問われたならば,それは福居純の読解の方であるということは,僕も認めざるを得ません。それは定理の配置という観点からです。
                         
 僕の場合,第二部定理一二の新しい意味を見出すために,第二部定理九の「無限に進む」というのを積極的な側面から理解したという形となっています。つまり後発の定理のために,先行する定理を読解しているということになります。対して福居は,単に第二部定理九からこのことを帰結させています。よってどちらに分があるのかということは,この観点からは明白であるといわざるを得ないでしょう。
 スピノザは『エチカ』でこのことを明確に述べているわけではありません。ただ,演繹法を用いなければならないということはそういうことを含んでいると僕は考えます。また,スピノザは『デカルトの哲学原理』では,実際にデカルトが立てた筋道と順序を変更させている部分がありますが,それは先行するものは後続するものによって理解されてはならないということ,これは実際にはデカルトの命題なのですが,それを忠実に守るためであったと思われます。スピノザが同様に考えていたことは間違いない筈で,その点からも正当性は福居の方にあるということになるでしょう。
                         
 ただ,この相違は,他面からいえば単に動機の相違ともいえます。福居は『エチカ』を注解するという動機から第二部定理九を理解しているのに対し,僕はそもそも僕自身のうちにある第二部定理一二の問題の重さを解決するという動機から,その先行部分の読解の変更に至ったといえるからです。すなわち,僕は第二部定理一二を考えることによって第二部定理九を読解しましたが,だからといって第二部定理九が第二部定理一二によって理解されなければならないというように考えているわけではありません。むしろ第二部定理一二の新しい意味は,第二部定理九の読解の変更に依拠すると考えていますから,この点では実際には大きな差異があるわけではないともいえるのではないでしょうか。
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三大タイトル挑戦&第二部定理九の読解

2012-12-14 18:41:34 | NOAH
 力道山の死後に残された日本プロレスの幹部の要請に応じて馬場は帰国の決断をしたのですが,実際に帰国する直前に当時の三大タイトル,具体的にはNWA,WWWF,WWAに連続して挑戦しました。そのファイトマネーが高額であったこととは別に,これはなかなかの快挙です。
                         
 当時のアメリカのプロレスはテレビで全米に中継されていたわけではありません。したがって,NWAのチャンピオンは各地を転戦しますからどこでも有名でしたが,ほかのふたりはそうでもなかったのです。たとえば当時のWWWFの王者は人間発電所と称されたブルーノ・サンマルチノでしたが,彼はお膝元であるニューヨークを中心とした東海岸ではトップレスラーであったものの,西海岸では無名でした。逆にWWAは西海岸が本拠でしたので,そこでどんなプロレスが行われているか,東海岸のファンには知られていなかったのです。力道山は日本プロレスを旗揚げする前にこの西海岸で戦っていて,そこではトップレスラーの一角でしたが,東海岸では知られていませんでしたから,馬場と一緒にWWWFのマットに立ったときには,馬場の師匠である力道山というように紹介を受けたようです。
 どの地区であれそのトップのタイトルに挑戦できるということ自体,すでにそのリングでトップの一角をなしているということを示します。したがってこの当時の馬場は,アメリカのある特定の地区においてトップレスラーであったというわけではなくて,どの地区に行ったとしてもトップとしての扱いを受けるような花形選手であったわけです。アメリカのプロモーターというのはかなりシビアなところがあるらしく,客を呼ぶことができないようなレスラーは,どんなに優れた技術をもっていたとしても,トップでは戦わせないし,ましてタイトルに挑戦させるなど言語道断であったようです。
 結果的にいえば馬場はそれらのタイトル挑戦にはことごとく失敗し,王者になることはできませんでした。しかし各地の王者に続けざまに挑戦したということ自体が,いかに高く評価されていたかということの証明であると思います。

 『スピノザ『エチカ』の研究』における福居純の読解と,今回の僕の考察とでもうひとつ大きな相違があるのは,そもそも第二部定理九をどのような観点から理解するべきなのかということに存します。
                         
 僕は第二部定理一二の理解のために,第二部定理九に原因の十全性という視点を取り入れることを迫られました。原因の十全性と観念の十全性との間には不可避な関係がありますから,このためには第二部定理九で示されている個物の観念のすべてを,十全な観念であると考えなくてはなりません。そこでこの定理の末尾にある「無限に進む」ということばを積極的に読解するということになったわけです。いい換えれば,第二部定理九は神の無限知性を具体的に構成するような定理であると読解するに至りました。
 しかし福居の場合はこれとは違っています。福居によればそもそも第二部定理九の「無限に進む」というのは,何らの前提なしに積極的な意味を有するものとして理解されなければなりません。福居は『スピノザ「共通概念」試論』においても,第二部定理九が現実的に存在する個物の観念について言及しているとしても,それは永遠の真理として理解されなければならない事柄であって,そう理解するのでなければ結果と原因の無限連鎖を支持することにはならないという意味のことを主張していますから,これは福居にとって一貫した考え方であると思います。
                         
 しかるにそれが積極的な意味において理解されなければならないのであれば,これが神の無限知性を構成すると考えられなければならないということもまた必然です。いい換えればそれは第二部定理七系が個物の観念に対して適用されているのであって,すなわち第二部定理七系の意味により,そのすべてが十全な観念であると考えられなければならないということになります。したがって,僕にとってはある必要に迫られて導入された原因の十全性という観点は,第二部定理九には最初から導入されている,あるいは導入されているということを認めないのであれば,この定理を十全に理解したということにはならないということになっているといえるでしょう。
 最初の読解には相違があっても,得られた結論は一致します。なので第二部定理一二に至る道も,結果的には同じになっているのです。
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ゴールドカップ&第二部定理九系の帰結先

2012-12-12 18:48:00 | 地方競馬
 条件の変遷や休止期間はありましたが区切りといえる回数を迎えた第50回ゴールドカップ
 コース設定からして内枠が有利なところがあり,最内のナイキマドリードが余裕をもっての逃げ。ディアーウィッシュ,タマモスクワートの2頭がそれなりに追い掛けていくというレース。ミドルペースでした。
 3コーナーを過ぎたあたりでディアーウィッシュが一杯に。代わってタマモスクワートが2番手に上がり,ナイキマドリードを追う構えをみせましたが,楽な逃げであったナイキマドリードは余裕綽々。直線ではむしろ突き放していき,4馬身差の圧勝。追ったタマモスクワートも後続勢には付け入る隙を与えず2着。さらに4馬身差の3着には中団からずっと内を回ってきたナムラブレット。
 優勝したナイキマドリードは1月の船橋記念以来の勝利で南関東重賞は4勝目。ほかに重賞1勝。昨年も制していて連覇。船橋記念の後はずっと重賞を使っていたから勝てなかっただけで,ここでは力量もスピードも上位。おまけに最も得意としているコースですから,アクシデントでもない限りは負けることはないだろうと思っていましたが,まさにその通りの圧勝となりました。もちろん重賞でも通用する馬で,上積みは厳しいでしょうが活躍はまだ続くでしょう。
 騎乗した大井の戸崎圭太騎手は先月末の勝島王冠以来の南関東重賞制覇。第49回からの連覇でゴールドカップ2勝目。管理している船橋の川島正行調教師は第38回と第49回を制していて,連覇となるゴールドカップ3勝目でした。

 第二部定理九平行論的内容が含まれていると考えるならば,なおのこと僕は第二部定理九系平行論的証明だけで論証が可能であるという見方を変更する必要が減じます。なぜなら,第二部定理九が因果論的内容だけを含む定理である場合には,この定理を前提に第二部定理九系を理解するという場合,僕がいうところの第二部定理九の論証に含まれるスピノザによる因果論的迂回というのを重視しなければならないのですが,そもそも第二部定理九に平行論的内容が含まれているのならば,そのことを考慮に入れずとも第二部定理九から無理なく第二部定理九系を帰結させることが可能になるからです。
 このことは,僕自身のそれまでの理解の仕方からも明らかであるといえるでしょう。というのも,第二部定理九系が平行論的内容を有するのであれば,それは第二部定理七から帰結しなければならないというのが僕の見解であったわけです。しかるに第二部定理九のうちにも平行論的内容が含まれているということの根拠は,この定理のスピノザによる論証のうちに,第二部定理七への訴求というのが含まれているということだからです。つまり第二部定理七から直接的に第二部定理九系が帰結するという考え方が,第二部定理七から第二部定理九が帰結し,さらに第二部定理九系がそこから導出されるという考え方に変わったわけで,これは確かに『エチカ』の読解という点だけを強調するならば,僕の見解に変更があったということにはなるでしょうが,単に論理の筋道だけに注目するならば,その筋道の中途に新たな部分が加わったというだけであり,それ以上には何らの変更もなされていないということになるからです。
 いずれにせよ,仮に第二部定理九のうちに平行論的内容が含まれてはいないのだとしても,いい換えれば第二部定理九系が第二部定理七から直接的に帰結しなければならないのだとしても,すでに説明しましたように第二部定理九系の消極的意味というのを見出すことは可能だというのが僕の見方です。ですから僕はこの点に拘りはしませんが,こうした理解の仕方も可能であるということは,ここで強調しておきます。
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